49 それから
それから一ヶ月が過ぎた。
十一月ともなると寒い日がとても増えてきて、火鉢に火を入れる日が増えた。
この家には珍しいガスストーブがあり、お食事の部屋だけはとても暖かかった。
午前中の家事を終えた私はひとり、掘りごたつにあたりながら漢字の勉強をしていた。
昴さんは今日もお出かけしていない。
先生が私のために、と書いてくれたもので身近な地名や名前が、漢字とカタカナで書いてある。
東京、渋谷、上野、太陽、月、璃翠……そして、笠置昴。
昴さんの漢字、こう書くんだなあ……
そう思って私はその文字をゆっくりとなぞる。
一か月も勉強してきたから少しは覚えられたと思う。実際、お買い物に出たときに読める漢字は確実に増えているもの。
昴さんの漢字はまだちゃんと書けないんだよね……なんていうか、画数が多い。でも読めるのは嬉しかった。
って、何を考えているんだろう、私。寒いのに、顔が熱く感じる。
この一か月の間、夜はずっと昴さんの部屋で寝起きしている。
私はここにいる、と決めてから少し気持ちが楽になった気がする。鬼だろうとなんだろうと、私はここにいても大丈夫、って思えたから。
本当なら私、昴さんに殺されてもおかしくなかったんだよな……だって私、半分人じゃないんだから。でも私はその事実と向き合っていくしかない。
私のおっとうが昴さんの家族を殺したのも現実なんだもの。
私にはちょっと荷が重すぎるけれど。
あの鬼に出会ってから色々と考えた。私のこと、昴さんとのこと。これからのことを。
昴さんやぼたんちゃんたちと過ごした時間は本物だし、楽しかった。おっかあも、家も失った私は、昴さんのお陰で自分の居場所を見つけることができた。
お出かけしたり、着物を作ったり映画を見たり。知らない世界をたくさん知ることができた。
あの日、劇場の前で昴さんに出会えて本当に良かった。
利一さんのことを思い出すとまだ心が痛くなるけど。
物音がして、私は慌てて立ち上がる。
たぶん昴さんが帰宅されたんだろう。ばたばたと居間をでて玄関に向かうと、昴さんが靴を脱いでいるところだった。
「お、おかえりなさいませ」
そう私が声をかけると彼は顔を上げてにこっと笑い、
「ただいま」
と言った。
以前より昴さんは笑うようになった気がする。前は何を考えているのかわからないくらい、感情が少なかったけれど。
「着物」
と言い、昴さんは私を見つめて言った。
今、私が着ている着物は一か月以上前に昴さんが買ってくださった白地に紅いバラが描かれた着物だ。
もったいなくてなかなか袖を通せなかったけど、今日、初めて着た。
「あ、はい、そうです。あの、昴さんが買ってくださったものです」
「とても似合ってるよ」
そう微笑んで言われて、私は恥ずかしさに顔を紅くして下を俯く。えーと、こういう時なんて言えばいいんだろう。
「……えーと、あの、ありがとう、ございます」
きっと今、私は耳まで紅いだろう。
「……かなめ?」
不思議そうな昴さんの声が響くけど、私は顔を上げられないでいた。
「どうかしたの」
「い、いえ、だ、大丈夫です!」
全力で否定して私は顔を上げた。
すると思った以上に昴さんの顔がすぐそこにあって、口から心臓が飛び出しそうになる。
び、びっくりした……
昴さんの顔、近すぎるんだけど……
私は胸に手を当てて、思わず半歩、後ずさる。
それを見た昴さんはより一層、不思議そうな表情になった。
「……か、かなめ?」
「な、何でもないです……その、褒められてうれしいというか……」
「うれしいのならよかった。似合ってる、以外の言葉、わからなくて」
「は、はい。あの……うれしい、ですよ?」
そう私が答えると、今度は昴さんの方が顔を背けてしまう。
ど、どうしたんだろう?
「昴、さん?」
「だ、大丈夫、だから」
と言い、昴さんは顔を上げる。
「ねえかなめ」
「はい」
そして昴さんは私に手を差し出してくる。
「せっかくだから、すこし一緒に外に行こうか。新しいカフェができたんだって」
言われて私は昴さんの手と顔を交互に見る。
この着物で外に出るのは勿体ない気がしてすこし悩んだけど、私は昴さんの手をそっと握り、微笑んで答えた。
「わかりました。では戸締りしないと」
「僕も手伝うよ」
そして私たちはそのまま手を繋いで、廊下を進んで行った。
一旦終了です、ありがとうございました




