1.お飾り聖女
「マリリアンヌ様、どうかこの花束を受け取ってください。あなたの美しさには敵いませんが……」
差し出された深紅の薔薇の花束に、聖女の白衣をまとった少女はなんともいえない曖昧な笑顔を浮かべた。
「あのう、わたしは、マリリアンヌ様ではないのです。シルフィアと申します」
途端、うっとりとシルフィアを見つめていた騎士の視線は冷ややかなものに変わる。
「ええ? マリリアンヌ様じゃないのかよ」
「すみません、わたしはマリリアンヌ様の代理で」
「なんだよ。どうりで野暮ったい娘だと思った。これマリリアンヌ様に渡しておいてくれよ。俺は騎士団のカーティスだ。また来るって伝えるんだぞ」
「はい、わかりました」
頭をさげるシルフィアに見向きもせず、カーティスと名乗った騎士は立ち去った。
無礼な物言いにいちいち傷つく暇はない。こんなことは日常茶飯事、シルフィアにとっては慣れっこであった。
カーティスの持ってきた花束を持って神殿中央にある祭壇へ向かう。
祭壇の上にはほかにも、宝石やドレス、髪飾り、香水など、マリリアンヌへの贈りもので溢れている。
マリリアンヌが聖女になってからというもの、天候は穏やかで、貴族たちには精霊の加護が与えられ、懐は潤っているという。
祭壇の左右には赤い文様と青い文様がえがかれていた。
ここは神殿で、マリリアンヌはこの神殿を司る聖女である。ただし、マリリアンヌが神殿にいることはめったにない。
シルフィアは薔薇の花束を両手に抱えると、赤い文様の壁へむかって歩いていき、お辞儀をした。それから青い文様の壁にも歩いていき、同じくお辞儀をする。
中央へ戻り、薔薇の花束を祭壇へ載せると、両手を組んでひざまずく。
「大地の精霊ヴァルティス様、天空の精霊ティティア様に、謹んで捧げます。ご覧ください、真っ赤な薔薇の色。芳しい香りも。植物の根を張る大地に、恵みの雨を降らせる天空に感謝します」
拙い祈りを、シルフィアは口にする。
本当はもっと格調高く、古来より伝わる祈りの言葉があるはずだった。しかし、聖女ではないシルフィアにはその知識がない。
シルフィア・ハーヴェストはお飾り聖女であった。
本当の聖女であるマリリアンヌが神殿を留守にするあいだ、誰もいないのは外聞が悪いので、こうして贈りものなどを受けとるために聖女の衣装を着て常駐している。
そしてなぜマリリアンヌが神殿を留守にしているかといえば――、
「シルフィア! あたしよ。今日の贈りものを見せて頂戴」
神殿の入り口に現れた人影がキンキンと鋭い声を張り上げてシルフィアを呼んだ。
「は、はい、マリリアンヌ様」
シルフィアは慌てて彼女を迎え入れる。この神殿の本当の主であるマリリアンヌだ。
マリリアンヌはつかつかと祭壇に歩み寄り、捧げられた品々を一瞥した。
「ふうん、今日はいいものあるじゃない」
宝石やドレスを選び、連れていた侍女に持たせる。
「薔薇はいいけど、こんなにいらないわ」
「これは騎士団のカーティス様からです。またいらっしゃると」
「そう。新しい名前だわ。この方はあたしに何を買ってくださるかしら。ふふふ、楽しみね」
カードをさしだすと、マリリアンヌは形のよい眉をはねあげて笑う。
と思えば、シルフィアの襟首をつかみ、脅すように睨みつけた。
「あなた、間違っても自分が聖女だなんて思っていないわよね? 本物の聖女はあたし。あなたはお飾りの偽聖女」
「は、はい。もちろんです」
長い爪が首元に食い込む。痛みにうめくシルフィアを、マリリアンヌはせせら笑って突き飛ばした。床に倒れ込んだシルフィアは祭壇を支えになんとか立ちあがる。
「もう馬車の用意はできたぞ、マリリアンヌ」
マリリアンヌの背後から一人の男が声をかける。以前カーティスと同じようにマリリアンヌに贈りものをしていた彼を、シルフィアは記憶していた。たしか侯爵家の三男で、セドリックと言い、金の首飾りを贈っていた。
祭壇にあった髪飾りと宝石を身に着け、マリリアンヌはセドリックを振り向いた。
「似合う?」
「そうやって男を競わせるんだから、君はとんだ聖女だな」
これこそが、シルフィア・ハーヴェストがお飾りの聖女に扮している理由であった。
聖女であるマリリアンヌは、第一王子アントニオと婚約している。しかしアントニオはマリリアンヌを溺愛し、彼女の言うことには何も逆らえない。そんなマリリアンヌに媚びを売っておけばのちのちの役に立つと考える貴族は多かった。
シルフィアは、本来聖女を継ぐべきマリリアンヌが〝独身最後の思い出作り〟を満喫するあいだ、身代わりに神殿を守り、祈っているのだ。
「マリリアンヌ様、まだ一つ贈りものが……」
「いらないわ、そんなの」
シルフィアが声をあげると、マリリアンヌは手で追い払うような仕草をし、セドリックにしなだれかかりながら神殿を出て行ってしまった。
祭壇に残されたのは、孤児院の子どもたちが「聖女様に」と持ってきた、手作りのクッキーだ。
「おいしそうなのに……」
ぐうう、とお腹が鳴る。
神殿から出ることを禁じられているシルフィアは、昨夜から何も食べていなかった。
クッキーの袋を手に、シルフィアは赤い文様の壁へと歩いた。片手を壁に触れるともう片手でクッキーを一つ取り出し、口に入れる。
砂糖は貴重品なので使えないが、干しブドウが入っていてほのかな甘みがあった。それに焼けた香ばしい小麦とミルクの匂い。バターも少し。子どもたちの純真な思いが伝わってくるようで、その思いが精霊にも届きますように、とシルフィアは祈る。
青い文様の壁でも同じことを繰り返し、クッキーを食べつくしたシルフィアは手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
空っぽになった祭壇を清め、新しい布をかける。
子どもたちの思いは届くだろうか。
言い伝えによれば、精霊は聖女と認めた者を通して人間に働きかけてくる。逆にいえば、お飾りの聖女であるシルフィアのちんぷんかんぷんな祈りなど、届かないのかもしれない。
何代か前にはシルフィアの実家ハーヴェスト家も聖女を輩出していた。しかしうわべだけの祈りが精霊の怒りを買い、聖女となることはなくなったという。
(大丈夫かな、わたしのせいで精霊が怒らないといいけど……)
ちなみにマリリアンヌが不在のあいだに大きな天災が起きた場合、シルフィアは精霊を怒らせた偽聖女として処刑される。
そういう決まりであった。
(……精霊を怒らせないためにも、たくさん祈っておこうっと)
祈りはまず清めから。
気持ちを切り替えたシルフィアは箒と雑巾を取り出すと、神殿を隅々まで磨いていった。