第23話 南那の一撃
衣目川南那は、なんの取り柄も無い普通の少女である。
彼女は決して自分が秀でているとは思わない。
なんでも普通くらいにこなし、普通くらいまでしか行けない。
凡庸で特筆すべき部分の無い存在。
そう、自分でも思っている。
だがこの非日常の中、その凡庸さは如何程の救いにもならない。
あの逞しい琉覇や頭の切れる未来のような年長者の導きはここには無い。
麻美や帆という同年代の存在に勇気付けられる事も無い。
今の彼女は一人だ。
たった一人で、立ち向かわなければならない。
がたん、と。
馬車が揺れる。
馬車の端がまるで切り取られたように消えた。
始めから存在しなかったかのように。
それは南那が知る由も無いが、浩輔の能力に依るものだった。
南那は特別組の能力を良く知らない。
ただ漠然と「とんでもなく強い」という事だけは理解している。
「出てこねえなら端から削ってくだけだ!」
幼さが残る叫び声は、南那の耳にもきっちり届いていた。
――なんで特別組がこんな事を。
どんなに嫌いでも、それでも同郷だからと。
召喚者達は敵になる事は無いと南那は思い込んでいた。
だがその思い込みは今、最悪の形で裏切られている。
「どうしよう……」
南那は、呆然と呟く。
もう思考が止まりそうになる。
突然の襲撃。召喚者の裏切り。何もかもわからない。
南那の周囲では、反応が二つに分かれていた。
即ち、留まるか、もしくは逃げるかである。
混乱した男女――夫婦で出稼ぎに来ていた壮年の二人――が外へ駆け出す。
二人は暫く走る事が叶うが、やがて矢の的となり地に伏した。
その他にも数人が外に出たが、何れも同じ運命を辿った。
一方、馬車の中に留まる選択をした者達はより集まるように身を寄せ合っていた。
ざん、と。
定期的に馬車の端が削られていっている。
ほんの少しづつ、嬲るように。
その恐怖から逃れようと、残った数人は自ずと馬車の中心に集まって来ていた。
どうする。
どうする。
どうする。
ただその言葉だけが、南那の頭の中をグルグルと巡っていた。
今動かなければ死ぬ。
だがどうやって動けば良いのか、それが浮かばないのだ。
必死に必死に頭を動かそうとしているのに。
漫画の主人公のように、冴えた考えなんて、一つも出てきはしない。
不意に。
がくんと。
馬車が傾いた。
「え?」
左右から削られた馬車の躯体。それが車輪まで及び、遂に自らを支える事が叶わなくなったのだ。
ぐらりと――南那から見て――左の方へと馬車が揺れた。
大きな振り子となった馬車は、ずずん、という大きな音を立て斜めになり、乗客達は地面に向かって滑り落ちていこうとしていた。
ああ、ここしかない。
ただ、漠然と南那はそう思った。
この偶発的な出来事。
それは自分たちにとっても、きっとあちらにとっても変わらない。
となれば意表を突くならば、この瞬間しかないと、彼女は閃いた。
南那は咄嗟に、削れた馬車の一方、傾いて持ち上がった側に手をかける。
不意に接地面が傾いた事で、ふわりと浮き上がった自分の体。
その体を、斜めになろうとする馬車の力が跳ね上げる。
梃子の要領で彼女の体は僅かながらも空へと投げ出され、そうしてそのまま馬車の外側――攻撃を受けている反対側――へと体を脱出させる事に成功した。
同時に、ずずん、と鳴り響いた音と共に僅かに土埃が舞い上がる。
それは幸運にも南那の移動を僅かながらに覆い隠した。
しかしその僅かで十分だった。
なにせこの襲撃を引き起こしているのはプロではない。学生なのだ。しかも初めて。彼らに仔細漏らさず状況を把握しろと言っても土台無理な話であった。
「うぎょっ」
地面にぶつかった衝撃に。間抜けな声を上げる。南那は背中の痛みに耐えながら、どうすべきか考え続ける。
考えろ。
考えるんだ。
別の場所から弓矢を射られている事から、単体での襲撃ではない事は察せられた。恩寵の影響なのか、それとも腕なのか。先程から矢が外れる所は見ていない。
つまり、このまま逃げようとしても射手に見つかった時点で詰みだろう。
だからこのまま逃げるのは無理だ。
戦うしかない。
戦って、なんとか相手を動揺させて隙を作る以外に活路は無い。
ぎゅっと、拳を握り込む。
目からは自然と涙が溢れてきた。
怖い。あの夜よりもさらに大きな恐怖が、胸を占めた。
今度はあの夜とは違う。
たった一人で立ち向かわなければならないのだ。
ちらり、と馬車の影から向こうを見やる。
「そろそろ終わりなんじゃねえのー?」
距離にするとどの程度だろうか。
やや離れた場所では、浩輔が手をぷらぷらさせながら笑っていた。
あいつはきっと、まだ私が馬車の中に居ると思っている。
ここ、馬車の外側に居るとは考えていない。
ならそこを利用して隙を突くしか無い。
あいつが最大戦力なのは確実。
だったらそこを崩せばきっと周りも動揺するはず。
南那の考えは、あまりにも楽観的で希望的過ぎた。
仮定に仮定を重ねた夢のような戦略図。
しかし、今の彼女にはそこに縋る以外道は無かった。
「どうだ、命の時間が減っていく感覚はよ」
楽しそうに、浩輔は叫ぶ
「一分だ。これからその馬車を削るまで毎回一分の時間をくれてやる。せいぜい生きてるありがたみを噛み締めろ」
ハハハハハハ!
哄笑が、森に響き渡った。
「逃げても良いぜ。ま、すぐ殺すけど」
どうやら、少しだけ余裕が出来たらしい。
だがなまじ時間が出来た分、余計に恐怖心が増す。
最早馬車とも呼べぬ布と木で構成された囲いの中に居る乗客にとっても、南那にとっても、それは最悪の選択だった。
浩輔という男は浅学であったが、どうすれば他人の心を虐げる事ができるかだけは、どうやら直感的に理解しているタイプであるらしい。
実に嫌らしい外道の策だった。
ざん。
ざん。
一分毎に、馬車の左右が少しづつ削れていく。
怖い。
怖い。
それでも、やるしかない。
「そろそろエンディングだなぁ~?」
最早ギリギリ人が隠れられる程度の大きさしか、馬車だったものには残されていなかった。
「最期は特大の奴で景気良く決めちゃおっかなー」
浩輔の顔には喜悦が浮かんでいた。
彼は嬉しくて仕方がないのだ。
気に入らない保護組を殺せる事が。
いやそもそもとして、自分が力を振るって人を殺せる事自体が嬉しいのだ。
奪ったものの価値が高ければ高い程。
それはそれは、気持ちが良いのだから。
腕をぐるぐると回した浩輔が、勢い良く下から上に振り上げるように、豪快に空中へ弧を描く。
それは見えない一撃となって馬車へと襲いかかった。
ざん、と。
空気すら消し去るそれは僅かな音を残し、馬車の残骸全てをこの世から排除した。
「スットラーイク!」
だから気づけなかった。
その消えた跡から、人が飛び出してきていた事に。
南那に幸運だった点が二つ有る。
まず一つは、浩輔の能力を詳しく知らなかった事。
南那は彼の能力を「衝撃波を飛ばす能力」と誤認していた。
故に、彼女はそれに立ち向かえた。
――もしかして私の能力で強化すれば、防げるんじゃ。
そういう皮算用を、彼女はする事ができた。
南那は時間いっぱい、必死で馬車の壁面に自身の能力を使い続け、塗りつぶしていたのだ。
この文字が何者にも消せない何かならば。
衝撃にも耐えられるんじゃ?
その素人考えが功を奏した。
もし南那が浩輔の能力を詳細に知っていれば、このような策を取ろうとは一切考えもつかなかっただろう。
二つ目の幸運。
それは互いの能力の性質に有った。
南那の、文字という情報を残す為に記述された対象を不壊に変える能力。
浩輔の、腕を振るって放った衝撃波で物体を消去する能力。
このまさに矛盾とも言えるべき能力同士がぶつかりあったらどうなるか。
それは矛盾の故事自身が教えている。
双方痛み分けだ。
消滅の波と不壊の概念が衝突し、世界を書き換えようと合喰んだ結果。矛盾した二つの力は互いを喰らい合い、書き加えられるはずだった事象は虚しく空へと消えていった。
この二人は互いが互いに天敵同士であると、彼彼女は知る由も無い。
南那はこの二つの幸運により、奇襲を行うチャンスを手に入れた。
馬車の中に居た人たちの事も、勿論気にかかってはいた。
だが、見捨てるしか無かった。
助ける術は彼女になく、彼らを見捨てる事でしか隙は作れない。
その罪深さを知りながら、彼女はその道を行く事を決意した。
眼の前の馬車が消える。
南那はその瞬間、全力で駆け出した。
「あん?」
浩輔の訝しむ声が前から聞こえる。
「なんだよ、打ち漏らしかよ」
飛び出してくる影――南那に向かって、彼はもう一撃、衝撃波を見舞う。
音もなく滑るように進むそれは、南那の体を捉え彼女を消し去るかと思われた。
それを発射した浩輔さえ、その事を疑わなかった。
「っしゃあ、バッターアウト!」
勝利を確信した浩輔は、天高く手を上げてガッツポーズを取った。
しかし南那の手、そこには。
まるで盾のように、壊れた馬車より剥がれ落ちた幌が握られている。
そしてそこには、ぐちゃぐちゃと子供が落書きしたように、光の線が出鱈目に引かれている。
彼女の恩寵が、そこには張り巡らされていた。
幌により作られた盾が、消滅の一撃と食らい合い、そしてどちらも消え去った。
南那は、無傷のままだった。
想定通り!
南那は、自分の考えた通りに事が運び、心中でほくそ笑む。
だが、まだ終わりじゃない。
彼女は眼の前の相手を生き残る為に倒す事を決意した。
南那は手にナイフを握りしめる。
それは狩猟の際用意したナイフであった。
なんとなく返しそびれていたそれが、今彼女が持つ唯一の武器だった。
眼の前で浩輔はガッツポーズをして、得意満面の笑みで天を仰いでいる。
幸運にもこちらは見ていない。
全力で走る。
心臓は既に破れそうな程激しく鼓動を返してきている。
やるべき事を全うしろと、体が語りかけてくる。
彼女の臓腑が、細胞が、全てがその行動を後押ししていた。
「あ?」
浩輔がそれに気付き、表情を驚きに歪めた頃には既に遅く。
鈍く光る刃が、彼の眼前に迫っていた。




