AI小説というものに思う
最近、AI産とおぼしき文章が小説投稿サイトに溢れかえっているのをご存じだろうか?
長ったらしい情景の塊。
ピシャリとした擬音まで聴こえる決め台詞。
これらを交互に、メトロノームもかくやというテンポで並べ立てているアレだ。
どうにも特徴を消す手法が探られているようで、このパターンはコロコロと変わるものの、その鼻につくAI臭はどうしても抜けきるものではない。
ただ読書に浸っていたいだけの私の思考を容赦なくヤスリ掛けして来るので、正直やめてもらいたい次第。
……いや、すまない。執筆スタイルは個人の自由だ。
名作を見せてくれるというのなら大いに使ってもらって構わない。
私としても、読むに堪える選別されたものであれば、猫が書こうと犬が書こうと気にはしないんだ。
ただ読者として、
今浮き上がっているAI作品群をあまりよろしく思わないだけであって。
というのも昨今のAIというものは、従来あった条件分岐の連続ではなく、数列に丸めた特徴の演算によって為されている。
この丸めるという工程が曲者で、要は尖った部分を端から捨ててしまっているに他ならない。
だからAIの文章は、均質化されてパンチに欠けたものしか出力されない。
即ちはこういうことだ。
私の理性を、豆腐の角で撲殺しようとして来ない!
私の心の中のから揚げに、勝手にレモン汁をぶっかけて来ない!
まったく私を裏切らない、一貫して予定調和しかない退屈な文章!
もし私がホグワーツの学生であったならこう叫ぶだろう。
……わお、ビンズ教授の授業だ、これ!
※いまいちパッと来ない読者に解説しよう!
ビンズ教授とは、ホグワーツで魔法史を教えているゴーストの先生のこと。
抑揚のない無機質な声で教科書をひたすら読み上げ、その退屈さに授業中起きている生徒の方が珍しいというモブ教師。
正確でありながら均質。逸脱も破綻もしない代わりに、その全てが予測可能。
生きていないところまで含め、驚くほどAIの喩えにぴったりなビンズ教授である。
そしてAIの書く作文は、こうした脱線をすることもなく、まったくもって面白味がない。
だから私は好かないんだ。もっと生の人間が深夜のテンションに明かせて書くような、ルイズに向かっていきなりくんかくんかし始めるような、本物の狂気こそが見たいんだ。
世の中には百合を眺めることでしか摂取できない成分もあるという。
それは見つめ合う床と天井、もしくは生き別れとなってしまった両開きの襖などでも同様の成分を摂れると私はにらんでいるが、その話はまた今度にするとして。
とにかくAIはそうした情緒を一切考慮しない。
プロンプトに込めれば可能……?
出来るというなら是非やってみてほしい。
解説を要しながら、
説明をしない美という極めて繊細な配慮を求められる領域。
このWeb小説という文学の辿り着いた最前線を、
AIごときで踏破できるというのであれば――私がその読者となるのも吝かではない。




