32 屋敷
人は闇を恐れ、街を明るくするためガス燈を通りに設置するようになった。
賑やかな商店街は、空に星が浮かんでも眠ることはなく、酔っ払った人たちが気持ちよさそうに歩いていく。
私はマントで頭と顔を半分覆い、昴さんに支えられながら賑やかな夜の通りを歩いていた。
昴さんの屋敷は商店街の一画にあるから、どうしても人通りの多い場所を通らなくてはいけない。
見られたらどうしよう。
そんな恐怖を抱えながら、私は俯き屋敷へと向かって急いだ。
見慣れた屋敷の門が視界の隅に映り、ほっとして私は顔を少し上げた。
月明かりのなかに建つその見慣れたお屋敷に安心感を覚えるけど、私、ここにいていいのかと不安になる。
ここで九年前、昴さんの家族は殺された。
あの鬼によって。
私がやったわけじゃない。私は何も知らないけれど、あの人の血が自分に流れていると思うとぞっとする。
なんでおっかあは、あの鬼とそんなことになったんだろう。
「ちょっと待ってて」
と言い、昴さんは私から離れると門に貼った御札を剥がした。
その時、バチバチ! と、火花みたいなのが散ったような気がした。
「あの鬼がめいこに会いにこないとも限らなかったから、念のためつけておいたけど必要なかった」
そう呟いた昴さんの手の中で、剥がされた御札は燃えて跡形もなく消えてしまう。
いったいどうなってるんだろう……
まるで手品みたいだけど違うのよね。
「あの……」
「何」
「私、中に入っても大丈夫なんですか……?」
不安を感じて尋ねると、昴さんが手を差し出してきた。
「ここが君の居場所じゃないか」
そう、だと思いたい。
だけど……色々と知ってしまった今、私はこの門をくぐっていいのかと不安になってしまう。
そもそも昴さんと一緒にいていいんだろうか……
だって私は……
「かなめ」
きつく響く声にびくっとして、私は顔をあげた。
昴さんは怖い顔で私を見つめ、私の腕を掴んだ。
「余計なことは考えないほうがいいよ」
そして、昴さんは私を引きずるように門をくぐっていった。
虫の音が賑やかな庭を通り、玄関扉の前に立つ。
普段は気にしたことのない茶色い扉が、大きな壁に思えた。
中に入るとほのかに灯りがともっていた。
玄関の靴箱の横に、細長い鏡がある。
なので、おのずと自分の姿が目に入った。
そこにいたのは、まるで昔話の山姥のような白っぽい髪に、血のように禍々しい紅い目をした私の姿だった。
これが……私……?
思わず私は悲鳴を上げた。
「いやぁー!」
髪も目も明るい茶色だったはずなのに、なんでこんな色になるの?
私はその場に座り込み、マントの裾を掴む。
なんでこんなことになるの? これじゃあ私……本当に人じゃなくなってしまうじゃないの。
昴さんとのやり取りを思い出して、身体が震えてくる。
『私が鬼になったら、私を殺してください』
私は確かにそう言ったし、昴さんも、もし私が鬼になったら殺すと言っていた。
私、殺されるの? このまま鬼になって私……
「かなめ」
昴さんが優しく私を呼ぶけれど、私は顔をあげられなかった。
「み、見ないで下さい」
そんなの今さらだってわかってるけど、こんな恐ろしい姿、見られたくなかった。
「こんな……こんな姿が見られたくないです……」
「僕はどうとも思ってないよ」
声がすぐ近くで聞こえてきて、昴さんが私の隣に座り込んでいるのがわかる。
「でも……こんな姿で私……」
「髪と目の色が違うだけで、君は君でしょ。君が鬼なら僕はとっくに死んでいるよ」
「……殺されるのは私の方ですよね。私は昴さんを殺したくないし、殺せません」
言いながら頬を涙が伝いおちてくる。
だめだ、溢れる感情をどうすることもできない。
「僕も君を殺せないよ」
「それじゃあ私が鬼になったら、私を殺せないじゃないですか」
「……そうだね」
てっきり否定されると思ったのに。私は泣きながら顔をあげた。
昴さんの表情は陰になってしまっていてよく見えないし、私の視界は歪んでいるから余計わからない。
昴さんがどんな顔をしているのか、どんな思いで私をここに置いているのか知りたい。でも、怖い。
「とにかく、僕は君を殺せないし、ここじゃあ何もできないから中に入ろう」
中に入ったらなにか変わるの?
私、本当に元の姿に戻れるの?
昴さんは元に戻せる、みたいなこと言っていたけど……
私は溢れてくる涙を拭い、鏡を見ないようにしてマントを被ったまま履物を脱いだ。
昴さんに引っ張られるように自室に入ると、昴さんがランプに火を灯してくれる。
「着替えてくるから待ってて」
そして昴さんは部屋を出ていってしまった。
ひとりきりになり、静けさが部屋を包む。
どうしよう……私も着替える……?
このままマントを羽織って震えていても仕方ないと思い、私は昴さんのマントを剥いだ。
このマント、だいぶ汚れてるな……洗わないと。
そう思いながらマントをたたみ、震える手で服を脱ぐ。
この部屋には、大きな鏡がないから自分の姿は目に入らない。
私は寝間着に着替えたあと、ベッドに座って膝を抱えた。
どうしよう私。
このままここにいていいのかな。
こんな姿……誰にも見られたくない。このまま私、鬼になってしまうのかな……
そう思うと身体の震えが大きくなっていく。
私は人だ。
鬼じゃない。
鬼になんてならない。
そう思っていたのに……いざ自分の変わり果てた姿を目にしたら、そんな自信はどこかに消えてしまった。
私、鬼になるのかな。
めいこちゃんたちのお父さんみたいに、私は人を殺すのかな……
そんなの怖い。そうなる前に殺して欲しい。
でも私は、死ぬ勇気なんて持ち合わせていない。
考えても答えなんてでないまま時間は過ぎていき、扉を叩く音がして私はびくっと震えて扉を見つめた。




