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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴
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第三十四話 語る者Ⅲ――過去から今へ

 佐沼翔人さぬまかけひと朝香海優あさかみゆの入院の日もお見舞いに来なかった。


 翔人の両親の事故の事を後から聞いた海優は、自分の事のように悲しみ翔人と翔人の父親の事を心配した。

 彼が見舞いにやってこないのも、まだ意識を取り戻していない父親につきっきりなのだろう、と。そう言ってはひっきりなしに翔人の心境を案じていた。 

 その姿は、これから苦しい入院生活を送る人間の態度にはとても思えなくて、そんな所がどこか海優らしいと高見は思った。

 彼女は高見との別れ際、こんな事を言ってきた。


「タカちゃん、カケちゃんに伝えてくれる? “カケちゃんが届けたかった音、ちゃんと伝わったよ。凄かった”って」


 嬉しげにそう微笑む彼女に、高見は曖昧な生返事を返すのが精一杯だった。

 胸の痛みで、最後だというのに碌に顔を直視する事もできなかった。



 そんな高見が翔人に再会したのは、翔人の父が入院している病院をお見舞いで訪れた時の事だった。

 ピアノの公演会があったあの日から、既に二週間が経過していた。

 

「……よう、翔人」 

  

 病室に行く途中の廊下で偶然翔人のすがたを見かけ、元気よく上げようとした右手は、中途半端な位置で行場を失い失速した。

 


 病室に案内された高見は、お見舞いの花を翔人の母に手渡し、いくつか話をして、それから意識が戻らない翔人の父へといくつか声を掛けた。

 自分みたいなよそ者にも優しくしてくれて、時には本当の親のように叱ってくれた翔人の父は、まるで眠っているだけのように穏やかな顔でベッドの上に横たわっていた。

 自分の知る世界とは違う、どこかが狂ったおかしな別世界の映像を眺めているみたいで、不思議な気持ちだった。

 高見の知ってるいつもの世界では、翔人の父も、海優だっていつも通りに笑っていて、また三人揃って翔人の家で楽しく遊んだり、お喋りをしたりしているんだ。

 そんな益体も無い事を考えては、無意識の内に涙が零れそうになって自分でも驚いた。


 翔人はしばし無言でそんな高見を見ていたが、やがて『少し秀人と話しがある』と隣の母に告げ、二人して病室を後にした。



 二人は病院の待合室の端の方にある、ソファの肘掛部分に軽く腰かけた。

 談話室代わりのスペースなのか、ゆったりとしたデザインのソファと大き目のテーブルが何セットか並べられている。

 窓から差し込む日の光が、眩しいくらいに高見の瞳に差した。もとより細い瞳をさらに細め、思わず掌でひさしを作る。

  

「なぁ、翔人……」

「……」


 気まずい沈黙の中、何度か口を開こうとしたものの、その全てが形にならずに空中に掻き消えていく。

 罪悪感にも似た後ろめたさが、高見の胸を重くしていた。

 そう、高見は心のどこかで気が付いていたのだ。自分が取り返しのつかない事をしてしまった事に。

 そして、その嫌な予感は的中してしまう。


「……凄かったよ」

「へ?」


 突如告げられた言葉は、何かが吹っ切れたようでいて、このうえない離別を感じさせる物だった。

 何というか、こう、執着が無く酷く投げやりなのだ。

 諦観と解放感の入り混じった、空っぽの言葉。 

 佐沼翔人という男は、ピアノに誇りを持ち、ピアノに全ての情熱を注いでいた。一見クールなようで実は情熱家の負けず嫌い。そんな翔人からは考えられないような言葉の軽さに、高見は困惑を禁じ得ない。

 佐沼翔人は、まるで遠い過去に――もう二度と戻れない過去に、想いを馳せるかのように瞳を細めた。


「――あれは、あれこそが僕の目指している“音”だった。あれを海優に届けるのがまさか君だとは思ってなかったけどね、秀人」

「な、なにを言ってるんだよ、翔人。凄かったも何も、お前はあの時、来なかったじゃんかよ。それが、どうしてこんな、意味分かんねえ……」

「意味が分からないのはこっちだよ!」


 気付けば佐沼翔人は、その瞳から涙を流していた。

 ボロボロに、ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、年相応の子供みたいに感情を制御する事もできずに泣いていた。


「……間にあったさ。僕はあの場に居たんだよ。残り十五分、ギリギリ僕は辿り着いたんだ。ステージ裏、馬鹿みたいにやる気満々のタキシード姿で、君の演奏を聞いていたんだ!」

「だったらどうして……」

「止められる訳がないだろう!」


 叫ぶ翔人の表情は怒りと嫉妬、その他言葉では到底言い表せないような想いで歪みきっていた。その恐ろしいまでの形相が、高見に目を逸らす事を許さない。

 まるでそれは呪いのように、高見の心を鷲掴みにして、雁字搦がんじがらめに縛りあげるのだ。


「あんな演奏を、止められる訳がないだろう。僕には、無理だ。僕に出来なかったあの音を奏でた君の演奏を、ましてや君の奏でる音を聞いて感動に震える海優を、僕が邪魔できる訳ないだろう」


 盲目の少女朝香海優。世界を見る事が出来ない彼女に世界の音を、“世界という音”を届ける事。それは佐沼翔人という一人のピアニストが――男が掲げた夢だ。

 高見秀人は、それをあまりにもあっさりと取り上げた。

 見よう見まねのふざけた二番煎じで、オリジナルを越えて夢を叶えてしまったのだ。

 

 絞り出されたその声には、悔しさと怒りと、それから大切な核を失ってしまったわずかな寂しさがあった。

 翔人は、さらりと。迷いなくその言葉を発する。

 

「僕はもうピアノはやらないよ」

「えっ、な、なんで……」 

「分ったんだ。僕には君以上の音は出せない。君は僕のスタイルを完璧に模倣したうえで、僕の限界を超えた。僕がどれだけ努力した所で、その劣化版にしかならない。そんな状況で、これ以上ピアノを続けるなんて僕には耐えられない……」

「そんな、そんな事ないだろ。俺っちの音と、翔人の音は違うじゃんかよ。勝ちも負けも関係ないだろ。何で翔人がピアノを辞めちまうって話になんだよ!」

「あれは僕の音だ!」


 突き刺さるような声は、聞いているだけで心の柔らかい所に痛みが走るようで、でも誰よりも痛いのは翔人自身なのだと高見は分かってしまった。だから、何も言えなかった。


「君が奪ったんだろ。僕の夢も音も、ピアノも目標も何もかも!! ……もういいんだ。海優とはこれからも仲良くしてやってくれ。その方が、彼女も喜ぶ」


 あの瞬間。高見秀人は佐沼翔人の演奏を完璧に模倣し、それどころか彼のスタイルのまま技術的に佐沼翔人を大きく上回ってさえいた。

 だからこそ観客は、何の疑いも無く高見秀人を天才少年ピアニストの佐沼翔人だと信じたし、もし偽物だという事がバレたとしても、大きな不満は抱かなかっただろう。

 それくらいに、高見の奏でた音色はあの場を席巻していた。

 それは、佐沼翔人という一人のピアニストの完成系とも呼べる音色だったのだ。


 ただ問題なのは、それはあくまで理想像なのであって現実的には絶対的に届かない高見にあるという事。

 佐沼翔人がピアノを続ける限り、彼は永遠に届かない“究極の自分”という幻影と戦い続けなければならない。

 どんな栄光を得ようとも、一生その敗北感は付きまとう。

 どれだけ素晴らしい演奏をしようとも、一度あの演奏を聞いた観客たちは佐沼翔人は以前より劣化したというレッテルを貼り続ける。

 それが彼には耐えられない。


「秀人、僕は君を親友だと思っているよ。けれど今は……君とは出会わなければ良かったと心からそう思う」 


 背中を向けて歩き出すその姿に、高見は手を伸ばす事も声を掛ける事さえできなかった。

 いや、そもそもそんな資格はなかった。 


 この瞬間、高見秀人ははっきりと理解した。

 自分はまた、人の夢を壊してしまったのだと言う事に。


 この日、高見秀人は独りぼっちに逆戻りした。  



☆ ☆ ☆ ☆



 それからの高見秀人の学校生活は、酷く味気なく灰色の物となった。

 あれだけ仲が良かった翔人と高見の間に会話は無く、休みが明けて様変わりした二人を見たクラスメイト達は口々に噂し囃し立てた。

 『まただ。また高見秀人が壊したんだ』、と。


 今回の話が結局何だったのか。それはすごく単純明快な結末に、高見の中では落ち着いた。


 あの出会いと楽しかった日々は、自分がどういう存在なのかを、長い時間を掛けて高見秀人に再確認させるだけの物語でしかなかったのだ。


 人と共に在るだけでその人を傷つけてしまう自分は、他者に関わるべきではない。

 最初からわかり切っていたこの結論を得る為に、どれだけの回り道をした事だろう。

 結局、あれ以来海優のお見舞いにも行っていない。

 自分のしでかした事に対する負い目もあった。けれど多分これは違う。高見秀人は怖かったのだ。佐沼翔人と決定的な決別を迎えた時のように、朝香海優から生々しい感情の塊をぶつけられることが。

 結局、逃げ出したのである。

 それっぽい言い訳を盾に、向き合う事を止めたのだ。友達とも、そして……自分とも。 


 しかし高見はまだ理解していなかった。

 高見秀人人生最大の後悔は、これからだと言う事に。

 

 

 高見秀人はブラブラと、特に何の目的もなく道端を歩いていた。

 学校が終わり、家の居心地は最悪。遊びに行く友達の家も今はもう無い。

 この目的無き散歩にも、暇潰し以外の有用性は見い出せていなかった。

 

 死んだような顔で街中を徘徊する謎の少年。初めのうちは心配し声を掛ける大人も居た。が、今ではもうそんな事をする人さえいない。

 どれだけ心配して声を掛けてやっても、返ってくるのは魂の抜けたような気の無い返事では、流石に気味も気分も悪いのだろう。

 と不意に、街の小さな電気店のウインドウに飾られたテレビに目が移った。

 いつもはサッカー中継など、店長個人の趣向が大きく反映された番組が流れている薄型テレビからは、今日はやけに真剣なニュース番組が流れていた。 

 どうやらこの辺りの病院に、指名手配中の殺人犯が人質を取って立て籠もっているらしい。

 

 どこか虚ろな目で、聞き流すようにニュースキャスターの言葉を受け流していた高見だったが、その細い瞳が、次の瞬間大きく見開かれた。

 

「嘘、だろ……」


 殺人犯が人質を取って立て籠もった病院の名前に、嫌に聞き覚えがあった。

 改めて食い入るようにテレビ画面を見つめる。そこに映った病院の外観に酷く心当たりがあった。

 

 間違いない。

 

 そこは、佐沼翔人と決定的な決別があった場所でありそして――交通事故に遭って意識を失ったままの佐沼翔人の父親が、今も入院している病院だった。



☆ ☆ ☆ ☆



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、」


 自分に一体何ができる。

 頭に響くごく当たり前のそんな疑問を、何度ねじ伏せたか分からない。

 そもそも佐沼翔人とは、もう友達でも何でも無いじゃないか。自分には関係ない事だろう。

 そんな否定的な声ばかりが脳内に響き、心がそれを認めそうになる度に、叫び声を上げて弱気な心を押さえつけた。

 確かに高見秀人は佐沼翔人と決別した。

 才能ある彼から音色を奪い、ピアノを奪い、夢までも奪った。

 親友の少年から告げられた言葉の数々は、今も高見の心に深い傷を残している。

 

 でも、だからと言って見捨てられなかった。

 独りぼっちの高見にとって、佐沼翔人は生まれて初めてできた友達なのだ。

 例え向こうが高見の事を疎ましく思おうとも、心の底から嫌っていようとも、高見秀人が佐沼翔人に向ける親愛の情が変わる事はなかった。

 

 だから走った。

 誰よりも早く、味方の一人もいない街を、孤独なままに友の元へと駆けた。


 

 市内唯一の大型病院『笹崎総合病院』の正面ロビーには現在、通入院患者にその家族、さらにはスタッフを含めた総勢四七二名が集められていた。移動が困難な患者や、意識の無い患者もベッドに乗ったまま、強制的に移動させられている。

 指名手配中の殺人犯は拳銃を持ったまま、落ち着かない足取りで同じところを行ったり来たりしていた。

 精神的に余裕が無い事の表れであったが、人質になっている人間からすれば相手が拳銃を持っているという事実だけで、抵抗する気力さえ削ぎ落とされてしまう。


「……くそっ、こんなハズじゃなかったんだよ。そもそも俺ぁ、悪くねえ。どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがるのがいけねえんだ。俺は、正しい。俺は正しい事をしてる。ふざけた警察の奴らにも、呑気に平穏を享受してやがるクソ野郎共にも、粛清が必要なんだよ」

 

 神経質そうなその男は、しきりに自分の爪を齧りながら、ブツブツと自分をひたすら正当化し続けている。

 充血し、血走った目はギラギラと狂気に光っていて、正気を失っているのが誰の目にも見て取れた。

 脂汗の浮かんだ肌には真っ赤な斑点のような物が付着していて、既に数人がこの狂人の犠牲に倒れている事を示している。

 

 既に笹崎総合病院の周囲は、武装した警官達によって包囲されている。

 こちらの要求である逃走用の車両も、用意される気配も無ければ警察達が逃走用に包囲の一部を開ける気配も無い。 

 警察側の始めた明らかな時間稼ぎに、いい加減男の神経も我慢の限界を迎えようとしていた。

 

 と、そんな時だった。


「だっ、誰だおめえ!?」


 誰も近づくなと警告を発してあった正面玄関に、一つの人影がある。

 跳ね上がるように銃口が来訪者の方へと向けられ、男は口から泡と共に激を飛ばした。

 人影に反応した自動ドアが開閉し、靄がかかっていたその正体が男の目に堂々と晒される。

 その瞬間、男は思わず噴き出していた。


「ぷぶっ!? っわっははははははは!! ……どうしたんだい坊や。迷子になっちまったのか?」


 まるで、道を開けるように開いた扉の先。

 そこにいたのは、黒いランドセルを背負った、齢一〇歳程度の少年だった。

 注意して見れば、必死の形相で少年に向けて説得の声をあげる警官の姿が目に入る。 

 どうやら、何も知らない哀れな道連れがまた一人増えたらしい。

 もはや直前までの不安や危機感も吹き飛び、愉快で堪らないと言った調子の声を上げる男に、その少年はただただ無感情にこう告げた。


「うん。俺っちさ、ちょっと忘れ物しちゃって」

「へえ、そうかい。で、その忘れ物とやらは見つかりそうなのかな?」


 ガチリ、と。

 撃鉄が起こされた拳銃の引き金に、男の指が掛かる。

 少年の眉間に照準が定められ、ロビーに集められた人達の中から短い悲鳴が上がる。

 一瞬後には、尊い一つの命が無惨に散る姿を想像して、そして――


 ――男が引き金を引き切るより先に、少年の隠し持っていた包丁が男の心臓を貫いていた。


 何が起きたのか分からない、という顔で血を吐き絶命していく男に、少年は冥土の土産とばかりに質問の答えをこう返した。


「見つかったよ。俺っちの忘れ物。ゴミ野郎の命」


 悲鳴さえ漏れる事無く、誰もが唖然とした沈黙に包まれる中、たった一人の小学生の少年によって悲劇はその幕を閉じた。



☆ ☆ ☆ ☆



 人を一人殺した。

 その罪悪感も、手に残るおぞましい感覚も、血と絶望に香りも、人質として集められた人間の中に見知った顔を見つけて全て吹き飛んだ。

 一種の興奮状態にでもあるのか、頭の感覚が麻痺しているのか、決別したハズのその元友人に、少年――高見秀人は意気揚揚と駆けより、話しかけていた。


「良かった! 翔人達は無事だったんだな。いやさ、俺っちニュースで偶然この事件の事見かけてさ、居ても立ってもいられなくなって……。ほら、翔人、ここ最近学校終わるとおじさんの見舞いにばっか行ってたからさ、もしかしたらって思って。まあなんにせよ本当に無事で良かった」


 と、ここまで流れるような勢いで喋った高見は、一つの異常に気が付く。

 高見によって助けられた人質達の高見を見る目に、深い恐怖の色がこびり付いている事に。

 戸惑い、少し怖くなって、高見は無理にでも明るい声を出して周囲に問いかけた。


「な、なんだよ。どうしたんだよ、みんな。もう頭のおかしい殺人犯はいないんだぜ? どうしてそんな怖い顔してるんだ?」


 沈黙。

 誰も、高見の笑みに微笑返す人はいない。

 誰もが口を閉ざす中、人質全員の気持ちを代弁するかのように、一人の少年が口を開いた。


「化け物……」

「……え」


 皮肉にもそれは、決別した日以来の久しぶりの友人との会話だった。

 震える声で、それでも佐沼翔人は口から出てくる言葉を止める事はなかった。


「さっきの動き、明らかにマトモじゃなかった。一体何なんだ君は!? なんで、なんであんな簡単に……できるんだよ」

「なんでって、そんなの、俺っち。普通に俺っち、アクション映画の主人公がああいう風に悪者を倒してるトコを見たことあったから、それを真似して……」

「見ただけでそんな簡単に真似られる訳がないだろ!」


 それは、佐沼翔人や他の人質達にとっては当然の理屈だった。

 一度見ただけで一切の練習も努力も必要無く、その現象を高いレベルで再現できる。という高見のその主張は、一般人からすれば異常な物でしかない。

 しかし高見秀人は、今までそうやって全てを学び吸収してきた。それ以外の方法を知らないその少年にとっては、その異常が常識だったのだ。


 周りの人間が何をそんなに怯えているのか全く理解出来ず、ただただ困惑するしかなかった。

 そんな事はないだろ、と、周りに同意を求めよう周囲を見渡すも、少年を見るその視線には怯えと理解出来ない異物を見るような、拒絶感しか含まれていなかった。

 その姿はまるで、異界に迷い込んだ異星人のように場違いで滑稽だった。


「おかしいとは思ってたんだよ、僕は」

「お、おかしいって、俺っちが?」

「初めて遊んだ日、君は僕の演奏を少し見ただけで同じ曲をいとも簡単に弾いて見せた。僕はそれを、天性の才能なんだと思って無理やりに納得していた。でも、この前の演奏と、今日のこれで確信が持てたよ」


 どこか震えた声の佐沼翔人は、鞘の納めどころを見失っているようにも見えた。

 止まる事も儘ならず、行きつく先まで突き進んでしまう、まるでブレーキを失った列車のように。最後は悲劇が待っていると、分っていても。止まらない。

 最後の致命的な言葉を、翔人は口に出してしまう。


「高見秀人、君は人間じゃない。君は――『化け物(ゴッドスキラー)』だ」


 頭が、真っ白になった。

 反射的に首が何度も横に動き、否定の為の行動が成される。


「ちが、う。……そんなの、違う……ッ!」


 友人の言葉に、周りの人間が怯えの色をさらに強め、中には憎悪の感情を向けてくる人までいた。

 囁く声が聞こえる。 

 あれは化け物だ。近づいちゃいけない。怖い。誰か助けて。殺される。


 そんな声ばかりが、高見の中の暖かく柔らかい部分を抉るように少年の耳朶に突き刺さる。 

 高見はそんな心無い言葉に必死で首を横に振るう。それしか彼にはできる事が残されていなかった。


「高見秀人、僕は君に会った事を後悔していた。でも、それでも親友だとは思っていたんだ。でも、あの子を感動させたあの音色は、全部が全部ッ! 君のその薄汚い化け物の力を使った嘘だったんだな。……ふざけやがって、本当にふざけやがってっっ!」

「違う、違うんだよ翔人! 俺っちは……」

「僕は君を許さない。卑怯な手段で僕から全てを奪った君を、一生許さない!!」

「なんでそうなるんだよ翔人! こんなの、おかしいだろ。俺っちは神の能力者(バケモノ)なんかじゃない!」


  口ではそう否定つつも、心のどこかで高見はその指摘に納得しつつあった。

 翔人の言うように、もし自分が神の能力者(ゴッドスキラー)だったとしたら、これまでの事にも全て辻褄が合う気がするのである。


 子供を抱き寄せて、まるで高見が見てはいけない物であるかのように、掌で視界を覆う母親がいた。

 敵愾心丸出しの、威嚇的な視線を向ける女性がいた。

 高見と目が合うと怯えたように後ずさりし、悲鳴を上げながら命乞いする中年男性がいた。

 妻を守るように前に出て、決死の覚悟で手近な鈍器を構える会社員がいた。

 電話で警察に助けを求める若い男性までいる始末だった。

 

 ……何だ、コレ。


 殺人犯という脅威を取り除き、人質の命を助けたのは高見秀人なのに。

 その僅か一二歳の少年に助けられた人質の全てが、恩を仇で返すかの如く高見秀人を敵視している。


「……な、何で。なんでこうなるんだよ! 俺っちは、ただ、みんなを……翔人を助けたかっただけなのに……なんで!」

 

 誰も応えてくれない。

 真摯な、必死の呼びかけは、誰の心も震わせない。響かない。


「皆を助けたのは俺っちじゃんかよ! それなのになんで、今度は俺っちが悪者みたいになってんだよ! なあ、褒めてくれよ! 認めてくれよ! すごいね、よく頑張ったねって、誰かそう言ってくれよ!!」


 友達も味方もいない少年の周りには、今や沢山の敵がいた。

 望んでも無い予想外に、少年はタガが外れたように叫ぶ。今までの理不尽を、今この瞬間の不条理を。


「どうしてなんだよ、俺っちばっかり、どうしてこんな……誰か一人くらい分かってくれてもいいだろ! どうして誰も俺っちの事を認めてくれねえんだよぉおおおおおおおおおおおっ!!」


 少年の悲鳴は、しかし周囲の人間には届かなかった。

 こんなにも近くにいるのに。

 手を伸ばせば届く距離に、温もりがあるのに。

 誰一人として、化け物の少年に近づき、踏み込む者はいなかった。

 

 その一〇分後。

 神の能力者(ゴッドスキラー)の少年が人を殺したとの通報を受けた警官隊が院内に突入し、高見秀人はその身柄を拘束された。



☆ ☆ ☆ ☆



 厳正なる検査の結果、高見秀人は神の能力者(ゴッドスキラー)であることが判明した。


 それから先は酷い物だった。

 本来なら人質を取って病院に立て籠った、糾弾されるべき側であるハズの殺人犯が被害者としてニュースで報じられ、幼い神の能力者(ゴッドスキラー)による猟奇的で残虐な殺人事件だという報道が、世間に流された。

 保護者会から学校側への責任追及。テレビ中継での校長の謝罪。

 さらには『自分達の息子が神の能力者(ゴッドスキラー)である事をどうしてずっと黙っていたのか』という学校側からの追及に、高見の両親は『正体を明かさないよう息子に脅されていました』と答えたのだ。

 高見は本当は気が付いていた。あの人達が自分の正体を誰にも言わなかった理由などただ一つ。自分達のメンツを潰されたくなかっただけ。

 自分の息子が神の力(ゴッドスキラー)だという事が発覚すれば、間違いなく高見家の名に傷がつく。

 両親はそれを何がなんでも避けたかったのだろう。

 要するに高見秀人は、両親にとっては自分達の体裁ていさいを守る為の道具にすぎなかったのだ。なまじ能力が高かった為、自分の息子が化け物だと知りながらも手元に置き続けていたのだろう。将来、息子が出世した時に甘い蜜を吸う為に。

 しかし今回の騒動で、もはや自分達の手元に置いておく事で得られるメリットを、デメリットが超えたのだろう。

 だからいとも簡単に、高見秀人は売り飛ばされた。

 価値がなくなれば、インスタント食品を処分するかのように切り捨てられる。

 何とも素晴らしい家族愛だ。


 結局の所、高見秀人の人生に価値などなかったのだろう。

 誰からも愛されず、誰からも認められず、誰からも必要とされない。

 ならば本当に、どうして生まれてきてしまったのだろうか。

 生まれてきた事に、意味など、あったのだろうか。


 高見秀人は少年院を飛び級して、一般の刑務所へと送られる事が確定していた。

 

「……」


 そしてたった今、刑務所へと向かう高見を運んでいた護送車を中からぶっ壊して、車の外に出た所である。


 車内にいた高見以外の人間には全員気絶してもらっている。その気になれば殺す事もできたが、全員無事だ。

 人を殺す事に今更何かを感じる訳ではない。

 単純に見知らぬおっさんの帰り血で自分が汚れるのが嫌だった。


 車から降りると、冷たい空気が肌を刺した。

 秋も深まり、冬が近づいてきた空は薄ら暗く、一日中降りしきる小雨が車外に出た高見を濡らした。

 寒さを感じるが、別になんでもいいやと思った。世界の全てが自分の敵であるようにさえ思える今の状況では、寒さくらい何て事はない。

 と、不意に髪を濡らす雨が止んだ。


「……傘も差さずに何をボケッと突っ立ってんだ、小僧? 風邪くらいならともかく、インフルエンザにでもかかった日には大変な事になるぞ。主にお前のママの看病がな」


 差し出されたそれは、割と大き目の傘だった。

 いきなりそこに現れた傘の持ち主――右目に稲妻型の傷を持つオールバックの大男――に高見は若干困惑したような表情をみせたが、それも一瞬の事だった。

 すぐさま顔から感情は消え去り、どうしてかどこの誰かも知らない赤の他人に向けて口を開いていた。


「俺っちを看病してくれる親なんて、何処にもいないぜい」

「ほう、そりゃまた奇遇なこった」

「なにが」

「俺にも、病気を看病してくれるママはいないって事だ」


 真面目にそんな事を言い出した男に、高見は思わず笑ってしまう。


「なにそれ、おじさんもう大人じゃん」

「大人だって甘えたいもんさ。特に傷を負っている時なんてのは独りは堪えるもんだぞ、ボウズ。大人のおっさんの俺が耐えられないくらいにはな」


 見上げるような位置にある大男の左の青い瞳が、高見を見透かすように見つめていた。 

 まるで虎のようなその眼孔に、しかし不思議と恐怖は感じなかった。

 むしろ太古の樹木のような暖かさと安心感を高見に与えていた。嫌でも人を惹き付ける一種のオーラのような魅力がにじみ出ているように感じた。


「……俺っちは、おじさんとは違うんだ。ずっと独りだったし、これからも独りで平気さ」

「そうかい……。世の中には孤独を好む人間も数多くいる。小僧もそういう類の人間なのかもしれんな。けどな、一つ教えておいてやる。自分から望んで孤独になった人間なんざ、存在しねえのよ」

「……」

「孤独は恐怖だ。そうならざるを得ない状況に追い詰められて初めて、人は孤独を享受する。いくら誤魔化そうとしたって無駄だ。人類って生き物が今日まで戦争を繰り返しつつも歴史を繋いできたのは、ひとえにそれが『繋がる力』を持つ種族だったからさ。いくら強がったところで孤独は人類にとってはバッドステータス以外の何物でもねえんだよ」

「……だったら、そうならざるを得ない状況にある俺っちはどうすればいいって言うんだよ。誰も俺っちを認めない、誰も俺っちを必要としない。こんな世界で、どうやって孤独じゃなく生きて行けって言うんだよ」


 質問に、男はしばらく考えるように唸った。真剣に考えているのかふざけているのか、いまいちよく分からない。

 そして、名案を思い付いたとばかりに掌を握りこぶしでポンと打った。


「そうだな。お前ウチに来い」

「は?」

「良い場所だぞ。化け物強者(つわもの)外れ者ついでにならず者まで大歓迎! ちょいと正義の味方のお仕事こなすだけで、衣食住全部保障がついて家賃はタダ。それになにより――」


 大男はイカツイ顔にどこか人懐っこい笑顔を浮かべて、


「――家族が出来る」


 傘のを差し出しながら、実に満足げにそう言ったのだった。

 

 高見は一瞬躊躇し、困惑したような顔で大男を見上げて、しかしその柄を肯定の意を持ってしっかりと握りしめた。

 

「……良い選択だ。少なくともこんな腐った国で税金泥棒相手に鬼ごっこを演じるよりかはな」

「正直、アンタは胡散臭さマックスだけど、これ以上落ちる未来も想像できない。だったらもういっそ、何もかも投げ捨てて遠くに行くのもアリかなって。それで、ええっと……」

「ああ、言い忘れていたな。俺の名はスネークだ、よろしくな小僧」

「……小僧じゃない。俺っちの名前は高見秀人だ。もうすぐ中学生にもなるんだからな」

 

 何がそんなに楽しいのか、豪快にがはははと笑うスネークはまったく人の話を聞いている気配がなかった。


「分った分った。よろしくな小僧」


 がしがしと半ば強引に髪の毛を撫でられて、高見は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 その声を聴いて、またスネークは気持ちよく笑うのだ。

 何が楽しいのかはさっぱりだが、少しだけ頭を撫でられるのは心地良かった。


 これが高見秀人と背神の騎士団(アンチゴッドナイト)団長、スネークとの出会いだった。


 それは、終わりであり始まりだ。

 誰かに認められたくて、受け入れて貰いたくて、唯一無二とくべつを求めた男の物語、その第二幕が今日この時をもって始まったのだ。

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