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生命の尊厳

 



 ――――――――――――




 一方、洞窟の奥では、何やら騒々しい声が響いていた。



「嬢ちゃん! どこだ!?」


「返事をしてください!」


 暗闇の洞窟にいた刑事二人は、周囲に懐中電灯を照らしながら、讃良を呼び続ける。


 彼女は黒焦げの少女に連れて行かれてしまったのだ。



「くそったれ! これじゃ、あいつに顔向け出来ねえぞ!」


「彼になんて言ったらいいものか……!」


 刑事二人は、翼彦の代わりに讃良を守る筈が、あっさりと黒焦げの少女に連れて行かれてしまった事に、負い目を感じる。


「行くぞ相棒! なんとしてでも助けるぞ!」


「はい! 佐野さん!」


 二人は暗闇の洞窟内を必死に駆け回った。






 その頃、讃良は洞窟の最深部にまで連れて行かれ、壁岩に生えた大樹の根に体を絡まれ、拘束された状態で気を失っていた。


「ゼェ、ゼェ……」


 彼女のその後ろには、黒焦げの少女が苦しそうに呼吸しながら、その体を抱き締めていた。


「……」


 讃良はピクリとも動かず、眠っているかのように目を閉じ、まるで教会にあるイエス・キリストの十字架の姿を思わせていた。


「……ウ…………ウウ…………」


 弱々しい小さな呻き声をもらす黒焦げ少女は、必死な思いで讃良の耳元に口を近づけ、何かを伝えようとしていた。


「……サ…………ラ……ラ…………チャ……ン…………」


 やがて、黒焦げ少女は彼女の名を呼ぶと、何かを語りかける為に、その心の中に入っていく。





 すると、気を失っていた讃良の精神は、どこか不思議な世界へとやって来てしまう。






「なに、ここ……?」



 彼女はまるで浮遊霊のように宙に浮かび、周囲を見渡すと、そこは見覚えのある山の中であり、丘からは荒野と化した長崎市の光景が見えた。



『いやぁあああああああああああああああ!!』



 その時、誰かの悲鳴が聞こえる。


「え……?」


 讃良が振り向くと、それは小学生くらいの少女が、何かから怯えるように逃げていた。


『ウウ……!』


 そして、その奥には、見覚えのある川の側で、呻き声を上げながら横たわっている黒焦げの少女がいた。


「これは、ナミさん?」


 それは、先ほど洞窟で見たのと、同じ姿をしたナミであった。


『……ウ……ウウ……ウ…………!』


 苦しそうに這いずるナミの姿と、見覚えのある周囲を見て、讃良は一つの結論を導き出した。


「ということは……ここはナミさんの記憶の中なの……?」


 彼女は周囲の視界に映った光景を見て、そう察した。



 ――リセちゃん! どうしたのリセちゃん!?


 すると、讃良の心の中に誰かの声が聞こえた。


「これは……?」


 それは幼く、かよわい少女の声である。


「これは、ナミさんの心の声なの……?」


 這いずるナミを見ながら、心の声を聞いてしまう讃良。


 ――何があったのリセちゃん!? お願いだから返事して! 


 黒焦げになって苦しんでいるナミの心の叫びは、ただ、ひたすらリセを探していた。


「ということは、さっき走って行った子は、リセさん……?」


 彼女はそう推察する。



 ――熱い! 痛い! 苦しい! 怖いよ! リセちゃん! ミアちゃん! どこにいるの!? 


「うっ……!」


 ナミのその這いずる姿と心の叫び声に、讃良は胸が痛くなった。


 ――いやぁ! リセちゃん! ミアちゃん! どうか無事でいて!! あたしはどうなっても構わないから、どうか二人を奪わないで!!


「ナミさん……」


 正直、讃良は見ていられなかった。目を焼かれて完全に失明してしまったナミは、それでも友達を探し求めていたのだ。


『ミ、ミ……ズ……!』


 だが、熱線で体内の水分が一気に蒸発したナミは遂に限界が来てしまい、渇きの余りに目の前にある川の水に近づき、手を付けようとする。




 だが……




『……ウ……ウウウウ……ウ…………!』


 ナミはその川の水に手を付けず、逆に拒んで川から離れようとする。


「なんで……? ナミさん凄く喉が渇いてるでしょ? なんで飲まないの!?」


 讃良は理解出来なかった。原爆で火傷を負った人間は必ず水を求める。この少女もその一人の筈であった。


 だが、ナミは違った。この少女は逆に自ら水を拒んだのだ。



 ――リセちゃん……ミアちゃん……もう一度会いたいよ……!



 ナミの心は水よりも、友達を求めていたのだ。



 ――私、諦めないから! どんな事があっても絶対生き抜いて、何がなんでも二人を見つけるんだから!!



 ナミは心の中で強くそう叫び、川から離れていった。


 讃良はその生きる執念と心の声に、ナミがなぜ水を拒んだのか、ようやく理解出来た。


 ナミは分かっていたのだ。水を飲むと死んでしまう事を。


 全身大火傷を負い、生と死の境を彷徨う極限状態に陥ったナミは、友達に会いたい一心で、その強い生存本能が覚醒し、少しでも死から遠ざけようとしていたのだ。


 人間の生命力が限界を越え始め、極地に立った瞬間である。


「リ……セ……チャ……ン……!」


 渇いた声で呻くナミは、洞窟の方に顔を向ける。


 ――あそこにいるの? リセちゃん? ミアちゃん?


 ナミの心がそう呟くと、少女は洞窟の方へと這いずる。


「ダメ……」


 讃良はその様子を見て、顔を横に振ってしまう。


『……ウ……ウウ……!』


 だが、ナミの心には讃良の声は一切届かず、少女は芋虫みたいに這いずりながら、洞窟へと入っていく。


「そっちに行ってはダメ!」


 だが、遂にナミは洞窟に入ってしまうと、その直後、衝撃波で脆くなった入口が崩れ始め、ナミは閉じ込められてしまう。



「……!」



 その光景を見てしまった讃良は、痛ましいあまりに目を逸らしてしまう。



 だが、いくら目を逸らしても、ナミの心の声が聞こえなくなるわけではなかった。




 ――ここにはいないの? それとも町かな?


 やがて、三日がかりで洞窟内を這いながら探し回ったナミはそう確信し、洞窟を出ようとするが、


 ――えっ? なんで……? なんで出られないの……?


 入口が崩れて、閉じ込められた事に気がつく。


 ――お願い! 誰かここから出して!


「っ……!」


 ナミのその助けを求める声が、嫌でも讃良の頭の中の奥底から聞こえてきた。


 ――リセちゃんが心配なの! ミアちゃんも! 誰でもいいから二人を助けて!


「もう、やめて……!」


 讃良はあまりの辛さに耐えられず、自らの耳を両手で塞いでしまうが、外部からではなく、内部から聞こえてくるその心の声に為す術もなかった。



 ――分かった! せめて、リセちゃんとミアちゃんの安否だけでも教えて! 二人が一体どうなったのか、それだけでもいいの! 


 ――だからお願い! 誰でもいいから、リセちゃんとミアちゃんが、どうなったのか教えてぇ!!




「もう、やめてぇ!!!」



 その時、讃良は叫んだ。



「もう、いいよ……もう、いいよ…………」


 讃良はナミのその余りにも悲惨な過去に、見ていられなかった。



「ナミさん……あなたの苦しみは良く分かったから……だから、もういいから……」





『別に私は苦しみを訴えた覚えはない』





 その時、その這いずる過去のナミの心の声とは別に、もう一つ、どこからか同じ声がした。


 そして、それは讃良のすぐ後ろから聞こえ、彼女は振り向くとそこには、健康的な皮膚と、輝く綺麗な目を持ち、茶髪混じりの黒髪を揺らした、ごく普通の少女が立っていた。


 原爆の火傷を負ってない、かつてのナミの本当の姿であった。



「あなたが、ナミさん?」


『そうだよ』


 少女は無表情でそう答える。


「あなたの痛みはよく分かったわ。でも、だからといって、何の罪もない人達を殺すこと……」


『私だって、人を殺したくて、こんな事をしてるわけじゃない』


 その時、ナミは讃良の言葉を遮ってまで、自分の思いを伝えた。


「どういうこと? 原爆に巻き込まれた恨みを晴らす為に、人々を殺し続けてる訳じゃないの?」


 讃良は疑問に思いながら、ナミに質問すると、少女は手を掲げ、ある物を見せ始めた。



「これは……?」


 ナミが軽く手を反すと、讃良がいるその場の景色が突然変わり、洞窟の中の壁岩が囲う光景が目に映った。




 ――リセちゃん……ミアちゃん……!



 崩れた出口を手で掻きながら、友達の名を呼ぶ黒焦げのナミの声が、讃良の心の中に過ぎり、彼女はまたも目を逸らしてしまいそうになるが、



 ――ナミ。生きておったか!



 その時、ナミの後ろに、ある者が現れた。



 ――その声は、山神様……?


 それは、この山の主である、山神と呼ばれる子供の姿をした神であった。着物を着たおかっぱ少女の姿は半透明になり、体のあっちこちからは火が燃えていた。


 山神はまともに見ることもしゃべる事も出来なくなってしまった黒焦げのナミの心に入り、自らの神通力で心を繋げて会話を始めた。


 ――山神様! 無事だったのね!


 目が焼けて何も見えないナミは、山神に問う。


 ――リセちゃんとミアちゃんはどこ? 二人は無事なの?


 顔半分が燃えてる山神は言いづらそうに答える。


 ――リセはどうなったのかは知らぬが、ミアという名の異人はもう……。


 その時、ナミは絶望に歪んだ。



「ア……アアア…………!」


 力のない渇いた声で、わなわなと震えながら、泣いてる声を出すナミ。


 しかし、泣きたくても、その蒸発しきったその目には、一滴も涙が出なかった。



 ――いやぁ!! 私は認めない! ミアちゃんが死んだなんて認めない!


 錯乱するように泣き叫ぶナミの心の声。


 ――ミアちゃんは……ミアちゃんは……!



「アア……アアア……アアアアア……!」



 子供が泣くかのように呻くナミ。



 ――妾もやられた……我が御神木も今まさに燃えておる……もう長くはない……。


 ――そんな……!


 ナミはミアだけでなく、ずっとお世話になっていた山神までいなくなってしまう事に悲痛な思いを抱いた。


 山を司り、迷い子を導く善良な神様まで、新型爆弾の餌食にされてしまったのだ。



 ――まさか、神々の一人である我をも殺せるものが、この世に存在するとは……。人はいつから、こんなにも恐ろしゅうなったものか……!


 ナミの記憶では、この子供の神様は基本、無口であまりしゃべらない性格の持ち主であった。


 しかし、心の中の会話とはいえ、こんなにも嘆き悲しみながら、しゃべっているところを聞いたのは、ナミにとっても生まれて初めてであった。


 ――いや! いやよ! 山神様までいなくなるなんて!


 ナミは、またも大切な人を失ってしまうことを嘆いた。


 ――まもなく、妾は死ぬ。だが、ナミよ……せめて、そなたに妾が出来る事を授けよう。


 すると、山神はナミの頭に手を乗せ始めた。


 ――妾の残りの力を全て託し、そなたを選ばれし神の化身、時の巫女としての力を授けよう。


 ――え……? 山神様の……?


 山神はナミに頷く。




 ――そして、そなたがもし、望むのであれば、我が時を越える禁断の秘術を使うが良い。



 ――時を越える禁断の秘術……?



 ――いかにも。二十人以上もの人の子を神隠しに巻き込ませ、その命を生贄にする事により、過去へと戻れる事が出来る、我が封印されし禁じられた邪術である。




 山神のその衝撃な言葉に、ナミは唖然とした。



 ――二十人以上もの人達を犠牲にする事で……過去に戻れる……? あれ(、、)が落ちる前の、リセちゃんやミアちゃんがいる世界にまた来れるの……?


 ナミの言葉に山神は頷く。



 ――この秘術は出来れば使いたくはなかった。また、そなたにも使わせたくなかった。妾は善神を志し、子供達を導く者であり、ナミには辛い思いをさせとうなかった。


 ――されど、あの恐ろしき兵器がこの地に殺戮をもたらし、この先もこの世に存在するとなると、この世は殺戮と破滅の世を迎えるであろう。


 山神の言葉が胸に突き刺さるナミ。




 ――望まぬのなら、秘術は使わなくても良い。だが、もし、そなたがこの世に未練がなく、世の破滅を悟ったのなら、そなたに託した時の巫女としての力を使い、過去に戻って時の流れを変え、新しい世界を作るが良い。


 ――私が、過去を変えるの……?


 ――うむ、これはそなた達の未来と世界のためである。



 山神は真剣な目で答えた。



 ――私達の……為に……?



 ナミはそんな山神に問いかける。



 ――その世界では、山神様はいるの? リセちゃんやミアちゃんもいるの?


 ――そなた次第である。過去を変えられるのは、そなたしかおらぬ。誰も犠牲にならぬ世界を望むのなら、どうかその手で導いてやっておくれ。


 ――誰も犠牲にならない世界……?


 ナミは想像した。もし、長崎に新型爆弾が来ることを最初から人々に知らせておけば、少なくとも犠牲者は減ったのかもしれないと。


 だが、それも今となっては、もう遅い。


 もし、過去に戻り、何らかのきっかけを作って、事前に原爆が落ちることを見越して人々を避難させれば、多くの人々の命が助かったのかも知れない。


 それこそ。リセやミアも含めて。



 ――山神様……。


 ナミは幼馴染み二人の顔を思い浮かべながら、山神から託された思いに応えた。



 ――分かりました。その大役、引き受けます。だけど、まだリセちゃんがどうなったのか知りたい! せめて、それを知ってからでも遅くはないでしょ?


 ――良い。そなたの自由である。ミアという名の異人は残念であったが、リセはまだ分からぬ。果たして生きてるかどうかはそなたで確かめよ。


 山神はナミに自らの思いを強く伝えた。


 ――だが、どうかこれだけは覚えておくれ。同じ異人である筈のミアをも巻き込む兵器と、それを作り出す国々を放っておくわけにはいかぬのだ!


 山神の言葉は、ナミの胸に強く刻まれた。



 ――ナミよ。そろそろ別れの時じゃ。


 すると、半透明になっていた山神の体は徐々に消えていく。


 ――さらばじゃ……どうか世界を……救っておくれ……頼んだぞ……。


 山神は最期にそう言うと、自らの体が消滅してしまう。



 ――山神様……!



「アア……ア……アア……!」



 黒焦げのナミは、今にも泣きたかった。だけど、体内の水分が蒸発しきっている為、泣けなかった。


 その哀れな姿をした少女は、心の中で誓った。


 ――私は、リセちゃんを見つけたい……それまでは、この世界で生き続けるんだ!



 ナミはそう決心する。





 それからナミは、ただひたすらに生き続けた。


 全身黒焦げで、皮膚組織は大火傷の影響で治癒機能を完全に失い、一切、火傷が治らない瀕死の重傷のまま、何十年も過ごしたのであった。


 飢えると、洞窟の中にいるその辺のネズミを食べ、死なない程度の渇きを維持しながら、ほんのちょっとのネズミの血を舐めて生き続けた。


 生と死の狭間を何十年も行き来したナミのその皮肉な生き様は、原爆の悲劇ではなかった。




 そう。唯一、生命の奇跡が起きたのだ。




 人類が科学力を超越し、原爆という核兵器を作り、殺戮の悲劇を起こしたように、ナミもまた人類の生命力を超越し、長年を生き抜く奇跡を起こしたのだ。



 たった一人である。20万人近くの長崎原爆の被害者の中のただ一人だけ、ナミの生命力が、唯一、人類の科学力と原爆に勝つ事が出来たのだ。



 だが、いくら生命の奇跡を起こしても、洞窟から出られる事は一度もなかった。


 ナミは友達に会う為に何度も出口を手で掘ろうとした。だが、焼き尽くされた瀕死の肉体では、まともに掘ることは叶わなかった。


 何十年も渇きに苦しみ、それに耐え、生き続ける為に積み重なったその苦しみが、強い生き霊を作らせていく。





 ――リセちゃん……無事なの? 生きてるの? 怪我はない……? お願いだから誰か教えて……。



 ――私、リセちゃんを放っておいたまま、違う世界になんか行きたくない……。



 ――だから、リセちゃんがどうなってるのか分かるまで、この世界で生き続けるよ……何年、何十年経とうとも……。





 ナミはただ、その思いのまま生き続けてきたのだ。



 しかし、いくら強い生命力や奇跡を持っていても、結局ナミは人間である事には変わりなかった。


 七十年以上もの年月が経ってしまったある日、生きる苦しみと幼馴染に会えない寂しさに追い詰められたナミの心は疲弊し、当に限界を超えてしまった肉体もやがて、滅ぶ事を悟り、遂にナミは折れてしまう。





 ――もうこんなに年月が経ったんじゃ、リセちゃんはもうこの世には、いないよね……?




 ナミは嫌でもそう思ってしまい、原爆で変わってしまったこの世にもう未練もなく、山神から貰った力を使わざるを得なくなり、過去を変えることを決意したのだ。



 ナミは心の中で小さく呟いた。





 ――リセちゃん……ミアちゃん……山神様……。




 ――私、もう一度、皆と会える世界を作るよ……。




 ――誰も苦しまず、誰も犠牲にならない、誰もが安心して暮らせる世界を……。




 ――新型兵器も何もない優しい世界を……。







 こうして、ナミは過去を変える事を誓ったのであった。


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