第三十二話 語る者Ⅰ――今から過去へ
時間がない。
時計の針は刻一刻と刻限へと迫り、腹の底が冷たくなるような感覚が、取り返しのつかない事態が進行しつつあるのだという事を自覚させる。
午後四時という刻限を過ぎれば、待っているのは『ネバーワールド』の爆破。当然、パーク内に人質として囚われた人々の命は、助からない。
『ネバーワールド』の爆破を食い止める為には、寄操令示を含めた『ユニーク』のメンバー全てを倒して、寄操の持ちかけたゲームに勝利しなければならない。
勇麻達はそのゲームに挑み、そして激しい戦いの中でアリシアと楓が敵の手中に落ちた。高見は一度は裏切り、勇麻も手痛い敗北を経験した。
でも、それだけだ。まだ、全てが終わった訳ではない。
アリシアと楓も、ネバーワールドの運命も、まだ決まった訳じゃない。まだゲームは続いているのだから。
確かに時間はない。
現時刻は十五時四十三分。
爆破のリミットまで、もう三十分を切っているような状況だ。
しかし勇麻に、先ほどまでの身を焼き焦がすような焦りはなかった。
寄操令示をブン殴る。
自分がやるべき事を、明確に理解できる。
結局のところ単純な話なのだ。全ての元凶であり、爆破テロの要でもあるあの少年、寄操令示を倒せば全てにケリがつく。
敵の手中に落ちたアリシアも楓も助ける事ができる。ネバーワールドの爆破も食い止める事ができ、大勢の命を救う事にも繋がるハズだ。
スネークに渡された謎の秘薬(?)で蓄積されてきたダメージも疲労も――少なくとも表面上は――回復した。
今なら、冗談抜きで何でもできるような気がしていた。
身体の奥底から力が湧き上がってくる、とでも言えばいいのだろうか。少なくとも、悪い兆候ではないと勇麻は思っていた。
ネガティブな思考に支配され、精神的にも能力的にも萎縮してしまうよりは、これくらい強気の方がいいだろう。勇気の拳などと言う、一風変わった力を持つ勇麻は特にだ。
と、パーク内を全力で走っていた勇麻のポケットに細かい振動が走った。
「……電話?」
寄操の放った昆虫の効果で通話やネットへの接続が一切できないハズの携帯端末に、どういう訳か着信があった。
走りながら画面を見てみると、知らない番号だった。
非通知ではなく、知らない番号。
訝しく思いながらも、通話ボタンを押す。すると聞こえてきたのは、つい先ほど別れたハズの筋骨隆々の大男の声だった。
『……一つ言い忘れていたことがあった』
「スネーク、か? つうかアンタ、電話なんてしてる余裕あんのか!?」
戦闘を一時離脱して身を隠しているのか、暴風による雑音やノイズ、爆発音は聞こえない。
心なしか声量も抑え目のような気もする。
そんな勇麻の予想を裏付けるように、スネークは勇麻の疑問にこう答えた。
『あぁ、一時的にだが、なんとかお嬢ちゃんを撒けてな。それでちょいとお前さんに話があるんだ』
「俺に、話? こんな時にか?」
『こんな時だからこそ、だ。……高見の件について、俺はお前さんらに謝んなきゃならん。すまなかった』
「それは、どういう意味だ? てか、どうしてアンタが高見の名前を? ……そもそもなんで俺の携帯番号知ってるんだよ」
唐突に出てきた名前に驚愕と困惑を感じる勇麻。謝罪されたところで、それが何についての物か分からなければ気味が悪いだけだ。
するとスネークは――番号の件は無視して――とんでもない事をカミングアウトし始めた。
『この際だから言っちまうが……高見秀人は背神の騎士団の団員だ』
「――!?」
『もともと「ユニーク」はウチのブラックリストに乗ってるような組織でな。あの小僧にはその対処を一任していた。今回の事態は、無茶な作戦だと分かりながらもオーケーを出しちまった俺のミスでもある。結果、本来なら関係無いお前さんらのような一般人も巻きこんじまった。本当に申し訳ない』
「そうか、あいつ……背神の騎士団だったのか……」
『……その、なんだ。あまり驚かないんだな』
意外そうな口調でスネークにそう言われて初めて気が付いた。
言われてみれば確かにそうだ。
衝撃的な事実のはずなのに、不思議と驚きは少なかった。
勇麻は自己分析でもするように少し黙ってから、
「多分だけど、無意識下で何となくそうかもなとは思ってたんだろうな。シャルトル達の反応とか、あいつの言い草とか行動とか。言われてみればって言うか、そっちのが色々自然っていうか……」
『目は口ほどに物を言う、ってか? けどまあ、皮肉なモンだな。小僧はお前さんらには必死で隠したがってたってのによ。俺がお前さんらを背神の騎士団に誘うって言った時は鬱陶しいくらいに反対されたもんだぜ。耳にタコができるかと思ったくらいだ』
スネークは軽い調子で溜め息を吐いた。
息がスピーカに直撃したのか、ぐぐもった音がする。
「あいつそんなに……。つか、アンタがそれを簡単にバラしちまっていいのかよ……」
『がはははは、良いんだ良いんだ。あの小僧もいい加減、もっと他人を信用すべきなんだよ。アイツはビビっちまってるんだ。自分側から相手に一歩踏み出す事にな。いい加減、“俺”離れするべきなんだよ』
そう言われてみれば高見秀人という男は、自分の事をあまり語りたがらない人間だったような気がする。
何か立ち入った事を聞かれると適当な事を言って煙に巻き、常にヘラヘラとしていてどこか掴みどころが無く、親しい勇麻達ですら、高見のプライベートな面についてはほとんど知らない事ばかりだ。
「……俺、あいつの神の力すら碌に知らなかったよ。いや、もしかしたら、そこまで必死になって知ろうとしてなかったのかもしれない。勝手に、友達になった気でいたから」
そう。東条勇麻は――勇麻達は、高見秀人がいる日常を当たり前なのだと思っていた。
『また明日』。そう言えばいつでも会える物だとばかり思って、これまで高見の事をもっと知ろうなどと真剣に考えたこともなかったのだ。
きっといつか、高見の方から教えてくれるだろう。
今日じゃなくても明日があるから。
そんな風に先延ばしにして、何の理由もなく信頼を押し付けて、高見から近寄ってくることに頼って期待してしまっていた。
何とも無責任で、自分に都合のいい話だろう。
待っていれば勝手に相手から近づいてきてくれるなど、思い上がりも甚だしいというのに。
『そうか。……あの小僧は、本気でテロリストからこの街を守ろうとしてやがったよ。アイツはかなり前から潜入捜査紛いの事をずっとやっててな。そうとう無茶してたのさ。今回だってそうだ。想定外の事態に対して、裏切り者の烙印を押される事を承知で、無茶苦茶な作戦を許可も取らずに実行に移しやがった。それがまたある程度有効な策だから性質が悪い。……全く、馬鹿な奴だよ。終業間近のサンタクロースだってもうちょい落ち着いてやるってのに』
やはり、というか。勇麻の予想通りだった。
高見秀人は、最初の最初から寄操令示を倒すためだけに行動してきたのだ。
勇麻達をバラバラの位置に飛ばしたのも、おそらくは早急にこの危険なデスゲームから退避させるため。
麻酔で眠らせる事によって勇麻の死を偽装した事にも、これで納得がいく。
『今の小僧は背神の騎士団を抜けテロリスト共に寝返った最悪の裏切り者扱いだ。今回のアイツのやった事は天界の箱庭内の他の組織にも遠からず伝わるだろう。どんな理由があろうと、ケジメを付けずに終わらせることはできねえ』
それはつまり、このままでは高見秀人は今の居場所を追われてしまうという事だ。
背神の騎士団に反旗を翻し、一時的とは言え『ユニーク』に強力し、何の罪も無い人々に危害を与えたのだ。それがいくら有効な手段であったとはいえ、独断で動いたのは紛れもない事実なのだ。
何のお咎めも無く許したのでは、他の部下にも示しがつかない。
作戦が成功して寄操を倒す事ができればともかく、もし寄操令示を倒す事にも失敗し生き残った場合、高見は背神の騎士団に居続ける事は難しいだろう。
それに、もし高見を受け入れれば背神の騎士団は様々な他組織の批判を受け、攻撃を許す口実を作ってしまう事にも成りかねない(正直こちらは背神の騎士団の戦力的にそこまで気にする必要もないような気もするが……)だろう。
つまり今の高見秀人は、背神の騎士団を内部から揺るがしかねない組織の爆弾なのである。
「……今の高見はさしずめトカゲの尻尾って訳か」
スネークは大きく溜め息を吐いて、皮肉気に笑う。
『デカい組織の辛いところだよ、ホント。大切なモン守る為に作った輪だったハズが、どうして輪を守る為に大切なモンを削ぎ落とさなきゃならねえんだか。……ま、要するにだ。今現在、非常に忌々しい事に俺や他の背神の騎士団の団員にはアイツを助ける事はできねえ。そこでだボウズ、お前さんに頼みがある』
とここで、スネークの口調が真剣な物へと切り替わった。
息を吸い込む音が聞えて少しの間の後、
『――アイツを、高見秀人を救ってやってくれないか?』
その真摯な頼みに、しかし勇麻は笑った。
「なるほどな。確かに、俺達だったら高見の馬鹿を助けるのに何の遠慮もいらないもんな」
『そういう事だ。お前さんら第三勢力があの小僧を保護しちまえば、俺らもそう簡単に高見に手出しできなくなる。何ならこの前話にあったみてえに、そのまま背神の騎士団と同盟でも結んじまえば完璧だ。『ユニーク』討伐なんて馬鹿デカい手柄を立てた協力者の頼みなら、高見秀人に恩赦を掛ける事も吝かじゃねえ……って話に持ってくのも簡単だ。余所も余所で、そんな複雑な図式の火薬庫に片足突っ込みたがるような組織は、数えるくらいしかねえだろうしな』
「随分アバウトな予想っつーか、願望だな」
『まあな。人生なんてのは、こんな感じで大抵何とかなっちまうもんなのさ』
「それで、全部アンタの思惑通りって訳か。俺らを引き込みたい理由は相変わらず分かんねえけど」
『なぁに、思惑なんてそんな大逸れた物じゃねえさ。それに、神門審判の事を考えたら俺達が協力関係にあった方が色々スムーズだろ? で、頼まれてくれるかい?』
このスネークという男、適当で大雑把な割には場馴れしている。
見事に口車に乗せられた勇麻は、しかし。
「断る」
即答で一言、そう断じた。
それもとびっきりの笑顔で。
だって、そうだろう。勇麻にはその話をわざわざ受ける理由がなにひとつとして無いのだから。
端末の向こう側でスネークが押し黙るのを感じて、どこか勝ち誇るように、こう続けた。
「アンタに頼まれるまでもねえ、高見は俺の友達だ。俺達が勝手に助ける」
ニヤリと、イタズラを楽しむ子どものような笑みを勇麻が浮かべている事に、受話器の向こうのスネークも気が付いていたに違いない。
大男はよほど気にいったのか向こう側で盛大に笑う。
その豪快な笑い声は、聞いているこちらまで気持ちよくなるような思い切りのいい物だった。
しばらく笑ったスネークは、それでもまだ興奮冷めやらぬ様子で、嬉しそうに言葉を紡ぐ。
『がははははっ、こいつは頼もしい。ならこれは組織の長とか関係ねえ、一人の男としての頼みだ。――生きて帰ってみせろボウズ』
「――ああ、アンタこそ」
そこで通話が切れた。
実に彼らしいさっぱりとした餞別の言葉に、勇麻は走りながら静かに目を閉じる。
「……」
スネークの思いが分からないほど東条勇麻は鈍感ではない。
それになにより、高見秀人は勇麻の大切な友達の一人なのだ。
だから、余計な言葉など無粋なだけ。
後は行動で全てを示せばいい。
勇麻は携帯端末を再びポケットの中にねじ込むと、そのまま目的地への走りを速めた。
再び見開いた瞳の内には、燃え盛るような意志の炎が静かに灯っている。
目的地はもうすぐそこだ。
“そこが一番、強くて純粋に邪悪な感情の渦が渦巻いている”。
☆ ☆ ☆ ☆
「あーあ、やっちまったぜ」
あまりにも盛大に大笑いをかましたせいで位置がバレた。
彼女の膨大な索敵範囲からかろうじて逃れるだけであれ程苦労したと言うのに、まさかこんな初歩的なミスとも言えないような失態で居場所を知られるとは、一生の不覚だ。
胸中でゲンナリとそんな事をスネークはぼやく。
「にしても流石に、反撃できねえってのは骨が折れる……」
文句を言うようにそうスネークは零す
いくらスネークがある種突き抜けた反則的な力を持つ実力者だとは言え、防戦一方というのは精神的に疲弊する物なのだ。
だからこそ、骨折り。
一切の攻撃行動を封じ、防御と逃げの手に徹する。
別にその言葉におかしな含みは無い。言葉通り、そのままの意味だ。
スネークが無理に少女を打倒し、拘束するような必要などは微塵もない。彼の仕事はただ一つ。寄操の虫によって操られ、暴走する少女の足止めに徹する事のみ。
そうすれば、あの少年が全てを終わらせてくれるのだから。
「休憩も無しとは恐れ入るぜ、まったく。これが若さってヤツかい」
まだあの少女は視界に収まる距離にはいないが、確実にスネークの存在を知覚している。
もう間もなく、姿を現すはずだ。
ひゅるひゅる、と。風が耳元を流れていく。
スネークは迫るその音を耳に、まもなく再開される戦闘ではなく、しかし過去に思いを馳せていた。
――あの小僧を拾って、もうだいぶ経つ。
もうそろそろ、あいつも救われていい頃だろう。




