第26話 虐殺宣言
朝靄に包まれるサン=ヴォワイエ。
その城門を、二人の兵士が守っている。
彼らは眠い目をこすりながら、自らの職務をこなしていた。
どうせ敵が来ようはずもない奥地。
彼らの仕事はまだ帰ってこない「勇者」の一行を出迎える、単なるおかえり要員なのだ。
気の緩みが生まれるには十分な、退屈な仕事であった。
霞む視線の先に、人影が現れた。
ゆっくりとこちらに進んでくるそれは、一人だけに見えた。
「ようやく帰って来たのかな」
「遅いお着きだこと」
二人は苦笑する。
こいつらが早く帰っていれば自分たちも少しは――既にそうしている事も棚に上げて――楽が出来ただろうに、と。
やがて現れたのは、一人の女だった。
異界の衣装に身を包んだその姿は「勇者」に相違無いだろう。
「ご苦労様」
彼女がこちらに声をかけてくる。
気安い挨拶だった。
「他の者達は?」
「後から合流するよ」
と彼女は後ろを見やった。
この分なら遠からず全員戻るだろう、と兵士は胸を撫で下ろす。
「待ってろ、今門を開ける」
彼は壁面に刻まれた魔導式に干渉し、砦の門扉を開いた。
ズズズ、と鈍い音を立てながら、巨大な扉が真ん中から分かたれ左右に開いていく。
「さあ早く行け」
「お疲れ様」
ぽん、と少女が向こうに居る同僚の肩を軽く叩いた。
その刹那、何かの見間違えなのか。
同僚が、言葉も無く崩れ去る。
「……!?」
彼が驚きに声を上げるよりも早く。
「ゆっくり休んで」
女は既に自分の眼の前に居た。
……いつのまに?
そう思う暇すら無く、彼の肩に女の手が触れ。
彼の意識は、永遠に消えた。
「そう、ゆっくり休んでくれ給えよ。永遠に」
女――天音寺未来は、静かに門の中へと進んでいく。
後に残されたのは二体の物言わぬ骸であった。
それはまるで眠っているかのような、美しい遺体であった。
未来はサン=ヴォワイエの通路を進んでいく。
かつて仲間と共に歩んだこの道を、今は一人。
ただ一人、一歩一歩進む。
途中騎士たちにその姿を認められたが、彼らはなんら注意を払う事すらなく彼女の存在をスルーした。
召喚者を「召喚者」という看板でしか判別しない彼らは、個人に注意を払ってはいなかった。
故に、彼女を「帰ってきた勇者の一人」としか理解できなかったのだ。
それが本来死ぬべき人間だったと理解していれば、多少は変わっていたであろうに。
騎士たちは忙しく歩き回っている。
サン=ヴォワイエからの撤収作業が始まっているからだ。
この砦は使用毎に一度放棄される事が決まっている。
そういう演出だからだ。
「かつての勇者召喚を、今一度試みた。今回初めて」
それが、この召喚事業に与えられた物語。
全ては異世界の学生達を騙し、その自尊心を持ち上げる為の布石。
彼らが気持ちよく死んでくれる為の必要経費であった。
そんな作業を横目に未来は進む。
目的地はただ一つ。
良く見知ったあの場所だ。
暫し進み、そこへ辿りつく。
ついぞ彼女たちが、本来の目的でこちらからここへ入る事は無かった。
そして今、未来はそこへ押し入ろうとしている。
ただ彼女が成すべき事を果たす為に。
ゆっくりと、木製のドアを押す。
ぎい、という鈍い音と共に扉は内側へと開かれ、未来を誘った。
彼女は悠然と、しかし堂々とそこへ進む。
部屋の中は、彼女が見慣れた大食堂であった。
そこに集っていたのは戦闘組・補助組の面々だった。
瞬時に特別組が居ない事を把握した未来は、そのまま歩を進める。
そこでは少年少女達が、金品に目を輝かせ卑しい笑みを浮かべていた。
人から奪い、それを喜ぶ。
欲望に冒された彼らは既に現代社会に生きる一人の人間とは程遠い存在と成り果てていた。
人数は、15人。
つまり大凡一分以内という事だ。
最初は誰も、彼女に注意も払っていなかった。
しかし部屋の中へと、一歩進む毎、一人また一人と気づいていく。
本来生きているはずの無い女が、その場に居る事に。
「これから」
彼女は笑顔を浮かべながら、言葉を放つ。
その笑顔は美しく、そして凄惨だった。
「お前達を皆殺しにする」
それは宣告であった。
逃れ得ぬ現実を突きつける為の。
一切の交渉も抵抗も許さぬと。
対する勇者達の反応は、緩慢極まりなかった。
何を言われたのか理解できないとばかりに、ぽかんとしている。
彼らが未来の言葉を理解し得ないのは無理からぬ事だった。
無抵抗の相手に剣を振るい、肉を裂き、命を奪った。
生命という唯一のリソースをやり取りするという重い賭け。
それを経験して尚、彼らには無かった。
自分が死ぬという危機感が。
奪う事は経験しても、奪われるかもしれないという経験が無かった。
故の、無理解。
これから殺すと言われても、その実感が彼らには備わって居なかった。
だが既に天音寺未来という女の慈悲は果たされた。
正面切って宣言されて尚動けぬというのなら、それまでの事。
彼女が手を止める必要性など存在しなかった。
未来の手が腰に添えられ――左右の手を交差させるように――そして、外側へと大きく振り抜かれる。
彼女の手から放たれたのは石の礫であった。
そこらへんに転がっているような石。
しかし侮る事無かれ。
石とは、最も原初に人類が手にした最古の武器である。
礫が、その場に居る二人の顔面に吸い込まれるように進んでいく。
呆けた顔でこちらを見ていた少年達。
飛来したそれは彼らの顔面を捉え、眼窩へとめり込んだ。
その衝撃は余すこと無く伝わり、脳の血管を破砕せしめる。
振り抜いた腕を止めぬまま、彼女の腕は腰の後ろに回される。
そこから抜き放たれたのは二本のナイフであった。
南那が残した、狩猟に持ってきて返しそびれたナイフ。
それが今未来の手元に渡り、誅伐の殺人兵器として蘇った。
未来がナイフを投擲する。
一本はうっとりと宝石を眺めていた少女の首筋に食い込む。
正確に頸動脈を切断し、食道まで食い込んだそれは言うまでもなく致命傷であった。
もう一本はうすら笑いを浮かべていた少年の眼窩を貫いた。
彼はその衝撃でたたらを踏むと、椅子に座り込むように尻もちをついた。
ここまで僅か一秒。
――残り11人。
腕を振り抜いた勢いのまま、未来は歩みを進める。
大きく腕を振ったような姿勢のそれはまるで行進が始まったかのようだった。
二歩ばかり、彼女は進む。
既に二秒。
だがまだ、彼らは事態を理解しない。
未来が手近に有った木製の丸椅子を蹴り上げる。
ぽん、と彼女の胸の高さまで浮き上がったそれを、まるで手で押し込むように彼方へと押す。
緩やかに放物線を描いて飛ぶそれは、四人ばかり集団で固まっている者達の方へと飛んでいく。
突然の飛来物に反射的に手で身を覆い隠したり、顔を背けたりする少年達。
しかし未来はそれに一瞥もくれずさらに進む。
三秒経過。
そこは既に眼の前の少年に未来の両の腕が届く範囲、即ち攻撃圏内に到達していた。
すう、と未来の腕が優雅に空を切る。
美しい動きであった。
体の芯が一切ぶれぬ、完璧な動作。
かけられた力は淀み無く、未来の四肢の末端まで余すこと無く届き、漲っていた。
それは神に奉納される舞の如く、神秘的な美しさすら感じさせる動作であった。
軽く、ぽん、と。
未来が少年に触れる。
優しいフェザータッチ。
異性からのそれは本来であれば少年の心をときめかせるような蠱惑的な感触であっただろう。
胸の鼓動は高鳴り、激しく胸を打っていたはずだ。
しかし彼にそれは起こり得ない。
既に心臓が破砕していたからだ。
さらに一歩。
すれ違いざまに二人に触れる。
少年たちは糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
もう、四秒も経過。
――残り8人。
漸く。
遂に漸く、事態に反応できる人間が現れた。
小川康太。
彼が動けたのは偶然だったのか。
それとも何か心構えが出来ていたのか。
だがたった一つ確かな事実は、彼が最初に動いたという事だ。
「うおおおお!」
足に力を込める。
全力であいつに突っ込む!
一瞬で時速200キロメートルを超える速度に到達した彼のタックルは、間違いなく眼の前の少女を吹き飛ばすだろう。
その果てに待ち受けているのはミンチだけだ。
しかし、彼は気づいていなかった。
その右足首には、既に未来が放った縄鏢が巻き付いている事に。
落ちていた槍とロープで未来の手によって作られたそれは簡易ではあるものの、仕事を果たすには十分なものとなっていた。
未来はまるで彼がそうすると解っていたように、予め縄鏢を彼の足へと絡ませていた。
康太が全力で踏み出そうとした瞬間。
それをぐい、と彼女は引っ張る。
「お?」
踏み出したはずの足は大地を捉えず、縄鏢により引っ張られ内側へと浮き上がらせられる。まるでつるんと氷に滑ったかのように、体が綺麗に横へと回った。
彼の「高速で移動できる能力」は、能力発動中に、その抵抗や衝撃に負けないよう彼の体を保護する作用が有る。
しかし転倒状態の彼は、「移動している」と言えるのか。
否、彼は既に移動していない。
能力の発動は停止された。
それでいて、能力による恩恵は残っていた。
即ち、推進に使われるべきだったエネルギー。
たった一歩分のそれは、しかし恐るべき量を備え彼の体に残っている。
前に進むはずだった彼の重心は捻じ曲げられ、横方向への回転ベクトルへと変化する。
前に大きく飛びながらも、腹を中心にくるんと回転した彼の体。
そしてその先についている頭が向かう先は、食堂の床であった。
ぱきん。
乾いた音が鳴り響く。
運動エネルギーは威力へと転化され、彼の頭と床のマリアージュで凄惨なメインディッシュへと姿を変えた。
破砕した康太の頭部からはどろりと脳漿が漏れ出している。
その顔は、己の身に何が起きたのか理解すらできていない、生前の表情のまま凍りついていた。
ここで、十秒。
――残り7名。
いかな蒙昧であれど、凄惨な光景が目の前に広がるとなれば。
強制的に動かざるを得ない。
それがどういう形であれ。
「キャアアアア!」
エールを煽っていた女子が、叫び声を上げる。
彼女は康太の頭が割れる様をまじまじと――運が悪い事に――見てしまっていた。
昨日自分が女の体を引き裂き、その臓腑をえぐった事も棚に上げて。
仲間の頭が柘榴が如く割れるのを見て、彼女は恐慌を来たした。
しかしその声もすぐに止んだ。
未来の爪先が、彼女の口にねじ込まれていたからだ。
軽い跳躍と共に放たれた鋭い前蹴りが、女の歯を尽くへし折り喉を貫く。
衝撃で頚椎はへし折れ一瞬にして絶命した。
靴とは、蹴りに対する補助具の意味合いも持っている。
玻璃ノ宮女学院指定の靴に見えるそれは、未来が私財を投じて拵えた、蹴り動作全般に耐え得るオーダーメイドの逸品である。
人体破壊を念頭に置いたそれは、歯や骨の損壊で傷つくようなやわな作りではない。
未来は女の体が完全に弛緩する前に、その体を踏み台とし、蹴り足でさらに跳躍する。
中空でスカートを翻しながら飛ぶその姿は、さながら不吉な黒鳥の如きであった。
くるりと空中で回転しながら、さらにすれ違いざまに二人の少年の頭部に加撃する。
彼らは目から血をどろりと流し、絶命した。
ついでとばかりに着地ついでに蹴りを近くの相手に見舞う。
胴へと放たれたそれは心臓のみならず消化器も破砕させ、一瞬で命を奪った。
十八秒経過。
――残り3人。
ここでやっと、攻撃が行われた。
投げられた椅子の混乱から立ち直り、眼の前の相手が敵だと認識する。
ほぼ反射的とも言える振りかぶり。
拳を引いて、体重を載せた大ぶりの一撃。
即座に能力を使う判断力など、彼らには備わっていない。
人が咄嗟に行える行動などたかが知れている。
極限状況下で望むような動きをなし得ないからこそ、訓練という反復動作でそれを覆す。
そして彼らは、無抵抗の人間を切る芸を仕込まれていても、己の恩寵で戦う訓練は受けていなかった。
未来はその無様な攻撃を、最小限の動きでいなす。
ミリ単位の精密な見切り。
ぶん、という風切音を耳元で聞きながら、すれ違いざまに相手の顎をかち上げる。
己の勢いと未来の打撃の衝撃が加わったその一撃は、彼の首を折るのに十分な勢いを持っていた。
眼の前の人間の体を、勢いを殺さず残りの二人の方へとぶん投げる。
数十キログラムという唐突な肉の重りを押し付けられ、少年二人は反射的にそれを受け取る。
「はい、おしまい」
動けぬ二人に、最後の一撃。
両の手で左右に放たれた掌が少年達の命を奪い去った。
宣言より22秒。
戦闘すら許さぬ、一方的な虐殺であった。
「さてと」
未来は奥にある、豪奢な扉を見やる。
そこに居るはずだ。
特別組の、残り3人が。
未来はゆっくりと、彼らの下へと向かっていく。
その姿にはなんの気負い一つ存在しなかった。




