4.戸惑い
薔薇に覆われた神殿を最初に発見したのは、よく遊びにくる孤児院の子どもたちだった。
「すごい! シルフィア様、どうしたのこれ!」
「お花がいっぱいだね~」
「うーん、わたしにも、あはは……精霊のご加護かな?」
「やっぱり精霊はいるんだね! シルフィア様、いつも言ってたもんね。わたしもお祈りしたらできるかなぁ」
「やりたーい!」
「そうねぇ」
目を輝かせる子どもたちにシルフィアは笑った。
(そうか。そうよね。この子たちの言うとおりだわ)
精霊たちも言っていた。祈りに形式はないと。この力はシルフィアの真心が彼らに通じた結果なのだ。だとしたら、この子どもたちも精霊と通じあえるだろうし、マリリアンヌだってそうだ。
(ヴァルティス様やティティア様は知らないと言っていたけれど、きっとなにかの間違いね。マリリアンヌ様が心を込めて祈れば想いは伝わるはず)
そうすれば聖女がマリリアンヌであることも納得してもらえるだろう。ほっと安堵の息が漏れる。
シルフィアは薔薇を一本ずつ手折ると、子どもたちに持たせてやった。
「この薔薇を大切にして、精霊に感謝して祈るのよ」
「わかった!」
「ありがとう、シルフィア様!」
嬉しそうに薔薇を手にする子どもたちを見て、シルフィアも笑顔になった。
子どもたちが語り聞かせたのだろう、その日神殿を訪れる人は増え、シルフィアは皆に薔薇を配った。夜になるまで配ってもまだ薔薇はなくならず、誰もがこれは精霊のもたらした奇跡だとよろこんだ。
(みんなにとっても、精霊が身近なものになったわ)
あまりの力の大きさに面食らってしまったが、ヴァルティスやティティアの言うとおり、シルフィアはこれまでと変わらず暮らしてゆけばよいのだ。精霊に感謝し、精霊の恵みを慈しみ、祈りを捧げる日々を。
人々にそれらを伝える中で、人間と精霊との関わりもよりよいものになっていくだろう。
――そう、思っていたのだが。
*
「ちょっと、なによこれ……!?」
「!!」
苛立ちを含んだ声にシルフィアはふりむいた。
参拝者たちはもういない。夜の闇がわだかまる神殿の入り口で、マリリアンヌが金切り声をあげている。
真っ赤に染まった顔は激怒を表していて、シルフィアは反射的にあとじさった。
そんなシルフィアの態度も気に食わなかったのだろう、マリリアンヌはつかつかと歩みよるとシルフィアの髪を思いきり引いた。
「痛い! マリリアンヌ様……!!」
「なんなのこれは! 王都ではあんたが聖女だって噂になってるわよ!! 言いなさい、誰が協力したの!? あんただけでこんなことができるわけないでしょ!!」
眦をつりあげて叫ぶマリリアンヌの形相はシルフィアに本気の恐怖をもたらした。
「こ、これは……精霊の加護で、そうです、マリリアンヌ様、マリリアンヌ様だって、精霊に祈れば――」
「まだそんなことを……!」
必死に説明をしようとする言葉は、余計にマリリアンヌを激昂させるだけだった。
マリリアンヌの手がシルフィアの頬を打つ。美しく整えた髪を振り乱し、ぎらぎらと目を血走らせながら、マリリアンヌは床に倒れたシルフィアに馬乗りになった。
「あたしに逆らうってことはね、アントニオ様に逆らうということよ。偽聖女は処刑、そう言ったでしょう!?」
細い首に長い爪が食い込む。
シルフィアは思わず悲鳴をあげた。
「やめてください……!!」
もがくように腕を突き出す。
瞬間――渦巻くような風が神殿に吹き荒れ、薔薇の葉を揺らした。打ちつけるような葉擦れの音とともに、覆いかぶさっていたはずの重みは消えていた。
「うう……」
「マリリアンヌ様!!」
見ればマリリアンヌは部屋の中央から青い文様の壁にまで吹き飛ばされている。
慌てて駆け寄るシルフィアをマリリアンヌは睨みつけた。
「よかった、お怪我は……」
「あたしを突き飛ばしたわね!?」
「違います! いまのは風が……」
「風で人が飛ぶわけないでしょう!? あんたがやったのよ!」
もはやどう説明しようともマリリアンヌには届かないのだとシルフィアは悟った。むしろ話をしようとすればするほど、マリリアンヌの怒りに油を注ぎ、そして――。
ぞくりと背筋がふるえる。
立ちあがったマリリアンヌの背後に高くそびえる青の文様の壁を仰ぎ見て、シルフィアは小さく息をついた。
あの突風は、シルフィアが離れてほしいと願ってしまったからだ。
変わらない生活が送れると思ったのは間違いだった。精霊の力は強すぎて、今のシルフィアには制御できそうもない。
(このままではマリリアンヌ様を傷つけてしまう)
それだけは嫌だった。精霊の名のもとに人を傷つけることなどあっていいわけがない。
「いまさらしおらしくしたって遅いんだから!!」
青ざめた表情を勘違いしたらしいマリリアンヌは、うなだれるシルフィアを足蹴にし、喚きながら神殿から出てゆく。
「あたしに――聖女に逆らえばどうなるのか、教えてあげるわ。あんたなんか処刑よ!!」
そんな、最後通牒のような捨て台詞を残して。