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悪趣味

作者: 東都エリ
掲載日:2025/11/30


「先生に言うから」


 長見月華は言った。それが魔法の言葉であるかのようにそれを言えば済むかのように。


 怒り顔というのは面白いもので人によって違う。本気で感情的になっている奴らはそれこそ般若のように眉を吊り上げ、目を三日月のようにする。口からは悔しさの怨嗟がこぼれ落ち、体はプルプルと震え出すだろう。


 自分が正しいと、正義感に浸っている奴らは落胆したような顔になる。ただ目つきだけに感情が表れて、他はとんとものを語らない。自分は冷静であると装っているのだろうか。見下しているのだろうか。口から垂れ流す言葉は非難の言葉ばかりだ。


 月華は後者だった。自分を正義だと思い込んで他人を叩く奴は嫌われる。だからみんな月華が嫌いらしい。


「あの子、真面目なのね」

「そうそう。長見月華って言うの」

「学級委員長にも選ばれちゃってさ、めっちゃウザい」

「胡桃ちゃんは転校してきたばかりだから知らないもんね。月華ちゃんの家も超厳しいよ」


 PTAの会長をしているだとか、公園でボール遊びをしている男子が叱られていただとか。厳しい親の元で育った子どもも親に似るものなのだろうか。


 私はゆっくりと彼女の名前を反芻した。


 長見月華。


「へぇ、面白そう」


 つい口から漏れ出た言葉に彼女たちは信じられないという顔をしていた。


「胡桃ちゃん、あんな子と関わらない方が——」

「そうかな。私、もっと仲良くなりたくなっちゃった」

「ええ、やめときなよ」


 困り顔で一歩引いてくる少女たち。まるで私が異端であるかのように見てくる。でも、離れるようなことはしない。


「大丈夫だよ。ちょっと遊ぶだけだから」


 そう言えば少しだけ落ち着いたみたいだった。


 人と仲良くなるには相手を知るのが一番だ。相手を知るには相手と話すことが手っ取り早い。


「おはよう月華ちゃん」

「……おはよう」


 月華は一瞬びっくりしていたが、素っ気なく挨拶を返して何かのプリントを黙々と埋めている。


「それだけ?」

「え、……えっと、胡桃……さん」

「胡桃ちゃんでいいよ」

「胡桃ちゃん……ずいぶん早いんだね」


 午前七時半。本来の登校時間が八時からであることを踏まえると早い朝だ。先生の立っていない校門を通るのは初めてで、人の気配のない廊下はどこか別世界に迷い込んだ気さえする。月華は毎朝この時間に来ているらしい。


「うん。月華ちゃんに会いたくて早起きしちゃった」

「会いたくて……?」


 特段話したこともない相手にそう言われれば困惑するに決まっている。私はランドセルにつけた継ぎ接ぎのクマのストラップを見せた。


「また持ってきたの?」

「うん。お礼が言いたくて」

「……ああ、そんなの別に」


 少し前、とはいっても昨日か一昨日の話。月華の目の前でストラップが落ちて、拾ってもらった過去がある。その時は他の子たちもいて、学校に不要なものを持ってくるなと言っていたので、軽いお礼しか言えなかった。


 私はランドセルからラッピングされた桃色の小袋を取り出す。


「これは?」

「お礼。開けてみて」


 月華が少し照れくさそうに開ける。プレゼントを貰うのは初めてなのだろうか。その様子を微笑みながら見守った。


「ストラップ……?」


 中に入っていたのは、私の持つクマと同じ配色のストラップ。月華は困惑したようで、それでもどこか嬉しそうな目でそれを見ていた。お礼はない。それよりも何かを言いたそうにしているが、それに気づかず笑顔を見せた。


「月華ちゃんのランドセルってなんか地味だもん。これね、私が好きなバンドのマスコットなの。多分みんな知らないんじゃないかな。前の学校でもそうだったし……」

「………………あ、でも」

「ねえ、付けてみてよ。月華ちゃん赤いランドセルだから桃色にしたんだ」


 私はどこか寂しげにストラップを見つめた後、月華のランドセルを持ってきて、付けやすいように立たせた。ほら、早く。月華は頷きストラップを取り付ける。


「ほら、似合ってる」

「ほ、ほんとに?」

「うん。とっても可愛いよ」


 それから私は自分のランドセルを背負った。


「お揃いだね」


 そう笑って見せれば少しだけお互い近づけた気がした。月華もしばらくストラップを見て嬉しそうに微笑んでいる。それがなんだか可愛らしい。だから、ね? こんな気持ちはみんなと共有した方がいいでしょ?


 私は休み時間にみんなに自慢するように少し大きめの声で話した。


「見てコレ」

「かわいぃ。でも、いつものと色違うんだね」

「わっ、よく見てるんだね」

「うん! いつもは銀色のクマちゃんだもんね?」

「そうなの。でもね、今日は月華ちゃんとお揃い」

「……え?」


 空気が冷えるというのはこういうものなのか。私の笑みと同時にクラスからざわめきが消える。周りにいた子も、遠くで話していた男の子たちも、黒板に落書きしていた子達も。みんな凍ったように動きを止めて、教室の一方をチラリと見た。話題は自然と彼女に変わる。


「月華ちゃん……?」

「えっ、なんで?」

「てか、あの子さあ、そういうの嫌いじゃなかった?」


 ヒソヒソと教室の四方から声がする。小さな好奇心。大きな敵意。理解できないという視線の雨。月華は教室の隅で、眼鏡をかけた友達と黙々と絵を描いていた。友達は一瞬だけ月華を見たが、すぐに目線を自由帳に移して鉛筆を動かす。


 無視を決め込んでいる。せっかく少しでも仲良くなったのに、それは勿体無い。でも仕方がないよね。


 朝、二人だけの時間が終わる頃、無口な男子が教室に入ったと同時に私はそっけなく彼女の側から離れた。またねだとか、後でねなんて優しい言葉もなく突き放したんだから。


 月華はそれで理解する。まるで自分は被害者であるように辛気臭い顔でいるけれど、これまで真面目だった報いのようなものを感じ取っているはずだ。もちろん真面目であることは悪いことじゃない。先生や親の言う事をお利口に聞いて、校則を遵守するのはむしろいい事だ。


 でも、それを押しつけられると嫌でしょ?

 みんなが自分をうざがっているのも知っていたのでしょ?


 月華は理解する。どれほど胡桃が優しくしても、胡桃が守っている世界には入れないと。壊したくないものね。長見月華は優しくて真面目な人間なんだから。


 でも、それを破ってあげる。


「もう、辞めてよ。真似っことかそういうんじゃないよ。私があげたの」

「……え」

「そうだよね、月華ちゃん?」


 月華が手を止めて振り返る。目があったので微笑み返す。月華は反射的に目線をずらして、そこでやっと教室中から視線を受けていることを理解した。


「……あ、う、うん……」

「ほらね?」


 それでも教室の温度は以前冷たいままだ。熱気がない。楽しさだとか面白さのようなものがない。不信感や何故という戸惑いばかりが溢れている。


「え、でも、なんであげたの?」

「……あげちゃダメ?」

「あ、いや、違うくて」


 冷ややかに目線を移せば慌てる女の子。私はその変な反応にくすりと笑って謝った。


「ごめんね。意地悪しちゃった。ほら、月華ちゃんにこの前拾ってもらったじゃない? そのお礼」

「へ、へぇ」

「もしかして……欲しいの?」

「うぇ……? あ、うん。欲しい!」

「えぇ、待ってだったら私も欲しいわ」

「どこに売ってるの?」


 まるで雛鳥みたいに欲しがる子たち。こんなに嬉しいことはない。まずは皆んなにバンドの布教をしてあげないとね。明日は好きな曲で盛り上がれそうだ。


 放課後になった。けれど私からすることは何もない。いつものようにいつも通りに帰るだけ。月華がランドセルを背負った時、きらりとストラップの継ぎ目が輝いた。いつも味気ないランドセルを背負っている彼女にとっては小さなお洒落だろう。だって、給食袋も地味な色合いで柄も婆臭いんだもん。


 その時、髪を伸ばした女の子がぶつかって、月華を転ばせた。それをくすくすと周りが笑う。


 酷い子たちよね?


 でも、仕方ないよね?


 だから、変わりたいよね?


 私は少しだけ期待を孕んだ笑みを月華に向けて、教室を出ていった。


 翌日はいい天気だった。澄み渡るような青空で、柔らかい風が心地よい。通学路には色とりどりのランドセル。


「おはよう胡桃」

「あ、虎ちゃん。聞いてくれた? 私のおすすめのバンド」


 下駄箱で友達と会う朝。いつも通りの日常。私は虎ちゃんと話しながら教室に向かう。せっかくなら昨日布教したバンドも聞いてくれるといいな。


「んや聞いてないよ」

「えぇなんで」

「いや、私音楽はサイコビリーしか聞かないって言ってるじゃん」

「えぇもう」


 でもそういうところが虎ちゃんの良いところだ。こちらが項垂れて残念そうにしても気にも留めない。でもかまわない。


「あ、胡桃ちゃんおはよ」

「おはよう」

「胡桃ちゃんおはよう」

「うんおはよう」

「ねえ、聞いたよあのバンド」

「ほんと? 嬉しい!」


 廊下を歩いて、声をかけるクラスメイトたちと与太話を楽しむ。教室まで来るとまたねと虎ちゃんとは別れて、私たちは教室に入った。


 入る時、チラリと月華の席を見た。いつも通りに早く来て、いつも通りに友達と談笑している。でも、どこか気が乗らないみたいに教室の扉をチラチラと見ている。おかげで目があった。


 月華は目があった瞬間に立ち上がり、何かを言いたそうに近づいてくる。周りの子達が何事かと不安げに様子を伺う中、私は笑顔で挨拶をする。


「おはよう月華ちゃん」

「胡桃、ちゃん。その……」

「おはよう。月華ちゃん」

「……ぁ。お、おはよう……」

「どうしたの? 私に何か用事?」

「あ、うん。あのね、ちょっと、来てくれない?」


 月華は牽制するように周りを見た後、私についてくるよう言って教室から出ようとする。


「何で? ここでいいじゃない」

「で、でも」

「みんなも気にしないよね」

「うん。全然話したらいいよ」

「何? もしかしてヤラシイ話じゃないの?」

「えぇっ変態じゃん」

「ち、違っ」

「まあまあ揶揄わないの。ほら、みんな席に戻って? はい。話しなよ月華ちゃん」


 それでも月華は話そうとしない。煮え切らない態度には冷たさを見せるのが一番だ。落胆するようにため息を吐いてもういいと言えばいい。だって、待つのは私。私が正しいのだから。


 そうすれば話したい子たちは引き留めようとする。月華も待ってと呼び止めた。私は振り返る。受け入れるような笑みは浮かべない。仕方がないといったような呆れ。これが最後だという一線を見せる。


「ぁ、あの、ごめん」

「何で謝ってるの?」

「あの、その、ストラップ……ぁ」

「ストラップ……?」


 月華はしまったと焦りを見せる。言葉を間違えたのではない。言う順番を間違えたのだ。月華は何とか取り繕おうと言葉を必死に引き出そうとする。支離滅裂で要領の得ない言葉。毎朝勉強しているのにね。何の意味もないんだね。


「ストラップがどうしたの?」


 落ち着くように問いただす。ストラップなんてそんなの昨日あげたものしか心当たりがない。私は慌てる月華から目を外して、教室の後方、ランドセルをしまっている棚に目をやった。正確には、その近くにいた子たちに。


「ああ、月華ちゃんストラップしてない」


 その声に月華の体がビクリと跳ねた。

 教室は静まり返った。宿題をしていないと慌てる男の子たちも、よくわからないダンスを踊る女の子たちも。緊張感。緊迫感。見えない糸が張ったように全てが止まった。


 聞こえてくるのは廊下を歩く生徒の声だけ。教室は外とは隔離された空間であるかのような歪な空気で満たされる。


 私はその静けさを壊すように口を開く。優しくて冷たい声を。


「ほんと? 月華ちゃん?」

「うん。ほんとだよ! ほら見てよ!」

「月華ちゃんに聞いてるんだけど?」

「ひっ……ご、ごめんなさ……」

「どうなの? 月華ちゃん」

「ぁ、ごめ……、ち、違うの。お母さんが」

「お母さん?」


 私は合点がいったように天を仰いで見せた。


「ああ、厳しいらしいね」


 まるで暗い闇に一縷の光が差したように、それを希望だといわんばかりの顔をして月華は頷いた。


「そうなの、そうなの! お母さんがしたらダメって言って」

「引き裂いちゃったんだ」


 ストラップはその金具だけを残して、何がついていたのかもわからなくなっていた。月華はまたも頷いた。責任転嫁。私は悪くないんだね。


「私のあげたストラップでも」


 私は微笑んだ。仕方がないよと微笑んだ。


「そうだよね、厳しいもんね。真面目だもんね。仕方がないよね」

「……あ、ああ、だから、胡桃、ちゃん」


 振り向く私の顔を見て、月華は理解する。


 胡桃の世界には入れないと。

 胡桃の友人にはなれないと。


 壊しちゃったもんね。


 長見月華はどうしようもなく真面目な人間だって示しちゃったもんね。


 私はそのまま席についた。やるせなく肩を垂らしたら女の子が席につけば、ようやく教室は動きを取り戻す。


 昨日と何も変わらない。いつも通りの日常がまた始まる。


 正義を盾にした嫌われ者は変わらない。群がるだけの民衆はいつものように嫌われ者を疎ましく思うだけ。


 その様子を私はただ眺めるだけ。何も変わらない日常の、見えない変化を楽しむだけ。

:(

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