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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴
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第四十一話 殺意と憎悪の芽吹きⅠ――正義

 世界に空白が訪れた。



 時間は止まり、何もかもが凍りつく中。この世の全てから取り残されたように、東条勇麻は一人そこに在った。

 見渡す限りの無。

 視界を遮る障害物も無ければ、地平線はおろか終わりさえも見当たらない、無限に広がる無間。

 自分が立っているのか、横になっているのか、座っているのか何も分からない。

 床も天井もない、空間として上下左右の概念など欠片も存在しないのだから、分からなくて当然なのかもしれないが。

 そんな無意味で空虚な空間を、何も分からずにクラゲのように揺蕩たゆたいい続ける。


 そんな中、鼓膜にこびりついたように、一人の少女の言葉が、何度も勇麻の中で反響する。


――私を、選んでくれ――


(あぁ……。そんな事、できる訳がないだろうが)


 アリシアは言った。

 自分を選んでくれ、と。

 

 アリシアという少女を殺す事を選べ、と。彼女は笑ってそう言った。

 自分はもう、見たい物を見る事ができた。知らなかった事を、知る事ができた。

 だからもう十分だ、と。 

 まだ幼いあの少女に、未来は与えらるべきだ、と。

 自分だってせいぜい一〇そこらしか生きていない世間知らずの小娘の癖に、偉そうに大人ぶって、そんなふざけたことを言ったのだ。言ってのけたのだ。そうやって言う事ができてしまう少女なのだ。

 

(ふざけんじゃねえよ……)


 アリシアは泣いていた。

 まるで勇麻を安心させるように笑みで顔を綻ばせながら、けれど泣いていたのだ。


(もう終わりで良い訳がないだろ。もっと、もっと、知りたい事も、見たい物も、やってみたい事だって、色々あったんだろう? それなのに、あの馬鹿! 俺が全てに絶望しなくて済むように……ッ、俺が罪の意識を感じずに済むように、俺が、諦める事無くみんなを救う選択が出来るようにって、こんな、こんな風に、自分を……ッ!)


 相手を思いやるが故の自己犠牲。それはきっと尊い物なのだろう。

 アリシアは、それほどまでに勇麻の事を想ってくれているのだから。

 例え自分が身を投げ出す事になってでも、勇麻を助けたい。死んで欲しくないと。笑っていてほしいと。そんな馬鹿みたいな願いを胸に、笑って泣いているのだから。


(俺は、大馬鹿もんだ。勝手に全て諦めて、逃げ出して、投げ出そうとして、出来ないって決めつけてた。それも結局、自分可愛さに逃げていただけじゃないか。馬鹿か!? そうじゃないだろ? 俺はこの結末を、認められるのか? 許容できるのか? あの子を傷つける物全てが許せないから、大切なものを失う事なんて耐えられないから、だから戦うんだろ! 何を最初から諦めてんだよ東条勇麻! 恐怖に屈して大切な事から目を逸らして、抜け殻みたいに死を受け入れて、それで良い訳ねえだろうが! 抗えよッ。最後のその瞬間まで、自分で選んだことに責任くらい持てよ。……アリシアにあんなことまで言わせるなんて、情けなさすぎるだろ。例えどんなことをしようとも大切な物全部救うって、それくらいあの子に誓ってみせろよ……ッ!!)


 アリシアには幼少期の記憶がない。

 彼女の一番最初の記憶は、おそらく九年前。

 薬品の匂いと、胸の焼けるような死臭の漂う、陰湿で不気味な部屋で見た“とある少年の壮絶な死に顔”。

 そんな血生臭く一切の救いのない光景と共に、アリシアという少女は始まった。

 偶然真実を知る機会に立ち会った勇麻だけが知るアリシアという少女の終わりと始まり。今でも時々悪夢に見るあの地獄が、アリシアが唯一覚えているあの少年の姿だと思うと、胸が重く痛い。

 そんな彼女は、勇麻に助けられるまでのおよそ九年間。暗くて冷たい研究施設から一歩たりとも出たことがなかったのだ。

 今回の『ネバーワールド』だって、アリシアにとっては生まれて初めて訪れる場所で、おそらく勇麻達の中の誰よりも今日という日を楽しみにしていたはずなのだ。

 その証拠にここ数日は毎朝毎朝、しつこいくらいに「いつになったらネバーワールドに行けるのだ?」と勇麻に尋ねていたし、ネバーワールドの地図を覚えようと必死に机に向かっていたりもした。

 公園のブランコで絶叫系アトラクションの練習まで始める始末だ。


 そんなアリシアの希望に満ちた明日を、初めてに満ち溢れた明日を、奪われてたまるか。


(……諸悪の根源は一体何だ? 何がアリシアを苦しめる? 誰が皆から笑顔を奪った?)

 

 アリシアを失いたくない。

 楓も高見も泉も勇火も、シャルトルやスカーレ、セルリアやセピアだってそうだ。勇麻と少なからず関わり、何らかの絆を結んだ人達全て。きっと明確に言葉になんてできないけれど、一つだけ分かる。皆、皆。大切なのだ。

 誰一人だって欠ければ悲しい。

 当たり前の、そんな話。

 それを貫く為には、

 誰もが笑って、最高の結末を迎える為にはどうすればいい?

  

(そんなもの答えは決まりきっている。アイツだ、寄操令示。アイツがいるから、皆が苦しむんだ。アイツが笑うから、誰かが涙を流すんだ。アイツの存在が、俺の大切な人達を絶望へと叩き込むんだ)

  

 許せない。認められない。許容できない。

 絶対に、絶対に、絶対に。


 実力差は圧倒的で、既に時間は残されていなくて、誰がどう考えたって絶望的状況だけれど。

 勝算なんて関係ない。勝てるかどうかなんて、二の次だ。

 戦う。

 譲れない物があるから。


 瞳に闘志が戻る。 

 霧散し、消失していた力が勇麻の身体に戻ってくる。拳が熱を帯び、死にかけていた勇気の拳(ブレイヴハンド)に、身体に、再び力が宿る。

 

(できるかどうかじゃない。やるんだ、俺が。そうじゃないとまた、何もかもを失う。そんなのは嫌だ。嫌なんだよ、もう。だから――)

 

 やるべき事は何も変わらない。実にシンプルで、最初から分かり切っている。


 寄操令示を打倒する。


 あのふざけた笑顔を、絶対に叩き潰す。

 究極の二択などクソ喰らえ。

 アリシアも高見も、そしてカナちゃんの命だって。これ以上誰一人も奪わせやしない。

 既存の選択肢に捉われる必要などない。三つ目、四つ目の新たな選択肢を自ら選び取れ。

 無理を通して、道理をぶち壊す。そんな野蛮で豪快でそれでいて単純な方法で、全てを救ってみせろ。

 

 手段など選ばない。

 目の前で大切な者を失うなど、もうこりごりだから。


 方法など問わない。

 そんな綺麗ごとを述べる前に、やらねばならない事がある。 


(力がいる……)


 あの仇敵をほふる為の圧倒的で絶対的で究極的な力が、いる。


(なあ、おい。聞いてんだろ……)


 勇麻は知っている。

 いつかのどこかの戦場で、いつも勇麻に囁きかけてきた、謎の声の存在を。

 勇麻は覚えている。その声はいつも、より強力な力へと勇麻を誘おうとしていたことを。


(力を、力を寄越せよ! 目の前のクソ野郎をぶっ倒して何もかも全部救えるだけの、圧倒的な力を今すぐ俺に寄越せよッ!) 


 声に、まるで待ち構えていたかのように、あの謎の声が囁きを返す。

 いつもは感じる妙な懐かしさも、今の勇麻には感じる余裕もない。

 声は直接。頭の中にじんわりと広がっていく。


――おいおい、いいのかよ。俺なんかを頼って。“そういう結末”は望まないんじゃなかったのか?


(どうでもいい。方法なんて構わない。俺は、弱い。弱い俺には、そんなものをいちいちえり好みするだけの資格がない。ないんだよ……!)


――へえ。なるほどね。目の前の男がそんなにも憎いのか。……殺したいほどに。


(別に、そんなんじゃねえよ)


――隠すなよ、水臭い。いいんじゃないか? 結構な事だ。別に憎悪も殺意も、それだけで悪って訳じゃないだろ。 


 まるでどこか面白がるような声色に、勇麻の苛立ちが頂点に達した。

 感情を爆発させるように、心で叫ぶ。


(関係ないんだよそんな事はッ! 確かに、寄操令示は忌むべきクソ野郎だ。命を何とも思っちゃいない殺されて然るべき人間のくずだ。でも、そんな事はどうでもいい、何でもいい。この状況を打開する事ができるなら、俺は悪魔にだって天使にだってなってやる。個人的な殺意だとか、憎しみだとか、そんな私情は二の次だ。この絶望を乗り越える為に必要な物以外、全て削ぎ落とすって言ってんだよ!)


 絶叫の後に沈黙が降りる。

 やや間を置いて、耳の痛くなるようなその沈黙を短い吐息が引き裂いた。

 声は、呆れたような納得したような、複雑な色を秘めて勇麻の頭に語りかける。


――なるほど、ね。自分の主義主張思想の全てを手放してでも、救いたいモノがある、と。お前はそう

言うんだな? 東条勇麻。その為なら、たとえかつて掲げた理想だろうが、憧れだろうが、自分が人間であることさえ手放すと。そうする事で、足りない物全て補うと、そう言っているのか。


(ああそうだよ! 分かったなら頼むよ。俺に、力をくれよ。アンタが何者なのかなんて俺には分からないし、今はどうだっていい。けどアンタは、知っているはずだろ、あいつを倒す為の力を。その方法を)


――ああそうさ。俺は知っている。この世で何よりも強い力を、最強の力を知っているとも。


(だったら――)


――でもそれは、もう。お前の中にだってあるハズなんだよ勇麻。お前の望みは――希望は、既にその手にある。そうだろ?


 ニヤリと、姿なき声が凄惨な笑みを浮かべたような錯覚を勇麻は得た。

 まるで己の心臓を背後から握られているような、そんな危機感に勇麻の生命としての本能が最大級の警鐘を打ち鳴らす。

 けれどそれをあえて無視して、勇麻は進む。手を伸ばす。そう決めたから、たとえどんな方法を使ってでも、何をしてでも大切な人達を守り通すのだと。

 警告を無視して、進む。心臓を握られるような感覚が強まる、背筋がぞっと、凍えるような冷たさを覚える。

 意識に何かが介入してくるような、まるで身体の中に得体のしれない異物を埋め込まれるような不快感が走る。


――思い出せ、不条理と理不尽を。忘れるな、絶望と怨嗟の慟哭を。刻み込め、惨劇と悲劇を。焼き付けろ、喪失と破滅を。そうして知れ、己がうちに潜む憎悪と殺意を、怨嗟の鼓動を。それこそが正義だと理解しろ。


(怨嗟……憎悪、殺意……正義……?)


 虚ろなままに、まるで何かに憑かれたように、勇麻の意志を離れた唇がひとりでに言葉を紡ぎだす。

 既に意識は曖昧模糊あいまいもことし、夢とうつつの区別もつかない。 


――勇麻、お前は寄操令示が憎いハズだ。大勢の罪なき命を遊び感覚で摘み取り、楓をまるで操り人形のように扱い、泉も高見も傷つけた。それだけじゃない、お前が救い救われた神門審判ゴッドゲートさえも、寄操令示は傷つけようとしている。お前はこの男を、許せるのか? こんな男が今もこうしてのうのうと生き続けている事を許容できるのか?


 囁く声は、いつしか粘性さえ伴って、勇麻の耳から離れない。

 こびり付いた感情が、勇麻の何かを蝕んでいく。


(俺は、……寄操令示が、憎い……?)


 苦しむ人々の絶叫が、助けを求める慟哭が、勇麻の脳裏にリフレインする。

 死にゆく彼らの莫大な負の感情の波が、再び勇麻に殺到し、脳を犯し尽す。

 それらは幻聴でも幻覚でもない。なぜ自分がこんな物を知っているのかさえも分からない。けれど、間違いなくこの地獄は現実だ。

 間に合わなかった。助ける事ができなかった命の最後の叫び。

 そして――寄操令示が存在する限り、これからも起こり続けるであろう惨劇。


――悪を憎め、邪悪を滅ぼせ、一片たりとも存命を許すな。絶対の正義の名のもとに、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺し尽くせ。この世全てを正義に染めろ。 


 次に浮かんだのは、勇麻の良く知る人達の顔だった。

 アリシアも楓も泉も高見も勇火も、シャルトル達四姉妹だって、皆が笑顔だった。

 楽しそうに笑い、お喋りをして、ふざけあって、ネバーワールドを楽しんでいる。

 誰もが当たり前の日常を享受し、幸福を噛み締めていた。

 そんな彼らを――嘲るような笑みを湛えた寄操令示が、次々と引き裂いていく。

 笑顔は真っ赤な血で穢れ、楽しげな笑い声は断末魔の叫びへと変貌する。


 楓の四肢がもぎ取られ、まるで壊れた糸人形のように、バラバラのパーツとしてクモの巣に絡め取られる。

 アリシアの小さなお腹に数えきれない程の風穴が次々と開き、ついに生じた真っ赤な空洞からあちら側を見通す事ができた。

 その穴の向こう側。泉はその身体を頭から真っ二つに引き裂かれ、それでもなお片方が片方に寄り掛かるようにして立ち尽くしている。

 高見の身体が、ライオンほどのサイズのアリによって食い散らかされていく。口を食べられてしまったのか、悲鳴も上げる事が出来ずに、伸ばした手は黒の暴虐の中へと沈んでいく。

 絶望におののく勇麻を安心させようとしたのか、物哀しげな微笑みを浮かべた勇火が腕の中で、だんだんと冷たい“モノ”へと成り果てていく。

 シャルトルが、スカーレが、セルリアが、セピアが……!! 誰もかれもが勇麻の目の前で無惨な死にざまを辿って行く。

 余りにも無力な勇麻は、ただただそれを見ている事しかできない。

 どれだけ叫んでも、どれだけ許しを請いても、寄操令示は止まらない。止まってくれない。

 体温を失くした誰も彼もがその眼孔に虚空を抱え、そこらじゅうに絶望がはびこっていた。

 倒れていく彼らの顔に張り付いた、恐怖と苦痛に歪んだ死に顔が、目に焼き付いて離れない。


 そこで一度、地獄が途切れた。


「――はッァっ!?」


 いつのまに息を止めていたのか、思い出したように空気を吸い込んだ。


 がちがちに力んでいた身体から力が抜け、そこに無いはずの“地面”に手と膝をつく。 

 顎から滴る汗の水滴は、終わりのない無に吸い込まれてどこまでも落下していく。

 酸素が足りない勇麻の息は荒く、狂ったように時を刻む心臓は痛い程だった。

 だらだらと大量の脂汗を流す勇麻に、ある直感が走る。

 これは幻覚ではない。決して遠くない未来に起こりうる、まぎれもない現実なのだ、と。

 寄操令示が生き続ける限り、勇麻の大切な人達が無事である保障などない。


――“寄操令示は悪だが、殺すべきではない”。こんな世迷言を、今の地獄を見た後でも吐けるのか? 勇麻。お前は、寄操令示を殺したくないのか? 本当に、命だけは奪わないなどと言う、そんな綺麗ごとで済ませていいのか? 違うだろう勇麻。お前は寄操令示という悪が、憎いはずだ。……殺したい程に

 

(そうだ、俺は――寄操令示が、憎い……ッ)


 許せない。許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないッッ!!!


 感情が噴出した。

 まるで燃え滾る灼熱しゃくねつのマグマの如き激憤に、視界が明滅すら覚える。

 怒りなどをゆうに超えた熱量が身体を支配し、けれど心臓の辺りが凍えるように冷たい。

 鋭利な、視界に収めるだけで他者を傷つけてしまう刃物のような鋭さが、勇麻に宿る。

 憎悪と殺意が具現化し、勇麻を包み込む。ドス黒く何もかもを塗りつぶすような漆黒のオーラが、勇麻の右拳に纏わりつき、その力を誇示するかのように揺ら揺らと揺れる。まるでブラックホールのように全てを無に帰す黒。現実ではありえないような黒さに、ある種の滑稽な合成写真であるようにすら思えてしまう。


 そんな勇麻に呼応するかのように、突如として空間が色を持ち始める。

 無色だった世界に、灰色のノイズが走り、まるで壊れたレコーダーで映像を再生しているかのように、不規則で不揃いな黒と灰色のノイズが、空間を覆う。

 赤い稲妻が血管のようにおぞましく走り、無限に広がる空間のどこまでも広がっていく。


(……殺す)


 そんな世界にどこか満足げに、そしてどこか悲しげな囁きが、風に乗って消える。


――それでいいんだ勇麻。お前の正義を――憎悪と殺意を解き放て。目の前の悪を、殺せ。

  

(俺が寄操令示を……殺す!!)


 そして次の瞬間、東条勇麻の意識は隔絶した。


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 ※※※叡智の蒐集・更新停止に伴い、『天智の書』の余剰リソースを用いた新章が公開されました。
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