第5話 異郷の生活
南那達保護組の朝は早い。
「やばっ、起きないと」
夜闇が白んで朝の気配が見え隠れする頃、彼女たちは起床する。
独房にも近い小さな個室で、彼女は目覚める。
そこには美しい白亜の大理石の壁面とは対照的な粗末なベッドが有るのみ。
壁面には空気穴を兼ねた、なんとか窓と呼ぶ事が許されるだろう四角穴が開いている。
さらに唯一外の様子を伺う事のできるそこには鉄格子が嵌められており、眺める事でより陰鬱な気分を増すのに一役買っている。
それでも、眺めずにはいられない。
室内から空を仰げるという、この部屋では数少ない貴重な娯楽源に代わりは無いからだ。
これどう考えても囚人用の独房だよね……?
南那はどうしてもそう考えざるを得ない。
一応一日二食出て寝る所も有る。少なくとも砦側の人間には粗雑に扱われる事はない。
最低限の面倒はちゃんと見てくれる気は有るのだろう。
だが、この居住場所だけは悪意を感じずにはいられなかった。
良く言えばプライバシーを守られている。
悪く言えば、分断されている。
隣の気配すらまったく感じられない程の分厚い壁で仕切られたこの部屋に各々が隔離されたのは、何らか意図が有るのは明白だろう。
だが南那にはそれが何なのかさっぱり理解できなかった。
どうしても過ぎってしまう碌でもない思考を振り払い、体を起こす。
まだ動きの鈍い自身の怠惰な体を叱咤しつつ動かすと、南那はベッドの脇の壁に自身の能力で線を一本入れる。
壁に刻まれたそれは、簡易的なカレンダーだ。
映画で光も届かない場所に閉じ込められた主人公が、今日は何日目だったか数える為に入れるように。
彼女もまた自らの意思に反して連れてこられたこの世界で過ごした日数をこの美しい壁に刻みつけていたのだ。
その行為に意味が有るわけでは無い。だけど、やらずにはいられない。
朝のルーティーンを終えてのそりとベッドから這い出ると、入口ドア近くの壁面に刻印された幾何学的な魔法陣らしきものに触る。
そうすると魔導具とやらで部屋に光が灯るようになっているのだ。
元世界の小さい電球程度の光量しか無いが、有るだけマシだ。
それに煤の出るランプに比べたら遥かに恵まれている。
僅かな光の下、簡素では有るが清潔な支給された衣服――染料も使われていない、生成りの麻布で作られたチュニック――を身に着け、整える。
元々着用していた制服は大事に折りたたまれベッドの下へと収納してあった。
もう一度袖を通す事になるかどうかは分からないが、破らないよう丁寧に扱おうと決めていた。
この制服の存在が、元は自分が別の世界の人間だったと証明してくれる唯一の物証に思えたからだ。
薄闇の中、向かったのは居住棟の外れにある水場だ。
驚いた事に水道のような設備がこの砦には存在していた。
その為、水の使用は制限されていない。南那はここで寝起きに顔を洗うのが日課になっていた。
「あ、おはよー南那。今日も寒いねー」
「うん、おはよう麻美ちゃん」
水場に行くと、麻美が既に顔を洗っている最中だった。
つべたっ!と呟きながら、冷水で顔を引き締めている。
「どうせならお湯も使えるようになってればよかったのにねえ」
思わず愚痴る麻美に、南那も心の中で同意した。
この砦――サン=ヴォワイエ砦と言うらしい――はどうやら結構お高い場所に建てられているとの事だった。
高地である為些か冷える場所らしい。
このような立地で冷水しか使えないというのは、若干酷な話だった。
「厨房にはお湯が沸かせる魔道具も有るけど……」
「こんな事には使わせてくれないだろうねー。一応お金かかるらしいし」
ここで生活すると、元の自分たちが本当に恵まれた環境で生きていた事が理解できる。
現代文明の有り難さを南那は感じずにはいられなかった。
ここに来てから既に一週間。郷愁は日々強まるばかりだった。
最低限身綺麗にして厨房へと向かう。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。じゃあいつも通り頼むよ」
厨房は、この砦でも一番と言って良いほど開けた場所だった。
見上げる程に高い天井の中央には大きな木机が置かれ、様々な食材が並んでいる。その広さもちょっとしたホール程有り、開放感を感じさせる。
が、その壁には竈が並んでおり大量の煤を吐き出しており、その空間を薄黒く彩ろうと画策していた。
開放的な空間と薄暗さがそこには同居していた。
周りでは恰幅の良い中年が中心となった数人が既に仕込みを開始していた。
忙しく動き回る彼らは近くの街や村からこの砦に雇われて来た人たちだそうだ。
南那達保護組にとっては、同郷人以上に近しい同僚だ。
部屋の端に有る水場には、既に先客が居た。
「やあ、おはよう。今日も良い朝だ」
そこには、既に作業を開始している未来の姿が有った。
南那は彼女が自分達より遅く起きてくる所を一度も見た事が無い。
自分たちが到着すると必ず先に来ていて、仕事に取り掛かっている。
とてつもない早起きだな、と南那には驚きしかない。
自分は朝起きるのがあんなに辛いのに。
「天音寺さんって物凄い早起きだよね」
「わたしなんかきっついけどねーこんな時間に起きるの」
どうやら麻美も自分と似たようなものらしい。
その事にちょっぴり安堵する。
三年生にもなると大人だから違うのかなあ、と一年生二人は噂しあう。
まだ高校に上がったばかりな自分と麻美の二人からすれば、高校三年生というのは十分に大人に見えた。
十代の少年少女にとって二年という格差は、社会に出た大人たちでは理解しがたい程に重い。学年の差は絶対的な格差であり、憧れでもあった。
「じゃあ、後は任せるよ」
未来から引き継いで、二人は食材を洗う。
自分たちが知っている野菜とは微妙に違う形のそれ――複数に枝分かれしている人参や、何故か丸いボール状のキャベツらしき葉物――の泥を丁寧に落としていく。
冷たい水にずっと浸かっていると手がかじかむが、手を休める暇は無い。
なにせ数十人分の食事をこれから用意しなければならないのだから。
隣では未来が、洗った野菜の皮剥きをしている。
彼女がこの仕事をしているのは、ひとえに一番皮剥きが上手いからだ。
正確に言うなら、自分たち二人組には上手くできないからだったりする。
高校一年生、女子。自慢ではないが、まだ家事手伝いはしていない。
わけの分からない野菜一つ、その皮を剥くのに四苦八苦しなければならない。
必然的に、それは出来る人間――即ち未来にやって貰う事となっていた。
「個人的にはきつい仕事を押し付けているようで心苦しいのだがね」
そう言いながら、未来は器用に皮を剥いていく。
あらゆる形の変な野菜を器用にするすると淀み無く。
それはまるでプロの料理人のように手際よく見えた。
食材を切る時もそうだ。まるで測ったように均質に、整った状態に切り上げる。
その手際の美しさには、思わず息を呑みそうになる。
こういう作業が非常にさまになる人だ、と南那は感じた。
「こうして楽ばかりさせて貰って申し訳ない」
「いえ、むしろ私たち不器用ですいません……」
前に料理が得意なんですか?と聞いた事が有ったが、未来は「まあ人並みだよ」と返って来ただけだった。
どう見ても人並みで済むレベルじゃない。
この女の先輩が通う玻璃ノ宮女学院というのは、所謂お嬢様学校と呼ばれる有名校だと世間では称されている。
そういう所だとなんでも完璧に仕込まれるんだろうなあ、という事で納得しておいた。
「すまん、裏から芋を取ってきてくれ! 足りなくなった!」
丁度一区切りついた頃合いに、壮年の男性からこちらに声がかかる。
「わかりました、行ってきます」
厨房の外へと繋がるドアを開けると、冷たい風が少し吹き込んできた。
それに身を縮こませると南那と麻美は外に出る。
食料庫は厨房のすぐ隣に併設されているが、別棟となっていた。
その為運ぶのに少々手間がかかる。
まるで戦場かと見紛う程に忙しい朝餉の支度中、そういう雑務が出来るのは、所謂役立たずな自分たちくらいだった。
外に出ると、コーン、という乾いた音が定期的に鳴り響いている。
音を立てている主は、琉覇だった。
彼は丁度手斧を持ち、厨房の脇でひたすらに薪を割り続けているところだった。
「南那と麻美か。力仕事か? 手伝うぜ」
ま、入口ンとこまでですけど、と琉覇は笑った。
隣では割った薪を室内へと運び続ける帆の姿が有った。
ぜえぜえと息を切らせ、少しはこんではどすんと薪を起き……そして暫くしてまた薪を抱えて進む。
あまり上手とは言えない格好で這いずる姿に彼女らは若干の哀れみを覚えた。
どう見ても陰キャ丸出しインドア派の帆は、見るからに肉体労働が得意ではなさそうだった。
そんな彼が行うには、これはあまりにも重労働だと考えなくても分かる。
「……まあ、最初の頃に比べたら大分マシになったよ、あいつも」
南那達の視線を察したのだろう。琉覇が続ける。
「初日なんかあからさまにキツそうだったからな……。かと言って、サボらせるわにもいかねェ。使えないと見られたら、どういう扱いになる解ったモンじゃないからな」
どうしたもんかねェ、と腕を組みながら唸る。
「もうちょっと楽にさせられる仕事が有りゃいいんだが、ぶっちゃけこいつが一番楽だろうからな。慣れて貰うしかねえよ」
三人を尻目に帆は黙々と薪を運び続ける。彼にはまだ若干壁があるように南那は感じた。
あの初めての日、どうしようもない「隠し芸大会」。
確かにあの一連の行為には意味が有った。
どうしようもない落ちこぼれ同士という共通認識が、奇妙な連帯感――ある種の共感を生んだのだ。
ともかく、あれが切欠で自分たちは憚り無く付き合えるようになった。
しかしその中でも、旦尾帆という少年は少し他人と距離を置くような態度を続けていた。元から人付き合いが得意でないタイプなんだろうという事はすぐに察する事ができた。
故に、無理に距離を詰めるような事も、自分を含めた四人は避けている状況だった。
今の環境で人間関係の不和を生むのは不味い。
その事は痛感していたからだ。
「……ま、とりあえず手伝うよ。倉庫だろ? 何持ってくればいいんだい」
「えっと、芋が足りないって」
「わかった、待ってな」
そう言って琉覇は食料庫に入ると、すぐに大きな木箱を抱えて戻ってきた。
隣で薪を運ぶ帆とは対照的に軽々と、むしろ楽しそうにそれを運んできた琉覇は入口近くにそれを置いた。
「よし、じゃあ後は持っていきな」
「ありがとう、四十八願さん」
中まで持っていかないのは、彼の気遣いだと理解していた。帆を手伝わないのもそうだ。きっと彼はこの状況を良く理解しているんだろう。
役立たずな所を見せるのはヤバいと――おそらく誰より理解している
だから点数を稼がせているのだ、皆に。
使える奴だと砦の連中にに思わせる為に。
第一印象とは裏腹に、結構気遣いができる人なんだな、と南那は気付いた。
甘やかすだけではない、自己満足に終わらない、厳しさも伴う優しさ。
そういうちょっと不器用な優しさが、この先輩には有るなと、そう感じられた。
そこに南那は一抹の安心を覚えるのだった。
五人で助け合うしかない状況の中、信用できそうな相手が居るのは本当に心強かった。
置かれた木箱を二人で持ち上げる。
ぐんっ、と腕にかかる荷重が、女の細腕を引き伸ばす。
手袋一つ無い手に、これは本当にキツい。
「重っ……」
何度持っても、重いものは重い。
何十キロあるんだろう、この箱。こんな重いものは元の世界では持ち運びした事は無かった。
それでも、歯を食いしばって持ち上げる。
琉覇の好意を無駄にするわけにはいかない。
向かいの麻美も、とても女の子がしていいような表情を見せながら頑張っている。
指に木箱が食い込む感触を必死に耐えながら、この後に思いを馳せる。
確かに今やってる仕事は肉体的にキツい。だが本当にキツいのはこの先だからだ。
――配膳作業。
一見なんて事の無い軽作業が、一日の労働の中で一番辛い作業になるとは、南那も最初は考えてもいなかった。




