夏祭りの夜◉
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8月15日 夏祭り
その日、長崎市では、賑やかな夏祭りで盛り上がり、人々は死者の霊を祀るお盆の夏を楽しんでいた。
だが、その町で夏祭りが行われる前の昼頃、讃良は相変わらず自宅にいた。
彼女はリビングのソファーでだらしなく横になりながら、虚ろな目でテレビを眺めていた。
テレビには夏祭りの風景が映り、彼女はリモコンを手にしながら、その浴衣姿の女の子達を見ていた時、
「讃良ー! ちょっと来なさーい!」
突如、リビングから母親の声がして彼女は返事をする。
「な~に?」
「いいから~!」
彼女は仕方なく、母親の元へと向かうと、
「じゃーん! 讃良の為に浴衣を買ってきたの~!」
母親は笑顔で水色の浴衣を讃良に見せた。
「そう……」
彼女は興味がなさそうに小さく呟く。
「そう。じゃないでしょ? いいから着てみなさい」
「なんで?」
「家でゴロゴロばかりしてないで、夏祭りぐらい女の子らしく遊びに行ってらっしゃい!」
母親は娘の為に、浴衣衣装を用意したのであった。
「ほら、髪もとかして結んであげるから、こっち来なさい」
すると、彼女は大人しく母親の言うことを聞き、浴衣を着せられ、髪を綺麗に結んで貰った。
「うん、バッチリ! とても似合うわ! 可愛いよ!」
「……」
彼女は母親に着せてもらった自分の浴衣姿を、鏡で見つめる。
普段、あまり結ばないオシャレなお祭りヘアに、水色の花柄模様の可愛らしい浴衣姿を見ても、内心讃良は嬉しく思う事が出来なかった。
「分かってる。夏子ちゃんがいなくなって、辛いのは分かるわ。ずっと一緒に暮らしてたんだもん」
すると、母親は後ろから讃良に抱きついて、耳元に優しく語りかけた。
「でも、いつまでもそんな顔してると、天国にいるあの子も悲しむでしょ?」
母親の抱擁から目をそらす讃良だが、母親は尚も娘に語りかける。
「だから、無理にとは言わないけど、讃良がまた前みたいに元気に明るく笑える日が来るのを、私は待ってるわ」
「お母さん……」
母親の優しい思いに、讃良は少しだけ元気になる。
「はい、お小遣いあげるから。これで遊びにいってらっしゃい!」
すると、母親は財布から一万円を取り出し、讃良に与えた。
「こ、こんなに……! でも……!」
「いいの遠慮しなくて! 今日は思いっきり楽しんでいきなさい!」
内心、讃良は祭りに乗り気ではなかったが、母親はまたも優しい口調で彼女に言う。
「お盆なんだから、もしかしたら、夏子ちゃんも祭りのどこかにいるかもしれないでしょ?」
娘を祭りに行かせるための口実であったが、讃良はここで遠慮するのも悪い気がして、言うとおりに祭りに行くことにした。
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長崎市の町中を一人で歩く讃良は、祭り会場に着くと、そこには賑やかな光景が見えた。
真夏の夜に立ち並ぶ屋台、祭りで賑わう人々の声、長崎市の年に一度の夏祭りの光景を眺める中、讃良は思い出す。
毎年、夏祭りには愛犬も一緒に連れて行った。それも彼女にとっての祭りの楽しみ方であった。
去年もそうであった。いつも人混みに入る時は、踏まれたり、蹴られたりしないように愛犬を抱っこして屋台を見回り、祭りのメインである船を見に行き、一緒に楽しんだ記憶があった。
しかし、今年はその相棒は側にいない。
正直、一人で来た讃良は、どう祭りを楽しめばいいのかも分からなかった。
だが、その時、
「あれ? 七瀬じゃねえか?」
突如、目の前に、たこ焼きを食べ歩きしていた獅童翼彦と偶然にも対面してしまう。
「よ、よう……!」
彼は讃良の浴衣姿を見た途端、思わず顔を赤くしてしまう。
「獅童君、偶然ね」
特に驚きもせず、無表情を保つ讃良。
(祭りだからね。たまたま知り合いに会ってもおかしくないよ)
彼女は内心そう思った。
「そ、その……似合ってるぞ……七瀬……!」
言いづらそうな表情で、彼女を褒める翼彦。
「ありがとう。獅童君」
無表情で答える讃良に対し、翼彦は顔を背けてしまう。
(やっべ! 可愛いすぎる!)
彼は讃良の浴衣姿に胸を射抜かれたような感情に襲われる。
(マジでどうしよう……!?)
真っ赤になった顔を恥ずかしそうに手で隠す翼彦。彼にとって、たまたま祭りで讃良に会えたことほど嬉しい事はなく、ましてや、彼女の浴衣姿を見られるほどの幸運な事は滅多になかった。しかし、彼は少し欲を出し、ダメで元々を覚悟に彼女に声をかけた。
「その……良かったら一緒に店とか回らないか?」
頬を染めながら緊張する翼彦は、勇気を振り絞って讃良を誘った。
「いいよ。どうせ今一人だし」
すると、意外にも彼女はあっさりと承諾すると、翼彦のその表情は徐々に笑顔に満ちていく。
(よっしゃーーー!)
よほど嬉しかったのか、翼彦は横を向きながら、小さくガッツポーズをする。
その後、彼らは二人で組んで、祭りの屋台を見周り、色々なところで遊び始めた。
射的、輪投げ、千本引き、くじ、お化け屋敷など、あらゆる屋台を周って遊ぶ中、翼彦は隣にいる讃良をチラ見する。
(これって、デート……みたいだよな……!)
金魚すくいで破れた紙製のぽいを持ちながら、ドギマギする翼彦。
無表情で水槽の金魚を見つめる讃良。
二人っきりで祭りを楽しむ中、翼彦は彼女のその綺麗な横顔に見惚れてしまう。
「はい、にいちゃん。持ってきな」
屋台の店主が、一匹だけすくえた金魚を翼彦に手渡す。
彼はそれを受け取ると、どこか遠い目をしながら讃良に差し出す。
「これ、やるよ」
「いいの? 獅童君?」
水袋に入った一匹の金魚を無表情で見つめる讃良。
「俺ん家、水槽ないから」
「あたしもだけど?」
その途端、翼彦はしまったという顔をしてしまう。
(やべっ、余計な事したかな?)
墓穴を掘ってしまったような気持ちになる翼彦。
「でも、ありがとう」
しかし、讃良は翼彦に礼を言い、金魚の入った水袋を受け取る。
「獅童君って、いつも慌ててるようなイメージがあったけど、本当はとても優しいんだね」
一見すると無表情な讃良だが、翼彦の目からは彼女のその顔はどこか笑ってるようにも見えた。
(俺が慌ててるのは、お前がいる時だけだよ……!)
彼は讃良から目を背けて、小さくつぶやいた。
その後、二人は次の屋台を探しに向かった時の事であった。
「そこのお嬢さん」
とある屋台にいた老婆が讃良に突然声をかけた。二人は振り返ると、その屋台は占い屋であった。
「あんた何か変なものに目をつけられたようだね」
老婆は何やら真剣な目で讃良を見た。
「今日はもう帰りなさい。手遅れになる前に」
老婆は彼女にそう忠告すると、今度は翼彦に声をかけた。
「そこの彼氏さん。ちょいとこちらに来なさい」
「お、俺……!?」
老婆の言葉に翼彦は途端に動揺し、顔を赤くするが、
「別に彼氏じゃないです」
讃良の容赦ないその一言で、彼はガクリと肩を落とす。
だが、そんな翼彦の両肩を老婆は突然掴んで引き寄せると、真剣な目で彼に伝えた。
「よいか、聞きなさい。決して彼女の側から離れるんじゃないよ。何が何でも、彼女を家まで送ってやるんだ」
「お、おう……!」
翼彦は老婆のその真剣な目と台詞に圧倒されながら答える。
「祭りの夜遊びもほどほどにするんだよ」
老婆は最後にそう告げると。二人はそのまま占い屋を後にしてその場から去ってしまう。
その時、
「おい、あの二人」
「ええ、佐野さん」
その二人の後ろで、人混みに紛れた刑事二人が彼らの後ろ姿を睨む。
「尾けるぞ」
刑事二人は密かに男女二人の後を尾行する。
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長崎市の道路に鳴り響く爆竹、飾りがついてある船の模型を押して移動する男達。
お盆終わりに死者を送る為の船である。
二人は人気の少ない河原で遠くからその船を眺め、やがて、もう間もなく、祭りが終わってしまう事をその場で悟ってしまう。
「楽しかったな」
「うん……」
翼彦の言葉に、讃良は無表情で頷いた。
「嘘つくなよ」
その時、翼彦は彼女の返事を否定した。
「ずっと俺と一緒に遊んでたけど、ちっとも楽しそうに見えかったよ七瀬」
翼彦は隣にいる讃良を哀れむように見た。
「辛いのは分かるが、俺としては前みたいにまた明るい七瀬に戻ってきてほしいよ」
彼は讃良の事をずっと気にしていた。
「ごめんなさい」
翼彦に悪い事をしたなと思って謝罪をする讃良。
「一人で抱えてないで、辛かったら俺に相談してくれよ。頼りないかもしれないが」
翼彦はずっと讃良の事を心配して慰めようとした。
「どうして?」
その時、讃良は首を傾げながら、翼彦に問いかける。
「どうして、獅童君はそんなに私を気遣ってくれるの?」
こんな面倒くさい女に、なぜ、この人はこんなにも優しくしてくれるのか?彼女はそれがとても気になっていた。
「あ、あのさ七瀬……」
その時、翼彦は何やらドギマギする。
「ずっと言えなかったんだが……!」
何やら言いづらそうな素振りを見せるが、一度深呼吸をして、再び彼女の目を見つめた。
周りには誰もいない。
言うなら今しかない。
「俺は……お、お前の事……!」
顔を真っ赤にしながら自分の言いたいことを彼女に伝えようとする翼彦。
「いや、やっぱなんでもない!」
だが、翼彦は勇気を出せず、言いたいことを伝えられなかった。
「そう」
何事もなかったかのように俯く讃良。
(俺のバカヤロウーーー! せっかくの絶好のチャンスをおおおおおおおおおおおおおおおおお!!)
翼彦は頭を抱えながらくしゃくしゃと髪を掻き乱し、せっかくの機会をひどく後悔する。
「獅童君」
すると、讃良はそんな挙動不審な素振りをする翼彦に優しく伝える。
「今日はありがとうね」
翼彦を見つめながら感謝の言葉をかける讃良。翼彦の目には、それは一見、無表情に見えるが、またもどこか笑っているようにも映り、その目の前にいる麗しい少女に頬を染める。
夏祭りが終わり、人々が帰っていく中、河原の前にいた二人はお互いを見つめ合う。
モウ、イイカイ?
「え……?」
しかしその時、讃良の耳元にどこからか子供の声が聞こえてきた。
「ん? なんか言ったか?」
そして、それは翼彦にも聞こえたようである。
モウ、イイカイ?
またしても同じ声が聞こえてくる。
「何……?」
その声に彼女は以前、聞き覚えがあった。それは、ついこの間、河原で何者かに引きずり込まれそうになった時と、その後、自宅で起きたあの怪奇現象が起きた時と同じ声である。
「おい、七瀬、どうした?」
翼彦は挙動不審な動きをする彼女を心配そうに見る。
モウ、イイカイ?
人気も無い河原にいた二人だが、確実にどこかで誰かが声をかけてきたのは間違いない。彼女は辺りをキョロキョロと見渡す。
モウ、イイカイ?
ガシッ!
その時、讃良は誰かに足を掴まれる感触を覚えた。彼女は恐る恐る下を見る。
『モウ、連レテッテ……イイカイ?』
そこには、白いスカートを履き、不気味な能面を被って顔を隠した少女がいつの間にか現れ、讃良の膝にしがみついていた。
能面から覗くその眼は、焼き魚のように白く、恨めしそうにギョロリと彼女の顔を睨みつける。
「き、きゃあああああああああああああああ!!」
讃良が恐怖で悲鳴を上げる中、謎の少女は物凄い力で彼女を川へ引きずり込もうとする。
「七瀬!」
その様子を見た翼彦は、すぐさま彼女を助けようと手を伸ばす。
「獅童君!」
讃良もまた翼彦に手を伸ばして、なんとかその手を掴む事が出来た。彼の力強い温もりが手に伝わる。
すると、
「やっと出たぞ!」
「確保!」
その時、どこからか二人組の男が現れ、彼らの下へと走ってきた。
「離すんじゃねえぞ!」
「犯人は俺が押さえてます!」
それは、長崎県警の佐野刑事と杉浦刑事であった。
彼らは襲われてる男女二人を助けようとやってきたのである。
杉浦刑事が讃良の体を、佐野刑事が引きずり込もうとしてる不気味な少女の体を掴み、二人を引き剥がそうとする。
だが、その時、
「あちぃ!!」
佐野刑事が掴んでる少女の周りから突然、水蒸気が一気に噴出し、彼はその焼けるような熱さにやられて、思わず離れてしまう。
「人間かよこいつ!? どんな体温してんだ!?」
佐野刑事は頬や腕に火傷を負ってしまう。
『邪魔シチャダメッ!』
その瞬間、少女が片手を掲げると、杉浦刑事の頬と佐野刑事の手が突然発火し始める。
「うわあああああ!」
「ぐああああああ!」
すると、岸にいた二人はつい離してしまい、燃えてる箇所を消そうと必死で払う。
「きゃあああああああああああああああああ!!」
その途端、二人に離された讃良は、勢いよく水の底へと引きずり込まれてしまう。
「七瀬!」
彼女の名を呼びながら、川に飛び込む翼彦。
「クソ! 七瀬どこだ!?」
彼は必死の思いで探すが、いくら潜って探しても彼女の姿は見えず、浮き上がっても来なかった。
「そんな……!」
讃良は得体の知れない少女に連れて行かれてしまい、翼彦は絶望する。
モウ、イイカイ?
すると、すぐ近くの水面から先ほどの能面を被った少女が現われ、翼彦の前にやってくる。
『モウ、イイカイ?』
ずぶ濡れ姿の体からは、蒸発した水蒸気が漂い、ゆっくりとこちらへ近づいてくる能面の少女。
「お前、七瀬をどこに連れていった!?」
怒りに震える彼は、少女に問い詰めると、目の前にいる能面の少女は不気味かつ明るい声で答えた。
『遊ビ場!』
「ふざけるな!」
少女の言葉に殴りかかるように言い放つ翼彦。
「モシカシテ、ヨクヒコクンモ遊ビタカッタ?」
不気味な少女は、首を傾げながらこちらを見つめる。
「ジャア、ヨクヒコクンモ決定〜!」
少女は喜びながら狂うようにはしゃぐと、彼に近づいてくる。
「ヨクヒコクン、アーソ……」
その時、
ヒュオオオオオオオオオオオオオオオオォォォン!
上空から突然、旅客機が飛ぶ音が聞こえると、少女はそれに釣られるように空を見た途端、
「キ、キエェエエエエエエエエエエエエエエ!!!」
少女はその旅客機に物凄く怯え、逃げるように川に潜り、水の底へと消えていった。
得体の知れない不気味な少女は、なぜか逃げてしまった。
「なんだったんだあれは?」
その場で呆然と立ち尽くす翼彦だが、
「そうだ! 七瀬!」
彼はハッとすぐさま目を覚ますと、改めて彼女を探そうとする、
「まだ諦めるな!」
そこへ刑事二人も川へ飛び込み、潜りながら必死に彼女を探す。
しかし、
「駄目か!」
「こっちも見つからない!」
いつまで探しても、七瀬讃良の姿を見つける事はなかった。
「畜生! やっと犯人を見つけられたと思ったのに!」
「これまでの苦労が……!」
二人の刑事は、あと一歩のところで事件解決に導く手がかりを逃してしまい、悔しそうな表情を浮かべる。
「おい、あんたら警察か? 一体どうなってるんだ!? 七瀬は何処に行った!?」
二人の刑事に迫る翼彦。しかし、彼らは首を横に振り、川から這い上がる。
「悪いが、それは俺たちも知らねえ」
ずぶ濡れの佐野刑事が頭を掻きながら答える。
「自分達たちは、祭りの中で見かけた君らを尾行し、張っただけだ」
上着を絞って水を切る杉浦刑事の言葉に、翼彦は尚も問う。
「なんでまた!?」
「次に狙われるのがお前さんらではないかと、何となく思ってな」
「警察の勘だよ」
その時、翼彦はこの二人の刑事の様子を見て、何かを知ってると確信した。
「説明してくれ! 一体何が起きてるんだ!?」
警官二人に迫る翼彦に対し、佐野刑事は口を開く。
「話してやってもいいが、どうやら事情を知ってるのは、俺たちだけじゃ無さそうだ」
すると、佐野刑事が岸の方に目を向けると、そこには先ほど祭りで会った占い師の老婆が立っていた。
「……」
老婆は無言で三人を見下ろす。
「婆さん。ちょっとツラ貸していいか?」
「別に構わないよ」
佐野刑事の言葉に老婆はあっさりと承諾した。
「とりあえず場所を変えて、どこかで話そうか?」
佐野刑事の提案に翼彦も承諾し、彼ら四人は別の場所へと向かった。