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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第四章 悪意ノ伝道師
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第一話 欠けた月Ⅰ――世界は変わらず

 

 ――やめろ! お願いだから止まってくれ! 


 そう叫びたいのに、どれだけ大声を絞り出そうとも、開閉する度に無音の空気が漏れるだけ。

 一言たりとも声はでない。

 まるで喉に蓋がされてしまったかのように。

 ならばと、前へ前へと進む己の両足に止まれと命令を送る。

 けれど歩みは止まらない。

 自分の身体なのに、何一つ言う事を聞いてくれない。


 少年はあの時と同じように小さな足を懸命に蹴りだし、ただがむしゃらに凶刃の前へと飛び出す。

 何ができる訳でも、何を救える訳でもない。何も考えていないのだから当然だ。

 命を一つ分無駄にするだけの、どうしようもない愚行。


 そして、その愚かな子どもの為に身を投げ出す、全くもって愚かな英雄が一人。


 何度でも。何度でも。何度でも過ちは繰り返され、何度でもその命は散る。


 眼前で飛び散る血しぶき。

 誰かの悲鳴。

 不気味に笑う不吉な仮面。


 それらがぐるぐると回って、景色が歪む。

 いつもより低くなった視界の先、大好きだったその英雄ヒーローが、血塗れの口元に不敵な笑みを張り付けてこっちを見ていた。


『ははっ……。なに、泣いてるんだ、よ。泣き虫……だな』

 

 だって、だって……! 龍也にぃがぁ……こんな、こんなの……!


『だい、じょうぶ……だ。俺は、こんなんじゃ……死なない、から』


 苦しいはずなのに、まるで少年を安心させるような笑みと共に彼の手が頭へと伸び、くしゃくしゃと髪の毛を撫でまわす。

 それから、真剣な光をその瞳に宿して小さな手を握ると、けれど優しく包む込むような微笑が向けられる。

 全幅の信頼を寄せた声色で英雄は言う。


『いいかよく聞け勇麻、今から■■■■■のは『■』じゃねえ、『■■』だ。この■は、お前の綺麗ごとだってきっと形にしてくれる。だから、絶対に捨てるんじゃねえ、お前の希った――』



 夢の世界。

 その光景は幾度となく繰り返される。


 しかし、何度繰り返そうとも愚かなその少年は、決して答えに辿り着く事は無かった。 



☆ ☆ ☆ ☆



 まだ外は薄暗い。

 窓から指す灰色じみた色に嫌気が差して朝から大きなため息をつきたくなる。

 何の意地なのかどうにかそれを堪えて、寝起きの冴えない顔を冷たい水で洗い流し、口の中に歯ブラシを突っ込む。

 しっかり十分。しっかり者の綺麗好きらしく歯を磨いてから東条勇火はようやく一度大きく息を吐いた。


 兄も、その兄にべったりのアリシアも、布団の中でまだ深い眠りの中だろう。

 今日の朝食当番は兄ちゃんなのに……、そんな風に力なくボヤくものの、兄を起こしに行く気にもならない。 

 

 あのあらゆる意味で衝撃的な事件からはや三か月。

 十一月を迎えた朝の曇天は、どこか不穏な色を湛えていた。

 雲に覆われた太陽は見えず、地上に届く光は薄く弱い。

 あの事件で多くの人が様々な物を失い、数えきれないほどの悲しみが街中に蔓延した。

 あれだけの騒動に巻き込まれ、結果として何とか生き残って、けれど東条勇火は何も変わらない。

 あの地獄を生き延びた経験が貧弱な少年の精神力を強靭な物へと成長させる事もなければ、悲劇の主人公よろしく最強の戦士へと覚醒したりもしない。ましてや二度と悲しい地獄を見ないで済むようにと、夜な夜な蔓延る悪に一人立ち向かっていたりもしない。


 ――世界は変わらなかった。

  

 寄操令示という神の子供達(ゴッドスキラー)の襲来によって、確かに変わった事もあった。

 兄の東条勇麻は左腕を失い、左脚に重傷を負った。

 泉修斗はあの日以来学校にも碌に行っていない。

 いつも優しく穏やかな天風楓の笑顔にはどこか陰があって。

 アリシアはまるで何かを気遣うかのようにいつも心配そうな顔で勇麻の傍にいる。

 そして、そして、そして……。


 確かに東条勇火の生活は激変した。

 そこにあったはずの日々は失われ、失った後の世界が今もこうして我が物顔で広がっている。

 当たり前を失って初めて、その当たり前がどれだけ尊い物だったかを実感するという、なんとも在りがちで、映画や漫画の展開だったら笑って一蹴してしまうような状況にいる勇火は、だからこそ分かってしまった。


 ――それでもやっぱり、世界は変わらなかった。


 勇火にとっての当たり前が失われたのに、それでも世界は当たり前に当たり前のことを当たり前のように回っている。

 気が付きたくなかった。

 知りたくも無かった。

 

 きっと世界は、誰でもいいのだ。

 誰でもいいし何だっていい。酷く投げやりで、酷く適当。それが世界の真理なのだ。 

 自分の存在がどれだけちっぽけな物なのかは、あの時に嫌と言う程痛感した。

 自分という存在がどれだけ足掻こうと、世界は小揺るぎもしない。東条勇火の選択に関わらず、勝つときは勝つし負ける時は負ける。

 でも、それでも、己の脚で立ち上がり、選択するというその行為には何らかの価値があるのだと勇火は信じていたかった。

 けれど違う。

 この世界にとって、個など所詮は世界を回す歯車の小さな歯の一つでしかない。

 少し欠けた所で、新しい部品パーツと交換すればいいだけ。

 消耗品のトイレットペーパーのように、何かである意味なんてありはしない。

 水に溶けて流れて消えれば、残滓さえ残らない。

 

 そんな力無き『個』の選択に何の価値がある?


 確かに世の中には『個』の枠からはみ出した、圧倒的な存在もいるかもしれない。

 

 例えば、寄操令示のような。

 例えば、南雲龍也のような。

 例えば、…………東条勇麻、のような。


 だが、少なくとも自分はその例外の存在ではない。その他大勢の枠組みの中に押し込められた意味なき消耗品だ。


「……はぁ、」


 朝から何を考えているんだ、と勇火は重い頭を振る。

 きっとこんな思考にも何の意味も無いのに。

 そう脳内で言い残して、東条勇火は冷蔵庫へと向かっていく。

  

 

 トーストにベーコンエッグ。シーザーサラダ。

 パパッと作った割には我ながら中々出来のいい朝食をお腹に収め、勇火は学校鞄片手に自転車に跨った。

 勇火の通う中学は自転車通学が許されている。

 寮から自転車を漕いで十五分で着くような距離にあるので、流石に朝から徒歩で向かうには少し面倒くさい物があるのだ。


 身を切る風の寒さに震えつつも学校へと自転車を進める勇火の目に映ったのは、寮の前にある公園――アリシアと勇麻の出会いの場でもある――で遊ぶ小さな少年少女とアリシアそして……東条勇麻の姿だった。


「……はぁ、」


 左腕を失い、左脚の骨格が歪にねじ曲がり変形するほどの重傷を負った勇麻が退院したのは、ほんの一週間前の事である。

 本来ならリハビリ含めて全治三年はくだらないであろう負傷を、僅か三か月で全快にまでもっていった神の脳力者(ゴッドスキラー)の医者の腕もさることながら、圧巻なのはやはり勇麻の異常な回復力だろう。

 勇麻の治癒にあたった医者や看護婦も、終始驚いていたのが勇火には印象的だった。

 まるで身体の中に回復の為のエネルギー源がもう一つあるかのようだ、と年配の神の力(ゴッドスキル)持ちの医者は語っていた。


 公園で小さな子供達に紛れて遊んでいるその姿を見れば分かるように、日常生活はおろか運動に関しても問題ないレベルで勇麻の身体は回復している。

 左腕の調子も、問題ないようだ。

 それなのに、退院してからと言うものの勇麻は一度も学校に行っていなかった。

 最初の数日は使命感に駆られて注意していた勇火も、今では半ば諦めモードだ。

 

 今日何度目かも分からない深いため息を吐き、勇火は暗い気持ちを切り替え切る事もできずに、自転車のペダルを踏み続けた。



☆ ☆ ☆ ☆



「おらおら俺が鬼だぞーお前ら捕まえちまうぞ~」


 きゃっきゃっあははとはしゃぎながら逃げる笑い声を追う。

 小さな足で懸命に地面を蹴る彼彼女らは、一秒一秒を懸命に全力で遊び抜いている。

 そんな姿を眩しく思いつつ、しかし遊びに対しては全力でふざけて全力で付き合うのが“南雲流”だ。 

  

 身体中を巡るエネルギーをふくらはぎに集中させ、それを一気に筋肉ごと爆発させるイメージ。


 逃げる子供達と比べて明らかに年上の少年の身体が、砂煙を巻き上げて地を駆ける。目の前を走る小さな背中を追い越し彼らの進行方向に先に回り込むと、ニカっと歯を剥き出しにするような笑みを浮かべた。

 いきなり真正面に現れた鬼の、しかもその変顔に、楽しげな悲鳴のような絶叫が湧き上がる。

 子供達が笑い転げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを尻目に、東条勇麻もまた爽やかに笑っていたのだった。



 少し離れた木の幹の割れ目、いい感じのポジションに嵌まっていたアリシアは、眠たそうな目を擦ってあくびをしていた。


「うむ。今日は、少し……肌寒いのだ」


 いつもの白いワンピースから伸びる腕で寒そうに己の身体を搔き抱きながら、アリシアは首に巻きつけてある赤いマフラーを確かめるように巻きなおした。

 

 吐く息は白く、冷たい空気に溶けて行く。



☆ ☆ ☆ ☆



 お昼ごろになって、ようやく少しばかり日が出てきた。

 鬼ごっこは一端お終い。

 さっきまで勇麻とグラウンドを走り回っていた子供達は、一度お昼を食べに自宅に戻っている。

 いつもの事を考えると、あと十分もすれば騒がしい声を響かせながら帰ってくるだろう。

 手を翳さずとも、目を細めれば凌げてしまうような弱々しい日差しの中、東条勇麻は公園のベンチのうえに一人腹をお空に向けて寝転がっていた。


 一人、寝転がっていたはずだった。 


「なあ、アリシアさん」

「どうしたのだ勇麻、改まって」

「いやさ、何でアナタは俺の腹のうえに我が物顔で座っているの?」


 東条勇麻十七歳、当然の疑問にアリシアは何を当たり前のことをとでも言いたげに真顔で小首を傾げる。


「むむむ。人がベンチに座るのは、ごく当然の事だと思うぞ?」

「お前にはこのステキ細マッチョ腹筋が座り心地の良い皆のベンチに見えるのか?」

「ふむ。前までならともかく今の勇麻のお腹は座り心地がよろしく

「あー! あー!! それ以上言ってはいけませんっ! 禁句、禁句です。そこは触れてはいけない地雷なんです二重の意味で!」

「ふむ、でもその可愛らしいお腹もいいと思うのだぞ、わたしは」

「つんつんしながら可愛いとか言うんじゃねえ。間接的に表現したつもりかもしれないけどな、男の子の純情ゲージはちょっとしたことで傷ついちゃうの! そういう事ちょっと気にしちゃう年頃なの!」

「意外と女々しいやつだな勇麻は」

「女々しさの欠片もない女の子が何を言ってますやら、悔しかったら女子力の一つや二つ身に着けてみやがれこの穀潰し」

「む、ならばこちらも弟くん直伝の特殊戦略兵器、TKGを勇麻に振舞うときが来てしまったようだな」

「ありきたりなオチすぎて反応に困るなアリシアさんや。そこはこう、俺らの予想を掻い潜って一歩先のステージに辿り着こうという気概はないのかい?」

「まさか、鶏を育てるところから始めろと言うのか……!? ……いやちょっと待ってくれ。この場合卵から孵した雛を育てるとこから始めればいいのか、それとも育てた鶏から卵……???」

「あちゃー、そっち方面に行っちゃったかー」

「安心してくれ勇麻。TKGを振舞うとは言っても、勇麻の頭目掛けて物理的に卵を振舞うようなドジを踏むつもりはないぞ」

「むしろ俺にその段階から心配をしろと言うのかお前……!?」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐものの、結局アリシアに人間クッションの上から降りるつもりは無いらしい。

 しばらく騒いでいた勇麻とアリシアだったが、やがて言い合うにも疲れたのかどちらともなく口を閉じた。

 心地のいい沈黙が流れ、二人して頭上を流れる雲を目で追いかける。

 

「なあ、勇麻……」

「ん」


 再び口を開いた時、珍しくアリシアは何かを躊躇うかのように、口籠る素振りを見せた。


「その……だな、ええっと……実は勇麻に聞きたいことが――」


 その先を、アリシアが口にしようとしたその瞬間。


「ほう、なにやらよく分からんが楽しそうではないか! その拷問ごっこに吾輩も混ぜるのじゃ!」


 なにやら不穏な発言と共に宙を舞った一つの小さな影が、仰向けにベンチに寝転がる勇麻の頭上を飛び越え――スカートの中身を盛大に御開帳しながら――勇麻のどてっ腹に綺麗に尻で着地を決めた。


「ぐげぇッ!?」


 潰れたカエルみたいに無様な鳴き声をあげる勇麻。

 無慈悲な事に、その人影の着地ポイントについ先ほどまでいたアリシアは、己の身の危険を感じたのか微妙に位置をスライドさせていた。

 その結果がこのクリティカルヒットである。

 降りかかる人から勇麻を助ける、という選択肢はどうやら真っ白な少女の中にはなかったらしい。


 割と甚大なダメージを受けてベンチの上でビクビクと身悶える勇麻。

 そんな不登校少年の上で楽しそうに飛び跳ねる少女は、アリシアよりもさらに一つ二つ年下であろう外見をした少女だった。

 アメジストのような輝きを持つ紫の髪に、同じく薄紫の瞳を湛えた褐色の少女は無邪気に笑っている。何と言うか、本当に楽しそうだ。


「あっはっは、面白いなこのトランポリン! なあじいや……ってあれ? じいや、どっかいったか……? まあ良い許そう! だってこれ楽しいし!!」


 一切の遠慮も加減もなく腹の上で跳ねまわる少女。

 割と馬鹿にできないダメージを連続で受け、流石の勇麻も我慢の限界だった。

 ぶちり、と。勇麻の許容限界ゲージが降り切れて、


「お……んまえはどこのどなたの誰子さんじゃコラァーッ!?」


 むんずと寸胴型の胴体を両手で掴むと、額にびきびきと青筋を浮かべながら力の限り頭上に持ち上げた。

 まるで高い高いされるような体勢になった――結果またパンツが丸見えな――少女と勇麻は互いに顔を見合わせて、


「……のじゃ?」


 よく分からない語尾と共に首を傾げられたのだった。


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