48 お掃除
二階のお部屋は事件後できる限り掃除をしていたそうだし、埃っぽさはないし事件の痕跡も殆ど残っていなかった。
ただご両親や妹さんたちが使っていただろう物たちが、その時のまま残されていて、時間が止まっているかのようだった。
まるで今にも誰かが帰ってきそうな、そんな部屋。
昴さんはこの空間を大事にしてきたんだろうな……
ご家族が亡くなった場所であり、生活していた場所なんだもの。
本当に、ここを片付けていいのかと心配になる。
だけど昴さんは、淡々と服や小物などを木箱の中にしまっていった。
「あの、お掃除したあとどうするんですか?」
そう尋ねると、昴さんは手を止めず言った。
「未来の家族の部屋……かな。結婚なんてする前に死ぬと思ってたから、片付けなんて必要もないと思っていたけど」
そこで昴さんは手を止めて顔を上げ私の方を見た。
その視線に心臓がドクン、と音を立てて、私は顔が紅くなるのを感じながら思わず顔を伏せた。
私、昴さんのこと変に意識してしまう。
「今は生きたいって思えるようになったから。ねえ、かなめ」
「え、あ、はい」
名前を呼ばれてハッとして、私は慌てて顔を上げた。
「君の部屋、二階に移してもいい? 君が嫌でなければ、だけど」
昴さんは私の様子を窺うように、慎重に言葉を選んでいるようだった。
それってどういう意味だろう。
私は首を傾げて疑問を口にする。
「それってどういう……」
すると昴さんは視線を泳がせたあと下を俯いてしまう。
……どうしたんだろう、昴さん。
「両親の部屋はさすがに……人が死んでいるからちょっとって思うけど……僕の部屋はそもそも二階にあるし、いつまでも君の部屋で寝るわけにもいかないと思って。それで……」
と言った後、昴さんは黙り込んでしまう。
何を言いたいんだろう、昴さん……
次の言葉を黙って待っていると、昴さんはばっと顔を上げると勢いよく言った。
「二階で、同じ部屋で寝るのはどうかと聞きたくて」
同じ部屋で寝るのは今と変わらない気がするけれど、昴さん的にはとても意味があることなんだろうか。
断る理由もないから、私は笑って頷いた。
「いいですよ。二階の、昴さんのお部屋で一緒に寝ればいいんですよね」
「……ちょっと違う意味合いに聞こえるけど、まあ、そういうことだよ」
と言い、昴さんは作業を進めた。
どういう意味だろう、それって。
一日で二階の片づけが終わるわけはなかったけれど、昴さんの部屋はそもそも綺麗にされているからと、私はその日の夜から彼の部屋で寝ることになった。
昴さんの部屋で、ふたつ並んで敷かれた布団を見て私は何度も瞬きを繰り返した。
ただ、布団が並んで敷いてあるだけなのに、なんで私、こんなに緊張しているんだろうか。
いや、こんな至近距離で一緒に寝るのは初めてだ。正確には初めてじゃないけど……同じベッドで寝たりしたけど、でも最初からこんなに近い距離なのは意識しすぎる。
私の部屋では、私がベッドで昴さんは布団だった。だから距離が離れていた。だけど布団並べて寝るのって……まるで夫婦みたいだ。
そう思ったら、身体の奥底が熱くなってくる。
「……かなめ、固まってどうしたの」
「……!」
背後から昴さんの声がかかり、私はびくん、と身体を震わせて振り返った。
私の反応に驚いたのか、目を見開いた昴さんがそこに立っている。
「大丈夫?」
「え、あ、だ、大丈夫です」
裏返った声で答えて、私はそそくさと布団にもぐりこんだ。
ただ同じ部屋で寝るだけじゃないの。
なんで私、こんなに緊張しているんだろう。
物音で昴さんが隣の布団に入っていったのがわかる。
「おやすみ」
という声がかかり、私もそれに答えた。
「おやすみなさい、昴さん」
そして室内を闇が包む。すぐそこに昴さんの気配を感じる状況は、なんだか落ち着かなかった。
昴さんの部屋で、昴さんと一緒に寝るってなんだか特別なことのような気がする。昴さん、どういうつもりで私をここにいれたんだろう。
――かなめ、愛してる。
耳の奥で昴さんのその言葉がこだまする。あの言葉を信じていいのかな。
私は身寄りのない鬼の子で、しかも昴さんのご家族を殺した鬼の……
しかも昴さんは華族なのに、私なんて受け入れて大丈夫なのかな。
不安ばかりが心の中に広がっていく。
そのせいか夢を見た。
月の輝く夜、長い銀髪の美しい鬼が人々の死体の山の中に立っている。
ばらばらになった人々の死体に吐き気を覚えるのに、私はその場を動けずにいた。
鬼……嶺樹は血にまみれて誰かの首を抱えていた。鬼は私を見つめて笑っている。
その首は黒髪で、虚ろな目で空を見つめている。
私はその首が誰の物であるか気が付き、大きく目を見開いて口を押える。
その首は昴さんのものだった。
なんで、どうして……
これは夢だ、とわかっていても、どうしてこんなことになるの、って言葉が頭から消えない。
『お前のせいだ』
どこからか声が響く。男のものとも女のものともつかない声が。
『お前のせいで死んだ』
最後の声は確かに昴さんの声で、私は悲鳴を上げて飛び起きた。
「いやぁ!」
悲鳴を上げて飛び起きて、私は荒い息を繰り返した。
怖い。あの鬼が来て昴さんを殺したら私……絶対に許さない。
私は辺りを見回して、大きく息を吐いた。
鬼はいない。いるわけがない。だってこの家の周りには鬼たちが入れないよう、結界が張られているんだもの。
それはよくわかっているのに身体の震えは止まらない。
「……かなめ?」
近くで声が響いて、私ははっとして顔を上げる。
隣で寝ている昴さんが身体を起こして、こちらを見ているのが見えた。
「あ……す、すみません、起こしてしまいましたか……?」
それはそうよね、あんな悲鳴あげたら起きちゃうよね……
暗いので表情はわからないけど、昴さんは首を横に振ったようだった。
「いや……えーと……どうかしたの」
怖い夢を見た。と言いかけて私は言葉を飲む。頭をよぎる、昴さんの虚ろな顔と、声。
『お前のせいで殺されたんだ』
耳の奥でその言葉がこだまして、私は俯き首を横に振った。
「な、なんでも……ないです……」
出た声は震えているように思えたけど、私はなるべく冷静に声を絞り出す。
「かなめ」
名前を呼ばれても私は反応ができず、俯いたままでいたら頭に手が触れた。
思わずびくっ、と身体が震えてしまいどうしようかと思っていると、手が離れていってしまった。
あ……ど、どうしよう、気を悪くしてしまっただろうか……?
内心びくびくしながら私はゆっくりと顔を上げた。
「何か、不安にさせたかな」
静かな声で昴さんは言い、私は首を横に振った。
「そ、そういうわけではないです……あの……すいません」
そして私は黙り込んでしまう。
私がここにいたら昴さんはあの鬼に殺されてしまうだろうか……その不安はずっと消えない。
昴さんならきっと大丈夫、って思うけど。でも私はそれを信じられずにいた。
「私は……ここにいて、大丈夫ですか……?」
震える唇でそう声を振り絞ると、昴さんが言った。
「大丈夫だよ。ここにいれば僕は君を守れるから」
そして私の顎に触れると私を上向かせて、顔を近づけてきた。
「何を怯えているの。ここは安全だよ」
「でも、私……」
「僕は君にここにいて欲しい。じゃなくちゃ……あんなことしないよ」
あんなこと、がどういう意味なのか理解して私は顔が紅くなるのを感じた。
私が昴さんと寝てからもう二週間以上経っている。
あれから昴さんとそういうことはしていない。
あれはもしかしたら夢だったんじゃないかって思うこともあったけど、あれ、現実、なのよね……
じゃなくちゃ私の目の色は元に戻っていないから。
「そ、それは……その、わかって、います」
やだ、身体の体温が上がっている気がする。
どうしよう、これ……なんて言おう。私はぐるぐると考えてそして、なんとか声を絞り出す。
「す、すみません……夢を見て……」
「あぁ……ごめんね、不安にさせちゃったかな」
昴さんは心配そうな声をだし、ぎゅっと、私の身体を抱きしめてきた。
すぐそこで昴さんの心臓の音が聞こえてくる。昴さんは生きている。これ、夢じゃない。
「あ……あの、昴さんのせいじゃないです……夢を見て……怖かったから」
そう告げて私は彼の背中にゆっくりと腕を回し、その腕に力を込めた。
生きているって温かいな……
「……あの、すみません、起こして」
「いや……」
そこでお互いに黙り込んでしまう。
どうしよう、何を言ったらいいんだろう。だめだ、頭の中がまとまらない。
私は、ここにいたい。でも怖い。何が怖いんだろう。鬼が現れるのが? 私が鬼になるのが? その両方かな。
昴さんとこんなに身分の差があるのに、愛しても大丈夫なのかな。
私、不安ばっかりだ。この不安を消す方法なんてあるのかな。
「ごめん、なんて言っていいのかわからなくて。大丈夫って言っても不安は消えないだろうけど、でも僕は君を守るしそれだけの力はあるつもりだよ」
「そ、それは疑っていないです……ただ、その……」
愛されるのが怖いのかもしれない。
だって私、おっかあ以外の人に愛されたことなんてないから。
しかも自分が人じゃない、と知った今、誰かに愛される資格なんてない、と思ったから。
それでも昴さんは受け入れてくれるって言ってくれたんだよね。
ならそれを信じたい。
「私は、愛される自信がないだけです。あの……すみません。私は昴さんと一緒にいたい、ですから」
なんとか声を絞り出し、私は彼を顔を見る。
「大丈夫です、だって昴さんは強いですもんね」
そして笑ってみせると、昴さんの顔が紅くなっていくような気がした。
私も恥ずかしい。だけど、今目をそらしちゃいけない気がした。
「うん……だから死にはしないよ。僕は君と共にいる、から」
「はい、私もそばにいますから」
そう答えると昴さんの顔が近づく。そして唇が触れた。




