我が娘、エリーゼの為に
頭リセット用に、つらつらと書いてみました。
主人公は既婚者で、ヒーロー以外との子供もいます。
その辺りが許せない方は戻られた方が良いかと。
「お、お母様、わ、わたくし、前世の記憶が蘇りましたの」
ある朝、こっそりと私の部屋を訪れた五歳の娘が、トンデモナイことを言い出した。
私は娘のエリーゼを安心させるように微笑みかけ、真意を探ることにした。
「エリーゼ、貴女が突拍子も無いことを言い出すことに、私は慣れているわ。けれど、他の人に言っては駄目よ? びっくりしてしまうわ。それで、エリーゼは何故そう思ったのかしら?」
小さな身体を私の膝に乗せ、ゆっくり頭を撫でながら、「前世の記憶が蘇った」と言い出した理由を訊いてみれば、荒唐無稽な話に聞こえつつも、「幼子の妄想」と片付けるにはキナ臭い内容だと判断出来た。
エリーゼの話によれば、彼女は前世では此処とは異なる世界で暮らしており、その世界の娯楽の一つである「乙女ゲーム」という物の舞台が現在暮らしているこの国、エターナル王国だと言う。
その「乙女ゲーム」というのは、ストーリーが主人公の選択肢によって分岐する恋物語を楽しむ物で、エリーゼは登場人物の一人であり、「悪役令嬢」という、エンディングで必ず無残な死を遂げる役柄なのだそうだ。
ここまでなら「妄想」や「怖い夢を見たのね」で済ませてしまう話だが、未だ屋敷から出たことの無い五歳のエリーゼでは知り得ない、会ったことも無い貴族の家名や、未だ公表されていない他家の幼い令息や令嬢の名前、エリーゼの耳に入る筈のない、後宮に入っている国王の側室の一人の名前が正確に彼女の話から出てきた。
異なる世界で暮らした前世や、「乙女ゲーム」という娯楽の話は理解が追いつかないため置いておくが、この世界では極稀に、『神の悪戯』と呼ばれる未来視を授かる者が現れる。
未来視が『神の悪戯』と呼ばれる所以は、不幸な未来しか視ることが無いことと、幼い子供に一度きりのことであり、大抵の子供は幼い故に未来視の内容を直ぐに忘れてしまい、対策も出来ずに視たままの不幸な未来に到達してしまうからだ。
よって、「救う気も無いのに未来視を与えて人間の悲嘆と絶望を観察している、残酷な神の悪戯」と、お伽噺のように伝わっているのだ。
おそらく、エリーゼの話は、この『神の悪戯』によるものだと思われる。
エリーゼが迎える末路は、主人公の選択によって数パターンあるらしいが、そのどれもが無残な死だ。
未だ家庭教師も付いていない五歳のエリーゼが、妄想で思い付けるような死に方ではないが、この国の法では有り得る異常なほどに残虐な処刑方法ばかりである。
エリーゼが視た未来では、主人公の侯爵家の令嬢が恋の相手に誰を選ぶかで途中が多少変わるものの、エリーゼは必ず十七歳で身分を剥奪されて、国民の前で娯楽として披露されながら、この国特有の胸糞悪い変態的で残虐な処刑方法で殺される。
そして、もう一つ、必ず同じ道を辿るのは、エリーゼが十六歳の時に迎える、母親である私の死だ。
冒頭部分、「主人公が学園入学を家族に祝われる幸せいっぱいな明るい場面の裏側」という表現で、エリーゼの母親が馬車の事故で死に、そこから一年間、エリーゼが、父親や後妻の元側室、主人公に心を奪われた婚約者や婚約者の側近達から冷遇され、十七歳で非道な方法で処刑されて死ぬまでの転落人生が、エリーゼの言うところの「乙女ゲーム」のストーリーであり、『神の悪戯』による未来視の内容だった。
エリーゼは、エターナル王国の公爵家の一つ、レンブル家の一人娘であり、生まれた時から、いや、生まれる前から、エターナル王国王太子の婚約者と決められていた。
それが、私の祖国であるペトラシア帝国との約定であるからだ。
何故そのような約定が存在するのか、理由を述べる前に、エターナル王国の成り立ちと、私がこの国に嫁いで来た事情の説明が必要になる。
エターナル王国は、この世界の中でも非常に特殊な国である。
幾つもの国が興っては衰退し消えて行く世界の歴史の中で、エターナル王国だけは千年の時を経て、現在も建国当時の王家が続き、統治している。
エターナル王国が、侵略も大災害も無関係とばかりに千年の歴史を築き上げることが出来たのは、「実は我らと同じ人間ではなかった」という説が濃厚な、エターナル王国を建国した初代国王ダイヤ・オギ・エターナルのお陰だ。
初代国王ダイヤは、異質な黒髪黒瞳の男性で、人間とは思えない膨大な魔力を有し、その魔力と理解を超えた魔術によって、一夜で現在も当時のまま残るエターナル王城を造り上げた。
一夜目に王城を造ると、ダイヤは次の三日で王都の街を魔術で造り、後宮に入れた七人の『最初の妃』と呼ばれる様々な分野で天才的な能力を持つ美女達の協力を得て、当時の周辺国を全て滅ぼし、それらの国の国民を自国の民とした。
増えた国民に王都以外の町や村を作らせ、自ら選抜した人間達にエターナル王国の貴族として爵位を与えて地方を治めさせ、広がった国土を守るように、魔術で国境に防壁を造った。
現在のエターナル王国の貴族は、建国当時にダイヤに選ばれて爵位を与えられた者と、『最初の妃』が産んだ子供が臣籍降下して作られた家が血を繋ぐものである。
ダイヤの使った規格外の魔術は「大魔導術」と呼ばれ、その血を継ぐ者でさえ真似することは不可能な、この世で唯一の建国魔術として伝わっている。
これがエターナル王国の成り立ちだ。
当時、ダイヤが建国魔術で造った物は、現在も全てが完全な形で残っている。
ダイヤ亡き後も、エターナル王国の国民は、ダイヤの魔術の恩恵を受けながら生き続けて来たのだ。
しかし、いくらダイヤの魔力が膨大で、彼が規格外の魔術の使い手であったとしても、死後千年も彼だけの力で大国を維持することなど出来なかった。
ダイヤは王城や王都、国境の防壁を魔術で造る時に、自分の死後も不壊であり、国土は災害から守られ、防壁は侵略を許さぬよう、国内に埋蔵される魔石を消費して彼の術式を維持するよう設定していた。
千年の間、エターナル王国の国民も、貴族も王族も気付かないくらい、ゆっくりとゆっくりと、この国の魔石資源は消費され、使い尽くされて、今はもう枯渇している。
しかし、埋蔵された魔石が枯渇してもダイヤの残した術式は止まらなかった。
魔石とは、地中の魔力が結晶化した物だ。地中の魔力とは、地中の生命エネルギーが濃縮されたものであり、地中の生命エネルギーとは、地中に広く分布し汎ゆる土中資源の素となる人間の目には見えない物質だ。
ダイヤの術式は、エターナル王国内の魔石の素まで残らず使い尽くすまで、「吸い上げるエネルギー有り」と判断して作動し続ける。
エターナル王国は、ダイヤの術式に国内地中の生命エネルギーを消費され、二十年ほど前に魔石以外の鉱物資源も失われた。
更に、土の栄養が足りず、人工的に肥料を与えなければ殆どの作物が育たないために食料自給率は下がり続け、八年前には50%を切った。
金をかけて整備されている王都の街並みは、まだ街路樹なども一見変わらぬ姿で並んでいるが、景観整備に財を回せない場所では多くの植物が枯れ始めている。当然その事態は、木材等の森林資源にも影響が出ている。
ようやく自分達の国が滅びに向かっていることに気が付いたエターナル王国の王族や貴族達は、一先ず食料と資源の問題を解決するために、豊かな他国と縁付いて、食料と資源を融通してもらおうと考えた。
それが、七年前のことだ。
私はエターナル王国から、中規模の国を一つ隔てた西南に位置する大国、ペトラシア帝国の公爵家の出身だ。
エターナル王国側は、現在は国王である当時の王太子との婚姻を用意するのだからと、帝国の皇女の中でも最も美しいと評判の第二皇女様を指名してきたが、第二皇女様は既に国内貴族の婚約者と結婚目前であり、皇帝陛下は無礼な使者を追い返した。
帝国には当時、未婚の皇女様が御三方いらしたが、第二皇女様含め、皆様既に婚約なさっていた。
絶世の美姫と評判の第二皇女が駄目なら、他の皇女の婚約を破談にしてエターナル王国へ嫁げと、再度訪れた使者は無礼のレベルを上げて来て皇帝陛下の怒りを買った。
今でも、陛下の素晴らしい笑顔を思い出すと、震えが来るほどの怒り様だった。
陛下は私の父を呼んで命令を下した。
『滅亡目前の建国王頼りの能無し国家が図々しい世迷い言を抜かしおった。お前の娘を嫁がせて、身の程を弁えない愚か者の国が滅び往く様を観察して報告しろ』
私の家は、皇家の影を統括する『帝の剣』と呼ばれる公爵家だ。
私も当然、幼い時分から相応の訓練を受けていた。
私がエターナル王家へ嫁ぐことは、皇帝陛下から与えられた任務であった。
しかし、私が嫁ぐに当たって悶着が起き、私の嫁ぎ先は王家からレンブル公爵家に変更された。
エターナル王国側が、「由緒正しき歴史あるエターナル王家に、新参国家の一貴族に過ぎない女を迎える訳にはいかない」と、話を詰める会談の場でゴネ出したせいだ。
国同士を縁付かせるなら王族同士の婚姻以外有り得ないと、援助を求める側であるくせに上から目線で、「王太子と婚姻させてやるのだから皇女を寄越すのが当然だろう」と宣う当時のエターナル国王に、皇帝陛下は、「不満であれば話自体を無かったことにしよう」と取り付く島を与えず、「ならば側室の一人として迎えてやるから有り難く思うように」と、向こうが渋々の態度で見下した勘違い発言を返して来たので、「有り難く思えない話は無かったことにするに限るな」と、陛下は笑顔で切り捨てた。
結局、会談の場でまとまらなかった話は一度エターナル王国に持ち帰られ、当時の王太子が、「歴史の浅い下等国家の一貴族に過ぎない女との婚姻など死んでも嫌だ」と、自室に籠城する醜態を晒したことで、王太子の側近であるレンブル公爵家の嫡男が王太子への忠誠の証に生贄となってペトラシア帝国の公爵令嬢だった私と婚姻することが決まった。
彼が生贄となる代わりに受け取る報酬は、王太子が国王に即位すると同時に公爵家の当主を継ぎ、宰相の地位を得ること。
そして、学生時代に全男子生徒憧れの的であり、王太子も密かに懇意にしていて側室に迎える話が付いている伯爵家の令嬢を、下等国家貴族の妻が死んだら後妻として下賜されることだった。
レンブル公爵家嫡男だった現レンブル公爵には、当時、国内侯爵家の令嬢の婚約者が居たし、王太子にも国内公爵家の令嬢が婚約者として存在した。
帝国皇女との婚姻が成れば、王太子の婚約者である公爵令嬢は側室となる予定だったが、レンブル公爵嫡男は、報酬があれば政略目的で結ばれた好みのタイプではない婚約者との関係を維持するつもりは無く、学生時代に好意を寄せていた伯爵令嬢を手に入れることを希望したのだ。
さて、約定の理由だが、エターナル王国の目的は、ペトラシア帝国と王家と皇家で姻戚関係になることで、食料と資源を「姻戚への厚意」として、無利子且つ返済期限無しという馬鹿馬鹿しい条件で提供してもらうことだった。
だが、帝国側に未婚で婚約者もいない皇女が居なかったこと(居ても何かしら理由を付けて却下だったと思うが)と、エターナル王国王太子の我儘により、「国同士が姻戚関係」とは言えない、単なる両国の公爵家同士の国際結婚になった。
だから帝国の皇帝陛下は、エターナル王国へ支援を行う条件を付けた。
ペトラシア帝国の公爵令嬢である私が産んだレンブル公爵家の娘を、次の王太子の婚約者とすること。
私の嫁入りを以て、国王は王太子に譲位すること。
王太子は早々に妃を娶り、「次の王太子」を妃に産ませること。
帝国からの支援は、私か成人した私の娘からの連絡が途絶えた時点で断ち、即時の返済を求めること。
その場合の返済には、帝国側の指定する率での利子が付くこと。
これが、エリーゼが生まれる前からエターナル王国王太子の婚約者と決められていた理由であり、エターナル王国とペトラシア帝国の間で結ばれた約定、もとい皇帝陛下がエターナル王国へ出した条件だ。
六年前に結婚した私と夫、双方にとって幸いなことに、初夜の一回で私は懐妊し、初めて産んだ子供が女の子だった。
私だって、「下等国家の下等貴族の女を抱かねばならんとは、屈辱のあまり萎えそうだ」と暴言を吐くような男に抱かれて喜ぶ性癖は無い。
夫も嫌々「生贄」として私を娶ったのだから、娘を授かるという義務を、最低限の接触回数で果たせたのは僥倖だろう。
私が嫁いでから調べ上げた、王家とレンブル公爵家の報酬に関する密約や、現国王となった当時の王太子の自室立て籠もり事件などは、とっくに帝国側に報告済みである。
私は「下等国家の下等貴族の何も出来ない女」と侮られているので、監視を目的とする使用人も付けられていない。
約定に必要となる娘を産んだら、用済みとばかりに放置されている。
私か成人後の娘からの連絡が途絶えた時点で支援も断つと、陛下が約定に盛り込んでくださったお陰で、一応は公爵夫人の体裁を保てる程度の生活だけは出来ているが、社交等では隠す気も無く妻扱いをされていないために、夫の顔を見たのは、娘が産まれた四ヶ月後に産まれた王太子との婚約の儀で登城した五年前が最後だ。
エリーゼの未来視では、私はエリーゼが十六歳の時に死んでいる。
この国の成人年齢は十五歳。
おそらくは、エリーゼが十五歳になった時から、目当ての側室を後妻として下賜してもらうために、私への暗殺行動は始まるのだろう。
私からの帝国への連絡が途絶えても、成人したエリーゼが「元気です」と便りを出せば、支援の条件は満たされる。
しかし、私は『帝の剣』の一族の娘だ。簡単に暗殺されることなど考えられない。
致死毒でも腹を下す程度で済ませる毒耐性が有り、破落戸の集団程度は返り討ちだ。極限状態での生存スキルも軍人並みには有るし、身一つでも闘う術を持っている。
未来視の通り、私がエリーゼが十六歳の時に「馬車の事故で死ぬ」というならば、レンブル公爵や国王は、私を絶対に殺すという強い意志を持ち、必殺の方法を取るのだろうと考えられる。
例えば、エリーゼの成人後から開始され、一年ほど繰り返される、毒殺や少数の刺客による暗殺の失敗を受けて、精鋭の軍隊か暗殺者の集団辺りを送り込む決心を固め、ようやっと私を殺し、馬車に詰め込んで崖下にでも落とせば、「エリーゼが十六歳の時に馬車の事故で死んだ母親の死体」の完成だ。
国王と公爵が主導した暗殺なのだから、まともに調査されることは無い。
帝国に私の事故死が伝えられる頃には、埋葬も済んでいるだろう。
私は、膝の上のエリーゼの顔を覗き込み、視線を合わせて訊ねた。
「エリーゼ、貴女は婚約者のことを好いているのかしら?」
エリーゼは小さな丸い頬を愛らしく染めて、恥ずかしそうに答えた。
「今は好き。とっても可愛らしいんだもの。でも、」
エリーゼの瞳から、明るい光が消える。
「浮気したら要らないわ」
嗚呼、エリーゼはレンブル公爵の血も引いているが、間違い無く私の娘だ。
私は小さな頭の曲線に沿うように撫でて、そっと囁く。
「じゃあ、ずっと可愛らしく在れるように、調教してしまいなさい」
真ん丸な瞳が、大きく見開かれた。
「そんなこと出来るの? お母様」
「貴女の努力と力量次第よ」
私は肯定を示して頷きながら言い聞かせる。
「貴女の話では、婚約者達が心を奪われる主人公の少女は、『侯爵令嬢でありながら落ちこぼれで鈍臭く、庇護欲を唆る外見でありつつ胸は豊か』だったわね。そして、『他人の婚約者である男達に非常識な距離感で接近し、ボディタッチを多用して頼み事をする』と」
「はい。お母様」
「だったら、その上を行く、『その手の女に堕ちる男共の理想の少女』を、貴女が演じればいいのよ」
エリーゼの小さな花弁のような唇が微かに開いて「まぁ」という呟きが洩れる。
私は、私の娘に、望む方法を教える。
「自分より優秀な女を憎む男は多いわ。だから不出来な女を可愛がるの。でもね、本当に不出来な女なんか本命になりはしない。そういう男達が本当に望んでいるのは、誰もが認める優秀な女が自分にだけは『完璧じゃない素顔』を見せて特別感を抱かせ、『負担にならない程度に』甘えて、自分は素晴らしい男なのだと錯覚させてくれることよ」
だからね、と私は続ける。
「転がしてやりなさい。健気に努力する姿は、婚約者の前でこそ見せなさい。二人きりの時には、涙の一つも零して弱いところを見せなさい。人前では凛としていても、婚約者には甘えて好意を分かりやすく伝えなさい。ただし、増長させるようなやり過ぎは駄目よ。ボディタッチは有効だから、上手く使いなさい。一線は超えさせず、翻弄して焦れさせる躱し方も身に付けなさい」
エリーゼの瞳が興奮に潤み、小さな花弁のような唇が、ニンマリと吊り上がって行く。
「貴女はまだ五歳なのだから、どんなタイプの外見へ成長することも可能よ。身長は伸び過ぎないように、バストは豊かになるように、腰は細くくびれるように、手足や首は儚いほど華奢に。瞳や眉は垂れがちに、顎や口許は細く小さく、表情は明るく、微笑みは温かく、爪の先まで髪の先まで肌と髪を手入れして、婚約者が好むタイプのドレスを着るの。きっと素敵よ、エリーゼ」
「はい。お母様」
うっとりと嗤うエリーゼは、幼いが私の言葉をしっかり理解していることが窺える。
私への暗殺行動が始まるまで、まだ十年もある。
エリーゼの教育に掛ける時間も、私の準備に使う時間も、十分に取れるだろう。
先ずは、本国への連絡だ。兄を寄越してもらおう。兄は、まだ当主は継いでいないから、自由も利くだろう。
十年後、十五歳になったエリーゼは、エターナル王国の貴族学園へ入学した。
エリーゼが言うところの「主人公」である侯爵令嬢は一歳下なので未入学だが、エリーゼが招待されない王妃主催のお茶会で、頻繁に王太子と会っているらしい。
私への暗殺行動も予想通り開始された。勿論、全て証拠と記録を取っている。
「いや~、しかし、エリーゼも上手く王太子を調教したなぁ」
私の部屋でティーカップを片手に寛ぎながら、もう本国で当主を継いで多忙になった筈の兄が、呆れたように笑って言う。
頻繁に会わされる侯爵令嬢について、王太子は苦手意識を持っているようだ。
つい先日も、エリーゼを訪ねて来て膝に縋り付き、「あの女、頭空っぽなくせに甘ったるい声と匂いを出してベタベタ媚びて来るんだ。気持ち悪いから消毒させて!」と、下僕めいた瞳で訴えて、恍惚の表情でエリーゼに頭を撫でてもらっていた。
王太子はエリーゼに夢中だ。
国王や王妃、宰相による洗脳教育が功を奏することは無かったし、エリーゼ以外の女からのハニートラップも効果が無い。
エリーゼの誘導により、無知で愚かな王子に育つことも無く、一国の王族として必要な知識と教養は身に付けつつ、婚約者に従順に、表では「親と宰相に洗脳教育されたフリ」をしている。
「あの様子なら、王太子だけは連れて行くことになりそうだな」
「そうね。エリーゼが気に入っているもの」
探るように訊いて来る兄に、私は底を覗かせない態度で返す。
「お前の教育を受けた娘なら、本国へ戻れば縁談など選り取り見取りなんだがなぁ。何も亡国の元王子なんかに情けをかけなくても良くないか?」
「お兄様」
ティーカップをソーサーに戻し、ニッコリと笑顔で呼びかけると、兄が「ひっ⁉」と情け無い声を洩らして固まった。
そんなに怯えるなら、可愛い姪に意地悪をするような言葉は慎めばよろしいのに。
「政略的な婚姻が必要ならば私がするわよ。帝国では再婚同士ならば、皇族でも純潔の女を娶る必要が無いのだから。ずっと私を欲しがってくださっていた皇弟殿下のお妃様が、先頃、御二方とも亡くなったのでしょう?」
皇帝陛下に選ばれて皇室に残る皇弟殿下は、皇族の中での暗部を担う。
だから代々、皇弟殿下の本当の妻は、皇家の影を統括する我が公爵家から選ばれていた。
私がエターナル王国に皇帝陛下の命令で嫁がされた後、皇弟殿下の「本当の妻」として選ばれるのは、未婚だった妹になると思っていたのだが、面従腹背の臣下の娘を、事が起きれば始末する仮初めの妃として娶り、時間稼ぎをしてまで私に執着しているのだ。
どうやら、あの大臣らの娘達は、父親の失脚と共に冥界へ送られたようだ。その「父親の失脚」のタイミングが、私がそろそろ本国へ戻ろうかという時期というのが、偶然なのかどうなのか。
本当に、恐ろしい御方だ。
「あー、まぁ、皇弟殿下のご機嫌が上向くなら、帝国は平穏を取り戻せるだろうな。うん、よし。そうしよう。この十六年、本当にヤバかったんだぞ、あの方の不機嫌」
「皇帝陛下の御命令でしたわ」
「・・・もしも、エリーゼの未来視の通り、お前が殺されていたら、皇弟殿下は陛下へも殺意を向けていたと思うぞ」
極限まで声を低めて、兄がボソリと言う。
それは、とても想像のつく事態であり、何が何でも避けねばならない事態だった。
「・・・でしょうねぇ」
知らず、溜め息が零れる。
皇帝陛下の命令で滅亡の見えた国へ嫁がされ、娘以外は敵ばかりの環境で侮辱を受けながら過ごした十六年だった。
近く、私への暗殺行動の証拠を持って、エリーゼと王太子を連れて、私は帝国へ戻る。
国境には、既に皇弟殿下率いる帝国軍が隣国の国境警備隊に紛れて待機している。
ダイヤの造った国境の防御壁の「他国の侵略を許さない効果」は、吸い上げ可能なエネルギーの減少により随分と衰え、帝国軍が破れない代物ではなくなっている。
この国は、地中の生命エネルギーの枯渇による自然な滅びを待たずして、滅亡することが決まった。
ようやく現在の任務から解放されて帝国へ戻っても、私に待っているのは籠の鳥となる生活のようだ。
私が産まれた時から異常な執着を見せていたという皇弟殿下は、私が『帝の剣』として働くことを、ずっと厭うていた。
エターナル王国へ送られる嫁入り任務に私が選ばれたのは、皇帝陛下による皇弟殿下からの引き離しという目的もあったのだ。
私という有能な駒を、皇弟殿下に囲われて使えない状況になることを、陛下は望まれなかった。
しかし、任務とはいえ、私が他の男の元へ嫁ぎ、子を成して産み、十数年、一度も帰国せずに顔を合わせることも無かった間、帝国は荒ぶる皇弟殿下によって粛清の嵐が吹き荒れることになった。
獲物を取り上げられた憤りをぶつけるように、それまで泳がされていた間諜や奸臣が次々と容赦無く狩られて行ったそうだ。
皇帝陛下も原因が分かっているために、「やり過ぎるな」と窘めることも出来ず、帝国内はすっかりとクリーンな政治状況となり、皇城も、皆が襟を正し姿勢を正す、緊張感溢れる空間へと変貌したらしい。
「皇弟殿下がな、陛下に言ったそうだぞ。『キッチリ掃除をしておかねば、私の妻に余計な仕事をさせられかねませんからね』ってさ」
「・・・やっぱり、籠の鳥ですよねぇ」
「帝国の平和のためだ。諦めろ。物凄く大切にはしてくれるぞ。きっと」
「でしょうね」
嫌なわけでは無い。皇弟殿下のことだって嫌いじゃない。
寧ろ、頼りになる年上が好みである私にとっては、年齢はストライクゾーンだし、整っているが眼光鋭く厳しい容貌も大変に好ましい。
ただ、あの、あまりに重い愛情と執着に返せるほどの想いを、皇弟殿下の望む結婚生活では、私の中に育てられる自信が持てないのだ。
好ましいという程度の感情であの方の側に居て、あの方を不安にさせて苦しめてしまうことが、私は嫌だ。
そう考える時点で、私も皇弟殿下をお慕いしていることは確実ではあるけれど。
籠の鳥のように囲われて、あの方としか顔を合わせず、他者の存在を排除した空間で過ごすことでは、きっと私のようなタイプの女では、今よりも想いを育てることは出来ない。
私は、その他大勢の男達と見比べて「やっぱり私の夫が最高だわ」という感想を抱くことを繰り返すことで、夫への愛情が増して行くタイプの女だ。
面倒な性質であることは自覚しているけれど、大人しく囲われて唯一視界に入る存在へ、満たすほどの愛情を注ぎ続けることが出来ない。
育たない想いや増えない愛情は、注ぎ続ければ無くなる。
その未来が、私を不安にさせる。
それでも、娘には、今手に入れているモノを手放させたくないのだ。
「皇弟殿下は、私が『お願い』したら籠から出してくださるかしら」
「さぁな。お前の努力と力量次第だろ。娘の自由が欲しけりゃ頑張れよ」
悠々と紅茶を飲みながら言う兄の台詞に、懐かしいものを覚える。
私も嘗て、エリーゼに言ったことがある。「努力と力量次第」であると。
我が家に代々伝わる家訓のようなものだ。
“望むものを手に入れられるか否か。それは、汝の努力と力量次第である。”
私は、十年前のあの日、五歳のエリーゼを、「エターナル王国のレンブル公爵家の娘」ではなく、「ペトラシア帝国の『帝の剣』たる一族の血を引く娘」として認めていたのだ。
まだ、何一つ成果を出していない、教育前の娘に対して。
私は思わず、声を立てて笑ってしまった。
とても楽しい気持ちになったからだ。
そう。エリーゼは私の娘。
あの娘の為ならば、私はどんな努力も出来るし、望むものを手に入れるための力量を必ず示してみせるだろう。
そして、あの娘は、成人後まで私が何時でも手を伸ばせる位置で守らなければならないような頼りない娘ではない。
あの娘が自由に羽ばたく姿を見送り、私は私の全てを以て、皇弟殿下にぶつかろう。
貴方への愛を、貴方が満たされるほどに育てるには、私の自由が必要なのだと認めさせる。
その結末に至るまでの応酬は、きっとゾクゾクするほど愉しいだろう。
「お前、悪い顔してるぞ。ホント、代々の皇弟殿下ってヤバい女が好きだよなぁ」
ボヤく兄には、嫌がらせで胸焼けするほど砂糖を入れた激甘の紅茶をお代わりに。
私は、数日後に十六年ぶりの再会となる皇弟殿下への挨拶の口上を考えながら、堪えきれない笑いを零した。
ご想像の通り、エターナル王国の建国王は地球の日本からの転移者です。
異世界転移でチートで俺TUEEEEをしてハーレムを築いた厨二病な青年でした。
ダイヤ自身は、自分の死後も『永遠に続く自分の王国』を設定して魔法を使ったつもりでしたが、残念ながら、異世界人である彼には、この世界の教養ある人々にとっては常識である、「魔石の素」の概念がありませんでした。
ダイヤ固有のチート能力で行使された魔法には他の誰も干渉出来ず、地中の生命エネルギーが全て失われて『死の大地』となる恐ろしい魔法を途中で止める術は、ありません。
どう転んでも、エターナル王国は地中エネルギーの枯渇と共に滅びる運命でした。
エターナル王国が他国人から「胸糞悪い」と称されるような処刑方法を採用しているのも、ダイヤが原因です。
異世界転移で「俺、神じゃね?」と思えるようなチート能力を手に入れ、美女ハーレムと大国まで造ったダイヤは、強大な力と万能感故に退屈を拗らせて刺激を求め、元の世界のエログロバイオレンス系の漫画やゲームを参考に、『自分が見てみたい処刑方法』を提唱しました。彼は、強大な力に呑まれて人間性が崩壊してしまうタイプの転移者でした。
変態的と言われるのは、胸糞悪い処刑方法が若く美しい女性にのみ適用されるせいです。
エターナル王国では建国王ダイヤは神に等しく敬われていますが、他国の人々からは、「邪神か悪魔の化身だったのでは」という意味で「人間ではなかった」と推測されています。
敬われるどころか忌避と嫌悪の対象です。
だから、その血を継ぐエターナル王国の王族との婚姻を喜ぶ他国の貴人は居ません。
そういう理由からも、エターナル王国の王家には外の国の血が入らないまま千年以上も存続し、閉鎖的な選民思想が根付きました。