第三十話 傷つき傷つけ愛う者達Ⅱ――嵐撃・終劇
その強さは圧倒的だった。
挑み、立ち向かい、そして口の中に広がるのは苦々しく不味い鉄錆の味。
何度だって立ち上がり、拳を握りしめ、駆け出し、そして圧倒的な力の前に吹き飛ばされる。
無意味な行動と無為な結末、その繰り返し。
眼前の少女は――天風楓は一歩たりとも動きはしない。
寄生虫の支配を受け、己の意志とは無関係にその力を振るう少女は少年が傷つくたびに涙を流している。このままではきっとその涙も枯れ果ててしまうであろうくらいには、少年は敗北を重ねていた。
優しすぎる幼馴染の少女への道のりは僅か数メートル、その僅かな距離が東条勇麻にとっては余りにも遠く、果てしなかった。
「もう、やめて……」
啜り泣く嗚咽に紛れてそんな声が聞こえる。
しかし皮肉にもその悲痛な懇願こそが少年に立ち上がる力を与えているのだと、少女はきっと気が付かないのだろう。
勇麻はさんざん痛めつけられ震える身体に鞭を打って、歯を食いしばって立ち上がる。
「どうして……」
震える声で問いが投げかけられる。
実に簡単な問いだと勇麻は思う。
そんなもの、わざわざ考えるまでもなく答えは出ている。
「俺がっ、お前の……味方だからだ」
にひひと、強がるように笑ってさえみせた。
既に身体はボロボロで、立ち上がる動作一つ取っても苦しいくらいだ。
何度も握ってボロボロになったその拳は、まだ一度も天風楓に届きさえしていない。
正直に言って奇跡が起きても勝てるビジョンが見えないような有り様だった。
でも、
「決めたんだ。俺は、これまでも、これからも、楓の味方であり続けるって、お前を泣かす奴は俺が許さないって」
まるで楓を安心させるようにボロボロの汚い笑顔を浮かべるその姿は、少女の目にはどんな風に映っただろうか。
「だから安心しろ。絶対俺が助けてやるから」
☆ ☆ ☆ ☆
「だから安心しろ。絶対俺が助けてやるから」
何の根拠もないその言葉に、一体自分は何度救われた事だろう。
けれど、違うのだ。楓は勇麻の助けなど願っていなかった。自分の事は自分が一番分かっている。このまま勇麻が無謀にも楓を救おうと戦い続ければ、いずれ自分がこの少年を――東条勇麻を殺してしまう。
そんな結末は、耐えられない。
目の前の大切な少年を殺してしまうくらいなら、今この瞬間に自分の命を絶ってしまった方がよっぽど良い。
けれど今の楓には自決する事さえも儘ならない。
そんな卑屈な自由さえも、楓には与えられていなかった。
苦しくて、辛い。まるで拷問か生き地獄のような仕打ちに、楓の心はゆっくりとしかし確実に摩耗していく。
どうしてこんな事になってしまったのか。
どうして大切な人を傷つけなければいけないのか。
どうして自分がこんな理不尽な目に合わなければならないのか。
そんな疑問ばかりが頭を埋め尽くして、弱音や、泣き言ばかりが口をついて出そうになる。
強くあろうとする意志を押しのけ、楓の弱さが表に押し出ようとしている。
いっそ意識まで乗っ取ってくれれば良かったのだ。
既に屈しかけた心が、何の疑問も抵抗も無く、そんな感想を持ってしまう。
寄操令示の趣味の悪さには怒りを通り越してただただ恐怖を覚えるしかない。
対象の人物の意識を残したまま身体の支配権のみを乗っ取るなど、悪趣味にも程がある。
こんな卑劣で非道な事を笑顔で実行できるあの男は狂っている。異常を通り越して異端だ。
(もう、嫌……だよ。……苦しい助け、てよ……)
――助けて。
そんな言葉を口に出せたらどれだけ楽になれた事だろう。
きっと目の前の少年は、その一言に全力を持って応えようとしてくれるハズだ。
ヒーローである彼は、少女の助けを絶対に拒みはしない。
偽物だの紛い物だのと自身を卑下するあの少年は、しかし本当に本物の英雄なのだ。
誰が否定しようとも、天風楓はそれを知っていた。
楓だけは、他の誰が何と言おうとも東条勇麻が英雄である事を絶対に否定しない。
だからこそ、「助けて」など言えるハズもなかった。
安易に助けを求めれば、本当にこの少年は自分が殺されようとも楓を助けようとしてしまう。
それは楓にとっては何の救済にもならないのだ。
例え楓が助かろうとも、東条勇麻が死んでしまったのでは何の意味も無い。
そんな世界に取り残されたことを想像しただけでも、恐怖と不安と絶望に押しつぶされそうになる。
だから、楓は叫び続けるのだ。
拒絶を。否定を。
東条勇麻が天風楓を見捨ててくれることを願うしかないのだ。
楓の瞳から、止めどなく涙が流れ落ちる。
しかし勇麻は気が付かない。その涙を流させているのが、勇麻自身であるという事実に。
どこまでも平行線で、相手を思いやっているようで決定的に自己中心的な想い。
故に、両者の想いは絶対的に相手に届かない。
間違い、すれ違い、想い違う。
「……がい、お願いっ。お願いだから、もうわたしに……これ以上勇麻くんを傷つけさせないでよ!」
自らの身体を両腕で抱え込み、蹲るようにして叫ぶ楓。
それは優しい拒絶だった。自分が傷つく事を大前提とした言葉。しかしそんな自分をないがしろにした言葉で、東条勇麻の心が動く訳がなかった。
なぜなら、東条勇麻は理不尽に天風楓が傷つくことを許容できないから。
彼女の意志に反して背中の一対の翼が不気味に躍動し、突風が巻き起こる。
それは少年の身体をゴミクズのようにいとも容易く宙高く巻き上げる。
抵抗する術など何も無く、勇麻は地上十メートル程の高さからそのまま落下した。
人肉が潰れる生々しい音と飛び散る血飛沫。
高所からの垂直落下。
普通の人間なら間違いなく死亡、神の能力者と言えども、そう簡単には立ち上がれないであろうダメージのはずだ。
それなのに、
「がっはぁ……ぐぅっっ!!」
少年は諦めない。諦めてくれない。
拳を地について、全身全霊を持ってして血だまりの上に立ち上がる。
「やめて。嫌……だよ、もうやめてよぉおおおおお!!」
少女特有の耳に刺さるような甲高い叫び声には、無理な力を加えられ軋むガラスのような危うさが込められていた。
もう何も見たくなかった。
楓の力によって大切な人が傷つき、苦しむ。
そんな地獄のような光景から楓は目を逸らす事さえ許されない。
お願いだからもうやめて。
それは、楓の本心からの心の悲鳴だった。
これ以上は、本当に耐えられない。心が、楓の大切な何かが壊れてしまう。
だがそんな悲痛な祈りを、奇繰令示がその身体に残した置き土産が容赦なく踏みにじる。
楓の意志に反し、むしろその思いを嘲笑うかのように寄操の昆虫が楓の身体を操り動かす。
楓が、意志に反してその腕を横薙ぎに振るう。
その動きに同期するかのように、横殴りの突風が吹き荒れた。
一切の容赦も加減も無く、干渉レベルAプラスの少女は、幼馴染の少年の命を刈り取る為にその力を行使させられる。
――誰も望まぬ二人の戦いは、誰も望まぬ結末へと一歩ずつ近づいていた。
☆ ☆ ☆ ☆
(どこ……に……ッ!?)
突如として吹き荒れた突風に思わず瞳を閉じた、その一瞬の隙をつかれた。
眼前から少女の姿が消えた瞬間、いち早く危機を察知した勇麻は周囲に視線をめぐらせていた。
しかし。正面、側面、背後。そのどこにも少女の姿は見当たらない。
となれば選択肢は一つ。
「――ッ!?」
頭上。
しかし、気が付くのが遅かった。
視線を頭上に向けた時には、背中に接続された竜巻の翼をはためかせ空を駆ける天風楓が、既にハンマーを振り下ろすようにその腕を上から下へと振るっていた。
ズンッッ!!
凄まじい衝撃が走り抜け、ただそれだけで勇麻の身体がピンでとめられた昆虫の標本のように地面に縫い付けられる。
身動きはおろか、首を巡らせることさえ叶わない。
重力を操るような凄まじいその攻撃は、しかし上から下へと吹き付けるただの突風だ。
地面に熱いキスをする勇麻を嘲笑うように、地に降り立った天使のつま先が少年のドテッ腹に突き刺さった。
「がぁ……ッ!?」
何度も、何度も、何度も何度も何度も。
風を纏い速度と威力とを底上げした蹴りが腹に突き入れられ、勇麻の内臓をシェイクする度に激しい痛みと吐き気に襲われる。
苦痛に地面を転がる事さえ許されず、上から吹き付ける凄まじい勢いの風に抗う事さえできない。
勇気の拳による身体強化など諸共しない圧倒的な力。
まるで自然災害を相手にしているような、そんな場違いに思えてしまう程の力の差が冷酷に突き付けられる。
苦しげな楓の嗚咽と繰り返される謝罪の言葉が、その攻撃以上に勇麻の胸をえぐっていき、同じくらいに立ち上がる力を与えていく。
できるできないでは無い。そんな事は問題じゃない。
曲げられない事があるから、だから立ち上がる。
このままでは終われない。
絶対に諦めない。
意地にも似た感情の力が、勇気の拳を経由して身体中に巡っていく。
熱く、滾る。
「ぐっ、ぉおおおッ!!」
地面にめり込んでいた勇麻の顔が、僅かだが上がった。
二の腕がめきめきと軋むように盛り上がり、莫大な力を発揮する。
僅かに腹が地面を離れ、胴体が浮き、腕立て伏せのような体勢にまで持っていく。
顔と同様に上がった視界の中、涙を流す楓の表情に驚愕が浮かぶのが分かった。
だが、それだけだった。
直後。
だからどうした、と勇麻を嘲笑うかのように横から吹き付けた風の刃が、余りにも呆気なく勇麻を地面から引き剥がしその身体をズタズタに切り刻んだ。
「がぁぁぁぁぁああああああッ!!?」
血を巻き上げながら地面を転がる勇麻は、まるで汚いネズミ花火のようだ。
「はぁ、はぁっはぁ。げほっ! ごほっ!? ぜぇ、ぜぇ……」
何メートルも転げまわってどうにか勢いが止まり、勇麻はボロボロになった手足を投げ出して仰向けに天を仰いだ。
吐く息は荒く、目線もどこか胡乱な勇麻に、楓は何もかもを諦めたような言葉を零す。
「勇麻くん、もう。もう、わたしの事はいいの。だから、お願いだから。わたしじゃなくてアリシアちゃんを助けてあげて……。わたしの友達を、どうか助けてください……」
「ぜぇ、ぜぇ、……」
そう。楓は最初から自分の助けを求めなかった。
彼女は自分の友達を――そして勇麻にとっても大切な存在であるとある一人の少女の無事を、勇麻に願っていた。
どこまでも真っ白で穢れを知らず、まるで人形のように整った顔立ちに、輝く蒼宝石のような碧眼を持つ真っ白な少女。
感情表現がお世辞にも上手とは言えなくて、でもよくよく見てみると笑っているのが分かって、友達とご飯を食べるのが好きな、そんなどこにでもいるような愛おしい少女。
アリシア。
楓は、アリシアが寄操令示の手に落ちている事を勇麻に幾度となくも警告し、自分よりも彼女を助けてくれと勇麻に懇願していた。
勇麻は全ての力を振り絞るようにして転がりどうにかして上体だけ起こすと、焦点も碌に定まっていない、けれど真剣そのものな眼差しを楓に向けた。
「ぜぇ、はぁ、げほっ、ごぼっ! ふざけんな。……アリシアは助ける、に決まってるだろ。けど、だからってここで楓を見捨てても良い理由になる訳がない。どっちも俺の大切な。……仲間、だ」
両方助ける。
勇麻は一縷の迷いなくそう言い切った。
それは彼女達をこの戦いへと巻きこんでしまった事への最低限の責任でもあり、なにより勇麻自身が他の誰よりもそうしたかったのだ。
楓か泉が耳にすれば本当に怒るかもしれないが、勇麻は彼女らがこんな危険な敵と戦う羽目になったのも、こんな理不尽な目に遭って苦しんでいるのも全てが自分のせいだと本気で思っている。
酷く自意識過剰な被害妄想ではあるが、勇麻の中では自分が責任を取るのが当然だという流れができてしまっているのだ。
そこには一切の勝算も現実味も加味されてはいない。
可能か不可能かすら問題にはならない。ただ東条勇麻がやるべき事象として、楓とアリシアを救う事が必須事項としてリストアップされていた。
けれど、それは子供の我が儘のように現状を正しくを理解しておらず、子供の語る夢のように酷く現実味が欠如している。
端的に言って不可能。そもそもここで楓と対峙している限り、勇麻には永遠に楓を解放する事はできない。
そんな単純な事実にも気が付かず、どこまでも妄信的に彼女を救うのは自分であると東条勇麻は信じていた。
現実すら直視できず無様に地に這いつくばる勇麻を睥睨するかのように、一対の翼がその鎌首を擡げた。
それは楓の背中から生じている、轟々とおどろおどろしい風音を響かせる黒々とした竜巻だ。
圧縮するようにして幅二メートル程度のサイズに押し留められたソレは、その大きさからは想像もつかないような膨大な破壊のエネルギーを秘めている。
照準を合わせるように、その翼の先端が――破壊の矛先が東条勇麻へと向けられる。
楓が嫌な感覚を感じ取ったのか、今までよりも切羽詰まったような声色で叫んだ。
「もう分かったから! お願い。お願いだから、今だけでいいから逃げて! 勇麻くんを、わたしが殺しちゃう……!!」
天風楓の全力が振るわれれば、今この瞬間にでも東条勇麻を粉砕できるだろう。
しかし強力な一撃が勇麻を貫く事はない。
その代わりに、低く、低く、唸るような風の音が鳴り、それがまるで何かのカウントダウンのように少しずつ高く大きく力強くなっていく。
放つ寸前の弓矢がキリキリと引き絞られるのと同じだ。
極限まで力の溜めを作り、一撃の破壊力を増しているのだ。
もういいから逃げて! と、喉を痛めつけるように楓が叫ぶのがやけに遠くに聞こえた。
「ゴホッ! げほっ!? ……待ってろ楓、お前もアリシアも、これ以上苦しめさせやしないから。俺が、お前たちをいつも通りの日常に帰してやるから」
しかし勇麻は逃げようとしない。目の前の現実をまともに受け入れる事ができないのか、その場で立ち上がろうと必死にもがき続けている。
額に青筋を浮かべ、下半身に力を籠める。
片膝をつき、膝に手を当てて勇気の拳によって増幅された力全てをかき集めて──しかしそれでも、東条勇麻は崩れ落ちた。
ポカン、とどこか間抜けな表情で勇麻は崩れた自分の膝を眺めていた。
積み重ねたダメージは身体の芯を確実に蝕み、立ち上がるだけの力を勇麻から奪っていたのだ。
楓の意志に逆らって、竜巻の先端にどんどんエネルギーが収束していく。
低く唸るようだった音は、その解放を待ち望むかのように耳障りな高音へと変わっていた。
「あ、れ……? あははは、おかしいな。すまん楓、悪ふざけしてる場合じゃないってのに」
「勇麻くん! わたしの話を……聞いてよぉッ! どうして、どうして、こんな……っ!?」
どこかおどけたような、自虐的な笑み。
しかしその笑みは、どんどん乾いた物へと色合いを変えていく。
焦燥感が、楓を安心させる為に浮かべた笑みを強張らせる。
「……く、そ。なんでだよ……、なんでなんだよォッ!」
「やだっ、やだよ……。勇麻くん……」
立ち上がれなかった。
そんな事はあってはいけない。ここで終わる訳にはいかない。そう思えば思うほど、身体の動きは酷く緩慢になり、思うように動いてくれなくなる。
アリシアと楓を助けるためにはこんな所で立ち止まる訳にはいかない。なのに、何度やっても現実が理想との差を事実という形で明確に突き付けてくる。
思考が真っ白に染まる。否、抜け落ちる。
絶望が頭の中に反響し、何も考えられなくなる。
……うるさい、金属を擦り上げるような耳障りな高音が、うるさい。
「……ざけんな。俺は、こんなっ、ところで……ッ!」
愚か者へと破壊の切っ先を向けた竜巻の翼が、『ようやく獲物を食い散らかせる』という歓喜に打ち震えるように激しく振動し始め、溜めに溜めこんだ莫大なエネルギーが飽和を迎えようよしている事を示している。
音域は既に人間がぎりぎり聞き取れるような高音に、歓喜の歌が耳障りな音色を奏でる。
終わる。
このままでは、跡形も無く消し飛ばされて、東条勇麻は本当に終わってしまう。
目の前の楓が、ふるふると首を横に振るうのが見えた。
血の気が引いて死人のように蒼白になった顔には、どうしようもない諦観と絶望が浮かんでいた。
結局のところ、その涙を止める事は東条勇麻にはできなかった。
「やだ、よ。いやぁ……。やめてぇぇぇぇええええええええええええッッッ!!!」
キィィィイイイン!! と、風の音に混じって耳を劈くような超高音が最後の一鳴きを経て、刹那の空白。
音が止み、まるで一時停止のボタンを押したような静寂の世界に、
破壊の嵐が巻き起こった。
現象、それ自体はすごく単純な物だった。
風。
圧倒的な風の奔流は、何にも勝る破壊の鉄槌へと変貌した。
『嵐撃終焉』。
あくまでその正体はただの『風』であるにも関わらず、勇麻には黒色を帯びた暴風の輪が連なり重なって吹き荒れるのが確かに見えた。
台風やハリケーンを有に超える風速に、触れても無い劇場の分厚い防音仕様の壁は剥がれるように消し飛び、段差ごと抉り取るように座席がごっそりと吹き飛ぶ。外まで突き抜けた破壊の嵐は、その軌道上にある劇場周辺の建物全てをあっさりと剥がし取るように宙に巻き上げていく。
破壊の轟音を風の音が掻き消して、それでもなお頭をゆさぶる大音響が木霊する。
爆撃やら戦車の砲撃が可愛く思えるような、抗いようのない大自然の破壊の渦。
終わる。
死の危機に直面して、思考速度が極限にまで達しているのか、酷くスローモーに見える世界の破壊。ゆっくりと迫る死の指先に、しかし勇麻は何もする事ができない。
直撃の瞬間、己の死から目を逸らすように勇麻は目を瞑っていた。
冗談抜きで、まともに直撃を喰らえば身体が滅茶苦茶に千切れ飛ぶであろう一撃を真正面から浴びせられた東条勇麻の命など、跡形も無く消し飛ぶ意外に道などなかった。
感じる事も儘ならないであろう衝撃がその身体を突き抜けて――
(――……………………………………。なん、だ……?)
真っ先に感じたのは違和感。
いつまでたってもその破壊がもたらすハズの痛みも、永久の暗闇も、訪れる気配がないのだ。
ビリビリと、まるでどこか帯電したような空気の震えを感じる。あまりにも高速で周囲の空気を震わせたからか、静電気でも生じているのだろうか。
頭を叩く破壊の轟音も今だ健在だ。けれどそれだけ。
身体を打つ強烈な衝撃も、暴力的に身体を引き裂かれる痛みも、何も無い。
そもそもの話だ。
真正面からこの攻撃で身体を消し飛ばされていたならば、何も感じる暇なく命が消し飛んでいなければおかしいのだ。今もこうして様々な感情を思い浮かべられることこそが、おかしい。
ならば、絶体絶命のこの状況で一体何が起きた?
勇麻はおそるおそる目蓋を開く。
視界一杯に広がった世界の中心、そこに――
――『不壊の盾』のように天に掲げられた大きな掌が、圧倒的な破壊力を伴った風を真正面から受け止めていた。
「ア、ンタ。は……?」
唖然とした勇麻の声に気が付いたのか、破壊の嵐を片手で受け止め、その軌道を強引に勇麻から逸らした男がニカっと不敵な笑みと共に振り返った。
「ようボウズ。遅れて悪かったな」
それは、髪の毛をオールバック風にまとめあげた筋骨隆々の大柄な西洋風の大男だった。
「だが、どうにか間に合ったみたいで一安心だ」
それは、手入れのされていない無精ひげと右目に稲妻型の刀傷を走らせた、海賊船の船長のような男だった。
「……っと、何だコイツはって顔だな。まあいきなりこんな奴が出てくりゃ誰だって驚くか」
それは、やけに似合わないネックレスを首から掛けた、豪気さが滲み出るような男だった。
「俺の名はスネークだ。以後よろしく。……それとも、背神の騎士団団長って言った方が分かりやすかったか?」
学校の先生が生徒に向けて自己紹介するくらいの気軽さで、その男――スネークは、背神の騎士団団長を名乗ったのだった。




