第一章13 『加藤の能力』
「アゲハ様、やっぱりこいつらは危ない奴でしたよ! この場で殺しましょう!」
「い!? ちょ、ちょっと待てよ!」
「待たないね。死ね!」
ミサエは、棘つきメリケンサックが装着された拳を加藤に向けて放った。
(ダメだ! 防げない! し、死ぬ)
死を覚悟した加藤は、現実から逃れるように目を背ける。
「ーーーいっ!?」
次の瞬間、激しい頭痛と共に、ある景色が加藤の脳裏に蘇った。
真っ白な部屋だ。
加藤の目の前には、綺麗な黒髪を腰まで流した女性が立っている。女性の顔は、思い出せない。だが、加藤は彼女を愛おしく思っていた気がする。
『ーーー大丈夫だよ』
柔らかで、鈴の音を転がしたような声。だけど、どこか心に、ずしん とくる力強い声音で彼女は語りかけてきた。
『君の力の使い方は、私が教えてあげた。あとは君 次第だよ』
はっ、と加藤の意識が現実に戻る。と、同時に全身の血が沸騰するかのごとく熱くなるのを感じた。
手錠をかけられた腕に力が漲る。
瞬間、鉄の鎖が弾け飛ぶ、嫌な音が吹き抜けに響いた。
「んなっ!?」
自由となった加藤の手は、ミサエの腕を掴む。
「そうだ、俺の能力はーーー彼女に教えてもらった・・・!」
力任せに腕を振る加藤。二メートル近いミサエの巨体が吹き飛ばされる。
「ぐぉぉおおおお・・・がぁ!」
吹抜けを支える柱に、ミサエは激突した。
呆気に取られるアゲハとその仲間たち。
加藤も同様で、呆然と立ち尽くして、自分の拳を見つめていた。
そんな中、初めに我に帰ったのはキリエだ。
「ゆ、弓兵! アイツを射殺せ!」
「は、はいっ!」
上階でボウガンを構えていた盗賊たちが、一斉に矢を放つ。
「やべ!」
加藤は、咄嗟に上階を目を向ける。当然、その時の意識は目に集中する。
すると、放たれた矢がまるでスローモーションで動いているかのように見えた。
「ーーーなっ!?」
矢を寸前で回避した加藤。矢は、一本 頬を掠めただけで、全て地面に刺さった。
「何っ!?」
キリエの驚いた声が聞こえた。
上階の盗賊たちも、全ての矢を避けされると思っていなかったのだろう。呆然として、次弾を装填する手が止まっている。
その隙をついてーーー、
「兵法 三十六計逃げるが勝ち! だっけ? たぶん違う気がする」
加藤は一目散に逃げ出した。
「おい逃すな! 捕まえろ!」
「なっ、なんて速さだ!?」
盗賊の声を置き去りにして、ショッピングセンターの闇の奥へと消える加藤。
色めき立つ盗賊たち。逃げた加藤や地下牢を脱走した ふたりの対処をどうするか意見が飛び交っている。
そんな中、アゲハは黙って加藤が消えた闇を見つめていた。
「目覚めて2日・・・確かに、能力を思い出す頃合いだね・・・」
「アゲハ様。アイツは私にやらしてください」
「ミサエ!? アンタ大丈夫なの?」
アゲハの元に歩み寄るミサエ。
吹き飛ばされた上、柱に体を強打しているはずだが、ミサエに目立った外傷はなさそうだ。
「ミサエ!」
「悪りぃ姉貴。アイツは、私が殺さねぇと気が済まないんだ。いいですかアゲハ様?」
「・・・分かったわ。でも、殺すのはなし! 生きてもう一度、私の前に連れてきなさい」
「・・・分かりました」
アゲハの命令に渋々 了承するミサエ。
そんなアゲハをキリエは黙って見ていた。
「みんな聞いて! 逃げた《覚醒者》はミサエが仕留める! 他のみんなは、地下牢から脱走したふたりを捕まえて!」
アゲハの命令に、その場にいた部下たちは「了解!」と応える。
***********
「・・・ひとり付いてきてんな。足音からあの大女か」
後方からの足音を捉える加藤。
追手は来るだろうと思っていたが、厄介な奴が来たと落胆する。
「ま 大勢来たり、蝶野アゲハが来るよりまっしか」
もし戦闘になっても、あの大女と一対一なら加藤に分がある。
だがーーー。
「出来れば、武器が欲しいな。丸腰で あの女とやり合うのは避けたい」
先ほどの殴打から推察するに、ミサエと呼ばれていたあの女は、何かしらの格闘技を齧っている。
「武器武器武器〜! そう言えば、俺の木刀どこいったんだ?」
薄暗い通路をひた走る加藤。曲がり角に差し掛かった時、何者かとぶつかった。
「うおっ!?」
「おっ??!」
両者 身に覚えのある顔だということは、薄暗い通路でもよく分かった。
「島田!?」
「加藤! 無事だったか!」
加藤の身を案じる島田。だが、よく見ると島田の方が細かな傷跡が無数に付いている。
激しい戦闘をしてきた後のようだ。
「お前こそ無事なのか!? 佐伯さんは?」
「先生とは途中ではぐれちまった! あの人いろいろと雑な性格だからこういう事よくあるんだ!」
「マジか・・・。と、とりあえず今は逃げんぞ! 今 厄介な奴に追われててな! なんか武器になるモン探してんだ!」
島田と再会できたのは嬉しいが、武器がないのは変わらない。
一瞬、島田とふたりがかりでミサエに挑もうかと思ったが、やはり武器がないのが不安要素だ。
「ちょっと待てよ! 加藤」
「なんだよ!? 急がないと・・・!」
「先生はいないけど」
島田は、手に長細いケースを持っていた。中から取り出したのは、加藤の木刀だ。
「武器ならある!」
***************
加藤の後を追って全速力で通路を走るミサエは、前方に人影を見つけて足を止めた。
にやり、と凶悪な笑みを浮かべるミサエ。
「逃げるのはやめたのかよ? 《覚醒者》」
「逃げるよ。お前を倒した後にゆっくりと」
ミサエの前に立つ加藤は、そう宣言して、木刀を中段で構える。
応じて、ミサエもファイティングポーズをとった。
二者の距離が徐々に縮まっていく。
と 次の瞬間、ミサエが大きく踏み込んだ。
加藤は、咄嗟に反応して剣域に入ってきたミサエに突きを放つ。
ーーーが、見事に空を切る木刀。
「ちぃ!!」
ミサエは、踏み込んだ足を起点に体を回転させる。そのまま強烈な回し蹴りを加藤の首元に放った。
ゴォ、という音を伴った蹴りを、身を屈めてギリギリの所で躱した加藤。
「まだまだぁ!」
ミサエの言葉通り、攻撃には二撃目があった。
蹴りを追うようにして、拳が加藤の顔面に飛んでくる。しかも、棘のついたメリケンサック付きで、だ。
加藤は、拳を木刀の腹を滑らせるようにして、突きを受け流した。
「ーーーっ!!」
「ちぃ!」
弾かれるように二者は、距離を取った。
(今の剣捌き・・・シロートじゃねぇな こいつ)
(やっぱり、こいつ・・・やってる奴の動きだ)
「へっ! だがな」
余裕の表情を浮かべるミサエ。
「ルールありきの戦いしかした事ねぇ奴の動きだ! 私の敵じゃねぇな」
ぴくり、と加藤が反応する。それに目ざとく気がつくミサエ。
「やっぱな。図星だろ。喧嘩の類はしたことねぇだろ」
ミサエは、物心がついた時から両親は居らず、キリエとふたりで生きていた。
ある時、彼女が住んでいた街に元キックボクサーの冒険者が訪れる。
彼女は縁あって、その冒険者にキックボクシングを習うことになる。体とセンスに恵まれていた彼女は、瞬く間に上達していきーーー半年後、腕試しと称してその冒険者を素手で殺害した。
以降、ミサエは十八名もの人間をその手で殺害することになる。
「結局、喧嘩に大事なのは・・・」
ミサエが軽やかなステップで距離を詰める。
「ーーーっ!」
情け容赦無い連打が加藤を襲う。
辛うじてミサエの攻撃を躱す加藤は、堪らず後ろに下がった。
(懐に入られるのはヤバい! 距離をーーー、)
にぃ、とミサエの笑みが溢れる。
「ーーー殺意だよっ!」
加藤の腹部に強烈な前蹴りが炸裂する。激しい吐き気と共に後方に吹き飛ぶ加藤。
「加藤!?」
島田の声が聞こえた。
「なんだよ、もうひとり居たのか。脱走した奴だな」
ミサエはじろり、と島田を睨む。
島田は、咄嗟に特殊警棒を構えるが、及び腰だ。
目の前で 仲間が蹴り飛ばされる瞬間を見たら、誰でもそうなる。
「アゲハ様は、お前らを捕まえろって言ってだけど、反抗するなら殺しちゃっていいよな」
「やめろ!」
「!」
加藤は、木刀をよすがに立ち上がる。
「いってー・・・。マジで蹴りやがったな」
「・・・っ!?」
(おかしい!?)
ミサエは混乱した。
十八名もの人間を殺害してきた彼女にとって、どうすれば人が死ぬのかなど、手に取るように分かる。
「私のブーツは鉄板入りだ。それで思いっきり蹴られたら普通は悶え死ぬ。ましてや、立ち上がれる訳がない・・・」
「鉄板入り!? 通りで痛いわけだよ!」
「大丈夫なのか? 加藤」
心配する島田を横目に、木刀を中段に構え直す加藤。まだまだヤる気のようだ。
「確かに・・・お前の言う通り、俺は喧嘩なんてしたことがない。殺人なんて以ての外だ。だから、殺意なんてどうやって出すのかも分からん」
「だから、お前は私に勝てずに ここで死ぬんだよ」
「まだ分んねぇだろ。お前を倒して、俺は仲間と逃げられるかもしれないだろ」
「あり得ない!」
ミサエはキッパリと否定する。
「殺す者と倒す者。彼我の実力には明確な差が存在する。倒す、だなんて甘い事いってるテメェに、ーーー殺意を持った私が負けるわけねぇんだよ!」
ミサエは無造作に突進してくる。
「お前が持つ殺意ってのは俺にはねぇ。ーーーだがな、俺には“これ”がある!」
加藤は、これまでの事を思い出す。
目にも留まらないはずの《黒豹》の刃を見切ったこと。
《インパクト・ボア》から逃げ切った脚力のこと。
ミサエに殴打された時のこと。
そして、先ほど脳裏を横切った少女の言葉ーーー。
『ーーー大丈夫だよ』
加藤は、腕に力を込めて踏み出す。
ミサエ目掛けて木刀を横薙ぎに振り込む。
二者が激突。
物理法則から大柄なミサエよりも小柄な加藤が吹き飛ばされるはずだ。
しかしーーー、
(クソっ! 何だよコイツ!? 全然うごがねぇ!)
加藤はぴくり、とも動かない。それどころか、ミサエの方が押され始める。
「クソがぁ! 力比べで負けてたまるかぁぁあ!」
刹那、二者の力は拮抗する。
そんな中、加藤は自分の心臓が早鐘のように鼓動するのを感じていた。
次の瞬間、あり得ないほどの膂力が生まれる。
大柄なミサエが、ぐらり と体勢を崩した。
「な、なんだ!? この力はーーー!!?」
「そうだ! 俺の能力はーーー!」
『君の能力はーーー、』
「ぬぉぉぉおおお!」
「お、らァァアアアァァアアアーーー!!」
加藤は、木刀を振り抜き、ミサエの巨体を吹き飛ばした。
『ーーー身体能力の《部分強化》!』