20 出したかった
昴さんの家族に何があったんだろう。
気にはなるけど聞ける感じじゃないし、聞いても彼は答えないだろう。以前、なぜひとりでは眠れないのか聞いたとき、詳しいことは教えてもらえなかった。
華族の家で四人も死んだ、ってなったら噂になってそうだけど……九年も前じゃあ私、子供だったし覚えてるわけがない。
昴さんの家族のことは触れてはいけないんだろう。
そう思うと何も言葉が出てこない。
ただ重苦しい沈黙が流れる中、列はどんどん前に進んで行く。
どうしよう。なにを話せばいいんだろう?
悩んでいると、昴さんがこちらを向いた。
その顔から何の表情も読み取れない。
「君が働いていたお店」
「え? あ、あの……」
突然、思ってもみなかったことを聞かれ、私は大きく目を見開いて昴さんを見つめた。
私が働いていたお店って……奉公していたお店ってことだよね?
急にどうしたんだろう。驚いて何を言ったらいいのかわからないでいると、彼は言葉を続けた。
「なんてお店」
「お、お店の名前……ですか?」
「うん」
「い、井野屋……です。あの、お酒を扱っていました」
「そう」
そしてまた沈黙が訪れる。
なんだろう。なんで急にそんなこと聞いて来たんだろう。
あのお店にいたときのことは思い出したくない。
思い出すと……苦しくなってしまうから。
想い出って、楽しいことよりも苦しいことのほうが先に出てきてしまうんだよね……
あの、利一さんに襲われたことは、思い出すと全身がぞわり、としてしまう。
殺しておけば……こんなに苦しまなくて済むのに……
「ごめんね。ここで聞くことじゃなかったね」
私の表情が曇ったのだろうか。昴さんの気遣う声が響く。
気が付くと私は俯いてしまっていた。
私は慌てて首を振り、
「い、い、いえ。大丈夫です。べ、べつに嫌なことばかりだったわけじゃないし……」
「そうなの」
「は、はい。あの、お嬢さん……りおお嬢さんはとてもよくしてくれて……字を教えてくれたりしましたし、神楽歌劇団の劇にも連れて行ってくれました」
「……字?」
普段あまり表情を変えない昴さんの顔が、驚きの顔になる。
「わ、私……小学校にちゃんと行っていなくて……だから読み書きが余りできなかったんです。だからお嬢さんに教えてもらって、ひらがなとカタカナ、簡単な漢字は読み書きできるんです。だけど、町の名前とかお店の名前とかあんまり読めなくて」
するとまた沈黙が流れる。
その間にも列は進んで行き、私たちの番まですぐになる。
昴さん、じっと正面を見つめているけど何を考えているんだろう。
しばらくの沈黙のあと、昴さんが口を開いた。
「覚える気はあるの」
「何をですか?」
「字。読めないと道に迷うんじゃないかな」
言いながら昴さんはこちらを見つめた。
た、確かにそうだ。
私は昴さんと離れたらきっと、璃翠に帰れないだろう。帰れないのは恐怖だ。
「お、覚えたいです」
「じゃあ教えてくれる人、捜すよ」
「す、す、すみません、ありがとうございます」
することがあるのは嬉しい。
お屋敷では家事はたいしてやることがなく、洗濯だって干すのを手伝うくらいだ。
まだここにきて一週間位しかたっていないからかな、私はまだお客さん状態だ。
「君に初めて会った日、『連れて行ってほしい』って言われたし、僕はちゃんと君の面倒を見るよ。君が迷子になっても……僕は君を見つけ出すけど、迷子にならないにこしたことはないから」
――君が迷子になっても、僕は君を見つけ出す
その言葉が私の中で引っかかったけれど、その意味を聞く間もなく私たちの番が来た。
「いらっしゃいませ!」
そんな元気な女性の声が響く。
店頭をみると、人形焼以外にも何か売っているみたいだけど読めない漢字でわからない。
甘い匂いがすごいなぁ。食べるのが楽しみ。
人形焼を買う、と決めているので私はお店の人にむかって言った。
「あ、あの、この、人形焼の袋……大きいやつ、ふたつください」
「はーい」
お店の人は、てきぱきと商品を用意してくれる。それを見ながら私は財布を取り出した。
そしてお代を支払う、となった時、当たり前のように昴さんがお金を出してしまったので私は慌てた。
「あ、こ、ここは私が払います!」
ずい、と昴さんに顔を近づけて言うと、彼は目を見開いた後困った顔をする。
「え……と、女の子に出させるのはよくないって言われ……」
「そういうの関係ないです! 私が出したいんです、私のお土産ですから」
そう声を強めて言うとさらに困った顔になり、昴さんは人形焼が入った大きな紙の袋をふたつ掴むと、私の腕も掴み歩き出した。
お店から離れて人並みの中を行く。
「あ、あ、あの、昴さん?」
「お店の前で騒いだら迷惑だから」
そう言われたら確かにそうだ。
私たちの後ろにはたくさんの人が並んでいたものね……
それはわかるけど……あそこでのお代は私が出したかった。
これじゃあ私のお土産じゃなくて、昴さんのお土産になってしまう。
「で、でも私……あのお店のお代はどうしても出したかったんです……」
消え入るような声で言うと、線香の匂いが漂ってきた。
気がつくと、私たちは大きな二階建ての門の前にいた。




