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2.第二王子

 神殿の掃除をすませたシルフィアが一息ついたころには、窓の外は夜になっていた。明りとりの窓から差し込む月光は神秘的で、大理石でできた神殿の壁や床に反射してきらきらと輝く。

 そんな一瞬もシルフィアは好きだった。

 

 本物の聖女ではないという負い目を抜かせば、神殿にいるのは苦にならない。マリリアンヌへの贈りものはどれも美しく、それらが生み出される世界というのはなんと素敵なのだろうとため息が出る。マリリアンヌへの下心のない、純粋に精霊に感謝する人々と会えるのも嬉しかった。ときどき高級菓子のおこぼれにもあずかれるし。

 

 それに、このお飾り聖女という立場が好きなのにはもう一つ理由がある。

 

「シルフィア」

 

 夜の闇に紛れ、そっと名を呼ぶ声に、シルフィアの胸はどきんと跳ねる。

 

「リュート様」

「食事を持ってきた。大丈夫か?」

「はい」

 

 応えると月明りの中に一つの蠟燭が灯った。揺れる炎に照らされて、金の髪が輝きを放つ。

 立っていたのは、リュート・ギムレット。マリリアンヌの婚約者である第一王子アントニオ・ギムレットの弟であり、この国の第二王子である。

 リュートが背後を振り向くと、従者がバスケットを差し出した。中身からはおいしそうなスープの匂いがただよっている。

 

 きゅう、とまたシルフィアのお腹が鳴った。

 シルフィアに食事は与えられない。本来の主であるマリリアンヌが神殿にいないので、食事は出さなくともいい、ということらしい。それに神殿の外へ出てもいけない。それがアントニオの命令であった。

 今日のように贈りものに食べものが含まれることも多々あるのでなんとか生き延びているのだが、見かねたリュートはときどきこうして食事を持ってきてくれるのだ。

 

「兄上がすまない」

「いえ、お気になさらず、リュート様。これも決まりですから」

「まったく、こんな馬鹿なことをいつまで続けるのか……」

 

 リュートがため息をつく。

 

 シルフィアはマリリアンヌが浮気を楽しむあいだの身代わり。この生活はもう三年ほども続いていた。

 アントニオはマリリアンヌの移り気を許すふりをしつつ、押さえきれない鬱憤をシルフィアを閉じ込め虐げることで晴らそうとしている。

 

 アントニオもマリリアンヌのふるまいが明るみに出た場合の外聞の悪さは理解している。だからこそのシルフィアだ。

 そして大きな災害が起き、それが精霊の怒りとみなされた場合、その責任は神殿を留守にしていたマリリアンヌではなく〝偽聖女〟のシルフィアが負わされる。聖女ではない者が精霊に祈ったせいだ――と。

 

「でも、そのお役目のおかげで、我が家は没落を免れますから……」

 

 マリリアンヌの不在を隠すためのお飾り役を受け入れれば、ハーヴェスト家を支援しようとアントニオが約束してくれた。

 

「リュート様、少し失礼しますね」

 

 バスケットを手に持ち、シルフィアはやはり赤い文様の壁と青い文様の壁のそばで半分ずつ食事をとった。湯気の立つスープもチーズを挟んだパンも、大地と空とがなければ生み出されることはない。

 神殿に居続けて精霊のことを考え続けているせいか、だんだんと精霊の存在に親しみを持ち、身近に感じられるようになってきた。すぐそばにいるような気がするときもあるのだ。

 そんなことをアントニオやマリリアンヌに言えば、ついに頭がおかしくなったと笑われてしまうのだろうが。

 

「ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」

「よかった。また来るよ」

 

 眉をさげて申し訳なさそうに笑うリュートに胸が締めつけられる。

 

(リュート様に会えるのだから、わたしはなにもつらくないわ)

 

「君が神殿にいるようになって、贈りものが増えたんだ。もちろんマリリアンヌへのものもあるが……これまで神殿に来なかったような商人や農民が神殿を訪れている。彼らは君の話を聞いて、以前よりも精霊に感謝するようになった。君が世界のすばらしさを語って聞かせるから」

「それはありがたいことですね」

 

 シルフィアは顔をほころばせた。

 話し相手もおらず、誰かに話を聞いてほしくて……という面もあるのだが、そう言われると素直に嬉しいものだ。

 

「リュート様。わたしの実家ハーヴェスト家は、以前はマリリアンヌ様の実家ハニーデイル家と並んで、聖女の生まれる家だったのです。けれども先祖が祈りを怠って精霊の怒りを呼び、その年は飢饉に見舞われたといいます。それから我が家は聖女のお役目を外されました」

 

 特別な存在だと驕っていた部分もあったのだろう。聖女という肩書を失ったハーヴェスト家は、ほかに取り柄もなく、一気に凋落の道をたどった。

 

「だから、わたしはまた神殿に関わることができて嬉しいのです。マリリアンヌ様がいらっしゃるまでのお飾りだとしても、一生懸命に祈るつもりです。わたしはこの国が好きですから」

 

 そう言って笑うシルフィアに、リュートもまたほほえみを返した。

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