8.国王の苦悩
国王は頭を抱えていた。全身から汗が吹き出し、眩暈がする。ついでに昔の古傷が疼くような気もしていた。
なぜ自分がこんな目に、と恨みがましく目の前の二人を見つめてしまう。
――厳密には、二人と、二柱の精霊を。
*
ことの発端は、数時間前。
上機嫌のアントニオとマリリアンヌが肩を寄せ合ってやってきた。
「我々は正式な婚礼を挙げたいと思います」
もとより国王に否やはない。国王の妻もハニーデイル家の出身であり、癒着しきったハニーデイル家に逆らえない理由が王家にはあった。
そうならぬためにハーヴェスト家とハニーデイル家の二家が聖女の家系として立っていたのだと気づいたのは、ハーヴェスト家が聖女選びの儀式から追い出されてしまって数代後のこと。そのときにはもう手遅れだったのだ。
ともかく、マリリアンヌがその気になったのならめでたいことだ。
国王はすぐに結婚の許可を与えた。
「父上、もう一つお許しいただきたいことがあるのです」
「なんだ」
「いま神殿にいるシルフィア、あの者は聖女を騙り、この国を混乱させようとしています。あの女を処刑する許可をください」
これには一瞬、国王は絶句した。
だがアントニオもマリリアンヌも、自信たっぷりの勝ち誇った目で国王を見つめている。
「聖女を処刑だと?」
「聖女ではありませんのよ、国王陛下。アントニオ様がおっしゃるとおり、シルフィアは聖女を騙っているのです」
国王の眉がひそめられる。
マリリアンヌに猶予を与えるため、資格を失ったハーヴェスト家から少女を出仕させたというのは聞いていた。その少女が奇跡を起こし、聖女の力に目覚めたらしいという噂も。
本音を言えば、その真偽はどうでもよい。ハニーデイル家が聖女の地位を独占してからというもの、聖女はすでに名目上の肩書となっている。シルフィアでもよいし、マリリアンヌに代わることも異論はない。
だが、処刑というのは穏やかではない。
「彼女は奇跡を起こしたというではないか。民が許さぬだろう?」
「それこそがあの女の狙いなのです。影響力を増す前に処刑しなければ、国はマリリアンヌとシルフィア、二人の聖女をめぐって二つに分かれてしまうでしょう」
「むう……しかし、殺すというのは」
「父上」
なおも渋る国王に、アントニオは顔を覗き込むようにして近寄った。
「リュートはすでにあの偽聖女に魅入られています。俺やマリリアンヌを殺し、王位を手に入れようとするかもしれない」
「……!」
国王の目が見開かれる。
「父上が本当は俺よりもリュートを好いていらっしゃるのはわかっています。王位もリュートに継いでほしかったのでしょう? あいつは父上に取り入るのがうまかったですからね」
「そんなことは……」
「だが父上は国を混乱させぬため、王太子と定められた俺に王位を譲ることに決めた。その決意をいまさら翻しはしないでしょうね」
「それは、も、もちろんだ……」
ふるえる声で国王は応える。第一王子であるアントニオを王太子と決めたとき、リュートはなにも言わなかった。逆ならそうはいかなかっただろう。アントニオは駄々をこね続け、指摘されたとおり、国が割れる不安があった。
国を守るため、決断をしたのだと、王は思っている。それが正しい決断だったと信じたかった。
「父上のかわいいリュートを助けるには、シルフィアを殺すしかないのです。あの女がいなくなればリュートも諦めがつくでしょうから」
「……」
「おわかりいただけましたね」
「……わかった……」
国王は力なく頷いた。
「我々との契約を破り国を惑わそうとした偽の聖女を処刑する。そしてマリリアンヌが聖女となる。ドラマチックじゃありませんか。民もすぐにシルフィアのことなど忘れるでしょう」
「ええ。シルフィアにできてあたしにできないわけがありませんわ。しっかりと民の心をつかんでみせます」
アントニオとマリリアンヌは満足げな笑顔を見せると部屋を出ていく。
ほとんど会ったこともない少女に罪悪感を覚えながらも、(これでよかったのだ)と自分に言い聞かせる。これまで積み重ねてきたものを守るにはシルフィアに犠牲になってもらうほかないのだ。
(国のためだ……ハーヴェスト家は王家に逆らい自滅した家。そんな家の娘のために国やリュートが犠牲になることはない)
だが、問題は終わっていなかった。
それからしばらくして、アントニオとマリリアンヌの二人と入れ違いになるように、リュートがシルフィアを連れてやってきたのである。
なぜか自分を見たとたん怯えたように声を漏らすシルフィアを背後に庇いながら、リュートは言った。
「父上、このシルフィアこそが、真の聖女です。私はこの目で確かめました。彼女は精霊の力を借り、奇跡を起こしたのです」
――それが父王の逆鱗に触れるとは知らぬまま。