5.リュートの励まし
その夜、リュートが訪れたとき、シルフィアは思わず腕の中に飛びこんでしまった。
「シルフィア!?」
リュートは焦った声をあげたものの、涙をこぼすシルフィアの姿に息を呑む。
シルフィアこそが聖女であった、という王都の噂は、リュートの耳にも届いていた。だからこそマリリアンヌが乱暴を働くのではないかと心配し、神殿へやってきたのだ。
「どうしたんだ……マリリアンヌが何か?」
「違うのです」
シルフィアは首をふると、声を詰まらせながら日中にあったことを話した。
精霊たちの出てくる夢を見たこと。夢の中で聖女の力を与えると言われたこと。目覚めて薔薇の花束を生い茂る蔓に変えたこと――そのおかげでシルフィアが聖女だという噂が広まり、マリリアンヌを傷つけてしまいそうになったこと。
「わたしは、どうしたらいいのでしょうか」
「……シルフィア」
リュートの静かな声が落ちる。顔をあげれば、リュートは眉を寄せ、痛ましげに目を細めながらも、口元にはほほえみを浮かべていた。シルフィアの不安を感じとり、勇気づけようとしてくれているのがわかる。
「私はシルフィアがよろこんだことも、怖がったことも、どちらも当然だと思う。なぜなら、君の力は人を助けることも、君が懸念したとおり傷つけることもできるからだ。でも――」
リュートはシルフィアの手を取った。驚いて手を引こうとするシルフィアをとどめ、うやうやしく両手でつつみこむ。
「私は君が聖女だと信じるし、君が聖女でよかったと思っている。君なら力に溺れ、使い方を誤ることはないだろうから」
「リュート様……」
「不安かい?」
「はい……」
聖女ではないと言われながら暮らしてきた。このままでよいのだと安堵したのもつかの間、マリリアンヌにむけてしまった力はシルフィアを驚かせた。
「不安なら、祈ることをやめてはどうだろうか。そうしたら力は弱まるんじゃないか」
「!」
唐突な提案にシルフィアは目を見開いた。しかし同時に、リュートの意見は合理的でもあった。祈ることで精霊に認められたのなら、祈りをやめればいい。そうすればシルフィアは普通の少女に戻るだろう。
「もとはといえばアントニオの我儘から出たことだ。私はこれ以上君に負担をかけたくない。それに実は、そろそろアントニオが痺れを切らしてね。マリリアンヌに結婚を迫ろうとしているんだ」
「アントニオ様が……」
マリリアンヌが正式にアントニオの伴侶となるとき、それはマリリアンヌが神殿へ戻り、聖女としての勤めに就くことを示している。
「そうなれば、わたしはお払い箱ですね。神殿で祈ることもなくなる」
あとはマリリアンヌに任せ、シルフィアは祈りから離れてもよい、とリュートは言っているのだ。
「リュート様……ごめんなさい」
首をかしげるリュートに、シルフィアはほほえんだ。
(わたしのことを一番に考えてくれるのが嬉しい、なんて思ってしまって)
理由は言えないから、心の中で呟く。
リュートの立場からすれば、シルフィアの聖女の力は喉から手が出るほど欲しいものに違いない。薔薇を生い茂らせることができるのであれば、畑を耕し、水を引き、作物を育てることも、動物たちを養うことも容易になる。風車をまわして粉を挽くことも、民の生活を豊かにすることも、シルフィアがしたように人々の心をつかむことも。
そういった利益をすべて投げうって、シルフィアという一人の少女をいたわってくれようとしている。
シルフィアは目を閉じた。暗闇の中で見た精霊たちを思い出す。
動転のあまりわからなくなっていた、自分を見守ってくれている存在の感覚が戻ってきた。ヴァルティスとティティアはいま、シルフィアを心配してくれているのかもしれない、と思った。
ふたたびひらいたシルフィアの目には、揺るぎない決意が現れていた。
「リュート様。わたし決めました。わたしが本当の聖女なら、やはり人の助けになることがしたいんです。そして、精霊と人とをつなぐ存在になりたい」
ヴァルティスとティティアも、そうすれば人間界に姿を現せると言っていた。
せっかく結ばれた絆を自分勝手に断ち切ることはしたくない。薔薇を手にした人々は、「本当に精霊がわたしたちを見守っているのだ」と嬉しそうに笑っていた。
リュートは頷く。
「それなら、私は君を応援するよ。シルフィア」
「ありがとうございます。……ごめんなさい、わたしの弱音に付き合わせてしまって……」
しゅんと肩を落とすシルフィアの頭を、リュートはなだめるように撫でた。
「!?」
「気にしないで。……君がよく言っている言葉だよ」
(い、いや、そこじゃなくて、いま、頭……!?)
真っ赤になった顔を隠そうと俯き、聖衣の裾が皺になってしまいそうなほど両手で握りしめる。
シルフィアの反応の理由をわかっているのかいないのか。リュートは朗らかな笑顔を浮かべ、シルフィアを見下ろしていた。