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14.宴

 目覚めて最初にシルフィアはマリリアンヌの身を案じたが、マリリアンヌの行方は杳として知れなかった。

 もともと貴族たちのあいだを遊び歩いていたため、シルフィアのように平民に顔を知られているわけでもない。

 

「豪奢なドレスを脱ぎ捨て、粗末な身なりに身をやつしたならば、見つからないかもしれない」

 

 リュートの言葉に、シルフィアは複雑な表情で俯いた。

 

「なら、処刑だなんて馬鹿なことにはならなかったのですね……マリリアンヌ様が、精霊たちと和解できますように」

 

 自分が処刑されるというのも信じられなかった。マリリアンヌだって信じたくないだろう。身から出た錆とはいえ、あまりにも重すぎる罰だ。

 生きていればいずれマリリアンヌもわかってくれる日が来るだろうとシルフィアは思った。

 

 だが、シルフィアは知らなかった。

 ほんの少しだけ、リュートは情報を隠していた。マリリアンヌの顔はあまり知られていない。それは、今は、という意味だ。アントニオとマリリアンヌが扇動して神殿へと集めた民たちは当然、マリリアンヌの顔を見た。その前にも、広場でシルフィアが偽聖女であるという演説をぶったらしい。

 マリリアンヌの顔を知る者はいる。そして彼らはことの顛末を人に話すだろう。そうなれば、偽聖女としてマリリアンヌを知る者は増えていく。

 シルフィアが思うようにマリリアンヌが逃げきれるかはわからない。

 

(――だが、それはシルフィアに言わなくていい)

 

 心やさしい彼女を傷つけぬため、リュートは口をつぐんだ。

 

 *

 

 神殿へ戻ったシルフィアを待ちかまえていたのは、たくさんの人々と、たくさんの花や料理だった。

 

「シルフィア様……!」

「シルフィア様、おかげんはいかがですか」

「大変な目に遭われましたね」

「これが、精霊……」

 

 シルフィアの両肩の上に浮いているヴァルティスとティティアを見て、人々は息を呑んだ。

 彼らにとって精霊とは、祖父母の代よりも遠い昔話だ。百年前には精霊と言葉を交わす聖女がいたというが、信じる者はあまり多くなかったのだ。

 彼らは自分たちの幸運を祝った。

 それで人々が持ち寄ってくるのが花と食べものというのが、なんともシルフィアらしい、とリュートは笑った。

 

 子どもたちが歩みよる。シルフィアがいつもかわいがっていた、孤児院の子どもたちだ。

 

「シルフィア様。シルフィア様が元気になるように、クッキーを焼いてきたの」

『あーっ、これ、食べたことある! ぼく大好きだよ』

『レーズンが入っているのがいいのよね……』

 

 ヴァルティスが声をあげる。ティティアも表情は変わらないながら、じっとクッキーを見つめている。

 精霊に褒められた子どもたちは嬉しそうに頬を染めた。

 

「また作ってきます!」

『やったー!』

 

 子どもたちが打ち解けたのを見た大人たちもほっと息をつく。

 百年ものあいだ不信仰を働いていたが、精霊たちは気にしていないようだ。

 

『忘れただけなら精霊は怒らないわよ』

 

 クッキーを頬張りながら、ティティアは彼らの疑問に答えてやった。

 

『人間は精霊と違って、百年ぽっちも生きられない。こうして精霊を信じるときもあれば、信じないときもある。シルフィアのようにやさしい人間もいれば自分勝手な人間もいる。それは精霊もわかっているもの』

『ティティア、また難しい話ー?』

『……精霊もそこまで頭がいいわけじゃないしね』

『ん?』

『精霊が怒るのは……わたしたちを欺いたり、利用したりする人間に対してね。そういう人間が瘴気を生み、わたしたちを閉じ込めてしまうから』

『いいよー、そんな話は。こっちのパンも、ジャムもおいしいよー?』

 

 ヴァルティスがティティアにパンを渡す。シルフィアもかいがいしく食事を運び、精霊たちをもてなそうとした。

 そんなシルフィアをリュートが呼び止める。

 

「……シルフィア……」

「どうされましたか、リュート様」

「先ほど父上に許可をいただいてきた」

 

 緊張した面持ちを浮かべながら、リュートは背筋をのばすとシルフィアに向き合い、その手をとった。

 なんだ、と人々の視線が集まる。

 その視線に背中を押されるように、リュートは堂々と言い放った。

 

「私と結婚してくれ、シルフィア」

「リュート様……!?」

 

 シルフィアにとっては青天の霹靂であった。

 真剣なまなざしで見つめられ思わず逃げ出したくなる。けれど、ふれあった手から伝わるぬくもりがそれを許さなかった――リュートは手をつかんでいるわけでもない、ただ重ねているだけなのに、シルフィアの心をしっかりと捕まえて離さないのだ。

 

「すぐにとは言わない。君が精霊を連れて国をめぐりたいことは知っている。どうかその旅に私も同行させてほしい」

「は、はい」

 

 うやうやしく頭をたれるリュートに、シルフィアは頷くしかできなかった。

 

(わたしが、リュート様と結婚だなんて……)

 

 考えたこともなかった。考えてはいけないことだと思っていたのだ。神殿に閉じ込められていたシルフィアにリュートはいつもやさしく寄り添ってくれた。リュートのことは好きだ。ずっと一緒にいたい、と思っていた。でもそれは叶わないことだと信じていたのだ。

 お飾りの役目が終われば、リュートと自分の縁は切れる。シルフィアはそう自分に言い聞かせ続けていた。

 

 あたたかな涙がひとすじ、シルフィアの頬を滑り落ちる。涙は次々とあふれ、赤く染まる頬に道筋を作った。

 ぽろぽろと流れる涙の意味を、リュートは取り違えなかった。

 

「返事は君がおちついてからでいい。どうかゆっくり考えてくれ」

 

 シルフィアの頬を濡らす涙を指先で拭うと、リュートはほほえむ。周囲で見守っていた人々もつい笑顔を浮かべてしまうような、幸福に満ちた表情だった。

 リュートとてシルフィアの想いはわかった。だからこそ戸惑いも理解できたのだ。

 

 神殿へ通っていた人々の中には、シルフィアがあまり食事を与えられていないことに気づいて心配していた者もいた。アントニオと違って己の身分を明かしていないリュートが第二王子であることを彼らは知らなかったし、一部の者は護衛なのだと思い込んでいたが、彼らにとってもこの求婚は嬉しいものだった。

 

(この方ならシルフィア様を大切にしてくださるだろう)

(よかったね、シルフィア様……)

 

 想像したこともないようなやさしい時間が、神殿に流れていた。

 皆の笑顔に囲まれて、シルフィアも涙をふき、頬を染めながら笑顔を見せる。

 

⦅ただ、ねぇ……⦆

 

 そんななか、ティティアだけは、ジャムを味わいつつ明かりの差し込む天窓を見上げ、独り言ちていた。

 

⦅あのマリリアンヌって子がこれだけで諦めるとは、思えないのよねぇ……⦆

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