第6話 配膳と屈辱
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学校の教室よりやや大きいだろうか。
ある意味自分たちには馴染みがある程度の大きさの空間が、この砦の大食堂だった。
空が完全に明るくなってきた頃、彼らはそこに集まってくる。
早朝の訓練を終えて。数少ない楽しみの為に、足早に駆け込んでくるのだ。
ざわざわという喧騒が扉越しに厨房にまで聞こえてくると、そろそろだな、という感覚を南那は覚える。
いよいよだ、という気持ちと、嫌だなあ、という気持ちがないまぜになり自然と憂鬱な気分へと陥っていった。
厨房中央の大机には、出来上がった料理がこれでもかと準備されている。
鼻腔をくすぐり空腹へと訴えかけるようなその匂いは、しかし自分たちの為のものではない虚しさも孕んでいる。
「さあ、行くぞ」
ひときわ恰幅の良い壮年の男性、この厨房の主である彼の声が広い部屋に木霊する。
彼は料理する手を止めずに、号令をかける
「暫くは戦争だ。気合入れろ!」
大食堂に足を踏み入れると、彼女はそれを意識せずにはいられない。
――格差というものだ。
与えられた恩寵の差による待遇の違い。
それが端的に、否応なく現れているのがこの食事の場なのだ。
向こうで琉覇が、巨大な鍋を抱えて歩く。
ひときわ大きいそれを持てるのは、五人の中では彼しか居ない。
ワゴンは数が限られており、全員が使える状況では無い。
それらを南那達女子に譲った彼は、鍋を直接運ぶ嵌めになっていたのだった。
最も当の本人は特に苦も無く当然のようにそれを行っているように見えた。
鍛え抜かれ幾重もの太い筋肉が骨に絡みついた重厚な琉覇の肉体は、それに相応しい剛力ぶりを発揮しているようだった。
散歩でもするように胸前に鍋を抱え、彼は壁際のそこに向かっていく。
食堂の壁際、入口より最も遠く。
そこはテーブルですらない。
おそらく兵士たちが持ち物を一時的に置く棚だったのだろう。
細長く壁に横付けされるように備え付けられたその場所には、幾人かの少年少女達――埃にまみれ、ボロボロな様子の――が目をぎらつかせて棚にもたれるようにして立っていた。 その視線は、琉覇の持つ鍋に釘付けになっているのは誰の目にも明らかだった。
「おらよ、飯だ」
どん、と琉覇が棚に鍋を置く。
「飯」「飯だ!」
間髪入れず、鍋に群がる姿が遠目からも見える。
我先にと、餓鬼が如く、鍋の中を我が物にしようと押しのけ合っている。
――【補助組】、6名。
直接魔族を倒す力はないが、戦闘のサポートには使えると判断された者たち。
それが、自分たち保護組よりはマシと言われる彼らのポジションだった。
彼らは明らかに期待されていない。
居る限り何かの役に立てば儲けもの、その程度の認識。
配膳係として過ごしたこの一週間で、残酷な扱いの差は嫌というほど理解できた。
まるで非人道的な、奴隷のような扱い。本当にこれが自分たちよりマシなのかと、南那は常々疑問を感じる。
少なくとも自分だったらこんな扱い、我慢できない。
逃げ出してしまいたくなるだろう。
かと言って逃げる事もできない。
こんな異世界の知らない場所から、何処へ逃げろと言うのか。
結局「勇者」などという甘言のみを心の支えにし、そしてただ三食の食事を楽しみに日々を生き延びるしかない。
そんな、目を覆いたくなるような補助組の面々は――
「どけ! これは俺のスープだ! お前らは残りでも食っとけ!」
「ふざけんなテメエ! どんだけ食う気だ!」
「私の分が少ないじゃないの! 女なんだから気を遣おうって思わないの!」
一杯の鍋を、罵りあいながら6人の男女が奪い合っていた。
あまりにも醜い姿だった。
具の少ない粗末なスープ。
出がらしのようなそれを、全員が悪鬼のような形相で手に入れようとしていた。
手に持ったぼろぼろの欠けた木碗で直にそれを掬おうと、競うように鍋に手を突っ込む。
6人は互いを大声で牽制し、威嚇し、自分だけがなるべく多くそれを取れるよう浅ましい姿を晒していた。
それでも手が出る事は無い。
暴力沙汰を起こしたら、騎士――召喚された時、自分たちを囲んでいた鎧姿の者たち――により即座に拘束され、独房行きになると、南那も知っていた。
そこで勇者に相応しくあれと「反省」を強要されるらしい。
らしい、というのは受けた当人が口を噤み何も話さないからだ。
だが、その様子から碌でもない状況だったのは嫌でも察せられた。
現に今も食堂の隅で彼らは学生達の様子に目を光らせているのが見て取れた。
屋内でも外さぬ鋼鉄の兜から彼らの感情はうかがい知る事ができず、それがより一層不気味さを際立たせていた。
煌めく鋼鉄の鎧と美しい光沢で輝き光る手甲、そして腰に下げられた華美な装飾を持つ剣が物言わぬ威圧感を演出していた。
彼らの目にこの異界人の醜態はどのように映っているのだろうか。蔑みだろうか。それとも哀れみだろうか。南那にはわからなかった。
だがそんな彼らの影響で、食堂はやかましくも暴力は無い空間になっていた。
南那にはそれがちょっとだけありがたかった。
そんな喧騒から目を逸らすように、南那はワゴンを押して進む。向こう側では同じように麻美がワゴンを押していた。彼女らはこれから次なる集団に食事を配膳しようとしているのだ。
――【戦闘組】、20名。
この組は戦闘する事が可能と見倣された恩寵を持つもの達のグループで、召喚集団の多数派でもある。
魔族に打撃を与え得ると期待される、おそらく兵士に相当するだろうポジションなのかな、と南那は予想していた。
彼らもまた補助組がそうだったように、厳しい朝の鍛錬を終えた後で激しい疲労を覚えているようだった。
だが彼らと違うのは、体を休める椅子を与えられている事だろうか。大食堂の中央に並べられた食用の大きな机、そしてその脇に置かれた長椅子に彼らは座る事を許されているのだから。
誰もがくたびれた様子で椅子の前に座り、配膳を待っていた。
そんな戦闘組に配られるのは、補助組よりは格段にましだった。
固いパンと肉の燻製、そして野菜を煮込んだスープ。
現代日本ではあまりお目にかかれないカッチカチの黒パンに、塩胡椒で味付けされた燻製肉。
そして謎の野菜がそれなりに入った塩スープ。
それらがきちんと腹が膨れる分量配膳される為、補助組に比べれば遥かにまともな待遇に見えた。
そんな戦闘組が座る二つのテーブルの内、南那は片方を担当していた。
がらがらと食事が乗ったワゴンを押して、彼らに食事を配膳していく。木製の皿に丁寧にパンと肉を添え、やはり木製のスープボウルに温かな野菜スープを満たしていく。
ここ一週間程もやってきた作業の為、大分慣れてはきている。
だがそれでもまだ手際よく、とはいかない。
南那も必死に頑張ってはいるが、どうしてももたつき、時間がかかってしまっていた。
「チッ」
いつもの通り、舌打ちが聞こえる。
戦闘組は全員の配膳が終わるまで食事する事はできない。
恥をかなぐり捨てる程追い詰められている補助組とは違って、戦闘組にはまだ待つだけの余裕が有った。
そして不満を持てるだけのゆとりも。
起床より激しい鍛錬を強要された若い肉体は激しく栄養を欲しているのは目に見えていた。
一秒でも早く、飢えた体を満たしたい。
そんな彼らから見て、何もしていないと思われている保護組に不平不満が向くのは当然の流れだった。
「遅いんだよ無能組が……」
その言葉に胸が一瞬締め付けられる。だがそれを押し殺し、南那は配膳作業を続けた。
無能組。
それが戦闘不能と断じられた保護組への他の組からの認識だった。
戦闘の役にも立たない無能者。
それでいて苦しい訓練を課される事もなく、単なるお手伝いで許される恵まれた者たち。
客観的に見ても、自分達保護組の五人が他の組から好感を持たれる要素は見当たらなかった。
明確な侮蔑の視線を受けながら、南那は無心で配膳を続ける。
どんなに蔑まれようと、せいぜい陰口を叩かれるだけで済んでいるのは運が良かったな、と彼女は思う。
まああんだけ訓練で疲れた後に暴れまわる余裕なんて無いんだろうけど、とも。
冷ややかな視線に耐え忍び、戦闘組への配膳を終える。
これで終わった――とは言えない。
むしろ次が本番だ。
南那は厨房へと届く扉と正反対、丁度向かい側へと目を向ける。
そこには豪奢な扉が一つ。
おそらく、貴人の為の個室だろうそこは、今や選ばれし者達の特別な場所となっていた。
南那は一度厨房に戻り、カートへ新たな食事を乗せる。
それは今まで補助組は戦闘組へと配膳していたものとはまったく違う、贅を凝らした――元の世界でも通用するような――豪勢な料理の数々だった。
早朝からの苦労の多くは、この料理を作る為に費やされていた。
召喚された35名の内たった4名、その食欲を満たす為に、自分たちを含めた少なくない人間が朝っぱら早くから苦労する羽目になっている。
頭の痛い話だよね、と南那は嘆息した。
ゆっくりとカートを押して食堂を横切る。
並べられた料理の数々に、周りの視線が集中する。
食欲という本能に根差したぎらつく輝きに、南那はいつもの事ながら不快感を覚えた。
先程の侮蔑の視線や言葉より、こちらの方がずっときつい。
より純粋な欲望が剥き出しで、まるで物理的な圧力を伴うかのようにねっとりと纏わりつくような錯覚を覚える。
本当に、気持ち悪い。
自然と足早になりながら、目的の場所へとたどり着く。
装飾された扉の前に立ち、深呼吸を一つ。心を落ち着けてから、ノックをして扉を開ける。
「失礼します……」
入室した途端に感じるのは、アルコールの匂い。つまり、いつもの事だ。
「おせえぞ無能!」
あからさまな侮蔑がこもった言葉。
それを発したのは眼の前の男。立派なソファに身を沈め、酒を煽るのは――かつて恩寵を一番最初に披露した男、中島健人だった。
その脇には煽情的な肌が透ける薄い衣で身を隠した女性が二人。
この世界の住人であろう彼女たちを左右に侍らせ、ご満悦な表情でその感触を楽しんでいるのが見える。
脇を見れば、似たようなお楽しみに耽っている少年が三人。
健人を含めたこの四人が、最上位の恩寵を持つもの――【特別組】と呼ばれていた。
他の者とは一線を画す、非常に強力で魔族どころか大魔将とも戦い得ると考えられている、最高峰の戦力。
期待された、本当の戦力。
だからこそ待遇もまったく違う。
――彼らこそが、望まれていた勇者そのものなのだ。
健人の側には未来が控えていた。
未来はこの少年の持つグラスに、程よいタイミングでワインを注いでいるように見えた。
基本的に、特別組への応対は未来が行う事になっていた。
これは未来のお嬢様然とした雰囲気が特別組に気に入られた事、そして。
「無作法者への対応は、慣れたものだからね」
こういう輩は何人も見てきたからね、と。
未来自身も特別組の介護係つもりだった、と言っていた。
だから南那達もそれに甘える事としたのだ。
未来はニコニコとした笑みを崩さず、それでいて目立たないように彼らに侍っている。
良くこんな連中とずっと居られるものだ、と南那は素直に感心した。
自分だったら絶対無理だろう。
健人を始め、まだ幼さも残る顔つきの四人が増上慢丸出しの顔つきで接してくる。
正直これが学校だったら絶対お近づきになりたくないタイプだ。
そんな本音を隠しつつ、表向きにこやかな顔で南那は料理を眼の前のテーブルに並べていく。
戦闘組の貧しい食事とは別物の、本格的な料理の数々。
肉も魚も果物も、何もかもがよりどりみどり。それらが所狭しと並べられている。
「さあ、どうぞ勇者様」
傍らの女たちが、特別組の連中へ、料理を食べさせているのが見える。
彼ら自身は何もしない。
だらしなく口を開けて、料理が転がり込んでくるのをただ待っていた。
まるで餌付けされる雛みたいに、馬鹿面晒して口を開けていた。
人はたった一週間でここまで変わるのか、と南那は目眩を覚えた。
一週間前、召喚された直後。
その時の彼は――まあ良く人となりを知るわけでは無いが――恩寵を披露した段階では、生意気な少年という雰囲気だったと思う。
それが今や傲慢さを隠そうともしない。
自分たちは明確に上位の存在だと、そういう奢りが全身から滲み出ていた。
最早何を取り繕うこともしない。
大口をあけぐちゃぐちゃと音を立てながらステーキを頬張る健人の姿を見て、醜さを覚えるなというのは無理な話だっただろう。
次々と料理を食い散らかす彼らから逃げるように、そっと目を伏せた。
あまりにも、醜い。
彼らはここに来て人知を超えた力を与えられたかもしれない。
その代わり、何か大切なものをかなぐり捨てたのではないか。そう思えてならなかった。
ガシャン!
唐突に響く、皿の割れる音。
――ああ、またか。
南那は諦観のまま、首を動かす。
音のした方を向くと、そこには魚のムニエルが皿ごと床に投げ捨てられていた。
床に散らばったソースから高価な香辛料の甘く鋭い香りが立ち上っている。
補助組が血眼で奪い合っている出がらしのスープには欠片も入っていない、文明の匂い。それが無残に床の汚れと混ざり合っていく光景は、南那の胃を直接掴まれるような不快感を与えた。
「不味いんだよこれ」
不機嫌な事を隠そうともせず、健人は吐き捨てる。
「俺は――勇者だぞ。世界を救う男なんだぞ。俺の気に入る料理くらい出せよ!」
気に入らない料理があれば投げ捨て、癇癪を起こす。
これもまた彼ら勇者様の日課だった。
何皿もの料理が投げ捨てられ、床に散らばるのは最早この部屋の風物詩となっていた。
南那は知っている。この食べられる事の無い料理を作る為に、何人もの人が必死に調理をしていた事を。
このような我儘に答える為に苦労を重ねている事も。それが堪らなく辛かった。
「喰いたきゃ喰えよ、ごちそうだぞ」
あざけるように向けられた言葉が自分へのものだと、南那は理解していた。
「這いつくばって、床を舐めながら喰えるならな」
ハハハ、と彼は笑う。
「無能は無能らしく、犬を見習ってみろよ!」
彼らは最早、こちらを人として扱ってすらいない。
チュニックの端をぎゅっと握りしめて、南那は耐えた。
そんな様子に、健人はイラつきを隠せない様子でチッチッと口を鳴らす。
「舐めやがって、クソが」
隣の女を突き飛ばし、前のめりになりながら悪態をつく。
目に入った皿を掴むと、苛立ちを隠せない様子で壁に向かって叩きつけた。
再び食器の割れる音が部屋に鳴り響く。
「こいつだってそうだ。何度言っても碌な料理が出てこねえ。俺はお前らに舐められてんのか?」
言葉を重ねる毎、健人の怒りは増幅していくようだった。
「俺様のご機嫌を伺う立場だろうが……お前らはよ! 努力が足りねえんだよ努力が!」
激昂して立ち上がろうとする健人の肩に、すっと手が添えられる。
「まあまあ、落ち着いてください」
手の主――未来は、宥めるようにワインを注ぐ。
「これでお口直しでも」
変わらずにこにこと笑う未来の顔をまじまじと見つめ、健人はなにか釈然としないながらも、また体を落ち着けてワインを煽り始める。
未来がこうやって彼らを宥めるのはこの一週間でも何度か見てきた。
おそらく未来が居なければ暴発した彼らは厨房に殴り込んでいただろう。
――本当にありがとう、未来さん。助かってます!
心の中で南那はガッツポーズをする。
それを知ってか知らずか、未来は南那にも笑いかける。
それはちょっとだけ、悪戯っぽい笑みだった。




