33 その夜
訪問者はひとりしかいない。
だけど私は扉を叩く音に何も答えられなかった。
ただこんな姿は見られたくないと、とっさに布団の中に潜り込む。
「……入るよ」
そんな声が遠くに聞こえ、扉を開く音が続く。
私は頭まで布団をかぶり、丸くなってどうやり過ごそうかと考えた。
「……その状態だと何もできないよ」
そんな困ったような声が聞こえてくる。
「い、嫌ですだって……こんな姿見られたくないし」
「僕は気にしないよ」
「私が気にします」
「何が気になるの」
「だって怖いじゃないですか。昔話の山姥みたいで」
子供の頃に聞いた昔話の山姥は、真っ白な髪の恐ろしい姿をしている。
絵はないから想像でしかないけど、そんな想像の山姥みたいな姿を晒したくはない。
「山姥はそんな綺麗な姿をしていないよ。僕はその銀色の髪も紅い目も、怖いとは思わない」
「山姥、見たことあるんですか……?」
「あるよ」
昴さんと話していると、私が子供の頃に聞いた昔話の大半は本当にあった話なのかなと思えてくる。
山姥っているんだ……他にどんな昔話のあやかしが存在するんだろう。
「君がどんな姿であろうと君であることに変わりはないんだから、僕は気にならないよ。そんなに気になるなら僕の目に手ぬぐいを巻こうか?」
さすがにそれはどうかと思い、私はゆっくりと布団から顔を出した。
室内を照らすぼんやりとしたランプの灯りの中に、昴さんの姿がある。
彼はベッドの横に立ち、こちらを見下ろしてるようだった。
そこでまた怖くなり私は布団をかぶる。
「べつにそのままでも僕は構わないけど君はどうしたいの」
「このままは嫌です」
「じゃあ姿を見せてよ。何もできないから」
「どうにか……なるんですか?」
言いながら私はゆっくりと布団を剥がして、顔半分だけ出してみる。
「方法はあるよ。ずっと僕は君が鬼にならない様にしてきたじゃないか。君の中の邪気をどうにかする方法はあるにはあるけど……」
そこで昴さんは黙ってしまう。
それでさっき口づけられたわけよね……?
でもそれだけじゃあ髪の色や目の色は戻らなかった。
昴さんは首を横に振り、
「僕はそのままの姿でもいい……」
「それは嫌です」
「別に、銀色の髪も紅い瞳も綺麗だと思うけど」
「目立つじゃないですか。これじゃあ外に行けないです」
皆黒髪のなか、こんな白い髪は目立つだけだ。
「一番いい方法があるにはあるけど僕は、それを君にする勇気なんて持ち合わせていないんだよ」
言っている意味が分からないけど、私を元に戻す方法はあるけど昴さんにそれはできない、ってことなのかな?
「どうすれば元に戻れるんですか……? その、邪気ってどうすれば……」
言いながら私は身体を起こして昴さんを見上げた。
これでやっと、彼の表情が見える。
気のせいだろうか、なんだか気まずそうな、恥ずかしそうな顔をしているような気がする。
「時間をかければもしかしたら……だけど何日かかるか」
「そ、そんなに時間、かかるんですか……?」
その言葉に昴さんは何も言わなかった。
もしかして戻らない可能性もあるのかな。だとしたら私……
「あの、昴さん」
「何」
「私、ここにいても……大丈夫なんですか?」
それが一番不安だった。
私は自分が何者なのかを知ってしまった。しかも、おっとうは昴さんのご家族を殺した鬼だった。
その事実に、私は耐えられそうにない。
でも行くあてはないし、鬼になんてなりたくないけど……このままだと私は、昴さんと一緒になんていられない。
どうしたらいいんだろう。
出て行くしかないかな。あの鬼と一緒に行った方がよかったのかな。
考えたらどんどん悲しくなってきて、涙がこぼれてくる。
「えーと……なんでそんなに泣くの。僕は君が出て行くことを望んでいないよ」
困ったような声が降ってくるけど、涙を止められるわけなかった。
「で、も……」
絞り出した声は嗚咽交じりで言葉にならない。
「君を殺すつもりだった。それは本当だよ。君の口から嶺樹の名前を聞いたときからそう決めていた。だけど……僕に君は殺せないよ。僕が殺せるのは鬼なんだ。人は殺せない」
「でも私……人じゃ……」
人じゃない。
そう思うとまた涙が溢れてくる。
人じゃない、という事実が重い。
私の中に鬼の血が流れている、という事実が耐えられない。
そうかだから私、この間針で指を刺してもすぐに傷が塞がったの?
だから利一さんは、私が飛び上がったって言っていたの?
あの時私は……利一さんが部屋に来て……
寝間着に手がかかって、そうだ着物を脱がされて……
「かなめ」
声と共に私の頭に手が触れる。
「僕は君を殺したくないんだ。何を考えているのか知らないけど、それ以上それを考えていると本当に心から鬼になってしまうよ」
「あ……」
私はあの日、利一さんに襲われた時の事は余り覚えていない。というか思い出したらきっと私はあの人を本当に殺しに行くだろう。
だってそれだけのことをしたんだから。
だから忘れようと楽しい時間を過ごしてきた。
ひと月もたたないうちに京佳さんや美津子さん、いろんな出会いがあったし、お買い物したり喫茶店に行ったり、洋食屋さんに行ったりと色んな経験ができた。
なのに私……このままじゃあここにいられなくなってしまう。
昴さんに触れられたところが暖かい。
いつも昴さんがしてくれているこれは、邪気を祓うものなんだろう。
でもこれも効果がないほど、私は今、邪気がたくさんなんだろうな。
「……僕まで飲み込まれそうだ」
そして昴さんは大きく息をつき、手を離してしまう。
「さっきのをまたしてもいいなら……少しはましになると思うけど」
「さっきのって……」
考えて、それが口づけのことであるとすぐに気が付き、私は顔が熱くなるのを感じた。
「そ、そ、そ、それしかないんですか……?」
「……それが一番ましなんだけど」
昴さんの言い方だと他にも方法があるよね……?
でもそれはしたくないってことなのかな。口づけよりもやりたくないことってなんだろう……?
「わかりました……あの、昴さん。さっきの、お願いします」
他に方法がないなら仕方ない。
私はこんな姿でいたくないし、元の姿に戻りたい。
私はぎゅっと手を握りしめて、昴さんを見上げた。
すると彼はベッドに腰掛けて、真っ赤な顔で私の肩に手をおく。
やだ……緊張で手に汗が溜まってくる。
これは元の姿に戻るため……
目をつむり待っていると、昴さんの声がすぐそこで聞こえた。
「身体に力、入り過ぎだよ」
そんな事言われてもどうにもならない。
だって……緊張でどうしたらいいかわからないんだもの。
「宣言してからするものじゃないね」
そんな自嘲気味の声が響いたあと、唇が触れた。
やだ、本当に口づけられてる……?
一度離れてまた触れて、私の緊張をほぐすかのように触れるだけの口づけが繰り返される。
息をどうしたらいいのかわからなくて、ふう、と息をついたとき、重なる唇を舌が割り中に入ってきた。
「ん……」
どうしよう……これ、どうしたらいいの……?
されるがままになっていると、舌が絡まり唾液の音がいやらしく聞こえてくる。
やだ……息があがっちゃう。
力が抜けていくような感じがして、私は昴さんにしがみつく。
くらくらする……頭がぼうっとして息苦しさを感じるようになった頃、唇が離れ、私は大きく息をついてそのまま昴さんの胸に頭を押し付けた。
「え、あ……だ、大丈夫……?」
慌てたように昴さんは言い、私を抱きしめてくる。
あ……今日も匂いがする。
これ、お香の匂いなのかな。不思議な、柔らかい匂い。
私は匂いを吸い込むように大きく息を吸い、吐いてから言った。
「なんとか……大丈夫です」
「ならいいけど……少しはましにったかな。金色っぽい……異人によくいる髪の色みたいだ」
言いながら昴さんは私の頭を撫でてくる。
「金……ですか……?」
「うん。きらきらしてて綺麗だと思うよ」
「……そう、なんですか?」
私は顔を上げて昴さんを見る。
彼は視線をそらして、恥ずかしそうな顔で頷く。
「だから出ていこうとか考えなくていいよ。見た目がどんなに変わっても、君を追い出したりはしないから」
「……昴さん……」
ここにいても大丈夫。
そう思いたいけど、私がそう思えるようになるのは時間がかかりそうだった。




