第14話 憤怒の咆哮
鹿一頭に、兎が三羽。
素人の狩りと考えれば、これは破格の成果と言えるだろう。
「この調子なら、結構沢山取れそう」
直接的に狩りに参加していない――お留守番要員の――南那も、明るそうな未来に思わず顔をほころぼせた。
「そうだな。終わるまで10頭くらいは余裕なんじゃないか」
普段あまり会話に乗り気でない帆すらも、今はどこか浮ついた様子で積極的に会話に参加していた。
いつも陰気しそうにしているのに、今日は実に明るい。
多分ここまで嬉しそうな帆を見るのは南那も初めてだった。
「わたし達――意外と才能有るんじゃない?」
麻美もニッコニコな様子だった。
「よし、それじゃあこのままガンガン狩っちゃおう!」
「なんの成果も……得られませんでした!」
「当たり前です」
二日目の午後。そこにはうなだれる高校一年三人衆の姿が有った。
「そうそう簡単に獲れたら狩人は要らないですよお前ら」
何言ってるですか、と呆れたようなトトの視線が非常に痛かった。
「鹿が獲れただけで大金星ですよ。これ一頭でこの狩りが終わるまでの食糧は余裕で持つです。食うのが目的ならもう狩る意味が無いくらいですよ」
こんこんと、まるでものを知らない子供に言い聞かせるように、自分より小さな少女が説教をしてくる。
これが思ったよりも心にダメージを与えた。
とてもいたたまれない。めっちゃ恥ずかしい。
午前中に膨らんだ南那のやる気ゲージは既にしぼみまくっていた。
「私達だけで狩りをしているならともかく、他の班も必死に狩りをしている」
こうなるだろうと分かりきっていた顔をしていた未来は、涼しい顔のままだった。
「ま、数は分散するわな」
琉覇もだよな……と相槌を打つ。
「狩りの手段自体も罠という受け身のやり方だからね。はっきり言ってあと一回獲れれば御の字だと思う」
獲物を追い詰める為の猟犬も居ないのだからね、と。至極冷静に、彼女は今後を語り始める。
「今日女子組は再設置した罠に運良く獲物がかかってないかの確認、そのついでに食べられる樹の実でも探してこよう。男子組は歩き回り狩れる動物が運良く見つかる事を祈って探索。これでいいかな?」
「さんせーい」
狩猟開始より丸一日。残り時間もあと一日。
二泊三日の物騒なレクリエーションは、後半戦へと突入しようとしていた。
――戦闘組、第三班。
弓を手にした少年たちは、うろうろと獲物を求めて森を彷徨っていた。
落ち着き無く周囲を見回して、何か居ないかと目を皿のようにして辺りを伺っていた。そしてその中に小川祐樹の姿もあった。
「ヤバい、このままじゃ負ける」
祐樹始め、班員には焦りが有った。
知っているのだ。特別組の成果を。森の獣達を次々を屠りさり、堆くその骸を積み上げている所を、彼らは見てしまったのだ。
勝てない。
対して彼らの成果は狐一頭、兎が一羽。それに、偶発的に遭遇した――というか襲われた――狼の一団を討伐して手に入れた、狼六頭分。
これが普通の狩りであれば堂々とした戦果だったのだろう。
しかし、今は競う相手が居る。そしてその相手は、規格外の戦果を誇っているのだ。
「このままじゃ、あいつらに勝てない……!」
祐樹はあの鼻持ちならない特別組の四人の姿を思い浮かべる。
悔しいがあいつらの恩寵は別格だ。特別待遇なのも納得する。
この二週間、祐樹達は見てきた。
辛い訓練をする事も無く好き勝手に振る舞うその姿を。
そしてそれを――羨ましいと思ってしまっている自分にも気づいていた。
どうしてあそこに居るのが俺じゃない。
不公平だろ!?
神様とやらが気まぐれに、適当に与えた恩寵が当たりか外れかでこんなにも待遇が違う。
あいつらが優れてたわけでも求められてたわけでもない。
ただ運が良かっただけなんだ。
どう見てもクズ丸出しな奴らの癖に運だけは有りやがって。
妬みの感情は、日々強くなっていく。
なにせ彼我の差は「運」、ただそれだけなのだ。
自分はあいつらに何も負けてない。
ただ運が悪かっただけで!
納得のできない感情は、際限無く嫉妬と羨望を募らせていった。
あそこに居たのは自分でも良かったはずだ、どうして、どうして。
だからこそ、負けたくない。
あいつらに勝って見返してやりたい。
俺達はお前らの下じゃないと証明してやりたい。
それが、今祐樹達が狩りに望む原動力だった。
「またさっきみたいに狼でも居ればいいんだけどな……」
「だな」
狼程度なら、自分たちの恩寵で対応可能なのは既に確認済みだった。
訓練ではあまり使わない自分たちの能力がちゃんと戦闘で役に立つ、と理解できたのは嬉しい話と言えた。
それまで訓練漬けで今一持てなかった自分への自信――チート能力転生者としての――が休息に回復していくのを感じる。
自分たちは無力ではないのだ。選ばれし者なのだと。
ふと、進む彼らの前に、何か大きな獣が倒れているのを見つけた。
「これは……熊か?」
身長は2メートル弱程度か。
自分たちに比べたら遥かに大きな体躯を保つ獣が、地面に倒れ伏している。
まるで上からプレス機で押しつぶされたようにぺちゃんこになったそれは、血と臓物を撒き散らし凄惨な様相を呈していた。
鼻を突く血の臭いに、思わず吐き気が込み上げる。
だが同時に、ある閃きが脳裏を貫いた。
――もしかしてこいつ持って帰れば、大得点になるんじゃね?
小さな獣とは違う、明らかな大物。大幅な加点は疑いないように感じられた。
「こいつの剥ぎ取りにはどれくらいかかる?」
班員の一人が、随行員に尋ねる。
「この大きさですとね……ええ」
彼は困ったように言葉を続けた。
「今の時分だと、全員かかりっきりでも多分夜になっちまいます。それでも良ければ」
「うーん……」
祐樹を含む3班のメンバーは各々脳内で算盤を弾く。
明日の昼には狩猟が終了する。
となると、今日の分はこの熊を剥ぎ取りして終わり、という事になる。
これから獲物を探せばまだ一、二匹くらいは普通に狩れるかもしれない。
どちらがより有利か。
「とりあえずさ」
皆が頭を悩ませる中、祐樹が発案する。
「俺の能力で持てそうな部分だけ切り取って運ぶってのはどうだ? まあちょっと臭いかもしれないけどさ……他の獲物も狙って、その後何もできない夜にキャンプで持っていったこいつの部位を剥ぎ取りする。どうよ」
「悪く無いかもな」
「確かに、これくらいの大物なら手とかだけでも結構評価されそうだよな」
祐樹の提案に、周りも乗り気のようだった。
「じゃあ、やるぜ」
祐樹の「刃物であらゆるものを切断する能力」は軽々と熊の手を切断した。
左右の腕を肩から切り離し、さらにその腕を肘から割断する。
合計四つのパーツとなった熊の一部を彼らは持ち合う。
「ついでに首も持ってこうぜ」
リーダーの発案に従い、首も落とす。
これで五つ。
班員は五名なので、全員が熊の部位を持ち合わせる状態となった。
それから戦闘組第三班は、なんとか一匹の狐を狩る事に成功する。
もう一匹くらいは欲しかったな。
祐樹はそう思いながら、随行員が皮の剥ぎ取りしているのをなんとなく眺めていた。
血腥い臭いも、この二日で大分慣れた。
だんだん自分がこの世界に適応していってると、そう思えた。
――不意に。
何か、場の空気が変わったのを感じた。
具体的に、どうだとは説明できない。
だが何かが変わった。
二週間しごきあげられた彼の感覚は、僅かに野生の頃へと戻っていた。
その僅かな感覚が、彼の脳内に警鐘を鳴らしていた。
「なあ、なんか変じゃね」
他のメンバーもそれを感じ取っていたのだろう。
落ち着き無く、辺りを見回す。
何かを、理由も分からず探している。
そうして僅かな時間の後、違和感の正体にようやく気づく。
地面が、揺れている。
地震ではない。
彼らは伊達に地震大国日本の出身ではないのだ。
その違いはすぐ解った。
何か巨大なものが、とてつもない速度で走ってきているような――
それに思い当たった時には、もう遅かった。
あまりにも唐突に。
黒い壁が迫ってきた。
「は?」
誰もが皆、いきなりの事で動けない。
体は硬直し、ただその闖入者を呆けたように眺め続けるだけだった。
黒い黒い壁が、彼らに向かって押し寄せてくる。
ガアアアアア!
空気を震わすほどの大音声。
獣の怒りの声が、辺り一面に響き渡る。
そして次の瞬間、向こうに居た班員の首が飛んだ。
祐樹には何故かその瞬間がスローモーションのように見えた。
巨大な獣の手が彼の頭を横から殴るように振り抜かれ――頭が首から抜けるように、吹っ飛んで行った。
衝撃を直に受けた頭部はグニャリと変形し、出来の悪い福笑いように顔面を歪めさせた。
そしてそのまま、彼方に吹っ飛び、ぐしゃりという音を立てて破裂した。
衝撃の余波を受けた体も少なくない距離吹っ飛び、隣に居た他の班員に当たる。
唐突な首無しタックルを受けた彼の体もまた吹っ飛び、地面へと無様に転がった。
そこに存在したのは、巨大な熊だった。
身の丈は己を倍にしてもまだ足りぬ程の、圧倒的な巨躯を誇っていた。
その幅も人間数人分はゆうに存在するだろう。
それは生き物というよりも、動く壁そのものだった。
「あ」
ただ一声、そう発するのが精一杯だった。
だがその間抜けな一声を発する間に、巨大な熊はさらに行動を行っていた。
巨躯故に鈍重という思い込みとは裏腹に、それは余りにも速く機敏に動いた。
倒れた班員に近寄ると、その体に伸し掛かる。
大凡トン単位の体重になるだろう巨体に押しつぶされ、彼は叫び声すら上げる事もできず、喉からはただ掠れた息が漏れる音が聞こえた。
なんとか逃れようと藻掻こうとしているのだろうか。
伸し掛かった前足を必死にどかそうと手をかけるも、焼け石に水の様子であった。
その顔に、熊が噛みつく。
勢い良く、噛みちぎるように。
捕食ではない。損壊させる為の噛みつき。顔面の表面を食いちぎられ、その痛みで体はびくびくと震えていた。
そのまま前足が柔らかい腹を切り裂く。塵を払うように振るわれた爪は腹部を容易に切り裂き、消化器官を派手に撒き散らした。
それは明らかに、害意を持った攻撃だった。
相手を、敵を苦しめようという明確な意図をそこから感じられた。
小川裕樹は生まれて初めて、その感覚を理解した。
原初にて最も強く、あらゆる生き物が持ち合わせる最強の意思。
――殺意。
平和な日本では一生感じる事が無かっただろうそれを、彼は今存分に味わっていた。
「う、うわあああああ!」
そう叫んで攻撃を開始したのは、「掌から針を打ち出す能力」を保つ少年だった。
その能力はそのまま、掌の方向に針を打ち出すこと。
ただしその数は一度に6発であり、発射速度は毎秒数十発オーバーを誇る、生きたガトリングガンであった。
彼は叫びながら己の能力を全力で発動させる。
急激に体力を消耗し萎える感覚を覚えたが、それでも彼は止めなかった。
眼の前の悪夢を消し去ろうとただ全力を尽くした。
しかし、彼の努力は実らない。
鎧の如く堆積した彼女の体脂肪は、小さな針など蚊に刺された程にも感じる事は無かった。
分厚い皮と脂肪で、彼女に肉にそれが届く事は決して無い。
「ああー! あー!」
白痴のように、叫んで掌から針を打ち出し続ける様を、祐樹は呆然と見つめていた。
ぺたん、と自然に腰が落ちる。足腰に力が入らない。
自分の能力ならあの化け物を切り裂く事もできるかもしれない。
――無理だろ!
さっき、顔が吹き飛ぶ所を彼は見た。まるでうねる電柱のようなそれが一瞬で迫る様を。あれを潜り抜けて剣を当てろ? 冗談じゃない。
剣を握ってからたった二週間、素人に毛が生えた俺に出来ると思うのか?
出来るわけが無い!
がちがちと恐怖で歯の根が合わない。
彼は漸く、「戦闘」というものが何なのか本当の意味で理解した。
戦うとはこういう恐怖と常に向き合うという事なのだ。そこには能力だけではない、もっと根源的な強さ、意志力が必要なのだと唐突に悟った。
自ら死地に飛び込み、次の瞬間は命が無くなるという事を受け入れ。
それでも前に進むのが戦うという事なのだと。
そんなこと、ただの高校生である自分に、できるわけがない。
ずるずると、なめくじのように、みっともなくも祐樹は後退り続ける。
その間に、距離を詰められた少年が一人、体をくの字に折り曲げられ絶命した。
果敢に、もしくは無謀に突撃を敢行したリーダーは返す手で上体をふっとばされ、体が二つに分かたれ絶命した。
立って逃げるべきだと理性が叫ぶ。
だが両の足に入る力は無く、生まれたての子鹿のようにぷるぷると震え続けるだけだだった。
「いやだ……」
ぐるりと熊の首がこちらを向く。
その目が、祐樹の存在を捉えた。
もう、逃げられない。
「いやだ……!」
地面に突っ伏し、両手両足を無様にばたつかせ、這うように祐樹は進んだ。
どうしてこんな事になったんだろう。
俺はまだ高校生になったばっかりなのに。やりたい事も沢山有ったのに。なんでこんな森の中で、こんな目に合わなきゃならないんだよ。
もう嫌だ。家に返してくれ。家に帰って、ゆっくりベッドで眠りたい。そして目が覚めたらいつものように学校に通うんだ。それだけでいいんだ。
だからお願いだ、もう止めててくれ――。
祐樹の意識は、そこで途切れた。
飛び上がり一足で祐樹の下に辿り着いた熊が、その頭を踏みつけ破砕したのだ。
彼の意識は発生機関を失い永遠に消え去った。
流した涙の痕跡すらも、粉々に砕け散った。
だがそれでも足りず、熊は物言わぬ骸を爪で引き裂き、蹂躙する。
執拗に、丹念に。
尊厳を奪おうとしているかのように、破壊を続けた。
動くものが居なくなった事を確認したその熊――巌塊熊は次なる獲物を求めて歩き出す。
巨躯に相応しい膨大な怒りを沈めるには、まだ余りにも供物が少なすぎた。




