エマの日常(待つということ)
―エマ視点 ―
クリスがソレナ村へ旅立った日、
村の空気が、いつもより静かに感じた。
ラガン村は森に囲まれた小さな村だ。
陽が昇れば鳥が鳴き、
家々からは朝ご飯の匂いが流れて、
子どもたちの笑い声があちこちで聞こえてくる。
でも、その日の私は、
全てが少しだけ違って見えた。
理由は簡単。
「クリスが……いない」
それだけだった。
私は柵の前に立ち、
森へと続く小道をじっと見つめていた。
その奥へ消えていったクリスの背中が、
頭の中で何度も揺れた。
***
「エマ、手が止まってるよ」
母の声で我に返る。
気づけば洗い物を抱えたまま、外を見ていた。
「ごめん、ちょっと……考えごと」
「クリス君のことでしょ」
図星だった。
母は笑って頭を撫でてくれた。
「帰ってくるわよ、ちゃんと。
あの子は強いし……あなたのこと、大事にしてるんだから」
「そんなこと……わからないよ」
「ふふ、わかるものよ。
見てたら、ね」
母はそれ以上何も言わず、
黙って手伝いを続けた。
それが、少し嬉しかった。
***
午後になると、村の子どもたちが集まってくる。
私が簡単なお手伝いや読み聞かせをするのが日課になっていた。
「エマお姉ちゃん、今日もお話してー!」
「うん、いいよ」
私は微笑んで答える。
クリスがソレナ村へ行ってから、
私は村の子どもたちと過ごす時間が増えた。
不思議とね、
子どもたちの笑顔を見ていると、
心のざわつきが少しずつ溶けていく気がした。
「ねぇエマお姉ちゃん。
クリス兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
「……うん。きっと、すぐだよ」
そう答えると、胸が苦しくなる。
本当は不安でたまらなかったのに。
クリスが選んだ道。
強くなるために行ったソレナ村。
師匠と修行すると聞いてから、
私はずっと心配を抱えていた。
でも、弱さは見せたくなかった。
クリスの前でも、子どもたちの前でも。
***
夕方。
追いかけっこに疲れた子どもたちが解散していき、
ひとりになると、
私はまた森の入口へ向かってしまう。
「……はぁ」
今日もクリスは戻らない。
村を見守る風が木の葉を揺らし、
その音だけが辺りに響く。
「待つって……こんなに苦しいんだ」
ぽつりと口に出すと、
胸の奥の何かがすっと軽くなった。
(クリスも、こんなふうに誰かを待ったことがあるのかな)
そんなことを考えると、
彼の気持ちが少しだけ分かる気がした。
***
クリスがいない日々、
私は少しずつ変わっていった。
待つことの苦しさ、自分の弱さ、それでも信じ続けることの大変さ。
どれも知らないまま、
ただ寄り添っていただけの頃の私とは違っていた。
***
季節が少しだけ進み、
森の色が変わる頃――
私は気づく。
毎日不安でつらかった日々は、
いつの間にか“成長の時間”になっていた。
(クリス……)
あなたがいない間、
私は強くなれた気がする。
支えることの意味も、
待つことの意味も、
自分の心と向き合うことも。
全部――あなたを想う気持ちが
私を前に進めてくれた。
***
今日も私は森の入口に立つ。
風の匂いが、あの日と同じ。
「……そろそろ、帰ってくるよね」
そう呟くと、胸の奥がふっと温かくなった。
“待つ”ということは、
決して苦しいだけじゃない。
その先に、
「帰ってきてくれる誰か」を信じているから。
私は今日も、明日も、
あなたの帰りを待っている。
いつかあなたと並んで歩く未来を信じて。




