パンツインザパンツ
生前はハノイで一番の海賊だったとか、風呂場掃除を任せれば右に出る者はいなかったとか、握力によって分子結合を破壊できたとか、様々な逸話を残して亡くなった叔父の頭骸骨とお茶を飲んでいた。叔父はすごい。すごいから頭骸骨のままでも難なく会話が成り立ってしまう。五体満足でありながら、僕の方が圧倒されてしまうほど叔父はお喋りだった。叔父曰く、少なくとも表面上だけは浄化され、これから世界は完全に清潔そうな顔で存続するのだろう。だがその世界に暮らす個人レベルにまで変化は及ばず、また相変わらず物事を普通よりも深く、それもそこまでできて平常だという類の人たちが当然生き残っていて、そういう人たちにとってはひたすら生き辛くなってしまうのかもしれない。仕事上の困難なら折り合いもつくが終業してもなお、日常出くわす事件やニュースに取り上げられる事件のもとには、自分では考えつきもしない浅はかな意見ばかりが集められ騒ぎを起こし、それはただ無視するにはみな声が大き過ぎるのである。まるで自然と自分が異常扱いされているみたいな、しかしそう簡単に自己憐憫に浸ろうというセコイ人たちではないから、試しに皮肉な愚痴を垂れてみることはあっても、結局はその騒ぎを、騒ぎを起こすような人たちを軽蔑するしか他の方法が採れなくなってしまうのだ。誰かを軽蔑したいから生きているという訳でもないのに……。さて一体彼らのこの気持ちをどうやって解消すればいいのだろう。もちろん諦めてしまうという手もある。自分や周囲に集まる人々以外すべてを見放して、できるだけ世間に目を向けないという方法がある。これは軽蔑じゃない。そうしてしまう可能性を摘み取るという行為だ。悪くはないと思う……悪くはないと思う……。
そう言って叔父は再度、永遠の眠りに戻ってしまった。叔父が永遠というからにはきっと永遠なのだろうけれど、ときどきこうして意識を取り戻すことがある。叔父の逸話によれば、とにかく名ばかりの人間が多すぎる! らしいのだが、死後の世界で何か心変わりがあったのか、あるいは永遠という言葉の定義を変えてしまう悟りがあったのか、僕は聞きそびれたのだった。今度帰ってきたときには必ず聞こうと決意し、叔父の頭骸骨をタンスの奥にそっとしまった。
叔父を乗せていたテーブルの上にはちょうど底面とぴったり重なるような汗染みができていた。きっと叔父は、本当はまだ生きているのだ。親戚中に知らせて、どこか優秀な病院へ連れて行けば叔父を蘇生させることだって可能かもしれない。しかし今更、安らかな眠りを中断される筋合いなんてないほどの長い時間を叔父は生きてきたのだろうし、それに今日の通り、起床するタイミングくらい自分で決断できる人なのだ。僕は叔父のことが大好きだけれど、叔父にはこれからも死んだままでいて欲しいと思った。汗染みは台拭きで軽く撫でただけで取り除けるほどあっさりしとした魔法だった。