行間Ⅲ
天界の箱庭。
神の能力者最後の楽園にして、神の力を研究、管理するための実験施設としての役割を持つ街。
だが、住人全員が神の能力者なのかと言われると、別にそういう訳では無い。
何事にも例外は存在する──という程大げさな話しではないが、神の力を研究、管理している科学者達は、何の力も持たないただの一般人の場合が多いし、外部から物資の仕入れをする業者などもその多くが一般人だ。
また、自立できるような年齢では無い子供の付き添いで、その子供の両親がこの街に来る事も結構多かったりする。
とは言え、付き添いでこの街にやって来た親の場合、子供があるていど成長すれば、天界の箱庭を追い出されてしまう。
最終的に小学校高学年にもなれば、大抵の子供は一人暮らしを始める事になるのだ。早い子供は小学校入学時点で一人暮らしを始めていたりする。
まぁ、両親――というか家族みんなが神の能力者だったりする場合は、その限りでは無いのだが……。
およそ半数近くの子供達が、親の助けを借りずに独立して生活をしているのがこの街の現状だ。
もちろん食費や電気代など、生活に必要な金は全て、天界の箱庭側が実験協力費として出してくれている。
だからといって、この年齢の子供の一人暮らしが簡単だと言う訳ではない。
まだまだ親に甘えていたいこの年齢の子供にとって、孤独はそれだけで毒なのだ。
あるいみ、暴力よりも性質が悪いといえる。
だからこそ、この街での“友達”という言葉には本来以上の意味が宿る。それこそ近所の子供同士や、同じ学校に通うクラスメイトなんかは兄弟のような物なのだ。
「おーい、待ってよー!」
さんさんと照りつける日差しの中、小学生の男子特有の甲高い声が朝の公園に響き渡る。
砂を踏みしめ、シャリシャリとなる足音が、少年の声を追いかけていく。
少年以外にも様々なちびっこ達の声が、公園を目一杯に満たしていた。
日曜日の午前十時、この時間帯の公園は子供達の笑い声で溢れている。それは、住人のほとんどが神の力なんていう物理法則を超越した特殊な力に目覚めているこの街でも、変わらない。どんな特別な力を持っていようとも子供は子供だ。それが微笑ましくもあり、そんなどこにでもいるはずの子供達が背負った宿命は、人の身には重すぎるものでもあった。
「ねえってば! 待ってって言ってるじゃんかー」
そして公園を元気に駆け回るこの少年も、親から離れて暮らしていた。
少年は五歳の時に、この街に家族でやってきた。
当時三歳だった二つ年下の弟に神の力が発現した為だ。
弟が小学校に入学すると同時に父と母は実家の方へと戻っている。
今年で三年生になったとはいえ、大好きな父と母と離ればなれになって、寂しくないと言えば嘘になる。
けれど弟をおびえさせない為にも少年が不安がる訳にはいかないのだ。寂しいなんて弱音を吐いている暇は微塵も無い。兄として、弟を守ると決めたのだ。
そして何より今の少年には、誰よりも頼りになる兄がいるのだから。
「ねぇ待ってってば龍也にぃー!」
「あははははっ、鬼ごっこなのに待つわけないだろー」
「だって龍也にぃに追いつけるわけがないもん」
拗ねたようにそう言う少年に、龍也にぃと呼ばれていた、かなり年上の――おそらく高校生くらいの――少年が笑いかけた。
走る足を止め、少年の方へ近づく。
「おいおい、そんなのやってみなきゃ分からないだろ? いいか、単純に走って追いつかないなら頭を使うんだよ、頭を。せっかく増え鬼なんだから、仲間と協力しなきゃ」
「そんなのやっても……無理だよ」
「情けない奴だなぁ」
龍也は笑いながら少年の頭をわしわしと強引に撫でまわした。
最初は嫌そうに撫でまわされていた少年も、その拗ねた顔を次第に緩ませていく。
そう、拗ねている演技をやめて目をきらりと光らせ、口元に笑みを浮かべて少年はこう叫んだ。
「龍也にぃ捕ったりぃーっ!」
自分の頭を撫でまわしていたその手に飛びつく。これで龍也を確保すれば少年の――鬼側の勝利だ。
が、
「よっと、あはははは、まだまだ詰めが甘いね、バレバレ」
龍也は少年の手を難なく掻い潜ると、イタズラに笑う。
渾身の一撃を躱された少年は勢いあまって尻餅をついてしまった。
「けど、少しは頭使えるようにんなったじゃん。成長成長」
「くっそー! もう少しで龍也にぃを捕まえられたのにぃー!」
起き上がり、悔しげに地団駄を踏む少年。だが、その顔はとても楽しそうなものだった。
「あんなのでもうちょっととか言ってるようじゃ、俺を捕まえるのはまだまだ遠いな」
からかうように笑う龍也に、少年は頬を膨らませ精一杯負けないように言い返した。
「なにを~、彼女なしのドーテイなくせに!」
言った瞬間、龍也は盛大に噴き出した。
「ぶっ!? ごほっげほっ、お、お前だれがそんな事言ってたんだ!?」
「え、よく分かんないけど泉が、龍也にぃにコレ言っておけば勝てるって、あんなさくらんぼ野郎楽勝だって」
「よし、決めた。アイツやっちまおう」
言うが早いか、龍也は少年の友達たちのところへ「泉ィーッ!!」と叫びながら突撃していった。
「ドーテイが来たぞぉー!」という、友達の泉の声が、遠くのほうから楽しげな笑い声に紛れて聞こえてきた。
どうやら、鬼ごっこの追う側と逃げる側が一瞬にして逆転してしまったらしい。
少年も、その楽しそうな笑い声のする輪の中へと駆けて行った。
少年にとって南雲龍也はヒーローだった。
かっこよくて、何でもできて、皆に優しい年上の兄のような存在。
困っている人がいても、笑顔で全てを助けてしまう最高の英雄。
少年と少年の弟は龍也の事を兄のようにしたい、龍也もまた、少年と少年の弟を自分の弟みたいに可愛がっていた。
この人みたいになりたい。
少年は龍也の生きかたを見てそう思った。
今まで生きてきた短い人生の中で、ここまで明確に“憧れ”という感情を抱いた事はなかっただろう。
それほどまでに、少年の瞳に南雲龍也という人物は輝いて見えた。
南雲龍也のようになりたかった。
自分だって、いつかはこんな風にカッコいい男になれると、少年はそう信じてやまなかった。
現実と理想の差も分からぬまま、時だけが経っていく。
憧れの果てに辿り着くのが墓場だと知らぬまま……