エピローグ◉
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真夏の太陽が差す青空、樹木から響く蝉の鳴き声、魚と共に泳ぐ水の精霊、ミツチ達が棲まう川、緑に生い茂る長崎の山中に一人の少女がいた。
「あれ、ここは……?」
どこか懐かしい風景を目の当たりにした少女は、辺りを見回すと、
「リセちゃん!」
その後ろから、ある少女の声が聞こえた。振り向くとそこには金髪碧眼の少女が笑顔で立っていた。
「ま、まさか……ミアちゃん!?」
それは祖国のマンハッタン計画によって殺された筈の健気な少女、ミア・リル・キャンベルであった。
「ずっと、待ってたよ」
ミアは、エヘヘと無邪気な笑顔を向けてくる。それは昔、一緒に遊んでいたあの頃と全く同じ笑顔であり、リセは懐かしさを覚える。
「え? なんで? だってあの時……」
だが、リセはそれ以上に、とっくの昔に死んだ筈の在日アメリカ人の友達が、何故か目の前にいる事に戸惑ってしまう。
「そんなつまんなそうな顔しないでよ。お姉ちゃん」
すると、その後ろにもう一人、声をかける者が現れた。
「ナ、ナミちゃん!?」
それは黒焦げの姿ではなく、紛れもない昔の姿をしていた少女、斉藤ナミであった。
「そっか。アタシ……」
かつての幼馴染二人を見たリセは、両の手のひらを見下ろしながら全てを悟ってしまう。
「「ありがとね」」
二人はリセに感謝の言葉を伝えた。
「これからは私達」
「ずっと姉妹だからね!」
ミアとナミの二人は、リセにそう告げる。
リセはそんな二人を見ると、やがて、その戸惑いの表情から笑顔がほころぶ。
「うん!」
戦後、ずっと笑う事が出来なかったリセは、今ここで、七十年ぶりにその笑顔を取り戻す事が出来たのであった。
「ところで、三姉妹だったら、ミアちゃんは何になるのかな?」
リセは少し気がかりな事を呟くが、肝心のミアは答える。
「そんなの後で決めよ!」
ミアは特に気にもしなかった。自分は姉でも妹でも真ん中でも、どちらでもかまわない。そう思いを抱えながら。
だが、今はそれよりもしたい事があったのだ。
「じゃ、早速しよ?」
ミアは無邪気な笑顔をしたまま二人に抱きつく。
「何を?」
首を傾げるリセに、ナミとミアの二人が答える。
「お姉ちゃん忘れたの?」
「かくれんぼの続きだよ!」
目の前にいる姉妹がそう答えると、リセは笑顔で頷く。
「うん!」
そして、三姉妹は早速、かくれんぼの鬼を決めようとする。
「ジャンケン、ぽい!」
ナミとミアの二人はチョキ、リセはパーであった。
「お姉ちゃんが鬼〜!」
「今度はズルしなかったんだね!」
二人に指を差されたリセは、またも笑顔がほころぶ。
「えへへ! 鬼になっちゃった!」
頭を掻きながら笑うリセは、早速、川の側にある大岩に頭をつけて数を数え始める。
その様子を、かつて神と呼ばれたおかっぱ頭の少女が、山の丘から笑顔で眺める。
「じゃあ行くよ〜! いーち、にーい、さーん」
「「隠れろ~!」」
二人は逃げるように隠れる。
「ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅーう!」
リセは大声で呼ぶ。
「もーいーかい!」
――まーだだよ!
リセはまだ隠れてない二人の返事を聞くと、再び十を数え直す。
「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーう、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅーう!」
そして、改めて十を数え終えたリセは、最後に山中に響くほどの大声で呼んだ。
「もーいーかい!」
――もういいよ!
――――――――――
あれから五日後、長崎市のとある神社で葬儀が行われていた。
時刻は昼頃で、黒服を着た者達が神社に集まる様子があり、その神社の中から、葬儀を終えて、棺を運ぶ男達が出てくる光景があった。
制服を着ていた讃良と翼彦の二人は、鳥居の前でその様子を切なそうに眺めていた。
「リセさん。まさか、すぐ亡くなるとはな……」
「まるで、後を追ったかのようだね……」
二人は自分達を助けてくれた井口リセが、突如亡くなった事を聞いて、学校で夏期講習を終えた後、この神社にやってきたのであった。
「今思ったけど、死ぬってこんなにも儚いんだね」
あの滅亡の長崎で、死んだ愛犬の元に行くと言って、自らも命を投げだそうとしていた時と、歴史を変える為に、自ら犠牲になる事を選ぼうとしていた時の自分が、たとえ間違っていなかったとはいえ、心の底で情けなさを感じてしまう。
「でも、これで良かったんだ。死ぬ前に、ナミさんに会えて」
隣に立っていた翼彦が呟く。
「リセさんは、自分を苦しめてきた戦争に、片をつける事が出来たんだ」
戦後、生き残ったリセは長崎原爆に全てを奪われ、七十年もの間、因縁と被爆症状という名の呪いだけが残ってしまい、長年苦しめられながらも、戦争の犠牲者達の霊を鎮め、成仏させてきた。
そして、何よりも、最期は自分を苦しめた戦争に唯一、決着を付けることが出来たのであった。
とても強い人間であった。二人はその偉人に黙祷を捧げ、冥福を祈る。
死後、戦争のない世界に行けるように。
「やあ、君たち」
そこへ、佐野刑事と杉浦刑事の二人が、神社から現れた。
「刑事さん。来てたんですか?」
「まあな。昨日知らせを聞いてな」
翼彦の問いに返答する佐野刑事。
「二人とも、今日学校だったの?」
「いえ、夏期講習です」
「そうか」
杉浦刑事は、制服姿の彼らを見ると、道路の脇に止めておいたパトカーに指を差す。
「良かったら、家まで送ってあげようか?」
杉浦刑事が、二人を家まで送ってあげようとしたところ、
「待て、相棒。余計な世話をするな」
佐野刑事がそれを止め始める。杉浦刑事は、突然、佐野刑事に止められた事に一瞬理解が出来なかったが、すぐにその理由を察してしまう。
「あ、そうでした!」
杉浦刑事は手のひらにポンと手を置いて何かに気づくと、すぐに佐野刑事の言うとおりに空気を読む事にした。
「じゃあ、自分達はこれで」
そのまま背を向けて、パトカーに戻る刑事二人。
「もう、行くんですか?」
「まあな。次の仕事があるんだ」
パトカーに乗った刑事二人は、ニヤニヤと笑いながら二人を見つめる。
「じゃあな、二人とも!」
「お幸せに!」
刑事二人はそれだけを言い残すと、そのままパトカーを走らせ、去っていく。
「……!」
「……!」
その時、二人は顔を赤くしてしまい、つい、離れてしまい、目を背けてしまう。
あの事件以降、彼ら二人は付き合う事になった。
きっかけは、翼彦が讃良を家まで送り、彼女と共に家に上がった時の事であった。
部屋に招かれた翼彦は、讃良をベッドで寝かした後、彼女は自分が、一体何者なのかを彼に教えたのだ。
もちろん、彼もまた彼女と同じ人間だということも。
だが、その真実を聞いた翼彦は、大して気にはしなかった。
翼彦は言う。
――たとえ、俺たちが殺戮兵器がきっかけで生まれたとしても、そんなの関係ない!
――お前一人が背負う理由なんて、どこにもない! だから、そんな風に一人で思い悩まないでくれ!
――お前に歴史を変える義務なんてない。ましてや、世界を変えてまで犠牲になる義務なんてない。七瀬には、この世界でいてほしいんだ!
そう言って、手を握ってくれた彼を見て、讃良は思った。
この世界で、必要としてくれる人がいてくれる。
今、目の前にいる彼がそうだ。讃良はそんな彼を見て、どこか愛犬がいた頃のような居心地と安心感を得た。
そんな自分を思ってくれる彼を見て、讃良はある事を翼彦に告げる。
――獅童くん……お願いがあるの……。
――なんだ?
讃良は恥ずかしそうに口元を布団で隠し、俯きながら上目遣いで呟いた。
――私ね、なっちゃんがいなくなってから、一人ぼっちになっちゃったんだ……。だから、すごく寂しいの……とっても心細いの……一人は辛いの……嫌なの……だからね……?
讃良は、何か言いづらそうな表情をするが、やがて、勇気を振り絞って、彼に本心を伝える。
――だから……私と……つ、付き合って……ちょうだい……。
頬を染めながら呟く讃良を見て、今まで味わったこともない強い鼓動を高鳴らせ、顔を赤らめてしまった翼彦は、承諾以外の選択肢がなかった。
それから、彼らの交際が始まったが、まだ付き合い始めて一週間も経ってない二人は、恋愛というものに慣れず、つい初々しい仕草をしてしまう。
そんな神社の鳥居の前で立ち尽くしてる二人だが、ここで口を開いたのが讃良であった。
「あの、獅童くん?」
讃良は隣にいた翼彦を横目で見つめる。
「折角だし、よかったら私と、どっかに行かない?」
ずっと片思いだった讃良から誘われた翼彦は、それを断ることが出来なかった。
「あ、ああ……! どこが良い?」
胸をドキドキと高鳴らせながら、讃良に問う翼彦。
「そうね。どこか景色の良いところがいい」
彼女がそう言うと、翼彦はその場で深く考え始める。
どこか二人だけで行ける景色の良い場所、彼はそれを考えると、ある場所を思い浮かべる。
「それなら」
翼彦は讃良の手を取り、その場所へ連れて行こうとする。
お互い手を繋いだ彼らは、内心、緊張しながらも恋人繋ぎで手を固め、神社を後にして長崎の市街を歩き、路面電車の停留所へと向かった。
大人一人140円の運賃で、市内ならどこでも行ける路面電車がやってくると、二人はそれに乗る。
狭い一両の電車の中で、密着してドキドキしてしまう二人は、目的の場所に着くまで待っている途中、とある車内放送が流れる。
『次は、原爆資料館、原爆資料館です』
その放送が流れると、讃良は外にある『原爆資料館』と書かれた停留所に目を向けた。
「原爆資料館……」
そう書かれた看板を見ながら、彼女は思った。
もし、ファットマンが長崎ではなく、別の町に落ちていたのなら、きっとこの原爆資料館も存在しなかったのかもしれない。
それこそ、米軍が当初、第一攻撃目標として狙っていた福岡県小倉市(現在は北九州市)に落ちていたのかもしれない。
もしかしたら、長崎ではなく、福岡原爆という名の悲劇が、歴史に名を残していたのかもしれない。
そうなると、今頃この場所も原爆資料館ではなく、違う何かが建てられ、かわりに福岡に、この原爆資料館が移っていたであろう。
いや、もしくは、トルーマン大統領が、1回目の広島の投下だけで済ませて、余計な2回目の投下を棄却してくれたら、2回目の原爆そのものを無くすことだって出来たのかもしれない。
広島の悲劇は避けられぬ運命だったのかもしれないけど、長崎原爆は、もしかしたら、どこか一歩だけでも間違ってくれたら、実はいくらでも止める事が出来た悲劇だったのかもしれない。
あの日、彼女がナミと対面した時もまた同じように。
あの時、本当に自分一人が犠牲になって、ナミがその歴史を変えてくれたら、同じようにその悲劇を止める事は出来たのかもしれない。
当然、この場所だって、無くなっていたのかもしれない。
彼女はそんな思いを抱きながら、原爆資料館と書かれた停留所を通り過ぎてしまう光景を切なそうに眺めてしまう。
『次は平和公園、平和公園です』
車内でそう流れると、ここで翼彦が反応する。
「七瀬、ここで降りるぞ」
そう言うと、二人は前方のドアに向かい、大人一人、140円の運賃を支払い、平和公園の停留所で降りた。
松山町の道路を信号で渡ると、目の前には果てしなく長い階段とエスカレータがあった。二人は右側のエスカレーターに乗って上がると、そこには美しい光景があった。
透き通るほどの綺麗な水と噴水が立ち上げるその池には、一つの石碑があり、こう彫られている。
『・・・・・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
――あの日のある少女の手記から』
かつて、あの時代に生き残った先人達が、核兵器によって亡くなった被爆者の冥福を祈る為に作られた『平和の泉』と呼ばれる場所である。
死んだ方がマシなぐらい、喉が渇いていた大勢の焼けただれた犠牲者の為に、先人達がせめてもの弔いとして、綺麗な水を与えてあげたいという献水の意味を込め、同時に世界恒久平和を祈る為に作られた神聖な場所である。
二人はその泉を通り過ぎると、かつては刑務所だった公園の通りを進む。
ソビエト、チェコスロバキア、ドイツ、オーストラリアのマラリンガ先住民アナング族、他にも世界中から送られてきた平和のシンボルが立ち並ぶ通りのその先には、巨大な像『平和祈念像』が奥で座っていた。
天を指す右手は原爆の脅威を示し、横にのばした左手は平和を示し、横にした右足はファットマンが投下された直後の長崎市の静けさを表し、立てた左足は戦争で救った命を表し、柔和な顔は神の愛と仏の慈悲を象徴し、犠牲になった7万人以上の人々の冥福を祈るために軽く目を閉じて、戦争と核兵器の犠牲者の鎮魂と永遠の世界平和を願った宗教を超えた聖像である。
一見、正面に見えるが、実は向きがやや左にズレているその平和記念像にまで、二人はゆっくりと歩んだ。
「綺麗なところだね」
「そうだな」
祈念像の下に流れる清水と共に、献花台に供えられていた花束を見ながら二人は呟いた。
長崎市民である二人は、この公園に来たのは初めてではなかった。
何度かこの場所に訪れたことがある。しかし、今はなぜかこの公園が以前見た時とは、全く違う光景に思えた。
彼らの目に映る世界は、以前よりも、とても美しく見えていたのだ。
「私たちのような人間が、こんなところに来て良いのかな?」
その時、讃良が俯きながら呟く。
「どういうことだ?」
翼彦が首を傾げながら見ると、彼女は答える。
「だって……私達は、原爆のおかげで生まれたような人間なんだもん……」
二つの核兵器の殺戮によって生まれた子供達。その内の一人である讃良は、自分が果たしてこの世で生きていて良いのか、未だに負い目を感じてしまう。
「別に良いだろ。だって……」
翼彦は隣で元気のない表情で俯く彼女に、優しく伝える。
「ここは、先人達が平和な未来を願って、作られた場所なんだから」
戦後、二度とあの悲惨な戦争と過ちを犯さない為に建てられた記念像の前で呟く翼彦。
だが、讃良はそれで納得するわけではなかった。
「でも、私は、結果的に大勢の人々を見殺しにしてしまった」
讃良は目に涙を浮かばせながら呟く。
「自分一人の命惜しさの為に、平和な世界へと変える術を妨害してしまった。原爆が投下される惨劇を導いてしまった。結局、私は核兵器の子、大量殺戮者同然の……」
「七瀬!」
その時、翼彦は隣にいた讃良の両頬を掴んで、その目を見つめた。
「何度も言う。俺はお前には、この世にいてほしいんだ。だから、そんな風に思い悩まないでくれ」
真剣な目で思いを伝える翼彦。
「俺たちの親がたとえ殺戮兵器だとしても、きっとここは俺たちの存在を祝福してくれる筈だ。何故なら、ここは過去ではなく、未来を願って作られたところだからな」
「獅童くん……」
讃良の目に浮かんだ涙を指で拭ってくれる翼彦に、彼女はその優しさがとても心地よく感じ、それ以上のことを求めて、つい彼に願ってしまう。
「……お願い……」
すると、讃良はそっと目を閉じ、少し上を向いて、小さな唇を見せた。
「なっ!? うわぁあ!?」
すると、その動作を察してしまった翼彦は突然、顔を真っ赤にしながら、つい讃良から離れてしまう。
「ちょっと! なんでそこで離れるのよ!?」
その時、讃良は真っ先に離れた翼彦に怒りだす。
「今の、流れ的にキスする場面だったでしょ!?」
「だからって、こんなところで……!」
翼彦は周囲を見ると、「まあ、まあ」と言って頬を染めている人々が、見ていることに気づく。
「獅童くんのヘタレ……」
讃良は不機嫌そうに、ジト目で翼彦をにらむ。
「本当はキス、好きなくせに……」
五日前、洞窟で気を失っていたところをキスされた頬に手を当てながら、悔しそうに呟く讃良。
「あ、あの時は、なんというか……無理矢理……!」
「好きなくせに……好きなくせに……好きなくせに……」
何度も悔しそうに呟く讃良に、翼彦は逃げるように背を向ける。
「ああもう! 行こうぜ七瀬!」
そう言って、彼は歩み出すと、その素振りを見た讃良は、
「プッ! あはははは! 獅童くんって、ホントおもしろ~い!」
腹を抱えながら、無邪気に笑ってしまう。
先ほどまで、元気のなかった讃良がウソみたいに、明るく健気な少女へと変わってしまう。
(ありがとね。獅童くん)
彼女は、自分を元気づかせてくれた翼彦の背を見ながら、心の中で感謝する。
(だけど、あとで、もっと困らしてあげるんだからね! 逃げた罰として!)
心の中で呟く讃良と、その珍妙な気配を察して無意識に背筋を凍らす翼彦。
「獅童くん!」
その時、記念像の下で、讃良が背を向けていた翼彦に声をかける。
「私、決めたよ!」
翼彦は後ろにいる讃良に目を向けると、彼女は元気な声で答える。
「私、将来、国際関係の仕事に就く! そして、核兵器廃絶運動を目指して、世界中の核保有国に禁止条約を結ばせるよ!」
彼女のその目は一見、明るいが、どこか本気のようにも見えていた。
「だったら、俺も一緒に手伝っていいか?」
そんな彼女を見て、翼彦もまた声を上げる。
「俺、勉強苦手だけど、俺も原爆がきっかけで生まれた人間の一人だ。だから、お前の手助けをしてあげたい! 核兵器廃絶を目指したい!」
「うん! 私も勉強は苦手! だけど、獅童くんとなら、なんか頑張れそう!」
讃良は笑顔で答えた。
「一緒に、たくさん勉強しようね!」
二人は記念像の前でそう誓った。
ファットマンとリトルボーイ。
二つの核兵器の殺戮で生まれ、核兵器の存在する世界を導いてしまった二人の子供は、将来、未だこの世に存在する核兵器を廃絶することを目指した。
全てとは言わない。出来るだけ多くの人々にその存在の脅威を知ってもらい、いつか、核兵器がこの世から無くなる未来を願って、彼ら二人は誓い合った。
やがて、平和記念像を後にした二人は、平和のシンボルが立ち並ぶ通りを進み、平和の泉へと戻ると、
「あれ?」
その時、讃良の目が止まる。
「獅童くん、あれ、見える……?」
平和の泉に指差す讃良に、翼彦もまた目を向ける。
「ああ、何か泳いでるような気が……」
そして、それは翼彦の目にも映っていた。
その体は、透明でよく見えないが、泉の中で魚のように泳ぐ生き物のような姿をしていた。
それはかつて、原爆で絶滅されたと思われていた、善良な子供にしか見えないと言われているミツチという名の水の精霊だという事を、彼らは全く知らない。
その時、
「あ、イチャイチャカップル発見!」
二人が噴水の前で、その奇妙な生き物を眺めていた頃、その先のエスカレーターから、声をかける者達が現れた。
それは同じ学校の同級生であった。
私服姿で遊び歩いていた彼らは二人に迫る。
「あれ? お前ら夏期講習もう終わったんだ」
一人の男子が首を傾げると、二人は頷く。
「相変わらず、二人とも成績悪いね~」
ポニーテールの少女が、呆れながらペットボトルのジュースを飲む。
「まあ、それはさておき……」
その時、同じ学年で一、二を争うムードメーカーのツインテール女子が、二人に問い詰めた。
「あなたたち、付き合い始めたってホント!?」
好奇心旺盛で迫ってくるツインテール女子に、二人は頬を染めながら小さく頷いた。
平和の泉にやってきた同級生達は、ムードメーカーのツインテール少女を筆頭に野次馬のように二人に問い詰める。
「いつから、付き合い始めたの!?」
「一体どっちが、告ったの!?」
「てか、獅童! やっとか!」
「毎回毎回、お前のヘタレぶりには、イライラしてたんだよこの野郎!」
目を輝かせながら迫ってくる同級生を前に、翼彦は言いずらそうな口調で答える。
「ど、どっちがって……俺の方から告ったというか……!」
「聞きたい?」
その時、本来明るい性格の持ち主であった讃良が、ニヤニヤと笑いながら女子達に答える。
「凄かったわよ。『好きだからに決まってんだろう!』って」
「お、お前何を……!?」
焦り出す翼彦を見た讃良は、彼の反応があまりにも面白く、また先ほどの仕返しの為に、真実を同級生に語り始めた。
「七瀬! 俺はお前が犬の散歩をしているところを、初めて見たあの時から好きだ!」
「お、おい、馬鹿やめろ!!」
翼彦は讃良の口を塞いで止めようとするが、
「まあ、待て! どういう告白だったのか俺達も聞きたいな~」
その後ろから、大柄のラグビー部の男子が、翼彦を羽交い締めして動きを止め、その場にいた同級生全員が讃良に耳を傾ける。
「お前が犬と一緒に遊んでいて、楽しそうにしてたあの笑顔がとても可愛くて好きだ! 犬の話ばかりして、写真を鬱陶しく見せつけて、自慢してきたあのしつこくウザかったところが好きだ!」
「ぎゃあああああああああああああああああああ!! こいつ一言一句、全部覚えやがって!!」
あの滅亡の長崎で、つい告白してしまった言葉を全てバラそうとする讃良に、翼彦は激しい羞恥心を覚える。
「犬の事ばかりしか見ず、俺なんか全然見てくれようとしないその性格が腹が立つほど好きだ! 俺が怪我をして陸上部を辞めざるを得なくなって落ち込んでいたあの時も、犬の話題で慰めるという下手くそな気遣いをしてきたが、その不器用で思いやりのあるところが、たまらないほど好きだ! 好きだ!! 全部大好きだ!!!」
「やめてくれええええええええ!! これ以上、俺の黒歴史を晒さないでくれえええええええええええ!!」
耳を塞ぎながら発狂する翼彦に対し、嫉妬心丸出しで顔を引きつらせた男子達は、追い討ちをかけるかのようにその手を耳から離させて聞こえるようにすると、讃良はとどめを与えるかのように叫ぶ。
「お前の全てが好きすぎるんだよ! 毎日胸が苦しいぐらいに! 初恋だったんだ! だから、いなくなるなんて言わずに、俺の下に戻ってこいよ!!」
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
翼彦は遂に昇天するかのように力尽きると、その場にいた女子達全員が、讃良の熱弁に顔を真っ赤にする。
「そ、その……獅童君って、結構大胆なのね……!」
「なんか……あたしまで、ドキドキしちゃった……!」
「でも、凄く羨ましいね……!」
一方、男子達は、
「ヒュー! ヒュー! 男だぜ獅童!」
「こいつ、やりやがったな! リア充爆発しろ!」
「憎いぞこの野郎!」
後ろにいたラグビー部の男子が、ニヤけ顔で彼の頭部に腕を回し、拳でその頭をぐりぐりすると、残りの男子達もまた、その周りを囲うように彼を弄り続ける。
「俺、明日からもう学校行けない……!」
「じゃあ、私も学校いかない! 獅童君ん家に行く!」
「お、お前という奴は……!」
「なによ、私の家に来たくせに」
すると、それを聞いた女子達は驚愕する。
「ちょっ、獅童くん!? 讃良の家にまで行っちゃったの!?」
「なんて早いの、あなたたち!?」
仰天する女子達を前に、翼彦の羞恥心は限界に達していた。
「もうやめてくれ七瀬!」
「だって、全部自分で言った事じゃない。『俺は七瀬を愛してる……!』とかも言ってたくせに。しまいには、キスだって……」
「えっ、ちょっと!? あなたたち、もうそこまで行っちゃったの!?」
頬に手を当てながら俯く讃良に、ツインテール女子が更に仰天する。
「バッ……そうじゃなくて、あれはほっぺに……!」
「否定してない!?」
つい、正直に言ってしまった翼彦は発狂しそうになった。
追い討ちをかけるかのように、面白げに余計なことを言い続ける讃良。
羞恥心のあまりに、頭を抱えながらおかしくなる翼彦。
その様子を見て、ヒューヒュー、キャーキャーと盛り上がる同級生達。
「獅童君って、普段、ヘタレなくせに、いざとなったら言い過ぎるくらい言っちゃうんだね……」
「見直したぞお前!」
顔を赤くしながら俯いて呟くツインテール女子と、その背中を思いっきり叩くラグビー部の男子。
翼彦は背中をさすりながら、讃良に迫った。
「いてて! 七瀬! お前は俺に黒歴史を刻ませるつもりか!?」
「心配ないよ? 黒歴史は獅童くんだけじゃなく、あたしも一緒に背負うんだから。一緒に歴史に爪痕を残しましょ?」
「お、お前なぁ……!」
羞恥心のあまりに、わなわなと震える翼彦は、遂に我慢出来ず、讃良に怒り始めた。
「好き勝手に言いたいだけ言った挙句、恩を仇で返しやがって……! あの時、お前を助けてやった恩を返してくれよ!」
「いいよ。んっ!」
その時、讃良はかかとを浮かして背伸びをし、翼彦の唇に押しつけるかのように口づけを交わした。
冷たく柔らかい温もりと感触が、直接お互いの唇と繋がり、翼彦はまるで夢を見ているのかと言わんばかりに驚愕する。
ずっと、片思いだった女子からされて、内心その状況と現実を受け入れきれる事が出来ず、まるで嘘のように見えた。
だが、実際問題、目の前で起きている事は嘘偽りのない現実であった。
嬉しそうに目を閉じていた讃良は、嘘じゃないよと言わんばかりにそれを証明しようと、更に深くそれを求め、熱く押し付けると、やがて、現実を受け入れざるを得なくなってしまった彼の顔は、みるみると真っ赤に染め上がっていく。
二人が胸をドキドキと高鳴らせる中、周りにいた同級生達もまた、キスを交わすその二人を凝視して顔を赤らめる。
中には、スマホで二人の写真を撮る者もいた。おそらく、学校で流すつもりであろう。
――恥ずかしいのは獅童くんだけじゃないよ。あたしだってスゴく恥ずかしい。
――でも、構わない。この先、獅童くんとずっと一緒にいる限り、何度だって困らせ、何度だって黒歴史を残してあげる。
――あの激動と混沌の時代が作り上げた惨劇の歴史よりも、あの嵐が巻き起こしたかのような滅亡の世界よりもずっと質が悪く、地球上に爪痕を残した私達の産みの親である「ファットマン」と「リトルボーイ」という二人の超越者にも負けないくらいに。
讃良は、んっ……と更に唇を強く押し付けながら、心の中で呟いた。
――獅童くん……私ね。今、スゴく……ドキドキしてるよ……。
END




