第29話 羊頭狗肉
フレデリック・ド・カスタルノーは椅子に深くもたれかかりながら目を瞑る。
今回の召喚は大赤字と言っていいものだった。
今までの計画に無い大量のリソースを注ぎ込んだ大召喚――だったはずなのだ。
それが蓋を開ければこれまでで最小の成果。
彼女が所属する救世会も納得しないのは明白であった。
次は外されるだろうな、と冷静さと諦観を持ち合わせてフレデリックは述懐した。
流石にこれが見過ごされる程甘くはない。
世界を救う為とは言え、それで無駄な浪費が責められない道理はないのだ。
幾人かの同僚の顔を思い浮かべ、溜息をつく。
彼らを退け英雄の椅子に座るのはなかなかに難儀だと痛いほど実感していた。
だからこその、今回の大召喚。
約束された勝利がそこには有ったはずなのだ。
それがその手からすり抜けた苛立ちは、確かにそこにあった。
どたどたと、廊下から響く騒がしい音。
「騒々しい。一体何用か」
苛立ちから思わず声に棘が含まれてしまったのをフレデリック自身も自覚していた。
それと同時に、俊英たる騎士たちが焦るだけの何かが発生したと、彼女の頭脳は告げていた。
入ってきたのは、数人の若い騎士たちであった。
一様に汗を流し、全力でここまで走ってきた様子が伺えた。
肩で大きく息をしていた彼らはそれでも規律正しくフレデリックの前に並び、一人が一歩前へと進み出た。
「反乱です!」
その若い騎士は明朗かつ簡潔に告げる。
「勇者が反乱しました!」
「何?」
最後の最後までツイていないな、とフレデリックは心中で嘆息する。
これまでの召喚でも何回か似たような事は有った。
恩寵という力を疑わず、こちらの偽装も見抜けず自分たちが優位だと誤認した結果の増長と爆発。
優位であれば力で言う事を聞かせようという見下げた傲慢。
「魔導式を解禁しろ。主力であっても一人くらいなら潰して構わん」
ならばこちらも力で対抗するまでの話。
吠える犬は力づくで躾ける。
誰が主人か、力には力で教えてやろう。
彼女は冷徹にそう判断する。
「で、どれくらいの人数が騒いでいる? 半分か? それとも全員か?」
そう問われた若い騎士は、青い顔で即座に返す。
「一人です!」
彼の相貌は蒼白で、一切の血の気が見て取れなかった。
窓から差し込む光に照らされたその様子は、昼に出てきてしまった場違いの幽鬼のようであった。
「一人、だけです!」
「だったらさっさと囲んで叩いてこい。いちいち報告などするな」
たった一人であれば現場の判断で済む範囲であった。
――こいつらはその程度の判断すらできないのか?
きちんと訓練を詰んだ、それなりの地位の子弟ばかりが集められたこのサン=ヴォワイエ封檻隊ではあるが、実戦経験に乏しい為咄嗟の判断に劣るという弱点が有る。
実力自体は選別も行っている為折り紙付きではあるのだ。
危険も少ない現場の為、キャリアアップとしての人気も有る。
だからこそ、危機感の足りないボンボンも多いのだが。
やれやれと再びフレデリックは嘆息する。
まったく、苦労させられっぱなしだと。
だがそんな彼女の呆れも、続く言葉で全て払拭された。
「第二、第三隊は既に壊滅! その他隊にも死者多数! ブリサック総隊長の命で生き残ったものがカスタルノー執行監督官と巫女アウレリアの脱出を促せと……」
「一体何を言っている?」
フレデリックは、反射的に聞き返す。
壊滅? 死者多数?
「攻略法は既に解析していたはずだが」
召喚者に対してはこのような反乱も想定し、その攻略法を必ず備えて対処しておくのが習わしだった。
3次召喚時に手痛い反撃を受け多数の死傷者を出した教訓から来ている方法だった。
「存在しない相手です」
「詐称者か」
詐称者とは、自らの恩寵を偽り、実力を隠している召喚者を表す言葉である。
このような存在はしばしば出現し、彼らを悩ませていた。
中にはこれを利用し自分たちより逃げ延び野に下った者も居る。
「それほどまでの損害を齎すなら、確実に主力級か」
ふむん、とフレデリックは思考に埋没する。
おそらく、そいつは自分たちが運用しようとしていた主力級4人より確実に上だろう。あの4人であればそう遅れを取る理由が無い。
「どのような恩寵と見た」
「おそらくは」
若者は必死に頭を捻り、なんとか答えを見出そうとする。
「剣術を強化するものか、純粋に身体能力を強化するものかと」
「強化型か」
単純故に手強いな、とフレデリックは結論付けた。
本体がひ弱である事が召喚者の弱点であったが、そこを埋められると少々面倒な事になる、と彼女も知っていた。
「宜しい。私が出よう」
フレデリックは腰の細剣を確かめるように握る。
執行監督官は召喚事業の責任者というだけではない。
このような時の為の――
「その必要は無いよ」
不意に、響き渡る声。
「やあ。こんにちは」
果たしてそこに居たのは、天音寺未来であった。
先程と一切変わらぬ佇まいで、返り血一滴すらその身に浴びず。
この砦に入ってきた時と同じ姿でそこに現れた。
「ここが責任者の部屋で良いって事かな?」
「不躾だな」
不機嫌さを隠そうともせず、フレデリックが吐き捨てる。
「誰も貴様の入室を許可した覚えは無いが」
「許可が必要とは知らなかったものでね」
こつ、こつ、と。
ゆっくり、何かを確かめるように。
女は歩を進め部屋へと入ってくる。
「ぶ、ブリサック総隊長は……」
若い騎士は、震える声を漏らした。
もう、分かっている。
聞かなくても分かりきっているのだ。
だがそれでも、声は出てしまう。
「ああ、さっきのか」
そうだね、とまるで近所の知り合いと挨拶するが如く。
未来は気安く語る。
「今頃ぐっすりしてるんじゃない? 最高に深い眠りをプレゼントしてきたから」
誰も居なくなったその場に一人。
ブリサックだったものは静かに転がっていた。
体には傷一つ無く。
その顔には、安らかささえ有った。
「きっと睡眠不足も解消できるよ。寝過ぎに関しては保証できないがね」
――永遠に起きてこないだろうから。
若い騎士たちの心には、最早恐怖しか無かった。
ブリサックは彼らのまとめ役であり、また一番の実力者でもあった。
その太い腕で何度教育されたか数え切れない。
決して頭が上がる事の無い、恐ろしくて、そして自分たちでは敵わない強さを持つ上司だった。
それをまるでなんでもないように下すこの女。
最早、相手を犬だ猿だとは見下せなかった。
こいつはそんな生易しいもんじゃない。
違う何かだ。
「それで」
未来の瞳が、目的の人物を射抜く。
フレデリック・ド・カスタルノー。
彼女が探し求めていたのは、この女であった。
「貴方が責任者ということで――いいのかな?」
「だとしたら、何とする」
フッ、と彼女は鼻で笑った。
「傲るなよ異邦人。自由に力を振るい、はしゃぎたくなる気持ちも理解するが」
フレデリックは腰に下げた細剣を抜き放つ。
細身で流麗なイメージが有るそれとは真逆、華美な装飾など無い、無骨さすら感じさせる逸品だった。
実戦で使う事を想定した、貴族というより戦士の剣であった。
「誰彼構わず噛みつく犬は躾けるしか有るまい」
ヒュン、と空気が割断される音がする。
掲げられた右手には細剣。
左手は、やはり腰より抜き放たれた短剣が握られていた。
「尤も、帰る場所は犬小屋ではない。地獄だが」
「素晴らしい。地獄へのチケットは予約済みという訳だ」
対する未来は無手。
あらゆる武器は帯びておらず、全て使い果たしていた。
「手配する手間が省けて良かったよ。生憎、天国行きのチケットしか持ち合わせが無くてね」
緊迫した空気の中、二者が向き合う。
周囲に控えていた若い騎士たちは、そのひりつき凍えるような気配に息を飲む事すら忘れ、ただ二人の強者が向かい合うのを眺め続けていた。
「どうぞ存分に自分で使ってくれ。入場門までは今から送ってやる」
その声に呼応するように。
くん、とフレデリックの身が僅かに落ちる。
引かれた左半身、それに伴い若干後ろに下げられた重心が十二分に左足に力を蓄える。
掲げられた右手はぴったりと未来を捉え離さない。
僅かに揺れ動き、的が何処だか分からぬ漫然とした剣先のように見えるが、それは獲物を狙う竜の顎のようでもあった。
左手は腹の前に構えられ、彼女の正中を巧みに覆っていた。
構えている剣は細くとも。
正面に居る対手からは、まるで要塞の前に陣取っているかのような印象を受けただろう。
凡百の剣士であれば、このフレデリックの佇まいより隙を見出すのは至難である。
「|自己編綴魔導式活性・参撥《レベルアップ・ステージ3》」
静かに、フレデリックが起動鍵を呟いた。
それは、騎士たちが使う燐光が伴う強化とも違う。
筋肉の肥大という物理的な変化が伴うブリサックとも違う。
静かな、そして確かな変化だった。
見た目はなんら変わりない。
だが、違う。
「貴様らも良く目に焼き付けておけ、参撥を」
不敵にフレデリックが笑う。
「ここで見せるのは……初めてだからな」
緊迫感に硬直していた若い騎士たちも、我に返り俄にざわつき始める。
「これが、参撥……」
自己編綴魔導式活性の魔導式自体は、ありふれたものである。
その使い手も数え切れぬ程居り、目にする機会は多い。
強化系である弐撥も、頻繁とは言えないが見る機会は有った。
才能豊かな者のみ許された強者の証であり、憧れでもある。
だが参撥ともなると話が変わる。
欲しくて手に入るものではないのだ。
真の才能の先に到達した者のみ手をかけられる魔導式。
それを使用できる武芸者はヴェネリサールでも一握りしか居ない。
その実態すら良く知られていない。
一体如何なる強化なのか、どれだけ強くなるのか。
一つ言えるのは、これを使用可能な人間は、英雄のカテゴリーに足を突っ込んでいるという事だけだ。
未知の秘奥の解禁に、若い騎士たちの心は――こんな状況であるにも関わらず――激しく踊った。
「執行監督官とは、単に貴様らを纏めるだけの役職ではない」
フレデリックの目が、眼の前の女をつぶさに観察する。
見下しはするが、侮ってはいない。
眼の前の相手が油断ならぬ強者であると、彼女も感じていた。
「貴様らのような跳ねっ返りが出た際の粛清役。それも兼ねているのだ」
故に執行監督官なのだ。
そう、彼女は告げていた。
召喚事業を執行するのみではない。
その召喚者の処刑を執行する者でもあると。
事実、フレデリックは34人の召喚者が結託したとしても、なんの苦もなく全員をくびり殺せただろう。
それが例え予定通りの150人だったとしても。
「揃いも揃って口だけは達者だな」
半ば感心したように、未来は言う。
「まあ、そのデカい口に見合う実力は無さそうだが」
「ぬかせ」
見え見えの挑発に激昂する程、彼女も愚かではない。
慎重に眼の前の女の隙を伺う。
焦らず。
しかし、疾く、相手より速く。
ただ細剣の一撃を心臓にねじ込む。
二人の間の、時間という観念が薄れ始める。
互いに向き合い、ただその動向だけに集中し、それを感じるだけの機械と化す。
それが一秒なのか、それとも一時間なのか。
永い永い刹那の間、二人の見えない攻防は激しく剣閃を散らすように行われていた。
フレデリックの指が、不意に「穴」を感じる。
まるで吸い込まれるような、空にへこみが出来たような。
独自の感覚。
それこそが、彼女が相手の「隙」を感じた時の感覚であった。
最早思考するよりも速く、彼女は踏み込んだ。
白銀翼剣流の達人である彼女の突きは、横より見たとしても視認するのは困難な速度を誇っていた。
追えるのはその刃が作り出すゆらりとした銀光のみ。
周囲の者が見るのは、その光が貫いた後のみであろう。
左足が大理石の床を踏み抜き、無数の罅を作り上げる。
その一歩は爆発的な推進力と化しフレデリックを推し進める。
彼女の体はまるで風と同化したかのように、その抵抗を受けず、するりと進んだ。
風切り音すら無い、無音神速の突き。
一瞬にして、場に紅き華が咲いた。
胸骨すらやすやすと砕き、心の臓を貫いたその姿を、誰も見る事すらできなかった。
ただ周りの騎士たちが目撃したのは、既に剣を胸より抜き放ち、剣の血を振り払うフレデリックの姿。
そして胸より血を吹き出して倒れる女の姿だけであった。
「運べ」
フレデリックは冷徹に言い放つ。
唐突な事故の尻拭いは終わった。
まだまだやるべき事は沢山有るのだ。
頭を抱えながら、フレデリックは振り返る。
ふらりと目眩を覚えながら、彼女は窓際へと進んだ。
しかし、なんだろう。
何故こんなにも。
世界が、白い――。
フレデリックの脳が、彼女の願望を映し終わる。
彼女の目が捉えなかった現実では、二人の女が、まるで握手でもするかのうように、ただ触れ合っていた。
「だからさ」
一方の女――未来は、呆れたように言う。
「体ばかりドーピングしても、仕方ないだろう?」
彼女の手は、フレデリックの右腕、レイピアを構えるその前腕を掴んでいた。
フレデリックの意思が腕に到達するより早く。
既に未来はその腕を掴んでいた。
「どれだけ身体能力上げようが技がお粗末ではね……心技体って知らないのかな」
フレデリックの体から力が抜ける。
何かに引っ張られるように、すうっと。
どたん、と床に倒れ伏した彼女を見下ろしながら、未来は呟く。
「悪いが手習い程度の相手に負ける程私も未熟ではないんだよ」
未来の視線の先にある死に顔は、やはり安らかであった。
「これでも、人並みにはできるつもりなんでね」
騎士たちは見た。
彼らの目には、眼の前の女がただ無防備に、すっと歩いただけのように見えた。
そんなあからさまで緩慢な動きなのに。監督執行官は彫像のようにまったく動かず。
そして、触られるだけで殺された。
何一つ理解できない。
理解不能な、恐怖。
未来は、さて、と振り返る。
その先に居るのは、若き騎士たちであった。
「ば、化け物……」
一歩、ようやく後ずさる。
それしか動けないのだ。
恐怖は心だけでなく足すら縛っていた。
逃げなければならないと胸の内が激しく警鐘を鳴らすのに、体は既に恐怖に屈していた。
「失礼な」
未来はゆっくり近づく。
制服のスカートを翻しながら、麗しく優しい笑顔で。
「女子高生だよ」
その部屋が静かになるのに、数秒とかかりはしなかった。




