第三話 欠けた月Ⅲ――友を背に決意を胸に
身を切るような静寂の中、単調なリズムを刻む電子音だけが、唯一の存在の証だった。
静謐な……というよりは人っ子一人いない、終末を迎えた地球のような物悲しい静寂が辺りを満たしている。
雑菌やウイルスを極限まで滅し殺し尽した無菌室に置かれた大型のベッドには、ごちゃごちゃとしたコードや見たこともないような大きな機械が大量に取り付けられている。
周囲を防弾ガラスで囲われたその無菌室へは、一般の人間が立ち入る事は許されてはいない。
面会に訪れた人間に許されるのは、こうしてガラス越しにベッドの中に横たわるその人物の表情を静かに眺め見る事くらいだ。
だからこそ、ガラスに取り付けられたただ一つのモニターが垂れ流す電子音だけが、唯一の存在の証明であり繋がりであった。
「……クソ勇麻の野郎、結局一度も見まいに来やがらねえんだってな」
語りかける言葉が、透明な仕切りを越えて向こう側へと届く事は無い。
ないと知りつつ、止めようとも思わない。
「安心しろ、今度会ったら一発ブン殴ってでもここに連れてきてやるからよ。……ったく、ホント馬鹿じゃねえのか? どうせあのクソ馬鹿野郎の事だ、テメェがこうなっちまった理由は自分にあると思ってやがんだ。クソくだらねえ事で責任感じやがって。つうか責任感じてんなら顔くらい出せって話だろうがよぉ」
どれだけ口汚い言葉を吐いても、どれだけ偉そうに文句不満を垂れようとも、反響するのは自分の声だけ。電子音に返事を返す機能など搭載されてるハズもなく、ただただ無機質で一定のリズムを刻み続けている。
「ホント、ふざけた話だってんだよ。最後まで戦い抜きやがったテメェに責任まで持ってかれてみろ。一体俺に何が残る?」
それは結局、自己満足の話だったのかもしれない。
少年が自分自身に憤りを覚えるのも、救った者を勘定に入れる事も忘れ全てを背負って抱え込もうとしている親友に憤りを覚えるのも、全部が全部、自分の中にある醜く人間らしい嫉妬や妬みや自尊心の産物だったのかもしれない。
でも、そんな事はどうでもいいと思えた。
自分が出来た人間じゃない事は自分が一番理解している。
ならば認めよう。
これが独りよがりの自己満足な行為であると。偽善者にさえ成れない、ただの負けず嫌いな男の負け犬の遠吠えであると。
壊れる程強く握った拳からは、いつの間にか鮮血が零れ落ちていた。
「俺が強ければ……もっと、もっと強ければ。テメェがこんな風になっちまう事も、クソ勇麻に全部背負わせる事もなかったんだ……っ!」
喉の奥から絞り出すように零れる言葉は。雨に打たれる子供のように震えていた。
それは、決して彼が人前で零す事はないような、後悔と懺悔の言葉だった。
「ああ、分かってんだよ。力の差があることくらい。ずっと隣を走ってると思ってたのが、気が付けば一歩も二歩も先にテメェらは進んでいやがったって事くらい……!」
否、本当はそうじゃない。
心のどこかで確かに思っていた事がある。
ある種の油断のような慢心があったのだ。
こいつら二人を引っ張っているのは自分だと言う、自惚れに満ちた自負は確かに存在した。幼き頃と同じように、自分の背中を追いかけてくるものだとばかり思っていた。
でも、そんなのは現実から目を逸らしていただけだった。
予感ならとうの昔にあったのだ。頭のどこかでは変化に気が付いていて、ただそれを認めたくなかっただけ。
皆に頼られ、皆を引っ張っていく幼き頃の己の偶像に、支配されていただけだ。
あの日、南雲龍也が命を落としたあの瞬間から、少なくともあの少年はずっと何かと戦い続けていたのだと言うのに。
歩みのスピードは人それぞれで、誰も彼もが、歩くペースを合わせてくれるわけじゃない。
そんな事は、ごく当たり前のことなのに。
「ああ、そうだ。何もできなかった。俺は“テメェら”に救われた。でも、だからって、こんな所でいつまでも止まってるつもりなんざ微塵もねぇ……」
立ち止まれば終わる。
諦めてしまえばもう拳は握れない。
戦いと同じ。瞬きしている暇があるなら相手を見据えろ。超えるべき壁の高さを目にして、怖気づくのではなく不敵に笑ってやればいい。
自分はそういう男のはずだ。
そういう逆境と、笑って対峙できる男のはずだ。
赤茶色の髪の毛が特徴の少年――泉修斗は、猛虎のように鋭い視線をガラスの向こう側の人物へと向けて、宣戦布告するかのようにこう告げた。
「テメェがそっから起きるまでに、俺の方が強くなってやる。だから、追い抜かれるのが嫌ならいつまでも寝てねえでさっさと起きてきやがれ、このアホ猿」
それが、今の泉修斗が伝える事のできる精一杯のメッセージ。
分厚いガラスの壁の奥、ゴタゴタとした機器を大量に取り付けたベッドの中。生命維持装置に繋がれた高見秀人からの返事は――勿論、何も無い。
身体に空いた風穴は完璧に塞がり、どうにか手遅れになる事だけは回避できたその少年は、しかし時が凍りついたかのようにあの日以来ぴくりとも動かない。
仕事を放棄した彼の心臓に成り代わり、今は体に繋いだ機械によって身体中に血液を巡らせて無理やりに生き長らえさせているような状況だ。ごたごたとしたチューブや機器の内一つでも取り外してしまえば、またたく間に命の鼓動を停止してしまうような、そんな断崖絶壁ギリギリに高見はいる。
けれど、泉修斗のその言葉は、今も意識を取り戻さずに眠り続ける少年に届いたような気がした。
結局これも自己満足でしかないのだとしても。
泉が黙ると、再び死の静寂が周囲を包んだ。
単調かつ一定のリズムで繰り返される電子音が、より一層この空間の虚無感を増していく。
「――もう終わったのか?」
不意に、一つ廊下の曲がり角を挟んだ先からそんな声が届いた。
泉もよく知る女の声だ。
とはいえ、個人的な話をするのなら非常に不本意なのだが。
……知り合いか知り合いじゃないかで問われれば、まあ一応知り合いに分類はされるのだろう。だが、気に食わない女である事に変わりはない。
「……あぁ。終わった」
泉が声の主に聞こえないように舌打ちしてから言葉を返すと、それを合図にぞろぞろと廊下の奥から四つの足音が響いてくる。
足音の主達は、てんでバラバラに好き勝手な事を捲し立てる。
「それじゃあそろそろ行きましょうかぁー。なにせ時間は有限、一分一秒を争うレベルで今は時間がありませんしねぇー。……正直、私としてはアナタなんかに構っている暇はないって言うか? もっと他の人に色々とちょっかいだしてやろうとか思ってたのに、はたはた迷惑で面倒くさいなぁー、とか? 別にそんな事は思っていないんで、どーでもいい……ごほんっ、面倒事はちゃちゃっと済ませちゃいましょう」
「あらあら~、シャルトルちゃんてば本音がダダ漏れね~。それにしても、最初に話を聞いた時は驚いたわ。まさかアナタからこんな申し出を貰うとは思ってなかったもの。やっぱり、何だかんだ言ってスカーレちゃんと仲良しさんだったのね~」
追撃を掛けるように泉の苛立つ心を刺激するのは、そもそもやる気のないアホ女と、頭の大事なネジが端から端まで行方不明なご様子の脳みそ幸せ女。
正直相手にするのも腹立たしいが、言われっ放しにしておくのはもっと許せないのが泉修斗という人間だ。
売られたケンカは買わねば男が廃るというものだ。
「あ? ……それ以上ふざけた口を叩くようなら、修行を名目にテメェからブッ飛ばしてやろうか?」
「あらあら~。随分可愛らしい事を言うのね~。何なら、今ここで試しにやってみてもいいのよ?」
後半、心なしか声のトーンがやや低くなったような気がしなくもないが、声の主は変わらず穏やかな笑顔のまま。
その不変が、嫌に泉の背筋を逆立たせる。
数秒間の視線の交錯の後、心底気に入らないとばかりに視線を逸らし鼻を鳴らす泉。そんな泉の様子に呆れたような鳴き声が返ってくる。
いつの間にここまで近づいたのか、泉の隣に袖が余りまくりのロングコートを来た謎の女が立っていた。
「……んなっ、」
「あ? 馴れ馴れしく肩に手ぇ置いてんじゃねえよ……。つーか、何言ってるか分かんねえから」
「おいおい、テメェの事を激励してんだぜ? セピアはよぉ」
「だから何て言ってんのか分かんねえんだよ……」
「な。んなな……!」
「だからセピアはアナタの事を応援して……ぷっ、くぷっ……! あはははっ! もうだめですってぇー、折角のシリアス場面で笑わせないでくださいよセピアー!」
「……ああ、よく分かった。全体的にテメェら姉妹が俺にケンカ売ってるって事はな……!」
コミュニケーション不能のぶかぶかロングコートのぱっつん女は後で絶対泣かすと決意を新たにする泉。
そんな泉の顔を見て、赤髪ショートの女はどこか試すような笑みを浮かべる。
「で、覚悟はできてんのか?」
「あ? 舐めてんのかテメェは。当たり前だろうが」
「ぷっ、また私らにボコられる覚悟をですかぁー? 昨日もあんなにボコられたのに、泉さんって見た目によらずドMなんですねぇー」
「ハッ、馬鹿言え。お高く留まった背神の騎士団の糞野郎共にケンカ売る覚悟だ」
「あらあら、元気なのはいいことよ~。それがいつまで持つかは置いておいてね」
「御託はいいからさっさと始めようぜ。付き合ってくれんだろ? 俺が強くなるのに」
「な」
「……ふん、セピアの言う通りだ。このスカーレ様達のストレス発散に、の間違いな?」
軽口の応酬もここまで。騒がしい同伴者を連れ、泉は友の元を後にする。
彼らが五人が目指す先は背神の騎士団お抱えの戦闘演習場だ。
今泉達がいる背神の騎士団本部地下三階……高見秀人も収容されている緊急病棟のある本館から、ほんの僅かに離れた場所にある別館の無骨な四角い空間こそが、泉修斗の今の戦場だった。
「へっ、やってやろうじゃねえかよ。“俺の中に新たに生まれたこの力”、絶対に御しきってやる……!」
干渉レベルAマイナス相当の実力者が四人。
相手にとって、不足無し。
☆ ☆ ☆ ☆
じゃらじゃら、と。金属同士が擦り合う耳障りな音が響く。
顔の至る所に穿たれたピアス。そして首から大量にぶら下げられた安物のネックレス。
さんざん脱色を繰り返したのか、痛みきってボサボサになってしまった髪の毛。
そして、ダルっとしたスウェットと蜂のようにテカテカとした警告色のTシャツが特徴の男だった。
全体的に騒がしい見た目のその男は、深夜の街をタムロするチャラいヤンキーにしか見えない。
「ふぁあ……。ねんみー、こんな朝からやってらんねえーわー。まーじーでー」
ゆらゆらと身体を揺らしながら歩くクライム=ロットハートは、隈のある目つきの悪い目に涙を浮かべつつ大あくびをした。
時刻は既に昼の一時を回っているが、夜型人間のロットハートにとってはこの時間は早朝と大差ない。いつもなら、ベッドの中で高いびきをあげている時間だ。
『クライム……』
「だぁー、わーってるって。俺チャンもノルマは果たしますよ。だからいきなり頭ん中話し掛けるの辞めてくれー、頭がぐわんぐわんするぅうう……」
『ふむ。それは済まない事をしたな。……ところで、この時間の君はいつもそんな調子なのかね?』
「あん? なんの話しだか俺チャンよくわかんね……ふぅあぁ……ねむねむ」
眠そうに欠伸を連発するクライムには覇気がなく、いつもの騒々しさやお調子者具合もなりを潜めている。
『……』
次からクライム=ロットハートに何らかの指示を与える場合は、この時間帯にすべきか。そんな事をシーカーが考え始めるたのもまた、無理のない話ではあった。
「さって、と。外部への干渉は上々。感染の拡大も確認済みですよっと。後はサンプルデータちゃんの入手さえすれば、……好きに遊んでもいいんだよな?」
眠そうだったロットハートの瞳に一瞬嗜虐的な光が灯る。
シーカーは、それがどういう意味を持つ問いかけかを理解した上で、
『構わない。元より、そういう契約だ』
「よっしゃあー! なんかモチベちゃん湧いてキターっ!」
ばっと、大声を上げながら大きく伸びをして眠気を吹き飛ばす。
クライム=ロットハートは、ギラギラとした欲望を隠しもせずに舌舐めずりする。
かったるい仕事のあとのソレは、彼にとって極上のデザートだ。
「さあってと、それじゃあ俺チャン一押しのあのガキをいい感じに仕上げてみますか。自分の無力さに打ちひしがれ、失望し、けれども夢を捨てる事も叶わない、そんな哀れなお子様チャンを夢にまでみた最強に……キッヒヒッ!」
『感情』を司る『三本腕』の一角が、ついに動き出す。




