孔雀を飼う
16:25pm
銀座、喫茶店、土曜日
「私が朝学校に行った時にはもう殺されてたの。ウサギも、ニワトリも、みんなよ。そこら中ね、血とか羽根とかが散乱しててさ、飼育小屋の中はホラー映画よ。大声で泣いてる私をたまたまそこに来た先生が見つけたの。だけどね、私はその先生がやったに違いないって思ってるわけ」
「わかってるよ。だけどさー、その先生がやったんならさ、わざわざ君に近付いたりしないだろ?犯人だってバレるかもしれないじゃない?たまたまそこを通って、泣いてる生徒がいたら、普通の教師だったら駆け寄る。だから犯人はその先生じゃないよ。可哀想に。」
「私はね、その先生にしがみついた時に、そいつが震えてたのを今でも覚えてるのよ。なんていうかね、怖くて震えてんじゃないっていうのも分かったわ。それにそれが起こったのは日曜日よ。日曜日の朝早くに教師が学校で何してんのよ?私が犬の散歩で学校に行かなきゃ、月曜日までホラー映画だったのよ。」
「それで?その先生はなんて言ったの?君がしがみついた時?」
「何も。なーんにも言わなかった。ただひとこと、帰りなさい。すぐに。って。私はそいつがやったって疑ってるとばれないように従順なフリしてそのまま犬と帰ったわ。次の日の朝には飼育小屋はすっかりきれいになってた。朝礼でもそのことは話題にもならなかった。そんなのおかしいじゃない?友達もどっかに引っ越ししたんじゃない?とか呑気なこと言って。私はバカなフリしてあいつの気を引かないようにしていたわ。だって怖いじゃない。そいつは私だけが目撃者だってことを知ってるわけだから。」
「そうかなー。幻だったんじゃない?ほら、幼児期には見えない物が見えるって言うじゃない。僕だって昔、スズメバチの巣を見つけてパニックになてさ、家に飛んで帰って兄貴に泣きついたことがある。兄貴がその場所に見に行ったらさ、どこにもスズメバチの巣なんてないって言うんだ。恐る恐る僕も見に行ったらさ、本当になんにもないんだ。確かに羽音まで覚えてるんだけど。なんにもない。まあそれ以来ハチは大っ嫌いだけどね。それと同じじゃない?」
「違うのよ。そういうのとはちょっと違うのよ。」
16:45pm
二杯目のコーヒー、皿に残るラズベリーソース
「孔雀だけがね。生きてたのよ」
「なんだって?」
「みんなズタズタに切り裂かれて横たわってたのに、オスの孔雀だけが一羽生きていたの。私が小屋の前で泣いてる間中羽根を広げてあの眼の玉みたいな模様を小刻みに震わせてたわ。それがね、とても怖い音がするのよ。なんとも言えない音よ。聞いてはいけない音のような気がしたわ。」
「へえ?そうなの?どうしてまた犯人は孔雀だけを生かしておいたんだろうね。不思議だね。」
「だから、犯人はあの先生よ。あいつはね、殺せなかったのよ。私にはわかる。あいつはね全部見透かされた気がしたんだわ。羽根を広げて威嚇されて、怖くて逃げ出したんだわ。それだけのことよ。だだのコンプレックスの強い臆病者よ。弱い立場の者にだけ威張ってみせることができるのよ。だから小学校の教師なんてしてたんだわ、きっと。」
「彼らだってただの人間さ。弱いだけ。だからウサギやニワトリを殺していいわけじゃないけどさ。ただ弱いだけなんだよ。きっと」
「そう。人は弱いわ。確かにね。私はその時、少し早すぎる時期にその事に気づいてしまったの。別に殺された哀れなウサギたちに同情してたわけじゃないの。私はね、人間が持つ説明不能な闇の部分を、何の準備もなく見せられたのよ。そのことでそいつに腹をたてているの。なんで今なの?って。私は怖くて、混乱して、しばらくは眠れなかったわ。親に言っても分かってくれないって分かってたし。とにかく、私の少女時代は大人になるのをとにかく今か今かって待つだけだったのよ。誰にも言えずに。」
「そうか。それで?僕にも初めてその話してくれたけど。結婚前にも一度もなかった。その話ができるってことは君は大人になれた証拠なんじゃない?」
「そうね。あるいは、そうかもね。でもね、これも初めて話すんだけど私ね、孔雀のことが今でも忘れられないの。忘れられないっていうか、いつもそのイメージを持ち続けているの。あなたと寝てる時、私いっつも孔雀が羽根を広げてる姿を思い浮かべているのよ。上手くイメージできればできるほど、私は、その、興奮するの。知らなかったでしょう?そういうのがどうして起こるのかは、分からない。ただ、起こるの。」
「…そう、ええと、なんて言ったらいいか。それは、オーガズムを感じるってことかい? 孔雀のイメージで?」
「そう。そういうこと。」
「じゃあ君が毎回:イク時に、君の頭の中では孔雀が羽根を広げて、ブルブルと音を立てているわけ?」
「そう。そういうこと。どうしてかなんて、聞かないでね。」
17:10pm
買い物の袋、レシート、無言、会計。
「あのさ」
「なに?」
「そんなに興奮するなら、孔雀を飼うかい?」
「ばか。」
げんこつで背中を殴る。