10.国の裏側
「なにを言っているのですか、父上!!」
激昂したのはシルフィアではなく、リュートだった。青ざめた顔で拳をふるわせる。ヴァルティスとティティアは相変わらず宙にふわふわと浮きながら首をかしげている。
「国王になるためには聖女を伴侶として迎えなければならない。マリリアンヌが聖女となれぬ以上、それだけは違えるわけにはいかないのだ」
「国王陛下……」
シルフィアも答えに窮して絶句してしまう。
もとよりシルフィアは〝聖女〟という肩書きに固執しているわけではない。マリリアンヌが精霊と心を通じ合わせることができるならそれでよいと考えていたのだ。リュートのことも、お飾りの聖女という役目が終われば離れるのだと自分に言い聞かせていた。
それが――。
「ハニーデイル家は財産を没収し、ハーヴェスト家を復興させよう。シルフィア、君は王妃になれる。そうすれば国は割れない。精霊の加護も得て安泰だ。国じゅうを周り、精霊について民に説いてくれ」
「そんな……」
願っていた、ハーヴェスト家の復興。精霊との橋渡し役。
(けれど、そのためにはアントニオ様と結婚しなければならない……?)
予期していなかった展開に頭が真っ白になる。
聖女だからという理由で想ってもいない相手と結婚することは正しいのだろうか。アントニオの隣で、心から精霊に祈りをささげることができるだろうか……?
「父上! 理由はそれだけではないでしょう……!?」
混乱した思考を破ったのは、ふたたびリュートの声だった。
「常々疑問に思っていたのです。シルフィアは神殿に持ち込まれた贈りものを様々に話してくれるけれども、実物を見たことはほとんどありませんでした。その前にマリリアンヌが持ち去ってしまうからです。貴族の中には精霊にではなくマリリアンヌにと高価な贈りものをする者もいる」
「リュート……」
「なぜマリリアンヌがそれほどまでに力を持ったのか。そして、祈りを捧げたシルフィアのことは知っていても、精霊たちはマリリアンヌなど知らないと言う」
それはシルフィアも疑問に思っていたことだった。聖女であり、いずれ王妃になるマリリアンヌに贈りものをすることは理解できるが、それをなぜ神殿に持ち寄るのか、と。
「ハニーデイル家は……聖女の役目を全うすることなど考えていない。そうでしょう? 寄付として持ち込まれる金や品物を、彼女らはずっと自分の懐に入れていた。マリリアンヌのように。そして、王家は――」
リュートはギリッと奥歯を噛みしめた。
「王家は、その金から分け前を受けとって、ハニーデイル家の者だけを聖女と認めた。シルフィアの家が没落したのもそのせいではありませんか」
「そんな、まさか」
信じられないというようにシルフィアは首をふった。王家とハニーデイル家が組んでハーヴェスト家を陥れたというのだろうか。だからその百年間、ヴァルティスとティティアは人間に会えなかった。
青ざめるシルフィアに国王は舌打ちをする。
「ハニーデイル家を潰してハーヴェスト家を復興させようとしているのは、聖女がいなければ横流しされた金が王家に入ってこないからでしょう。マリリアンヌがいなくとも本物の精霊の力を得たシルフィアを利用すれば、金はいくらでも手に入るから……」
「違う! 国のためだ! 国の繁栄のため……ひいては精霊たちのためにもなる!」
国王がそう言った瞬間だった。
言葉を発した口から、ごぼりと黒い靄が漏れる。
「!!」
シルフィアがあとじさる。今度はリュートにも見えた。シルフィアを怯えさせていたのはこれだったのかと背筋が寒くなる。
「ハニーデイル家が……あいつらが悪いんだ。ハーヴェスト家を嵌めたのはあいつらだ。当時の王家は金が必要だった。ハニーデイル家に独占されるわけにはいかなかった……それから我々はあいつらの言いなりだ」
国王に自覚はないのだろう。己は悪くないのだと言い募るたび、靄は口からこぼれて滴り落ちた。
徐々に、黒い靄は部屋に充満していく――先ほどシルフィアたちが入ってきたときのように。
『あーあ、せっかく祓ったのにね』
ヴァルティスの声にシルフィアはふりむいた。ヴァルティスとティティアは驚いた様子もなく、平然と国王を見つめている。
「ヴァルティス様、これは……」
『これはね、瘴気だよ。えーっと……ティティア、説明よろしく』
『精霊の加護というのは、精霊を信仰し、精霊と心を通じ合わせることで生まれるの。でも瘴気はその逆』
「逆……?」
『精霊を裏切り、精霊のためと言いながら精霊をないがしろにする心から生まれる。そのせいでわたしたちは人間界とのつながりを断たれる』
(まさか、夢で会ったときのヴァルティスとティティアが真っ暗な中にいたのって――)
戦慄するシルフィア。
ヴァルティスは国王の前に移動すると、腕をふりあげた。
びゅうっと風が吹いて国王の身体は横殴りに吹き飛ばされた。壁に頭を打ち付けた国王が「ぐえっ!!」と声をあげて白目をむく。黒い霧は消えていた。
だが、国王が心を入れ替え、正しい言葉を口にしないかぎり、黒い霧は生まれ続けるだろう。
『感謝すべきものを侮り、自らを驕る態度は、他人も蝕む。溢れだした瘴気は土地も蝕んでいく。誰だって嫌な気分の場所にいたくはないでしょ。植物だって動物だってそうなんだ』
ヴァルティスは肩をすくめて気絶した国王を見た。
『この人、相当な瘴気を心にため込んでるね。心を改めなければ、先は長くないよ』






