第13話 望外の成果
一匹の野兎が朝露に濡れた草を食みながら、彼――もしくは彼女――がいつもそうするように獣道を跳ねてくる。その無垢な瞳にはなんの危険も映り込んでいはいない。
ぴょんぴょんと警戒に飛び跳ね道を進んでいく。
しかし、唐突に――
その体が、ぐん、と空中へと持ち上がる。
兎には何が起こったか、まったく理解できなかっただろう。
瞬間的に首を絞められたその兎はばたばたと四肢を出鱈目に動かし、なんとか状況を打開しようともがき続ける。
しかしそれはもがけばもがく程首は締まり行く死の舞踏でしかなかった。
兎は数秒間ほど暴れていたが、やがてぐったりと体から力が抜けていき、やがてだらんとした無様を晒す骸へと変わり果てた。
「本当に獲れた……」
木陰に隠れていた麻美は、正直驚いていた。
まさかこんなに簡単に罠にかかるなんて。
「通る道さえ把握できれば、こんなものさ」
彼女の頭上から声が聞こえた。
人の背より高い優に2メートルを超える程度の高さの木の枝、そこに座り込む未来の姿があった。
未来は枝から滑り落ちると、木の幹に足をかけ、そして《《中空》》を踏み2ステップかけて地面へと着地した。
彼女が持つ「空中に足場を作る能力」は、この環境下で身を隠すのには十二分に使える恩寵であった。
ほんの一歩の高さを確保できるだけでも、登れる場所は格段に増える。森の中であれば、尚更だ。
「それに麻美、君の能力のお陰でもある」
空中にぶら下がった兎の首、その後ろに、未来は手をかけた。
そこにはまるで見えない何かが有るように、吊り下げられているような様子の兎が手の動きに合わせて揺れ動いていた。
――物の色を薄くする能力。
物の色を薄くする、とはつまり色素が減じてくのと同義である。そしてそれを突き詰めれば、最終的に麻美の能力が発揮された物体は《《透明になる》》。
これを罠に適用すれば見事、恐るべき不可視のトラップが完成する。
頸吊り罠。
小さい獣を穫るこれを、彼女たちは昨晩暗くなる前に作り上げていた。
必要な材料は支給された道具からなんとか代わりを得る事ができた。
背負い袋の口を締める為の麻紐を用いトラップとして仕込み、それをトトが選定した獣道に幾つか設置。
翌日麻美と未来の二人で早朝から確認しに来たのが今の状況だった。
本来であれば十センチ程の高さに、紐で作られた輪っかが兎の目には入ったはずだ。
意気揚々と野を飛び回る兎がそれを回避する事は、それだけでも困難。
しかし野生の感で違和感を覚える可能性はゼロではない。
それをゼロにしたのが、麻美の能力だ。
視覚情報すら欺き、まったく違和感を持たせない。
これを対人に応用すれば恐ろしい事態を巻き起こす事も可能だ。
不可視の罠というのは、それだけの威力を誇る。
麻美という少女の能力は、彼女自身が考えているよりも遥かに凶悪な可能性を秘めていた。しかし幸か不幸か、平和な日常に生きてきた普通の高校生の少女はそれに未だ気づいてはいなかった。
「さてと、それでは次を見に行こうか」
罠から兎を取り外した未来が、歩き出す。
「もう幾つか引っかかってくれてると嬉しいのだが」
琉覇は己の幸運に感謝した。
そこには鹿が一匹、彼らの存在に気づかず悠長に朝餉を楽しんでいる最中だった。
木々の間から光が差し込む一点、隙間になったそこは緑豊かで温かな場所だった。
鹿が好みそうな若草が生い茂り、鹿にとってはご馳走が並ぶ穴場なのだろう。
首を下げ美味しそうに草を食んでいる。
――もしかしたらここらへんは動物が食事に来るかもしれないです
トトのそんな言葉を信じ、様子を伺いに来たら見事に当たりだった。
「あのちびっこ、やるなあ」
琉覇はそのアドバイスに素直に感心しながら、鹿の動きを注視し続けた。
鹿は未だ動く気配はなく、食事に夢中なようだった。
絶好の機会を逃す意味は無い。
琉覇は後ろに控える帆にアイコンタクトを送る。
帆も無言で頷くと、ごくりと一回喉を鳴らした。
彼の顔には琉覇以上に緊張が浮かんでいる。
額に汗が滲み、口をへの字に結んで、難しい顔で琉覇の方を見ていた。
腰紐に結ばれた麻袋、そこに入っている石の感触を琉覇は確かめる。
拠点の岩場から拾ってきた、掌で握り込める程度の石。
それが入るだけ詰まっていた。
彼は石を幾つか掴むと、鹿の背後の方に放り投げる。
それらは鈍い音を立てて地面に落ちる。そのはずだった。だが――
音がしない。
依然、鹿は変わらず草を食み続けていた。
そして琉覇は間髪入れず次の行動へと移る。
彼は懐から取り出した布――細長い布の両端から紐状にねじり上げ、真ん中だけそのままにしたそれ――に石を載せる。
そしてその布を思いっきり頭上で回転させた。
石にかけられた遠心力で勢いよく風切り音を発生させるはずのそれは、やはり無音であった。
それは人類でも最も古い飛び道具、投石機だった。
――いやあ、何が役に立つかわかんねえェな。これを使う日が来るなんてな。
『何処でも手に入る飛び道具の作り方を教えてやる』
そう琉覇が祖父に教わったのはもう何年前だっただろうか。
当時の琉覇子供にこんなもん教えるなとかこれ人に当てたら死ぬよなとか、祖父の教えに文句を言ったものだが。
――今は存分に使わせて貰う!
鹿に向かって、琉覇は疾走する。
何度か練習はしたものの、命中精度には然程自信が持てる状態ではない。
故に命中率を上げる為、彼は近づく。
ど、ど、と。漸く、石が地面に落ちる音が鹿の後ろから発生した。
それまで呑気に草を口にしていた鹿は、突如発生したその異音に文字通り飛び跳ね、驚く。
そして音から逃れようと全力で疾走しようとして一歩踏み出した瞬間。
「オラァ!」
遠心力により運動エネルギーを蓄えた石弾が、投石機から解き放たれる。
岩場に落ちていた単なる石は今や殺意を込めた砲弾となり鹿へと迫った。
琉覇には、最近自分の能力の使い方が朧げながら理解できてきた。
最初は訳がわからなかったのだ。
ものを半分に測れるだけの能力。
一体なんの役に立つのかと。
しかし、数日後。
彼は気づく。測れるのは距離だけに限らないと。重さもそれに含まれると。つまり――
人の重心が理解できる。
重さが半分、つまり重心点。
それが自分に感覚的に理解できるようになったと、彼は知った。
重心が解るという事は相手の動きが解るという事だ。
歩きだそうとすれは踏み出す足に重心が移る。
前方向へ重心が動く。そのタイミングが、全て解る。
格闘家である琉覇にとって、それはあまりにも有用に過ぎる能力。
鹿が全力で前へ進もうと後ろ足を蹴り出し、その力を前足で捉えた瞬間。
鈍い音と共に、石弾が鹿の体にめり込んだ。
草を食んでいる最中の一撃であればここまで綺麗に行ったかどうか。
故に、体を崩し最も効果的な痛撃を叩き込む為、敢えて鹿を走らせた。
不安定な姿勢を作りあげる為に。
鹿は「ギャッ」と短い悲鳴を絞り出すようにあげると、その場に倒れ込む。
その巨体が崩れ落ちると同時――遅れていた琉覇の足音と、投石機が空を切るヒュンヒュンという風切り音が、重低音となって周囲に響き渡った。
それはまるで音が追いついてきたかのようだった。
帆が琉覇に付与した『音を5秒間遅らせる』という恩寵。
それが琉覇の立てるあらゆる音を、先送りにしていた。
ほんの5秒、されど5秒。
彼の生み出す無音の時間は、奇襲を行うには余りにも有用だった。
相手の背後から忍び寄り、一撃を加える。
これを行うのに5秒も有れば十分な事は明白なのだから。
二人の能力は予想以上に効果的なシナジーを生み出していた。
帆の能力で奇襲を実現し、琉覇の能力で虚を突く。
ゲームで言えば強制先制クリティカルを出せるようなものだ。ここに強さを見出さないものは居ないだろう。
「なんとかなるもんだな……」
鹿の息の根が完全に止まっているのを確認し、琉覇が呟く。
彼自身、ここまで上手くいくとは思っていなかった。
「これでボウズは避けられたか」
「二日間食事抜きにならなそうで安心したよ」
そう言う帆の顔も心無しか明るく見えた。
「しかしどうするかな」
「どうするって、何」
「いやさ」
倒れた鹿を指さして。
「こいつ、どうやって持って帰ればいいんだろってさ」
指摘する琉覇の顔は、困り果てていた。
穫るところまで考えていても、その先は考えていなかったのだ。この男子二人は。
「……アンタが担げばいいだろ」
「やっぱ、ですよねェ~」
鹿の死体を担ぐ琉覇の後ろを、帆は遅れてついて行った。
彼の顔は普段の不機嫌そうなものとは違い、どこか満足げであった。
男二人が拠点に戻ると、留守番していた南那と、戻ってきただろう麻美が青い顔で岩棚の下に座り込んでいた。
「どうしたん」
「いえちょっと」
ぐったりとしながら、南那が言う。
「トトちゃんに血抜きを手伝ってって言われたんですけど、気持ち悪くなって」
「あー……」
畜産科でも無い高校生に、動物の解体作業は辛い。
琉覇は同情したような表情を南那に向けた。
「今はトトと未来さんがやってる」
「お嬢はできんのか」
「経験無いけど、トトが言うにはわたし達の中では一番筋が良さそうって」
「それ以前に血とかなんとか平気なのがスゲェよ」
特になんの忌避感も無く、「魚を捌くよりは大変だね」と血抜きする未来の姿を、南那はすげえ……と素直な驚きで見ていた。
これが、お嬢様!
……お嬢様?
南那は疑問に思ったが、任せる以外ないのでその疑問を封じ込めて、今こうしてここに居る。
「まあ、この二人よりは歳上だからね」
「お嬢」
まるでこちらのやり取りを聞いてきたかのように、タイミング良く未来が戻ってきた。
既に水場で血等は洗い流して来たのだろう。
手や衣服には若干濡れた後が残っていた。
「ほう、鹿を獲れたんだ」
琉覇が担いできた鹿を一瞥し、未来が感嘆の声を漏らす。
「朝から幸先が良い事だ」
しかしこれをまた捌くのは大変だね、と彼女は苦笑する。
「他の班がどの程度獲れているかは知らないが、悪くない結果だと思うよ、これなら」
「だと良いがな」
それにしても、と彼は呟く。
「昨日の夜、話し合って良かったぜ」
――自分たちの能力の使い方って奴をよ。
初日、その夜。
やる事の無い保護組五人は自身の力をどう活かすべきか。
それについて、徹底的にお互い話し合った。
ああでもないこうでもない。
どういう使い方が良いか。
どうしたら狩りに活かせるか。
どんなものでも使い道は有るはずだと。
結果が、今朝の狩りの成果だった。
特別組の連中のような派手さは無い。
しかし決して何も出来ない理由ではない。
保護組の五人にとってそれが確認出来た事は、狩り以上の成果だったのかもしれない。
やれる、と。
彼らは今、自信を積み上げつつあった。
ちなみに南那は、あまり活躍できなかった。
「文字を書くだけじゃねえ……」
とりあえず罠の有る場所を獣に見えないようマーキングして人が引っかからないようにする目印を書き込む役目は貰えた。
なんとなく無理矢理役目を作って貰ったように思えて、南那はちょっと泣いた。




