第一章2 『二十年後の世界』
「はぁはぁはぁ、はぁ・・・」
肩で息をする加藤と男性。
「とりあえず、ここなら安全だ。比較的にだがな」
二人が逃げ込んだのは、スーパーの廃墟だ。
しばらくの間、誰かが生活していたのだろうか、手製のバリケードのような鉄柵の名残と奥には、破れた布団や鞄がいつくか散乱していた。
「あのー、どなたか存じませんが・・・助かりました」
「あぁ。でもお前、あんな所で何してたんだ?」
(・・・それは、俺が聞きたい)
そう思いながら加藤は、これまでの事を簡単に話す。
「いや、俺も分かんないっス。・・・知らないマンションの部屋で気がついて。外に出てみれば街もこんなだし・・・」
「何・・・!?」
男は怪訝な目を加藤に向ける。
その加藤は、スーパーの窓から荒れ果てた街並みを見渡していた。
また、どこかの建物の影から 危険な生物が襲ってくるかもしれない。そう思うと加藤は、背筋が凍った。
「・・・なぁ。お前 それってもしかして」
「ーーーせんせぇ!!」
男性の言葉を打ち消すように大声が響いてきた。驚いて身を屈める加藤。
「おい! 大きな声を出すな。まだ、近くに《黒豹》と《岩砕竜》がいるかもしれん」
声の人物は、スーパーの奥にいた。
暗がりの店内を目を凝らして見るとテントが張ってある。
そのテントの入り口から十代半ばほどの少年が顔を出していた。
長い髪を頭の後ろで括り、作業用のツナギに防刃ベストを着用している。
「すみません。でも、竜種が出るなんて、早くここを出た方が良さそうですね」
「あぁ。荷物をまとめろ。確か近くに街があったはずだ。とりあえずは そこを目指す。荷物も増えたしな」
男性は、ちらり と加藤に目を向ける。
「先生、あの・・・そいつは?」
「《黒豹》と《岩砕竜》に襲われてるところを拾った」
(ーーー俺は物かよ!)
加藤は、そう言いかけて口をつぐむ。
「《黒豹》と《岩砕竜》に!? よく無事だったな、お前」
「あぁ、うん。・・・って、そのさっきから言ってる《黒豹》と《岩砕竜》とかって何なの? いや、さっきの奴らの事を言ってるのは分かるんだけど・・・あんな生物見たことないし・・・」
「話はあとだ。今は、この場から離れることを優先する。早くテントを片づけろ」
「はい!」
言われて少年は、テントを片づけ始める。
「お前・・・えっと、」
「あ、加藤です。加藤 兵庫」
名前を尋ねられたと思い、反射的に名乗る加藤。
「加藤か。俺は佐伯 ミクマ。で、こっちが」
佐伯は、奥でテントを片付けている少年を指差す。
「島田マサルだ」
少年、もとい島田が軽く頭を下げた。
「加藤。島田を手伝ってくれるか」
「あ、はい」
佐伯に言われて島田の元に向かう加藤。
「手伝うよ」
「あ、ありがとな。じゃあ、こっちを・・・」
十数分後、全ての片付けが終了する。
テントの収納を手伝っただけの加藤だが、身体中に変な汗をかいた。
(くそっ! テントの片付けがあんなにムズイものだったとは。難易度の高い折り紙を巨大にした感じだったわ!)
加藤は手伝ったーーーと 言うより、むしろ足を引っ張っただけだ。
「お前・・・不器用だな」
島田には この数分で不器用の烙印を押されてしまう。
「まぁ、俺って割とインドア派だから。そもそもキャンプとかした事ないし、テントも触ったもはじめてだし・・・」
モゴモゴと言い訳をごちる加藤。
「よし、そろそろ出発するぞ。日が暮れるまでに《草野の街》に着きたい」
三人は、スーパーの廃墟を出発する。
***************
片側三車線の広い道路を佐伯、島田、加藤の三人はひた歩く。
他の道には、横転した自動車や建物の瓦礫が散らばっており、まともに歩けたものではないが、この道路は比較的歩きやすい。
街が近くにあると佐伯が言っていたから、街の人間が定期的に整備しているのだろうか。
と 言っても地割れがところどころにあり、気を抜いたら足を取られそうになる。
「うおっ! あぶねー」
地割れに躓き、よろめく加藤に、島田は怪訝な目を向ける。
「先生。あいつ・・・加藤ですけど 変じゃありません? やたら小綺麗な服着てますし、道も歩き慣れてない・・・もしかして、あいつ・・・」
「もしかして、何だ?」
「大きな街のボンボンとか・・・」
「それ、本気で言ってるのか?」
「すみません・・・それは冗談ですけど・・・あの、その・・・」
島田は言葉につまる。
「安心しろ。連中じゃない」
その言葉に島田の顔に安堵の色が広がる。
「俺が思うに、奴はむしろあっちだ」
「あっち?」
「あのー!」
加藤の呼びかけに、前を歩く二人は振り向いた。
「なんだ?」
「そろそろ教えてもらいたいんスけど、この街どうなってんスか?」
倒壊した建物群に見たこともない凶暴な生き物。どこをどう見ても加藤が知っている街の姿ではない。
今も道路の脇にある十階建てのビルが巨大な蔦に巻きつかれて鬱蒼としている。
むしろ、その建物自体が巨木のように見える。
なのに頂上部には巨大なチューリップ(?)のような花が一輪咲いているし、その周りには地上から見えるほど巨大な蝶が何頭も飛んでいる。
「質問を質問で返して悪いが、加藤は目が覚めたら街がこんな状態になっていたんだな?」
「まぁ、そうスね」
「もしかしてだが、直近の記憶がいくつか飛んでたりしないか?」
佐伯の言う通りだ。目覚める前の思い出せる限りの記憶は、学校での部活動だ。
無言をイエスととったのか、佐伯はーーー、
「やはりな」
と一言。
「単刀直入に言うとな、ここは加藤が知っている世界の二十年後の世界だ」
「・・・?」
初めは、佐伯の言葉の意味が分からなかった。
「は? 二十年後の、世界?」
「あぁ。二十年後の世界だ」
きっぱりとそう言う佐伯。加藤は、彼が嘘をついているようには見えなかった。
「ちょ、ちょっと待てよ。じゃ、何か? 俺はタイムスリップしたって事っスか?」
「それは俺にも分からん。ただお前はーーー、」
からん、と音が鳴る。三人の目の前に木の枝が転がった。
「?」
キョトン、とする加藤を尻目に、佐伯と島田は警戒体制をとる。
「ーーーイテッ! なんだ!?」
今度は、加藤の後頭部に木の枝が飛んできた。その後も次々と石や枝が三人の元に投げ込まれてくる。
「なになになに!?」
「ゴブリンだ」
周囲の建物に黒い影が無数に現れる。
加藤が目を凝らすと、猿に似た生き物がこちらを睨んでいる。
「ゴブリンって? ゲームとかに出てくるモンスターですか? そんなんまで居んのかよ・・・」
「まぁ、見た目が似てるから、みんなそう言ってるだけだがな」
「あっ!」
四方八方からゴブリンが迫り、広い道路が醜悪な生き物で埋まっていく。
「囲まれました・・・」
「街道でこれほどのゴブリンの大群に襲われるのは珍しいな・・・」
(・・・捕食者から逃れるため、この辺りに来たのか・・・それとも、群を率いる上位種がいるのかーーー、)
「ーーー島田、加藤にアレを渡してやれ」
「分かりました!」
島田は、リュックからテニスボール程の球をふたつ取り出して加藤に投げ渡す。
「何だよこれ?」
「来るぞッ!」
佐伯が叫んだのと、ほぼ同時にゴブリン共が一斉に襲いかかってきた。
渡された武器(?)の説明がないまま戦闘に突入する。
佐伯と島田が、加藤を囲むように位置取る。
佐伯は腰の刀を抜刀し、島田が懐から特殊警棒を取り出した。
数匹のゴブリンが飛びかかってくる。斬ッ! と佐伯が一閃。
たったの一振りで数匹のゴブリンが両断されて地面に転がる。
「すげぇ! 一撃で」
「当然だよ。先生は桜花流剣術の師範代なんだから、なっ!」
島田は、警棒でゴブリンの頭を殴打した。
落ちた柿の実のように頭がはじけ飛び、言葉とも喘ぎとも取れない声をこぼしながら、ゴブリンは絶命する。
「島田も意外とエグいな・・・」
警棒が硬いのかゴブリンの頭が柔いのか、どちらかは分からないが、案外 頭蓋骨って簡単に砕けるんだな、と加藤は思った。
脳漿をぶち撒けた怪物に同情こそしないが、少し背筋が凍る。
「加藤! 何匹かそっち行った」
「うおっ!?」
戦闘中に余計なことを考えていたからか、加藤は数匹のゴブリンに囲まれてしまった。
加藤を庇うように立ち振る舞っている佐伯と島田だったが、当然すべてをカバーすることは不可能だ。
「イテッ! イデデ!」
ゴブリンに飛びつかれたり、髪を引っ張られたりする加藤。
感覚的には、猿の大群に襲われている感じだ。だが、中にはトンカチや錆びた包丁を装備しているゴブリンも居て、このままだと確実に殺される。
「やめろっ! オラ、離せぇ!!」
手足を振り回して応戦する。
幸い、体格差もあってか、何匹かは吹き飛ばされていった。だが、それだけで勝てるなら苦労はいらない。
加藤の攻撃(?)を躱した二匹のゴブリンが再び飛びかかってくる。
しかもそれは、トンカチと包丁を持った危険度の高い個体だ。
トンカチを振り上げて襲いくるゴブリン。
加藤は、その攻撃をバックステップで回避する。そして、大きく空ぶったゴブリン目掛けて強烈な蹴りをお見舞いした。
『グゲェー』
汚い断末魔を吐きながら、数メートル吹き飛ぶゴブリン。
「やるな加藤!」
「ふっ! 実は、俺は剣道部だからな。あれくらい軽いもんよ」
突如、こんな世界で目を覚ました恐怖と焦りで忘れていたが、加藤は剣道部。部活で何度も打ち合いを経験してきた人物なのだ。
冷静になれば、この程度の攻撃を躱すのは訳ない。
「うわっ!」
などと、調子に乗っているからか、残ったゴブリンに転倒されてしまう加藤。そのまま馬乗りにされて、包丁を眼前に突き立てられた。
加藤は、咄嗟にゴブリンの手首を掴んで、包丁を寸前で止める。
『グォォ!』
「ぐぎぎ・・・」
目の前に広がるゴブリンの醜悪な顔には吐き気すら覚える。
コケた頬に長い鷲鼻。ところどころ歯抜けになった口からは、悪臭が漂ってくる。
体も細く貧弱で、ざらざらとした肌の感触は、皮膚病で禿げ上がった猿がこんな感じだろうか、と思えるくらい不健康で不気味だった。
「お、ラァ!!」
加藤は、巴投げの要領でゴブリンを投げ飛ばす。空中でクルリ、と身を翻したゴブリンは軽やかに着地する。その手にはーーー、
「あっ!」
加藤が島田から渡された球のひとつが握られていた。
「てめぇ、返せ!」
咄嗟に伸ばした加藤の手の指に、プラグのような金具が引っかかっている。
どうやら球に付いていたもので、取られた際にプラグだけが抜けて加藤の手の中に残ったのだ。
加藤は、それであの球が何なのか察した。
「え? もしかして、あの球って・・・」
そう、手榴弾だ。
「うおぉぉおおお!!」
加藤は、ゴブリン目掛け走り出す。
あの手榴弾の破壊力がどれほどかは分からないが、近くには佐伯と島田がいる。巻き添えを食らわない保証はない。
「オラァ!!」
『グガァ!』
ゴブリンを手投弾と共に蹴り飛ばす。助走をつけた一撃で、ゴブリンは、弧を描いて群れの中に突っ込んでいった。
次の瞬間、手投弾が爆発。熱気と爆風がゴブリンの群を吹き飛ばした。
『グォォォォオオオォオオオーーーーーーッ!!』
十匹以上が爆死。残りは、蜘蛛の子を散らすように四散する。
「活路が開いた! 斬り抜けるっ! 固まってついてこい!!」
佐伯の言葉が耳朶を叩く。加藤は、考えるより先に走り出していた。
尚も襲いくる数匹のゴブリンを斬り伏せながら佐伯、島田、加藤の三人はゴブリンたちから逃げ切る。
「ふぅ、ふぅふぅ・・・なんか、走ってばっか」
数匹のゴブリンが追撃してきたが、歩幅から撒くのはそう難しくなかった。
「まさか、街道でゴブリンに襲われるとは・・・」
「九州の方で大規模な討伐作戦があったからな。そこから追われてきた群だろうな」
「一匹一匹は雑魚とはいえ、あの数は脅威ですよ」
「今から向かう街に警告しておこう。街総出で討伐隊を出せば大丈夫だ」
「って、おい!」
加藤は、落ち着いて話す二人に突っ込む。
「今まさに殺されそうになったのに、何でそう落ち着いてられんだよ!」
「ゴブリンぐらいで焦ってたら、この世界では生きていけないぜ」
「いや、焦るわ! あんな状況! そもそも、俺はこの世界が二十年後の未来ってのも まだ飲み込めてないんだぞ!」
怪訝な目で加藤を見る島田は、佐伯に耳打ちする。
「あんな奴が本当に《覚醒者》なんですか?」
「俺はそう思ってる」
島田は、納得いかなそうに口を尖らせる。
「あっ! そう言えば、島田! お前なんつーもん持たせんだ!」
「何が?」
「あの爆弾だ! 危うく死ぬところだったわ!」
「あぁ。もう少し上手く使うかと思ったけどな」
未だにあの爆音が耳の奥に残っている加藤は、不満が収まらない。
ぎゃーぎゃー、と騒ぎたてながら島田に食ってかかった。
しかし、島田はたいして話を聞かずにーーー、
「分かった分かった」
と軽く受け流すだけだ。
「二人とも見えたぞ」
そんなふたりを尻目に、双眼鏡を覗いていた佐伯。
「え?」
「《草野の街》だ。今日はあの街で宿をとる。加藤、お前の状況や、この二十年間に何があったかをあの街で話してやる。今は黙ってついてこい」
「う、分かりました・・・」
そう言われて、ようやく黙る加藤。
三人は、街に足を向ける。