13.マリリアンヌ逃亡
とがった耳をぴょこぴょこと動かしながら、ヴァルティスは首をかしげた。
『ティティア、〝カタリ〟ってなに?』
『その人じゃないのにその人だって嘘をついたってこと』
『〝アナドリ〟は?』
『馬鹿にしたってことよ』
『自分が聖女だって嘘をついて、聖女をバカにして、周りの人を混乱させて、聖女に乱暴した人を、処刑にするってこと?』
『そう』
『ふーん。そりゃもっともだね』
ヴァルティスとティティアの、場の空気に似つかわしくないどこかのんびりとした会話を、集まった人々も、マリリアンヌですらも呆然としながら聞いていた。
宙に浮かぶ小さな人影はこの世ならざるもの。
「精霊――」
誰かが呟く。その呟きは次々と伝わり、ざわめきとなった。その場にひれ伏す者まで現れる。
しかし当の精霊たちは人間の畏怖を気にもせず、ヴァルティスは腕組みをしてくるくると宙をまわったあとに『わかった!』と叫んだ。
『聖女はシルフィアだから、シルフィアじゃないのに自分は聖女だってみんなに言って、シルフィアをバカにして、シルフィアを叩いた人を処刑するってことだ!』
『そうねぇ。でもわたしが不思議なのは……』
ティティアの青い瞳がマリリアンヌを見据えた。「ひっ」と引きつった声をあげるマリリアンヌ。
『どうしてあの人がそんなことを言ったのかってことなんだけど……』
『自分を処刑したかったんじゃない?』
『変わった人ね』
『で、ショケイってなに?』
『ヴァルティス……あなたね』
はあ、とため息をついてティティアは肩をすくめた。『付き合いきれないわ……』とぼやく姿はどことなくかわいらしいものであったが、笑えるだけの人間はいなかった。
「あ、あたしが処刑……?」
マリリアンヌにも徐々にわかりはじめていた。
国王が冷たい目で自分を睨んでいる理由。シルフィアが涙ながらに改心しろと訴えていた理由。人々の、自分を見る目が変わっていく理由――。
『人間ってよくわからないのよね……シルフィアはあなたが聖女だって言うし、そこのオジサマはシルフィアとアントニオを結婚させると言うし』
「ほ、本当か……!?」
縋るようなアントニオの声にマリリアンヌは顔をあげた。そこにはかつて自分にかしずいていた男が、一筋の光を見つけて自分を捨てようとする姿があった。
そして、精霊の言葉で、自分にも希望の糸は垂らされていたのだとマリリアンヌは知った。それを自分が断ち切ったのだということも。
「シルフィアが……あたしを聖女だと……?」
『うん。そう。会えばわかる、マリリアンヌ様が祈ってくだされば……って言ってたんだけどね』
ヴァルティスはちらりと背後に視線をやった。シルフィアはショックのあまり意識を失っているのか、ぐったりとリュートに身をあずけている。
ヴァルティスの視線がマリリアンヌへと戻る。燃える炎のように揺れる赤い瞳が、色を増した気がした。
『君は祈らなかったね』
ぞくん、とマリリアンヌの背筋を悪寒が駆け抜ける。地面が裂けて飲みこまれてゆくかのような錯覚。立っていられなくなってマリリアンヌはアントニオに手をのばしたが、婚約者のはずの男はすげなくその手を振り払った。
目を見開くマリリアンヌを、赤と青の視線がまっすぐにとらえる。
『ぼくは君なんて知らない。ぼくらはシルフィアに力を与えた。真の聖女はシルフィアだ』
『ええ。わたしたちは、シルフィア以外の者を聖女とは認めない』
「そんな……っ、あたし、あたしは……っ」
混乱と恐怖に涙を流すマリリアンヌ。
前に歩みでた国王が、アントニオを下がらせ、重々しく告げた。
「マリリアンヌ・ハニーデイル、偽聖女はお前のほうだ。精霊たちの神託どおり、貴様の処刑を宣言する!」
「いやああああああっっっ!!!!」
神殿にマリリアンヌの絶叫が響き渡る。
「どうしてっ! 処刑なんて嫌よ!! あたしなにも悪いことなんてしていないじゃない!!」
『ええー……?』
マリリアンヌが泣きわめいても、ヴァルティスとティティアは動じなかった。彼らにとっては自分たちに祈りを捧げ、人間のすむ世界への道を作ってくれたシルフィア以外、どうでもよかったのである。
だからこのときも、ヴァルティスはきょとりと首をかしげ、
『だって君がそう言ったんじゃない』
「――――!!!」
マリリアンヌがなにを言おうが精霊たちの決定は覆らないのだ、ということを示しただけだった。
「嫌よ……処刑なんて……いやあああああっっ!!」
マリリアンヌはふたたび絶叫した。もはや言葉にはならないとぎれとぎれの叫びをあげ、よろけながら立ちあがると、神殿の扉へと突進する。
集まった人々を突き飛ばし、精霊への敬意を示して膝をついていた彼らを足蹴にすると、自慢だった髪飾りや腕輪をばらまきながら、靴すらも脱げ裸足のまま、外へと駆け出して行った。
「待て……!!」
「なんだこの女っ、すごい力で……」
「捕まえろ!!」
人々の怒号が行き交う。
けれどもついに、マリリアンヌのうしろ姿は王都の雑踏の中に消えてしまった。






