第95話 出撃する駐屯軍
ダラマトナに有る対魔王軍部隊駐屯地。
その日、この場所は喧騒に包まれていた。
「ソラムが落ちたって本当なのかな」
ひそひそと、兵士たちが囁きあう。
「そりゃ当たり前だろ」
話しかけられた男が、呆れたように言う。
「もうこうやって出陣準備まで整ってるのに、何も無かったなんて事有るか?」
そこには、数百名に及ぶ兵士たちが居並んでいた。
隊列を組み、班分けされ、出撃するのを今かと待ちわびていた所だった。
「小競り合いじゃない大攻勢なんて何年ぶりだろうな……」
「12年ぶりだな」
指折り、男はそう数える。
「前回はカストラ国の第96前線区で起きたはずだ。兄貴が出兵していったから良く覚えてる」
「その兄貴は?」
「戻ってこなかったよ」
二人の間に、沈黙の帷が降りる。
気不味い空気が二人の周囲を支配した。
「危険は多いが」
槍をぐっと握り、男は言う。
「だが、良い機会でもある。そりゃ山のように魔族が来るんだろうからさ」
まるで自分に言い聞かせるように、彼は言葉を吐いた。
「生き残れりゃ、金だけじゃなくて永住権も手に入るかもしれねえ」
「永住権か」
その言葉に、話していた当人のみならず、周りの者達の目までもがぎらついたように見えた。
「王国の永住権」
まるで夢見る少女のように、その言葉を彼は口にする。
「俺達だって王国に行けりゃ、きっと楽な生活ができる」
「そうだな」
男の顔が喜悦に歪む。
彼らが感じているのは戦争に向かう恐怖ではない。
自らの望みを果たす為の獲物がやってくるという、暗い喜びだった。
兵士たちの顔を見れば、程度に差は有るものの、殆どの者達が似たような表情を見せていた。
戦意に溢れ、今かと街の外へと出ていくのが待ち切れない表情。
それが誰にも満ちていた。
粗末な槍。薄い革鎧。そして、なけなしの金で買った多目的ゴーグル。後は応急処置の傷薬を入れた、小さな革袋。
そんなものしか持ち合わせていないのに、彼らは自信に満ちていた。
対照的に、不安な顔を見せていたのは騎士達であった。
その兜の下では緊張に顔を強張らせ、まるで何かが張り付き作り物のような表情を浮かび上がらせていた。
『眷属鳥の偵察によると』
聞いた情報を改めて咀嚼するように、その騎士は友に問いかける。
短距離での他愛ない出撃前の会話。
『やはりソラムが陥落したのは事実らしい』
『そのようだな』
そこに、気安い雰囲気は微塵も存在しなかった。
『あの街の先の113区砦は隘路だったはず。迂回されたとも考え辛い』
『だとすれば砦も落ちたのだろうが』
腕を組むと、かちゃり、という僅かな音が現代式甲冑から漏れ出した。
『何故警戒態勢が発令されなかったんだ? まさか電撃戦で落とされたとでも言うのか』
『守将のモンフォール卿は豪傑で知られる騎士だ。そのような事は考え辛いが』
これまで出てきた情報は、全て騎士達の不安を煽るようなものしか無かった。
何故か届かなかった砦からの急報。
銀蝗という最悪な魔族によるソラムの崩壊。
そして、眷属鳥の偵察で確認された、魔族の大部隊。
楽観視できる要素は一つも無かった。
この出陣にしても、あまりにも動きが早かった。
一秒でも無駄に出来ぬとばかりの電光石火。
彼らも出撃命令が下されて僅か数時間もしない間に、こうして馬に乗っている。
『敵は今の所ソラムをゆっくり通過中らしい』
『瓦礫になった街でも物色してるのか?』
『血を求めて生き残りでも探してるのかもな』
騎士がちらりと後ろを見る。
兜のバイザー越しに見えるのは、ざわざわと興奮した様子の兵たち。
一様に落ち着き無く、まるで戦争を待ちわびるかのような様子だった。
『いい気なもんだ』
彼が危機感の無い衛星国人達を見下ろす目は、どこまでも冷たかった。
『生きて帰れると思ってるのか、あいつらは』
『知らないというのは幸せな事だと痛感するよ』
隣の友が、肩を竦めるのを彼は見た。
『あのような粗末な武装。そして魔導式も無しにどうやって生き残るつもりなのだろうな』
きっとはぐれを相手にするような心地なのだろうな、と騎士は想像する。
一体二体が散発的にやってきてそれを叩き潰すのと、大群が襲ってくるのでは、根本的に圧が違う。
こちらが連携するのと同じように、相手も連携してくる。
複数の魔族が一個のチームとしてこちらの命を奪おうと襲ってくるのだ。
その恐ろしさは、単体で戦う時とはものが違う。
それを、支給された槍となめしただけの革鎧でどのように凌ぐと言うのか。
最早狩るどころではない。狩られるのはこちら側だろうと、騎士は良く理解していた。
容易に対処できる相手ならそもそも人類は劣勢になってはいないだろうに、と。
騎士は無学な衛星国人を憐れんだ。
『そういえば、聞いてるか』
不意に、友がそう言ってくる。
『祈祷所がやられたという話』
『ああ』
昨日未明、祈祷所が襲われそこの人員が全滅したという話は駐屯軍にも届いていた。
あまりにもタイミングが良すぎる、神の家の虐殺劇。
この所起こっていた魔族の侵入とも合わせ、余りにもきな臭い出来事だった。
『これでもう、俺達は迂闊に大怪我もできないってわけだ』
自嘲気味に、友は語る。
『これが敵の策略であれば、本当に痛い所を突いてきた』
祈りで神の恩寵を得られなければ、重傷から復活してすぐに戦場に立つ事は叶わなくなる。
光の神の加護を賜る事は闇の軍勢と戦う上で必須であり、そこを掣肘してくるのは何よりも嫌らしい工作のように思われた。
『だが本当に敵の攻撃なのか、これは』
しかし騎士は疑問に思う。
不自然ではないかと。
『何故そう思う?』
『だってソラムはわざわざ壊滅させたのに、ダラマトナだけこのように回りくどい真似をする意味が有るのか? こちらも銀蝗を向かわせれば、それで事足りるじゃないか』
彼にはそのように感じられてならなかった。
簡単に街一つ潰す手段が有るのに、何故こちらはそうしない?と。
そこがどうにも引っかかっていた。
『お前は魔王戦史に疎いようだな』
友の言葉には、苦笑が含まれていた。
『歴史を紐解けば、魔族の軍勢が不可解な動きをする事は良く有る。わざとこちらの戦力を集結させたり、少数戦力を逐次投入して各個撃破されるような動きを見せたりな』
『そうなのか?』
『ああ。あいつらに人間の戦の常識は通用しない。だから、どんな動きをしてもおかしくないんだ』
そういうものか、と騎士は唸る。
となると今回もその一貫という事なのだろうか。
『もしかしてダラマトナ駐屯軍と戦うのが本命だったとかか?』
『理由が分からないが、有り得ないと言えないのが怖いな』
だとしたら、何を考えてそういう選択をしたのかがまったく理解できない。
騎士は改めて魔族というものの不可解性を目の当たりにしたような気がした。
『まあなんであろうと、俺達が止めるしかない』
光の神の使徒として、これ以上闇の眷属が地上を跋扈するのを許してはおけない。
そして栄光有る王国を守る為、彼らは改めて自らの信仰と忠誠心を熱く奮い立たせた。
頭の上には、照り輝く太陽が有った。
それは出陣前の兵たちを神が祝福しているように、その場に居る者には感じられた。
昼を回った頃。
ダラマトナ駐屯軍は、街を出立する。
規律良く街の大通りを行進し門から出ていく彼らを、街の人々が見送っていた。
「かっこいー!」
鈍く光る鎧姿の男たちを見て、子供たちがはしゃぐ。
これほどまでの騎士が並んで歩く様を見る事はまず無い。
その勇壮な光景に、幼い彼らはただ単純に胸を高鳴らせていた。
「魔族なんかやっつけちゃえ!」
無垢な声援に、彼らも気をよくしたのか。
普段無愛想な彼らも軽くポーズをつけたりして、それに答えていた。
そしてそれを見てさらに子供たちはキャッキャと騒ぐという、そんな循環が出来上がっていた。
対照的に、居並ぶ大人たちの顔には不安が浮かんでいた。
「まるで逃げ出すみたいな早さで出撃しとる」
道端で行進を眺める中年の男が、不安げに呟く。
「知らせが有ったのが朝だぞ。それで昼にもう出るて」
別の場所では、壮年の夫婦が肩を寄せ合いながら、その行列を見守っていた。
「このダラマトナは、大丈夫なんだよね?」
不安そうな妻を、夫の腕が力強く抱きとめる。
「軍隊は強い。きっと大丈夫だ。街を守ってくれる」
だがそう言う本人の目は、不安に震えていた。
数百の兵が総出で戦いに赴くというのに、何も安心できなかった。
そして、物陰では。
「へーなかなか壮観ですねー」
ほーと感心したようなニノンの姿が有った。
がじがじ干し肉を齧りながら、その行進を眺めていた。
「体裁は整っているようだ」
その隣には、未来。
彼女もまるで姿を隠すように物陰から通りを覗いている。
「こんなに兵隊さんが歩いてるの見るの、トトは初めてですよ」
そして二人の間では、やや興奮気味のトトが居た。
「さっきまではあんなに不安そうにしてたのに」
ニノンは少し前の光景を思い出す。
そろそろ出陣という情報を掴んだ三人は、どうせなら見てみようと大通りに来て。
その時、トトは不安げにオロオロした姿を晒していたと。
「お子様は単純ですねえ」
トトに送られる、生暖かい視線。
それを鋭敏に感じ取ったのか、トトがふぎゃー!とニノンを威嚇する。
「いいじゃねえですか、こんなの滅多に見られないんだから! そうやって冷めてばかりいるのは心が貧しいからじゃないですか? 感性ババアですか?」
「バッ……ババア!?」
その言葉に、ニノンの目が見開かれた。
「それは言っちゃなんねえだろえーっ! 禁止ワードだろうが女にはよ!」
「ババアニノン。ニノンババア。意外と語呂が良いな」
「未来さん!?」
思わぬ裏切りアシストに、ニノンの心は多大なダメージを受けた。
「まあ気にするな」
未来がニノンの肩にぽんと手を置く。
「誰だって最後は歳を取る。私も君もあと50年もすればババアさ」
「でも今はババアじゃないですよね!?」
ニノンは激怒した。
超絶お嬢様系美少女を自認する彼女に、その単語は耐えられなかった。
「私にババア要素なんか欠片もねえですよ! 心だって若々しいフレッシュな魔法使いですよ!」
「だが私の世界だと、男にはババア口調の美少女が人気だったりしたぞ」
「わけ分かんねえな異世界!? 性癖曲がりすぎだろ!?」
「ババア言ったトトが悪かったですから、少しあっちを見たほうがいいんじゃないですか?」
通りでは、隊列が通り過ぎ門から出ようとしている所だった。
「人数はざっと……500人くらいか?」
ふむ、と未来は腕を組む。
「これは多いのか、少ないのか」
「多くは無いですね」
ニノンは断言する。
「ここに居たのはあくまで前線との交代要員。予備兵力であり、本来矢面に立つ事は想定されていない連中です。正直魔族の軍勢を迎え撃つには心許ない数でしょう」
「つまりやべーって事ですか?」
あわわ、とトトは顔を青くし、わたわたと落ち着き無く尻尾を振り回す。
「まあ、やべーですよ」
ニノンの視線の先には、進軍する隊列の最後尾が有った。
整然と進んでいく彼らを、厳しい目で見つめている。
「さっきも言いましたけど、相手が消耗してくれてるのを祈るしかないですね。もし万全だったら」
そこで一旦言葉を区切り。
「勝負にならないんじゃないですかね、正直」
そう、魔法使いは断言した。
「となるとこちらは、やはり最悪をメインプランとして想定しておくべきかな?」
最悪のケース。
つまり、街からの退去。
その可能性が、最も高くなってきた。
「はっきり言ってその可能性は高いと私は思いますね。トトさんには悪いですけど」
「まあしゃーねーですよ」
トトは諦めのついた表情で、やれやれと首を振った。
「衛星国に住む以上、こういう日が来るかもしれないとは思ってたです。まさかこんな早いなんて想像もしてなかったですけど」
衛星国は王国の盾でしかない。
それは誰もが言わずとも理解していた社会通念だった。
その盾が遂に使われる時が来た。
ただそれだけの話だった。
「まあ、悲観する事も無いですよ」
暗くなった雰囲気を払拭するように。
ニノンが、殊更明るく言った。
「もしかしたらあいつらが蹴散らして戻って来るかもしれないですからね。高い金ぶんどってんですから、その分働いて貰わんと困るでしょ、ここは」
「それもそうですね」
それは望み薄だと判っていても。
願望を口にするだけであれば、自由だった。




