17:02
本来は終業時間であるはずの定時を迎えた。
それが権利とはいえ、堂々とこの時間に帰れる人間は多くはない。
五時を迎えたところで、片付けのための準備が始まる。
残務処理の始まったフロアには、黙々としたタイピング音が響いていた。
『今日はお疲れ』
『お疲れさまだったね』
『そろそろあがれそう?』
『まだちょっと無理』
『こっちもまだ終わらない』
『目標18:00で』
『分かった。頑張る』
送られてきたメッセージに、キーボードを叩く指先が加速する。
議事録なんてものは、さっさと書いてさっさと出すに限る。
特に今回は、堺田チームに先回りされないうちにまとめ上げて部長報告しないと。
上にチクるという目的を果たすなら、絶対に早い方がいいと思うと、力も入る。
新井室長は煙草休憩なのか、席を外していた。
外周り担当の翔真先輩と宮澤さんは、熱心に打ち合わせを続けている。
堺田チームから外された仕事がうちに回ってくることを予測して、取り引き先の情報交換をしているのだろう。
今回プレゼンした担当も新しく増えることだし、仕事の分担も必要だ。
藤中くんは相変わらず甲斐くんを捕まえて、データの見方と発注のコツを教え込んでいる。
「じゃ、僕たちはそろそろ失礼するよ」
一番最初に立ち上がったのは、翔真先輩と宮澤さんだった。
「翔真先輩、お疲れさまでした。宮澤さんもお疲れ」
そう言った私に、彼女は突然、鼻先まで顔を寄せてきた。
「あの、天野先輩」
「ん? なに?」
「ずっと言おうと思ってたんですけど、今日のカッコウ、めっちゃ可愛いです」
「え? どれどれ? ふふふ。本当だね」
「あー……」
翔真先輩に笑われている。
だけど宮澤さんから褒められるってことは、大丈夫ってことだよね。
「ありがとう。そう言ってもらえるとうれしい」
「お幸せに」
あはは。
まだ仕事を続けていた、藤中くんと甲斐くんもこちらを振り返った。
「天野先輩は、いつでも可愛いですけどね」
「別にそんな取って付けたように気を遣ってくれなくてもいいんで!」
「うわー。照れてるよ」
藤中くんのけだるい目が、私を見下ろす。
「ま、別になんだっていいんだけどね」
それはどういう意味なんだろう。
「じゃ、お先に失礼しまーす」
「僕もお先に」
宮澤さんと翔真先輩がフロアを出て行く。
「藤中くんと甲斐くんはまだなの?」
「もうちょっと」
そう言った甲斐くんの目が、じっと私を見つめた。
「天野さんは、まだ時間かかりそうですか?」
「まぁね。でももうちょっとで終わるから」
「今回の議事録は書くこと多いですもんね」
少し申し訳なさそうに視線を反らす彼に、やっぱり私は自分の中の何かをくすぐられるようだ。
「大丈夫よ。議事録なんてものは、書き慣れれば早いもんだし。今日中にさっさと終わらせておきたいだけだから」
「そうだぞ、元稀。天野さんには明日から、またこっちも手伝ってもらわないといけないんだから」
「はい。そうでした」
「俺たちもさっさと終わらせるぞ」
作業に戻った二人の背中を見て、もう一度気合いを入れ直す。
私も頑張らないと、約束の時間に遅れちゃう。
卓上には、飲みかけの紅茶が入ったマグカップが残されていた。
これはもう先に洗って、片付けておこう。
ちらりと壁にかかった時計を見上げる。
時刻は十七時二十五分を過ぎていた。