29 鬼退治
神無月は神様が出雲に集まってしまい、いなくなるからそう呼ぶらしい。
神様がいなくなったら誰が街を守ってくれるんだろうか。
そんな十月の半ばの火曜日。
その日の朝、昴さんは朝食の場で美津子さんに声をかけた。
「帰りは遅いの?」
「えーと……昼過ぎには」
「夕方……逢魔が時からは外に出ないで」
厳しい声に、食卓に緊張が走る。
「あ、わ、わかりました」
今日は満月。
以前昴さんが言っていた鬼退治に行く日だ。
動きやすい服装で着いてくるように言われている。
鬼退治ってどういう意味なんだろう。
本当に鬼がでるのかな。
そしてなんで私が連れて行かれるんだろうか。
その疑問について何も教えられないまま、私は日が暮れたあと昴さんに連れられて外に出た。
門を出るなり彼は、何か呟きながら門に札を貼った。
「それは……なんですか?」
「外からあやかしが入らないように入口に貼ってるんだ」
そして、裏門にもそれを貼ると、
「行こうか」
と言い、通りを歩き始めた。
日が暮れたとはいえ商店街は人通りが多い。
お酒を飲んでいるんだろうか、赤い顔をした男性たちが楽しそうに歩いていく。
「あ、あの、どこに行くんですか?」
「神社」
「神社?」
「夜に神社に行く人なんていないでしょう。だから神社に行く」
「そこに鬼が現れるんですか?」
「たぶんね」
と言い、昴さんは人の波の中をすたすたと歩いていく。私は置いていかれないように必死に付いていった。
たどり着いたのは、商店街から少し離れた大きな神社だった。
石碑に神社の名前が刻まれていたけど私には読めなかった。
境内は木で囲まれていてるし、本堂は階段を登らないとだから通りからこちらを見ることはできないだろう。
空には満月が浮かんでいて、風が吹くたびに枝が揺れる。
屋敷の庭は虫の大合唱だったのに、ここは妙に静かだった。
風に揺れる木々の音しか聞こえない。
そのことに違和感よりも恐怖を覚える。虫たちはどこにいったんだろう?
「あの……ここに現れるんですか……?」
恐る恐る尋ねると、昴さんは黙って頷く。
でもここ、神社なのに……鬼なんて現れるの?
今、神様がいないから?
神様は出雲で何をしているんだろう。
不安を感じながら、私は昴さんの着る黒いマントの裾を掴んだ。
境内の真ん中に立ち、ただそれが来るのを待つ。
しばらくして昴さんが呟いた。
「来たよ」
その声にびくっとして、私は辺りを見回した。
それは、突然現れた。
昴さんに腕を引っ張られて抱き寄せられたとき、私の後ろで風の音がした。
「あぁ、やっぱり現れた」
面白そうに昴さんは呟く。
何が起きたのかわからない私は、体勢をかえて振り返りそれの方を見た。
私がさっきまで立っていた場所にそれは立っていた。
黒い着物はぼろぼろで、袖が切れてしまっている。爪は鋭くて長く、口からのぞく牙も尖っていてまるで狼のようだ。
真っ赤な瞳に……特徴的な額の角。
腕は太く胸板も厚い。浅黒い肌に血管が浮いている。
これが……鬼。
「彼が二年前に姿を消した、めいこの父親だよ」
昴さんがそう呟き、私を背後に隠すように立つ。
「え……」
めいこちゃんの、お父さん……?
その鬼は昴さん……ではなく、その後ろに立つ私を見ているようだった。
「お前……お前を喰えば俺はもっと強くなる……」
うつろな声で言い、鬼はこちらに飛びかかってきた。
するとその身体に何かが絡みつき、鬼はこちらにたどり着く前に転んでしまう。
糸……?
月明かりの中に昴さんの手から伸びた糸が、鬼の身体に絡みついているように見える。
「ああ、やっぱり彼女の匂いを嗅ぎつけてきたんだ。お陰で捜す手間が省けたよ」
「え、あ、あの……どういうことですか?」
「この鬼は君を喰いに来たんだよ。そうすればもっと強くなれると思って」
……今昴さん、とんでもないことを言いませんでした?
なんで私を食べようとするの?
私を食べたら強くなれるの?
「少し前に軍部で依頼を受けたんだ。なんでも、偉い人のお嬢さんが行方不明になったらしい。それが満月の日の夕暮れ……逢魔が時の出来事だったと。目撃者いわく、鬼がそのお嬢さんを攫ったと言っていたそうだ」
鬼は暴れだし、だけど糸が食い込んでいって血が溢れ出す。
私は見てられなくて思わず俯き目を閉じた。
「その偉い人は鬼だとかあやかしの類を信じていなくて、警察がお嬢さんの捜査をしたそうだけど見つからない。それで困って僕の所に話が来た。数ヶ月前から満月の日に人が行方不明になる、という事件は起きていて、それが三件目だったんだ。唯一の目撃者から話を聞いて鬼だと確信したんだけど、困ったことにいつどこに現れるかがわからない」
「はな……そいつ、食わせろ……!」
鬼の叫びが聞こえてくる。
なんで? なんで私を食べようとするの?
「だから君を使っておびき寄せることにしたんだ。力が欲しい鬼なら絶対に現れると思ったから」
ぶちっ!
と、何かが切れる音がする。
恐る恐る目を開けると糸を引きちぎったらしい鬼が、腕や胸から血を流して立っていた。
「ひっ……」
思わず悲鳴をあげて一歩下がるけれど、私はその鬼の血から目を離せなかった。
血がどんどん流れて地面を濡らしていくけれど、その血はしゅうっ、と音を立てて煙をあげている。
「お前に彼女を殺せないよ。弱いものは強いものに淘汰される。君は力が大してないから満月の夜にだけ現れて、人を喰っていたんだろう? 満月はあやかしの力が増すからね」
鬼は血を流しながら姿勢を低くして、昴さんを睨みつけているようだった。
なんであの鬼は私を狙うの……?
わからないことは怖くてたまらない。
昴さんが二本の指で空を十字に何度も斬る。するとそこに光の網目のようなものが出来上がっていく。
何かを呟いているようだけど、何を言っているのかわからない。
「……五陽霊神に願い奉る」
そこだけが聞き取れて、その言葉とともに出来上がった網目が鬼へと向かっていった。
鬼はそれを避けるけれど、その避けた方向にも網目がとんでいく。
そして、血が飛び散り叫び声が響いた。
「ぎゃー!」
鬼の身体からしゅうしゅう、と煙が上がり、鬼はその場に膝をつく。
「君には彼女が何者かわからないの? それともわかっていて襲おうとしてたの?」
言いながら昴さんは鬼に近付いていく。
「まあ、どちらでもいいか。ねえ、僕は鬼が嫌いなんだ。元がどんな存在であれ、僕は君を殺す」
私はそこで目を閉じて下をうつむき、耳をふさぐ。
その後に響いたのは断末魔だった。それは耳をふさいでいても聞こえてきて、その声の恐ろしさに身体が震える。
何が起きているのかなんて考えたくもなかったし見たくもなかった。
ただ早く終われと心の中で願う。
そして、次に目を開いたとき昴さんの前に鬼の死体が転がっていた。
胸のあたりから血を流し、首は切断されているみたいだった。
「鬼は回復力が強いからこうでもしないと殺せないんだ」
言いながら、昴さんはこちらを振り返る。
昴さんは鬼の血を浴びたようで顔にまで鬼の青い血がついているようだった。
黒いマントを羽織っているからわかりにくいけど、きっとマントも血にまみれているだろう。
鬼……
元は人間でめいこちゃんのお父さん。だけどたくさんの人を、家族を殺した。
命を奪えば奪われる。
そんな事はわかってる。だけど……目の前で殺される姿は見たくなかった。




