第25話 絶対強者
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――時は天音寺未来と山下大和が対峙した頃に遡る。
足元に転がった剣を、未来は拾い上げる。
「随分とお優しいね」
彼女はそれを手に取ると、何かを確認するようにつぶさに観察する。
「ふうん」
彼女は得心したように、一言漏らした。
「ところで」
一つ聞きたい、と未来は大和に問いかけた。
「一応聞いておきたい。これは無理矢理やらせられてるのかな」
彼女の顔には、笑みが浮かんでいた。
美しい長い黒髪に似合うたおやかな笑み。
この場には余りにも不釣り合いなものだった。
「それとも――やりたくてやってるのかな」
「やれって言われはしたけど」
得意気に、大和が返す。
「でもやりたいからやってるのが本音かな。ほら」
より一層下卑た笑みを、彼は浮かべる。
「あんたら、目障りだし」
「そうか」
未来の表情は変わらない。
依然として笑顔のままだ。
だが周囲を囲んでいる者達は、その変化を感じていた。
あまりにも、恐ろしい。
笑顔という表情があんなにも攻撃的なものだという事を、彼らは初めて知った。
「では行かせて貰って、構わないかな?」
未来は剣を握る。
柔らかく、包むように。
「ああ、来いよ」
両手を大きく広げ、大和は世界に宣言する。
「俺は勇者、山下大和! 無敵の盾、勇者大和!」
それは宣誓だった。
これから世界に轟く英雄の始まりの一歩だと、彼は世界に吠えた。
「力を知れ凡人。お前は所詮踏み台なんだよ!」
「感動的な演説だな」
未来が、動く。
つかつかと、大和に向かって歩いていく。
大和もその動きになんの注意も払わない。
無敵である彼に注意という行動は不要であった。
未来が、剣を持つ手を振り上げる。
無造作に、ひょいと。
その勢いのまま、剣が手からすっぽ抜けた。
「ハハッ」
あまりにも滑稽な光景に、大和は思わず哄笑を漏らしてしまった。
剣を握る事すらできない女の細腕。
これでは恩寵すら必要無く、自分を傷つける事も敵わないのではないか。
思わず顔を覆ってしまいそうな程、彼の腹から笑いが溢れ出ようとしていた。
大和は、未来を見ていない。
見る必要性すら感じていない。
だから、知覚できなかった。
未来の体が、眼の前から消える。
周囲に囲んでいた者達には辛うじて見えただろう。
未来の体が一瞬で沈み込み、地面スレスレまで下がった事に。
瞬間的に重心を落とした未来が、地を這うように――まるでブレイクダンスの如く――体を回転させる。
琉覇が居れば気づいていただろう。
その動きが、中国拳法の一派で用いられる動きに酷似している事を。
未来が大和の両足に、自らの足を絡ませる。
回転運動で生まれたベクトルが彼の体に伝えられ、その捻転と回転は彼の体のバランスを容易に崩しせしめる。
あ、と。
声を出すまでもなく、大和は地に伏していた。
まるで自然にぱたと倒れるが如く、彼はうつ伏せに大地に寝転んだ。
しかし未来の動きは止まらない。
足を絡めたまま、その勢いを殺さず、ぐるんと。
彼の背を弓なりに反らせ、そのまま首に腕を絡ませる。
一瞬にして、大和は五体の尽くを極められていた。
足は膝から後ろへと折り曲げられ、未来の足によって極められている。
腕は倒れ伏した瞬間、背後でクロスするようにしてその動きを殺されている。
首には未来の細腕が絡み、彼女の体は彼の背へと密着していた。
しかし大和に柔らかな女体を味わっている余裕は無い。
首の頸動脈はしっかりと女の腕に締められ、既に血流を阻害されている。
即ち、裸絞である。
そして背後から膝を背に当てられ、弓なりの如く体を反らされている。
身体活動のあらゆる動きが封印された、完璧な極めであった。
「君の能力が本当に全ての衝撃を自動的に跳ね返すのなら」
未来が大和の耳元で囁く。
優しく。
深く、逃れられぬ声で。
「そもそも日常生活が送れないはずだ。歩く衝撃すら跳ね返すだろうからね。だから、君の能力には発動条件があるはずだと最初から疑っていた」
ぎゅっと、未来は腕の力を強める。
一部だけ見れば男に女が絡みつくような、そんな光景。
人によっては羨ましいとすら思うかもしれない。
「まあ、すぐに理解ったけどね。簡単な話だろ、こんなの」
大和の目は、既に彼女を捉えていない。
いや、捉える事ができない。
ただ空を仰ぎ見る事だけが、唯一許可された行動だった。
「加速度だよ」
甘く甘く、未来は囁く。
それはまるで愛を告げるように。
「一定の加速度を持った衝撃を反射する。それが君の能力の正体だ。だからね、無理なんだ。こうやってゆっくり絞めたり圧迫したり、そういう攻撃に抵抗するのは」
未来は大和の体が弛緩するのを感じていた。
熟練者であれば、裸絞により10秒とかからず失神させる事が可能である。
未来という少女であれば、それはまさしく朝飯前であった。
大和の弛緩した首を、軽く捻る。人体の環軸関節は一定角度で回転させる事により容易に骨折せしめる事が可能である。やり方さえ知っていれば、子供ですら人は殺せるのだ。
未来は大和を自由に――物理的にも、生命的にも――した後、ゆっくりと立ち上がる。
周囲を見渡すと、囲んでいた者達は何を見ていたのかまったく理解できないという様子でこちらを見つめている。
それはまるで幽鬼にでも遭遇したかのような、空想上の何かを捉えた時のような様子であった。
彼らは疑っていなかった。山下大和という、性格は最悪だが能力は最高の勇者が勝利をする事を。
あらゆる攻撃を跳ね返す、無敵の能力。
それに対抗できる力が、無能な保護組に有るとは思えなかったからだ。
眼の前の女はその内泣き叫び、許しを乞うことになるだろう。
そうして心まで折られた後、眼の前の勇者に玩具にされるのだろうと。
そう思っていたのに。
だから、大和が地面に倒された時にもなんの動きも見せなかった。
無駄なあがきだと嘲笑いすらした。
だというのに、眼の前の光景は一体なんだ?
無敵の勇者は大地に力なく倒れ、無力だと思った女が立ち上がる。
これは、悪夢か?
囲んでいる者達は、眼の前の現実を処理する事ができなかった。
「いい剣だったよ、これ」
彼はぎょっとする。
いつの間にか、未来が近寄ってきていた。
まるで気配を感じさせず、いきなり現れたかのように。
「数打ちにしては悪くない。拵えもしっかりしてるしね」
鞘は何処かな?と問う彼女に、反射的に自分の鞘を渡してしまう。
未来はその返礼のように、彼の手に剣を握らせた。
「良い剣なんだけどね」
渡された鞘は、木製のシンプルなものだった。
装飾は極力廃されているが、その分強度は十分。
戦場にも耐え得る良品であった。
「私は鈍器の方が好きなんだ」
未来はその鞘の感触を確かめる。
何度か握り込むようにして。
そして、眼の前の少年の頭を鞘で振り抜いた。
「調達し易いし、何より」
少年の体から力が抜ける。
彼は自らの体を立て直す事もできない。それを判断する為の自我が既に消失していたからだ。
その姿を振り返る事もなく、さらに近くの一人を未来は強かに殴打した。
「感触が良い」
二人の少年が、ぐらりと倒れる。
「う……うわあああああああ!?」
ここで漸く、一人が気付いた。
これは異常事態だと。
しかし、全ては遅かった。
ぱんぱんぱんと。
それは友達同士がハリセンでツッコミを入れるみたいに気安く。
ひょいと歩き、ぽんと叩く、その繰り返し。
鞘で軽く頭を叩く一人の少女。
まるでギャグ漫画みたいな光景が、そこには有った。
戯れのように未来は、あっという間に囲む5人の命を奪い去った。
彼らが事態を認識するより早く、一瞬の間に。
そして未来たちの周りを囲んでいたのは6人。つまり、残り一人。
「あ、あの」
最後の少年は、涙目で懇願する。
「た、助けてください」
死にたくないと、心から思った。
眼の前の女は死神かなんかだと、そう思った。
敵わないと本能の何処かが告げている。
未来はその言葉に、やはりにっこりとして答えた。
優しい笑顔で、慈しむように。
「駄目だ」
鉄の砕ける音がした。
最早それを縛っていた鎖は尽く失われ。
封じられていたそれが、世界に解き放たれた。
森の中に夜の帳が下り、暗い林中がさらなる闇に包まれた頃。
無惨な死体が幾体も転がり凄惨さを醸し出している。
その中、肌が焼け焦げた無惨な死体。
その下から、ごそごそと何かが這い出てくる。
浅黒い肌は泥に塗れ、手足は擦りむいた傷が有った。しかしそれでも彼女は生きていた。
それはトトだった。
中島健人という悪魔のような少年に襲われ、生き残れようはずが無い彼女が何故生きていたのか。
それは、帆のお陰だった。
帆は無力にも、健人に焼き殺された。
あっけなく一撃で。
「ッギャアアアアアアア!」
恐ろしい叫び声だった。
命を振り絞る声があんなにも恐ろしいものだとは、トトは想像もしなかった。
絶望と苦痛が音として絞り出される、恐怖。
炎に包まれる帆の姿を見て、素直に彼女は怖いと思った。
焼け焦げた肉、剥き出しの骨。
それは最早人には見えなかった。
ぶすぶすと焼け焦げた帆が自分の所に歩み寄って来たとき、心底恐怖すらした。
この化け物が自分をどうにかしてしまうんじゃないかと。
だが、違った。
彼は最後の力を振り絞り、彼女を覆い隠す。
小さなトトの体はまだ大人になりきっていない帆の体でもきっちりとカバーする事ができた。
灼けた喉から、掠れた音が鳴る。
その言葉は一体なんだったのだろうか。
トトには聞き取る事ができなかった。
やがて一段と肉の重みが増して、トトに襲いかかった。
それが彼の命が尽きた証だと気づいて、トトは少し泣いた。
焼け焦げた肉の臭いに吐き気を催しながらも、彼女は息を殺し続ける。
どれだけの時間が経っただろう。
ようやくトトは、そこから這い出た。
周りに動く人間は一人も居なくなっていた。
「カイ」
とぼとぼと、辺りを歩く。
「リュウハ」
誰も居ない。
やっぱり、居ない。
トトはぺたりと座り込み、泣いた。
どれだけ泣き通しただろう。
闇夜の中、ふと人の気配を感じた。
誰かがこちらにやってくる。
もう、どうでも良いと思うが、すぐにその考えを振り払う。
眼の前の少年が命がけで自分を助けてくれたのだ。
その生命を粗末にする事は、彼のやった事を無駄にしてしまう。
小さな少女の心に、少しだけ力が宿った。
萎えそうになる両足に力を入れる。
立たなければ。
そして逃げる。
どうすれば良いかわからないけど、とにかく逃げて。
そして生きよう。
トトの心に光が灯った。
「……トト。トトなのか?」
ふと、懐かしい声が聞こえる。
今日の朝まで毎日聞いていた声だった。
「ミク!」
トトは走った。
そしてただ抱きつく。
強く。
「生きていたんだな」
未来もまた、トトを強く抱きしめる。
その生命を確かめるように。
「カイが、助けてくれたです」
震える指でトトがそれを指し示す。
焦げ付いた、肉の塊。
「カイが、トトを隠して……うわあああああ!」
獣人の少女は、最早涙を止める事ができなかった。
ずっと頼りないと思っていた。
でも最後は自分を命がけで助けてくれた。それはまさに――
未来は静かにそこに近寄ると、その亡骸を確かめるように、優しく撫でた。
「そうか、君はなったんだな」
ボロボロになった腕を、丁重に、丁寧に。
炭化して崩れ落ちそうなその腕を、己の手が汚れるのも構わず、胸の上で綺麗に組ませる。
「本物の、勇者に」
その声には、敬意が有った。
隣に有る琉覇の遺体も並べ、僅かばかりに葉っぱで覆い隠す。
本当は埋葬を行いたいが、そうもいかない。
「これを持っていてくれないか」
未来はトトに、あるものを差し出した。
それは南那が持っていた学生鞄であった。
「これは」
「南那の鞄だ。他に、麻美の形見も入っている」
あと琉覇と帆のものね、と。
「帰れるか分からないが、いつかもし故郷に帰れるのなら」
未来は空を見た。
残酷なまでの星空に、流れ星が一つ流れた。
だが彼女が祈る事は無い。
「せめて形見くらい、持っていってあげたいから」
「ミクは」
トトは、感じていた。
眼の前の少女の豹変を。
いつもとは違う、本能に訴えかける何か。
彼女の中で決定的な何かが変わったのを、獣人の少女は茫洋と理解していた。
「ミクは、何をしに行くつもりですか」
「全てに決着を付ける」
はっきりと、そう言った。
「君の事も絶対家に送り届ける。必ずだ。帆が命を賭けて守ったんだ。私もそうする」
だが、と。
「それでも、その前にやらなきゃいけない事が有る。だから少しだけ、待っていてくれ」
未来は近くに有る洞窟にトトを誘うと、携帯食糧を幾つか置いていく。
その他携帯寝具等、何処から持って来たんだというものをトトの為に残していった。
「夕方には戻るよ。だから、隠れているんだよ」
未来は歩き出す。
ゆっくりと。
だがその姿がまるで揺らめいているかのように感じたのは、果たしてトトの錯覚だっただろうか。
未来は一人征く。
全ての始まりの場所、サン=ヴォワイエへ。




