行間Ⅳ
PM 15:26:09
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平時なら多くの観光客の楽しげな声で賑わう西ブロック第三エリア。
お盆は終わったと言え、夏休みのこの時期は各店舗にとっても重要な稼ぎ時だ。
外の一般人の立ち入りを原則的に認めない天界の箱庭において、この辺りは貴重な一般解放エリアだ。
観光客向けに様々な娯楽施設を寄せ集めたこのエリアの目玉は何と言っても大型テーマパーク『ネバーワールド』だろう。
『ネバーワールド』のおこぼれに与ろうと、テーマパーク付近には数多くの露店や食事処。お土産屋に日帰り可能の温泉やホテルなどがズラリと立ち並んでいる。
今日だって、外から訪れた一般の観光客の姿が数多く見受けられていた。
世の中にはまだまだ神の能力者に対する差別意識が残っているのが現状だが、中には、自分たちとは少し違う物を理解し、歩み寄ろうとしてくれる人も大勢いるという訳だ。
このエリアは貴重な観光スポットでもあると同時、人間と神の能力者とを繋ぐ為の架け橋でもあるのだ。
キィンッ! ガキィンッ!
金属と金属が激しくぶつかり合う音が響く。
それは、身も凍るような殺しの音色。
人々の楽しげな笑い声など、どこにもなかった。
人間と神の能力者との交流の為につくら得れたはずの西ブロック第三エリア。そんな心温まる場所が今では、剣戟音と爆発音の飛び交う戦場と化していた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
黒米と黒騎士の息は互いに荒い。
戦況は五分五分――否、背神の騎士団側が圧倒的に押していた。
だがそれは、決して黒米が黒騎士を圧倒しているという訳ではない。
「あー、チートく臭え真似しやがって……ッ!」
焼け焦げ、抉り取られて地形さえ変化した地面の上。仮面の奥の表情を怒りに歪めた黒騎士が、“歪む空を見て”叫んだ。
ぐにゃり、と黒騎士の上空。真夏の青空がガラス細工のように歪んだかと思うと、極小の粒子がある一点に収束し始める。
それは二秒と掛からずに形を成していき、次の瞬間には弾けるような音と共に光をまき散らして、目を見張るような大きさのやけにメタリックで近未来的なマスケット銃へと変貌した。
しかもそれは一つでは終わらない。
空間の歪みは、今や頭上全体に広がり、黒騎士の脳天を狙う銃口の数はゆうに一〇〇を超えていた。
黒騎士を見下ろす直径一メートルはあるであろう巨大な銃口は、もはや大砲と大差ない。なんだか、スケールの違いに笑いさえ漏れそうだった。
「なーにが『アナタと私の二年間を確かめてみましょう』、だ。一丁前にブラフなんぞ張りやがって。面倒臭え」
皮肉げで棘のある黒騎士の言葉に、黒米は悪びれもせずに爽やかに笑った。
「いえ、私としては正々堂々真正面からの一騎討ちを望んでいたのですが……。どうも副団長は援護が必要だとお考えのようですね。所詮は一団員でしかない私の我を通す訳にもいきませんし……いやはや、儘なりませんね、人生というヤツは」
自分の感情をコントロールし、決して本心を漏らさないように造られた笑顔。なるほど。組織での仕事に私情は挟まないという訳だ。
流石は古参と言うべきか。しかし組織の都合などクソ喰らえで、いつだって自分の感情を優先して行動してきた黒騎士とは絶対的に相容れない考え方でもある。
「それを笑って言ってのけるたぁ、喰えねえ男だよ。お前は」
黒米の答えを待たずに、頭上で数多の閃光が瞬いた。
自分の足元に雷が落ちたのではないかと疑うような爆音が耳を打つ。天より落ちる流星群にも似た支援砲撃は、一撃一撃その全てが規格外。
『物質転移』と『物質創造』。
背神の騎士団が誇るNo.2。テイラー=アルスタインとジルニア=アルスタインのコンビ技による距離を無視した支援攻撃は、家から出ずとも国一個を滅ぼせるレベルの厄災だ。
雨あられと降り注ぐエネルギー塊は、その一発一発が大地を容易く抉り取る規模の破壊力を秘めている。
地形が変わるような一撃を影の黒剣でどうにか捌いて跳ね返しつつも、反動と衝撃で身体が持っていかれるのは防ぎようもない。
そして黒騎士のバランスが崩れた所で、黒米の爆撃がピンポイントで炸裂する。
黒米が掌を翳した先が爆炎と衝撃に襲われ、次々とダメージが蓄積されていく。
身体の表面上に鎧のように張った影の膜で何とか防御するも、それだけで殺しきれる程黒米という男の攻撃は甘くはない。
副団長コンビによる支援砲撃は既に五回以上に渡って行われているにも関わらず、その威力と攻撃の厚みは損なわれる様子さえ見られなかった。
時折降り注ぐキラキラとした光の雪は、物質想像によって造られた超巨大マスケット銃が粉々に砕けた欠片だ。とは言っても、黒騎士が撃ち落した訳ではない。
『物質創造』によって造られた物体を維持し続ける事はできないらしく、黒騎士を狙う頭上のマスケット銃はおよそ一、二分程度で砕けて細かい光の粒子になっていく。が、砕けるとほぼ同時に再構成・再転移が始まっており、砲撃の止む時間はかなり短い。
唯一の弱点らしい弱点ではあるが、そこを突くのも難しいだろう。
幸い、副団長二名からの砲撃を受けているのは黒騎士だけ。田中(仮)とイルミの方へはまだ向けられていない。
あの二人が死のうがどうなろうが別段どうでもいい黒騎士ではあったが、その分二人が相手をしていたカルヴァート姉弟や盲目のちびっ子が加勢に来るのもそれはそれで面倒臭い。
ならば自分一人に狙いを定めてくれている今の状況の方が、何かと都合がいい。
今はどうにかこの砲撃の雨を耐え忍び、支援を行っている連中のスタミナが切れてからが勝負か。などと思案する。
防戦一方。状況は限りなく悪い。
いや、むしろこれだけの攻撃を前に押しつぶされる事なく耐え続けている事の方が異常だった。
ただただ面倒くさいとぼやく黒騎士は自分が軽々と行っている事の凄まじさに気が付いていないだろう。
とそんな時、黒騎士の鋭敏な五感が何かを捉えた。
「……目には目を、歯には歯をってか? にしてもこれは、戦車相手に核兵器なみに大人げがねーだろ」
「?」
「なに、俺達もお前らの事文句言えねーなって話だ」
不意に、態度が急変した。
どこか、余裕さえ感じられる黒騎士の言葉に、訝しむように眉を顰める黒米。
つい先ほどまでの集中しきった剣呑な雰囲気がどこかへ吹き飛んでしまったようだった。
いきなり何があったのか。そもそもこの絶対絶命の状況で、理由もなく余裕など持っていられるだろうか。
何かある。
だが、一体何が……。
と、そこまで思案して一つ、気づく事があった。辺りが、やけに静かなのだ。
その違和感の正体が何なのか、黒米はすぐに行き当たった。
先ほどまでは止む事の無い砲撃の雨が降り注いでいたというのに、何の因果か、背神の騎士団の副団長二人による大規模な支援砲撃がピタリと止んでいた。
黒騎士はこれを見越していた? いや、そうじゃない。これはもっと別の……。
警戒を強める黒米に対して、黒騎士はどこかお気楽な調子で笑う。
命懸けの戦場が一気にくだらないお遊戯の遊び場になってしまったのを目の当たりにしてしまったような、そんな気の抜けた様子で。
今もまだ黒米が己の危機に気が付けていない事、その事実がどれほど致命的かな事か、黒騎士はそれを理解していた。
「ほら、お出ましだぜ。『創世会』直々の援軍様だ。……“上”もつまらねえ真似をしてくれやがった」
黒騎士の仮面の奥から覗く視線の先、黒米の背後。そこにいたのは……
☆ ☆ ☆ ☆
目を瞑り、真っ暗な世界と向き合う。
視認できない事は“見えない”という事ではない。〇と一の羅列。数字とその並びから頭の中で世界を再構築し直し、現在地と目標地点とを折り紙を折り曲げるようにして重ね、繋げていく。
二つの地点の二つの空間を完全に把握し、目標地点の座標をミリ単位で修正していく。
物質転移。
空間転移系統に分類される、干渉レベルAマイナスの強力無比な神の力をもって、パートナーたるジルニア=アルスタインの神の力の照準そのものを転移させるという荒業に出たテイラー=アルスタイン。
隣で掌を眼前に翳し、集中に額に血管を浮かべるジルニア同様。テイラーもまた、極度の集中から一種のトランスに近い状態となっていた。
黒騎士を確実に葬り去る為の砲撃支援。拠点から一歩も出ずに一国を潰す事さえ可能なえげつない戦法を成立させられるのも、彼らが一般と比べて特別なレベルの実力者故である。
彼らの周囲に彼ら以外の人影は見られない。雑音の類から何まで遮断され、完全に周囲から隔離された空間の中、彼らは戦車の砲台に取りつけた糸の先を針の穴に通すような繊細な力の行使を続けていく。
と不意に、彼らの集中を乱すような出来事が起こった。
「副団長! 緊急です!」
扉が蹴破るような勢いで開かれ、その刺激でテイラーとジルニアの神の力の行使が一時的に中断させられる。
極度の集中状態を邪魔されたジルニアが些か不機嫌げな視線を向けるが、テイラーがそれを手と視線で制す。
神の力使用中の司令部への立ち入りは禁止されている。それが破られるという事は、テイラー達の判断を仰ぐ必要がある緊急事態だと言う事だ。
テイラーは立ち入り禁止の言いつけを破った団員を咎める事なく、落ち着いた口調で事態を尋ねた。
「はい。それが、団長からの連絡で、至急副団長に繋いでほしい、と」
「団長からだって?」
どこか煮え切らないような口調で告げた団員にジルニアが問い返した。こくこくと頷く団員に、思わずジルニアとテイラーは顔を見合わせる。
団長からの連絡があったという報告に困惑した様子のジルニアの顔に、同意見のテイラーも頷きを返した。
団長はつい数日前から“とある重要機密の調査”の為にヨーロッパ南東部、バルカン半島周辺へと向かっていたハズだ。
いつもなら余程の事がない限り連絡を寄越しもしない、あの自由人がこのタイミングで連絡……?
何か嫌な予感がする。
団員から手渡されたのはこれでもかという勢いで盗聴対策を施した衛星通信型の通信端末だった。
耳を当てると、聞きなれた力強い声がテイラーの鼓膜を震わせた。
『よぉ、テイラー。そっちは元気してるか? タバコ吸い過ぎてジルニアに嫌われてない?』
「元気も何も、仲良く楽しくジルニアと任務中だったのをアンタに邪魔されたよ」
『そおかい。そいつは結構なことだ』
「それで、団長様が連絡だなんて珍しいじゃないか。何かあったのかい?」
気の置けない友人同士のような会話だが、事実そうなのだから仕方がない。
団長と副団長である以前に、彼らは長年の友人であり、同じ背神の騎士団という組織に属する家族なのだから。
団長は電話の向こうでがはははと笑って、
『いや、それがな。ちょっとマズイ事になってな。いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい? ってヤツだ』
ニヤリ、と。
電話の向こうで頼もしいあの男が口の端を吊り上げているのが容易に想像できてしまった。
テイラーは、また碌でもない事態になるであろう事を確信しながら、頭痛を堪えるように額に手を当てた。
「はぁ。……じゃあ、いい知らせから頼む」
『あいよ、リクエストにお応えしていい知らせを一つ。――こっちでの仕事は終わった。今俺も「ネバーワールド」に向かってる。あと数分で着くハズだ』
「!」
それは想定外に良い報告だ。
突発的に発生した『ネバーワールド』でのテロ事件はこちらでも対応しきれていないうえ、非番だった始祖四元素の四人と、同じく非番の高見秀人にも連絡が繋がらないという緊急事態。
もしかするとこの五人は『ネバーワールド』にいるのかもしれない、などというある種の願望のような予測も立てていたが、もし仮にこれだけの使い手が関わっていて、なおかつ事態の収束が見られないといなればいよいよ大問題だ。
今回の事件に関わっている敵がどれほど危険なのか、ある程度推測できるだろう。
そこにこの男が介入してくれるというならば、これ以上に心強い事はない。
「おいおい、そりゃ珍しくホントにいい報告じゃないか。てっきり俺は『俺好みの強そうな敵が現れた』とか、そんな事だと思ってたよ」
『おいテイラー。お前俺の事を戦闘狂か何かと勘違いしてないか?』
筋肉ダルマの戯言は無視してテイラーは興奮気味に続ける。
「それにしても、よくそんな遠方で『ネバーワールド』で起きてるテロ事件についての情報を入手できたね。こっちじゃまだ報道規制されてるような代物だぞ?」
『あ、あー。それはだな……』
何らかの確信をついてしまったらしい。テイラーのその問いに言い淀むように声を詰まらせて、どこか後ろめたそうに歯切れ悪く口を開く背神の騎士団団長。
何かを誤魔化すような大きい咳払いの後、
『ごほん。実は、だな。あらかじめ知ってたんだよ。近いうちに『ネバーワールド』でテロが起きるって事は』
「はぁっ!?」
当然驚きの声を上げるテイラーに、まぁ落ち着けと受話器の向こうの男は促して、
『安心しろ。あらかじめ策は打ってある。――ただ、当初テロが予定されてた日より決行日が繰り上げられててな。最初のプランじゃ決行日前日にテロ情報を背神の騎士団に横流しさせて、当日『ネバーワールド』園内で待ち伏せて一網打尽……って腹積もりだったんだが……ううむ、どうやら失敗しちまったみたいだな』
「失敗しちまったみたいだな、じゃあないでしょ! ていうか俺、その件について何も聞いてないんだけど!?」
受話器に向けて怒鳴り散らすテイラーに、団長はまたがははと笑って、
『敵を騙すにはまず味方からって言うだろ? 俺は情報漏洩のリスクってヤツを考えてだな……』
何やら偉そうに情報漏洩だとか頭の良さげな事を言っているが、この男はテイラー達の驚く顔が見たかっただけだ。絶対にそうに違いない。
ふるふると自分の拳を握り潰しそうになりながらも、なんとか深呼吸を繰り返し冷静さを取り戻していくテイラー。
本当に、いつまで経ってもこの男には振り回されっ放しだ。だが何故か、その感覚を心地良く感じてしまう自分がいるのだ。
「……まあいいよ、団長の事だ。色々俺達にはよく分からん事を考えてたんだろ? だったらいいさ、好きにやりなよ。派手に暴れたアンタの尻拭いをするのは、いつだって俺達の役目だからね」
『テイラー……』
「その代わり、周回遅れの分。ちゃっちゃっと取り返してこいよ。アンタは俺達背神の騎士団の象徴なんだ。アンタの勝利は俺達の勝利でもあるんだからね」
『……あぁ。お前らにはいつも苦労を掛けるな。すまねえ』
珍しく弱気なその言葉に、テイラーは嘆息しつつこう切り返した。
かつての自分に言われた言葉を、そっくりそのままお返しするかのように。
精一杯の皮肉を込めて。
「“謝罪の言葉なんて聞きたくねえ”。……まったく、誰の言葉だい?」
『がははははははは! こりゃ一本取られたな。そうだったぜ親友。“ありがとう”!』
快闊に笑ったその男の言葉にテイラーもまたある種の満足を覚えていた。
いつも振り回されている借りを、ほんの少しだけ返してやれた気分だった。
「そういえば、悪い方の知らせってのは何だったんだ?」
『ん? あぁ、悪い方の知らせの方はまだ言ってなかったか』
受話器の向こう、団長は少しばかり言葉を切って、
『……例の機密事項についてなんだが、調査の結果、少しばかり厄介な事が判明した』
「例の機密事項、……ギリシア地方に眠る『特異体』についてか?」
テイラーの問いに、団長は少しの沈黙の後に意を決したようにこう答えた。
『……例の「特異体」が眠っているハズの「揺りかご」はもぬけの殻。どうも「シーカー」による接触があった臭いな。周囲に争った形跡があった。ま、要約すると、だ――』
――『パンドラ』が目覚めた。それも考えうる限り、最悪の状況で。