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掌編小説

雨の中

作者: 斎藤康介

 雨が降っていた。

 門出としては相応しくない天気だったが、何かしら瑞兆のような思えた。その直観は全く根拠のないものだった。だがこれ以上に事態が悪化することなど考えられなかった。今の自分には失って困るものなどないのだ。命さえも無価値で無意味なものとなっている。


 雨が窓ガラスにぶつかり弾けていく。空を見たが雲が暗く分厚い。今日一日は全国的に雨だと言った気象予報士は恥をかくことはなさそうだ。

 駅の売店で買った単行本をバッグから取り出した。

 殺人のトリックに列車を使う探偵小説のシリーズだった。別段に時間が潰せるのであれば内容は何でもよかった。たまたま昨晩にこのシリーズがドラマ放送していたから選んだだけだ。


 車両には自分以外にスーツを着た若い男と、五十歳近い派手な格好をしたおばさんが三人、女子学生の二人しかいない。それらの人々が互いに均整がとれた距離を置き座っていた。

 僕が嫌悪する世界に属する人々だった。醜く、汚く、臭い世界の住民だ。その世界にいることは自分にとって死と同義だった。生きながらの死。

 だからいまそんな世界から出ることにした。生きながらの死は確実に僕の身体を蝕み、本物の死をもたらそうとしたのだ。

 これは必然の結果だった。




 かつて雨が好きなときあった。

 それは今よりずっと昔のことで、僕がまだ黄色の長靴が似合っていた頃の話だ。

 身体に不釣り合いの紺の傘をさし、わざと水溜まりの上を歩き続けた。

 雨の音ひとつひとつを紡ぎ合わせ、ぎこちないステップで奏でた。

 そこは完成された世界だった。

 雨と紺の傘と黄色の長靴が一体となった世界。


 だがそんな世界も終焉が訪れる。

 完全なる世界からの墜落。それは誰もがたどる追加儀礼。

 ただ僕はその瞬間を痛みとともにはっきりと覚えている。




 1/3ほど本を読み終え、顔を上げると客層が幾分か様変わりしていた。スーツの男はおらず、かわりに学生の数が増えていた。おばさんは三人はまだ話している。

 あと三駅で目的の駅に着く。そこで新幹線に乗り換え街を出ていく。

 本を足元に置いたスポーツバッグにしまい、目を閉じた。雨は変わらず窓にあたり弾ける。


 痛みはまだ身体の一番深い場所で疼いている。それは不埒な果実のようで(いびつ)で、僕を苛む。だがそれも今日までだ。

 街を出る。逃げることとは違う。理由を何度も自分に言い聞かせた。

 この街はあの時の記憶は、僕の魂を一生束縛し続ける。だから生きるために、この街を出る必要があるのだ。

 「これは必然の結果だ」と、もう一度だけ自分に言い聞かせた。

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