マナ暴走と神名の儀
ソレナ村で暮らし始めて半年が経った。
相変わらず――
自分の中にあるはずの“マナ”をはっきり感じ取ることはできない。
だが村の仕事は、ようやく形になってきた。
動きの流れを覚え、作業のコツをつかみ、
村人たちとも自然に言葉を交わせるようになった。
「クリス、今日も頼むぞ」
「助かってるよ」
そんな言葉が、ようやく素直に胸に落ちる。
腕も、脚も、確実に強くなっている。
体は――順調に育っている。
……それでも。
「アレン師匠、そろそろ剣の修業は……?」
「まだ弟子見習いだ。駄目だ」
半年経っても、この返事だけは変わらなかった。
仕事が無駄だと思ったことは一度もない。
むしろ、この生活が俺の心を支えてくれている。
それは分かっている。
だが、それとは別に――
胸の奥に、ずっと張りつめた焦りがある。
(剣を学ばないと、間に合わない)
ザースは必ず動く。
魔獣は必ず村を襲う。
未来で起きたことは、何ひとつ夢ではない。
「……くそ」
どうすればいい。
どうすれば――。
その時だった。
――どくり。
心の奥底から、黒い波が押し寄せてきた。
憎しみ。
後悔。
怒り。
焦燥。
あの日、全てを失った“あの瞬間”の感情がそのまま蘇ってくる。
「……なんだ、これ……」
胸が焼けるように熱い。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。
何かが、内側から暴れ出そうとしている。
(……まずい……!)
「……収まれ……!
頼む、暴れんな……!」
必死に抑えようとする。
だが黒い感情は、逆に勢いを増していく。
――このままでは、俺は自分を保てない。
その時。
「クリス!!」
鋭い声が、暴走した意識を引き戻した。
はっと顔を上げた瞬間、
アレン師匠がすぐ目の前にいた。
「いいから、落ち着け。……任せろ」
言葉と同時に、背中へ強い手が当てられ――
「っ……!」
体の奥で暴れていた黒い力が、
まるで“引き抜かれる”ように流れ出した。
荒れ狂う感情の奔流が、体から外へ押し出される。
アレン師匠はそれを受け止め、地面へ逃がしていく。
(何だ……この感覚……!)
全身が震え、意識が遠のいていく。
「クリス!!」
誰かの叫びが聞こえた気がした。
そして――闇が落ちた。
※アレン視点
腕の中で、クリスが静かに意識を失っていた。
「……やっぱり、来たか」
これはただの感情の爆発じゃない。
魂からこぼれた“マナの暴走”だ。
ソレナ村に来て半年。
生活が馴染み、心も落ち着いてきたと思っていたが――
根の部分は、まだ危うかった。
このままでは、こいつは壊れる。
「……神名様のところへ連れていくしかねぇな」
クリスを抱え、俺は神殿へと向かった。
※神名視点
……やはり、こうなったか。
クリスという子は、最初から“二つの核”を抱えておった。
復讐。
そして正義。
相反する想いが絡み合い、魂の底でせめぎ合っておる。
本来であれば、時間が経てば自然と均衡するはずじゃ。
じゃが、あの子の場合は違う。
魂を持って“時を遡った”という異常が、
心の器を根元から歪めておるのじゃ。
いまは――
「復讐」の感情が肥大し、
そのまま“マナ”へと変質しようとしている。
このままでは、力に呑まれて壊れる。
……致し方あるまい。
これは賭けじゃ。
成功すれば道が開ける。
失敗すれば――ここまで。
「……神名の儀を行う」
時期としては早すぎる。
本来なら何年も先じゃ。
じゃが今は、
“止める”のではなく――
クリスに『選ばせる』しかない。
復讐か。
正義か。
心が向かう方を――。
※クリス視点
……ここは、どこだ。
意識がふわふわと浮いている。
体の感覚はなく、ただ柔らかい光に包まれていた。
「……俺は……」
その時。
「クリス」
振り向いた先に、
信じられない人物がいた。
「……セリーヌ皇女……?」
あの日、処刑台で最期に見た少女。
変わらぬ優しい瞳で、俺を見ていた。
「あなたは、“復讐”のために生きるのですか?」
その問いに、迷いはなかった。
「はい。
俺と……あなたを殺した者たちに復讐します」
だが、セリーヌ皇女は静かに首を振った。
「……違うのです、クリス」
「私の願いは、そんな狭いものではありません」
「え……?」
少女は一歩、近づいた。
「私は、神名様に仕える巫女の家系の娘。
“時”を読む力を持っていました」
その声は、悲しみと覚悟が混ざっていた。
「皇帝の妃となった母は――
他の妃たちに殺されました」
胸が痛む。
そんなこと、知らなかった。
「この世界には、あなたの知らない真実がたくさんあります。
ザースも、その一つにすぎません」
そして、彼女はまっすぐ俺を見る。
「私は、あなたの中に眠る“正義”のマナに賭けました」
「正義……」
「復讐は、あなたを動かす力になります。
ですが――それだけでは世界を救えません」
静かだが強い声。
「どうか、もっと広く見てください。
あなた自身の人生を、そして世界を」
「世界は、これから“厄災”を迎えます」
「あなたは……その中心に立つ人なのです」
そして、最後に微笑んだ。
「クリス。
復讐ではなく――
“正義”を選んでください」
光が彼女の姿を包み込み――
セリーヌ皇女は、静かに消えていった。
残ったのは、
胸の奥で温かく燃え上がるような感覚。
怒りではない。
憎しみでもない。
もっと澄んだ、まっすぐな想い。
「……これが……俺の……」
俺の内側で――
“正義”のマナが目を覚ました。
確かに、ゆっくりと。




