7.そのころ聖女と第一王子は
そのころ、マリリアンヌは、アントニオとともに、宮廷の広間にいた。
結婚に際し、ドレスや宝石、家具も新調すべきだとマリリアンヌが言ったからである。商人たちを呼び、広間に所狭しと品物を並べさせると、マリリアンヌは気に入ったものを買い付けていった。
「あたしにはアントニオ様だけですもの、それはおわかりでしょう?」
妖艶な笑みにアントニオはだらしなく頬をゆるめた。結婚の話を持ち出したとき、これまでのようにはぐらかされるのかと思っていたが、待ってましたとばかりにマリリアンヌが頷いてくれたために有頂天になっているのだ。
「あぁ、わかっているよ。君と結婚できるのは俺しかいない」
これまでの浮気には黙って耐えてきた。本命が自分であることを知っていたからだ。マリリアンヌの目的が自分の地位と金であることは理解しているが、それでいい。
アントニオの目的もまた、マリリアンヌの美貌と聖女という肩書。
国王となる者は聖女を伴侶として得なければならない。それがこの国の掟であった。
「それに、あたしはなにも好きで殿方と遊んでいたわけではありませんのよ。アントニオ様が国王になられたときに備え、味方を増やしていただけのこと」
「それもわかっているよ、美しいマリリアンヌ」
「聡明な方。なら、身内に裏切り者がいると、お教えしますわ」
「……なんだと?」
マリリアンヌは赤い紅を引いた唇をにやりとたわめる。
「リュート様ですわ。あの方だけはあたしに靡かなかった……まるであたしを嫌なものを見るかのような目で見ていましたわ。聖女であるあたしを」
「リュートか。あいつは昔からそうだったな……あまりしゃべらず、何を考えているのかわからない。だが俺に逆らうような奴ではない」
アントニオもリュートの内心は感じていた。享楽的なアントニオと生真面目なリュートは、幼いころにはぶつかっていたこともある。いまではほとんど会話をしないが、マリリアンヌの身代わりとして神殿に置いているシルフィアを案じ、待遇の改善を何度か求められた。
しかし、酷く突っぱねたことで、諦めたはずだ。それ以降は何も言ってこない。
「それが、リュート様はシルフィアに夢中なのですわ」
「シルフィアに?」
「ええ。誰もいない夜中、神殿にお忍びで通われていますの。あたし、シルフィアが聖女を騙ったのはリュート様の力添えがあったせいだと思いますわ」
マリリアンヌの言葉にアントニオの表情は引きつった。シルフィアと薔薇についての噂や、夜更けに訪れたマリリアンヌを逆上して突き飛ばしたことについては、すでにマリリアンヌから聞いて知っている。
リュートがシルフィアに肩入れしているのは、元来の生真面目さゆえだと考えていた。だがそこまで接近しているのなら狙いは明白だ。
シルフィアを聖女と偽り、彼女と結婚すれば、国王の座を手に入れることができる。
「まさかあいつがそんなことを考えていたとはな……」
「それでね、アントニオ様……」
さすがにほかの者に聞かれてはまずいと思ったのか、マリリアンヌは擦り寄るようにアントニオへと身を持たせかけた。婚約者のいつにない積極的な態度にアントニオも笑み崩れる。
豊満な身体を押しつけ、ひそり、とマリリアンヌは王太子の耳元に毒を囁いた。
「シルフィアを、処刑してしまいましょう。このあたしを突き飛ばし、危うくけがを負わせるところだったのですもの」
「そうか……そうだな。ふふ、君はなんて賢いんだ。聖女を騙り、本物の聖女に手をあげたのなら罪状は十分だ」
シルフィアさえいなくなればリュートの企みは崩れる。あとは自分が国王になってからゆっくりと処分を決めてやればいい、とアントニオは笑った。
マリリアンヌから身を引くと、両手をひろげ、今度はわざと芝居がかった大声で告げる。
「ならば早く婚礼の支度を整えて神殿に戻ろう。君のような美しい者が聖女としていたほうが民も喜ぶというものさ」
「ええ。ドレスはもう十分ですわ。あとは宝石と……香水と……」
シルフィアの未来を塗りつぶしたマリリアンヌは、仄暗い愉悦にくすくすと笑い声を立てながら買い付けを進めていく。
「さあ、品物を見せて頂戴。聖女に相応しいものをね」
「聖女様……ですか? 代替わりされるので?」
付き従っていた商人が不思議そうに尋ねると、アントニオはマリリアンヌの肩を抱き寄せて笑った。
「このマリリアンヌが本物の聖女だ。今の聖女は偽の聖女なのだよ」
「偽の?」
「そうだ。もうすぐそのことが明らかになるだろう」
「……」
胡乱な表情を浮かべそうになり、商人はあわてて顔を俯けた。相手は王太子であり、その婚約者だ。先ほどからの会話は要領を得ないが、婚礼の支度が大きな儲けの話であることは間違いない。
腰に差していたシルフィアの薔薇を見咎められぬようそっとポケットに突っ込んで隠しつつ、まだ商人は内心で首をかしげていた。
(あの方が、偽の聖女とは。とてもそんな方には見えなかったが……)
商売がうまくいくようにという自分本位な願いであったが、彼もよく神殿へ詣でては祈っていた。そのときに対応してくれたシルフィアは、ともすれば軽蔑されがちな富裕層相手の商売品を「こんなにきれいなものが世の中にはあるのですね」と褒めてくれた。
何度か通ううちに彼女の心から湧き出る清浄さに感化され、儲けはしてもあくどい真似はすまいと誓ったところである。
(あんなふうに言うほうが罰当たりに思えるがなぁ……本当にこの方が聖女になるのだろうか)
「ちょっと! ぼさっとしていないで、品物を出してちょうだいよ」
「はい、はい。ただいま」
マリリアンヌのきつい口調に商人は身をすくめると、急いで宝石の入った箱を取り出した。
心の中ではシルフィアの身を案じながら。