【あとがき】
どうも、桒原万実です。
皆様とこうして話せるのは、このあとがきぐらいかと思います。
この度は完結までお読みいただき、真にありがとうございました。
さて、あとがきなので、短めのお話しと言いたいところですが、ここはなろうですので、作者の自由に全てを語りたいと思います。
まず、去年のなろうで夏のホラーというイベントから始まり、書き始めたこの「夏祭りの夜のかくれんぼ」ですが、はっきり言いますと、とにかく辛かったです!
もう辛すぎて、おかしくなりそうでした。
というのも、この作品、実は結構お金をかけておりまして、イラスト制作と長崎の旅費を含めての出費で作りました。
何故、そこまでしたのかというと、自分も最初は短編として、すぐに終わらせるつもりでした。
しかし、去年、ある作品の応募締め切りがありまして、なかなかこの物語に手をつける事が出来ず、あっという間に夏が過ぎてしまいました。
それからは色々とありまして、しばらくこの作品に手を染める事がなくなってしまったのですが、そんなある日、自分の作品を見て思いました。
自分の作品って、完結してる作品が一つもないなと。
そんな思いを抱いた自分は、せめて一つだけでも完結している作品を作りたい、欲しいという願望が芽生え、改めてこの作品に手を染める事にしました。
本当はもっと別の作品を手掛けたかったのですが、すぐに完結出来るなら、この作品が設定上、最も早く終われるものでしたので、今年中に終わらせようと思い、書き始めました。
そうして書いてるうちに、自分も段々とこの作品の魅力に惹かれてしまい、稚拙でもちゃんとした終わりを書きたくなってしまい、また、書いてるうちに、長崎に行くべきだなとも感じてしまいました。
その理由は、原爆を経験していない自分には、原爆を語る資格はないのですが、ある日、「この世界の片隅に」というアニメを見て、その原作者に興味を抱いて調べたところ、こうの史代先生の「戦争全体にもう一回向き合わなければならない」という言葉に影響を受け、自分もまた、本当に原爆の事を語るなら、それに向き合うべきだと思い、現地の長崎に行って取材する事を決意しました。
なぜ、長崎か? 別に広島でも良くない?とも思いますが、実は昔、小学生の頃、一度だけ長崎に行って、原爆資料館に来た事がありました。
その頃は、親戚の家に行った次いでに、親に無理矢理連れて来られてしまいまして、嫌々な気持ちで資料館を観覧しました。
その時は原爆の悲惨さに嫌気が差し、同時につまらないという思いも抱き、資料館を出た時は、もう二度と来るもんかと思いました。今思えば、あの頃は物心もつかない子供だったのです。
それが、まさか大人になって、また来る事になるとは、自分でも思ってもいませんでした。それも原爆資料館の為だけに自腹で来るとは。
また、長崎を選んだもう一つの理由としては、広島原爆を舞台にした「はだしのゲン」や「この世界の片隅に」などの作品はあって、なんで長崎はないんだろう?いくら広島の方が死者が多いとはいえ、長崎原爆を舞台にした作品があまりないなとも思いました。ある意味、差別のようなものを感じたのかもしれません。
そう思いながら、自分は本格的にこの作品に取り組む事を決意しました。例え稚拙な文章でも。
ところが、制作中にハプニングもありました。
それは長崎に出発する二日前に、激しい腰痛が襲ったのです。後で聞いたところ、ヘルニアでした。
しかし、もう既に旅費も払ってしまった時期でして、今しか行く機会がなかった為、当日の朝、手に噛みつきながらベッドから起き上がり、杖を持ちながら飛行機に乗りました。
長時間、飛行機に乗るのも辛かったですし、現地に着いた時も、杖を持ちながら長崎の町をあるのも辛かったです。
そりゃもう激痛に耐えながらの地獄のような取材でした。
しかし、なんとか原爆資料館に辿り着く事ができ、首にカメラをかけて、たくさんの写真を収めて取材をする事が出来ました。被曝した外国人の証言の音声もいくつか聞くことが出来ました。当時は日本人だけでなく、外国人も巻き込まれておりましたので、色々と知らなかった事を知る事が出来て、とても良い取材が出来ました。
ところが、それで終わりではありません。原爆資料館で取材を終えると、今度はすぐに移動して、原爆投下中心地にも向かいました。そこでもまたいくつかカメラに写真を収めて取材しました。
そして、その近くの川にも、見に行きました。
原爆投下中心地の周辺をある程度、取材しましたら、すぐにホテルに帰ろうと思いました。腰が痛すぎたので。
ところが、近くに当初の予定になかった平和公園というものに目がついてしまい、せっかくなので、もう少しだけ我慢しようと欲張って、平和公園まで行きました。
エスカレーターがあったのが何よりの幸いで、上まで上がると、そこは思った以上にとても綺麗な場所でしたので、つい、その周辺の景色を写真に収めました。
中でも、一番良かったのが、平和の泉です。そこがあまりにも綺麗すぎて、この場所を物語の最後に入れて閉めたいという思いが芽生えてしまい、すぐに写真に収めました。
そして、この平和の泉を背景にしたイラストを再現したく、後で絵師さんにいくつかの写真資料を提供し、こうして出来たのが、エピローグに載せたあのイラストになります。
今思えば、身を削るような無謀な取材旅行だったと思います。昔、自衛隊の訓練に何度も立ち向かい、培ってきた根性がここで役立ちましたが。
でも、来て良かったです。おかげで当初の予定より、想像以上の物語が作れましたので。
取材は作品の質を上げられる事を、初めて実感出来ました。
本当は断念して、また来年に作ればいいとも考えておりました。
しかし、自分の信条の下、今年の夏までに、この作品をなんとしてでも、最高の形で完結したかったのです。
色々と金がかかり、身を削りましたが、それだけ、私はこの作品に全力を捧げました。
勢いで書いたようなものであり、色々と矛盾もあったりする稚拙な作品なのは承知ですが、少なくとも本気でこの作品を作った事は間違いありません。さもなければ、わざわざ、自腹で長崎に来て取材をしたり、自腹で絵師さんにイラストを制作してもらったりはしません。
私は私なりのやれる事を尽くしました。
失ったものもあり、戦争も原爆も体験した事もない自分がこのような作品を書いて公開したら、時に批判されるかもしれませんが後悔は全くありません。
自分は表現の自由に為に、作りたかったものを作ったまでです。
ただ、一つ心残りがあるとしたら、もう少し長崎を周りたかったです。町だけでなく、その周辺の山も周って、長崎の町を眺めたかったです。
予算的な問題とヘルニアの激痛がなければ、もう少し長崎を取材出来たでしょう。
もし、次にチャンスが来たら、今度は予算に余裕ができ、ヘルニアの痛みも全くない万全な状態で長崎を周りたいです。それこそ、一日中歩いて、カメラのメモリに収まりきれないほどの写真で溢れさせるほど撮りたいです。
特別、長崎が凄い好きではないのに、ここまで長崎に執着するのは、自分でも不思議に思います。
さて、長文の為、そろそろここで閉めたいと思います。
また、次にあとがきを書くとしたら、その時は、また別の作品が完結した時かと思います。
それでは皆様、また何かのあとがきでお会い出来るよう頑張りたいと思います。
この度は、「夏祭りの夜のかくれんぼ」をお読みいただき、真にありがとうございました。
では、失礼いたします。




