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終止符を誓って

 


 ――――――――――――








 時は深夜、長崎市から外れた山の中に一台のパトカーが走っていた。


 前の席には刑事二人と、後部座席には讃良、翼彦、リセの三人が座り、彼らはパトカーに乗って、森の中にある道路を進む。



 その後部座席の真ん中で、ポツリと座っていた讃良が、何やら言いづらそうな表情で隣にいる翼彦に呟く。



「獅童くん、私……」


「いや、もう言わなくていい」


 翼彦は諦めるような口調で答えた。



「七瀬、ここまで来たら、もう止めようとは思わない」


「本当にいいの?」


「ああ、俺の負けだ」


 先ほど二人が浦上川で喧嘩をしていた件の事で、翼彦はあっさりと負けを認め、彼女の協力を引き受ける事になった。



「お前がナミさんに連れてかれた事といい、さっきミアさんからの電話が七瀬の携帯にかかった事といい、偶然が重なり過ぎる」


 翼彦は隣にいる讃良を見ながら、今の自分自身の思いを伝える。


「もしかしたら、今回の事件で七瀬が巻き込まれたのは、本当は偶然じゃないのかもしれない。お前に何か役目があるのだろう」


 彼はそう断言した。



「獅童くん、私ね。あの世界に連れてかれた時、とにかく怖かったの」


 讃良もまた自らの気持ちを伝える。



「原爆によって滅ぼされたあの町を見てから、正直、もう関わりたくないと思ったし、このまま獅童くんと一緒にお母さんがいるお家に帰りたいと思ったの」


「七瀬……」


「でもね。さっき、あんなに泣いてたリセさんを見て、思ったの」



 すると、彼女の目つきが突然変わり始めた。




「あの時代が生み出した核兵器の脅威が、未だにこの現代にまで影響を与えてるのだとしたら、被害者である私もまた、それを終わらせるべく、何かをしなきゃいけないと感じたの」



「今の世を生きる人間としてね」




 決意を込めた眼差しで答える讃良に、翼彦の胸が脈打つ。



「そうか」


 すると、翼彦は彼女のその真剣な眼差しから、そっぽ向くように目を離し、外の景色を見ながら心の中で呟く。



(そんな顔したら、ますます好きになっちまうじゃねえかよ……!)


 彼のすぐ側にある窓ガラスからは、ドキドキと胸を鳴らしながら、頬を赤く染め、ジト目でそっぽ向く翼彦の顔が半透明で映っていた。





「そこで止めておくれ」



 その時、リセはハンドルを握ってる佐野刑事に、パトカーを止めさせた。


「ここからは歩きだよ」


 リセはそう言って降りると、彼らを道案内した。



 満月が照らされる中、真夏の蒸し暑さが押し込む山中で、虫の音がする藪の林に足を踏み入れ、不気味な暗闇の森の中を懐中電灯で照らしながら徘徊し、険しい山を登る五人。



 しかし、その途中、リセは足を止めてしまう。



「ゼェ、ゼェ……!」


 老体の身に負担がかかったリセは息苦しそうに呼吸をすると、杉浦刑事が心配そうに声をかける。


「リセさん。大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃないね。何せこの歳だと、もうまともには動けないからねえ……」


 リセはかつて子供の頃、三人でこの山道を難なく駆け回っていたが、今となってはすっかりと年老いて、まともに登れなくなってしまった事を虚しく思った。


「よかったら、自分が背負いますよ」


 すると、杉浦刑事は突如、しゃがんで背を向け、自らリセをおぶろうとする。


「良いのかい?」


「全然、かまいませんよ」


 杉浦刑事がそう言うと、リセは彼の言葉に甘んじて、その背に乗っかった。


「悪いね」


 リセは杉浦刑事に感謝の言葉をかけた。



 それからリセは、自らを背負ってくれてる杉浦刑事に指示しながら、暗い闇の森を進み続ける。




 だが、やがて、森を歩いてから10分ぐらいが経ったその時、異変が起こる。



「っ……!!」


 リセは突如、背筋が凍るように体を震わせ、ゾッと顔を青ざめながら、息を詰まらせた。



「どうしましたリセさん!?」


「どうした急に!?」


 刑事二人はリセのその只事ではない反応を見て、心配そうに声をかける。


「心配ないよ……!」


 リセは震えながらそう言うと、額に浮かんだ汗を拭った。


「今にも、ナミちゃんの怨念に押しつぶされそうだよ……!」


 リセはそれだけを答えた。周りにいた四人はそれを聞いて悟った。


 自分達がナミに近づいて来てることを。



 それから彼らは、辺りを警戒しながら足を進めると、やがて、目的の地へとようやく辿り着く。



「着いたよ」


 そこは、かつてリセが子供の頃に遊んだ河原であった。


「この川か? ナミさんがいるのは?」


「いや、あそこだよ。あそこに洞窟があるんだ。今となってはもう崩れて塞がっちゃったがね」


 すると、リセは前方にある崩れた壁岩を指差す。


「昔、子供の頃、三人でよくこの川で遊んでたよ」


 七十年ぶりに来たリセは、その場所を懐かしそうに眺める。


「思い出すね。あの日を……」



 リセは昔、子供の頃に遊んでいた時の事を思い出す。



 三人で楽しく水浴びをしたこの川には、かつて、普通の人間ではその姿を見ることが出来ない水の精霊、ミツチがたくさん泳いでいた。


 しかし、あの原爆以来、リセが再び、ミツチの姿を見ることは1匹もなかった。


 絶滅したのか?それとも大人になってから見えなくなってしまったのか?その真実は未だに知らないままである。



「あの原爆が落とされた日、あたしはここで、ミアちゃんを見つけたのさ」


 リセは原爆が落とされたあの日から、封じ込めていた真実を語る。



「黒焦げのミアちゃんが、何度も水を欲しがってて、あたしはすぐにこの川の水を汲んで、ミアちゃんに飲ませたのさ。そしたら、安心したかのように死んじゃったよ……!」


 震える声で自らの過ちを答えるリセ。



「あたしが殺したも同然だったよ……あたしが水を上げなければ……!」



 当時、原爆で火傷を負った人間に水を与えて死んでしまった人間は大勢いた。


 リセの言う通り、熱線で体内の水分が一瞬で蒸発し、脱水症状による渇きに苦しんで水を求めるが、更に最悪な事は、水を飲む事によって安心感と緊張が解けて死んでしまうのである。


 または、乾き切るほどの脱水症状の状態で水を飲む事により、体に急激な反応を起こすから死ぬとも言われている。だが、結局のところ、本当はどちらが原因で死ぬかは、今のところこの現代でも、はっきりとは分かっていない。




「ナミさんはどうしたんだ?」


 佐野刑事が質問すると、リセは指を差す。


「そこの岩場の側で倒れてたよ」


 今となっては、何もないただの地面を見つめる五人。



「あの時、ミアちゃんと同じように、黒焦げだったけど、ぐったりしてたから、もう死んでたかと思ってた。だけど……」


「だけど?」


 リセは涙交じりの目を瞑りながら、過去を振り返った。




 ――ナミちゃん……。



 あの原爆が落とされ、長崎が火の海と化したあの日、ミアを助けられなかったリセは、ナミの元にもやって来たのだ。



 ――そんな……ナミちゃん!


 リセは黒焦げに変わり果ててたナミを見て、底知れぬほどの悲痛な思いを抱いた。


 ――こんなの……こんなのないよ! 神様ぁああああああああああああ!!


 リセは神に慈悲を乞いながら、山中に響くほどに泣き叫んだ。


 だが、神は時に、人を救う方法を間違えることもあった。


 ――ガハッ!


 その時、ナミが息を吹き返したのである。


 ――え……?


 リセは自分の願いが届いたのか、急に動き始めた黒焦げのナミを呆然と見下ろす。


 ――リ、リセ……チャン……ドコ……!


 ――いや……!


 リセは最初死んでいたと思っていた。だが、突然、息を吹き返し、もがき苦しみながら自分の名を呼ぶ、醜く変わり果てたナミに恐怖心を抱いたのである。


 ――イ、イタイ……ヨ……ア、アツ……イ……ヨ……ミ、水ヲ……!


 助けを求めるナミの声に、リセは心が揺らいだ。


 リセは先ほど、ミアを助けようと、水を飲ませて死なせてしまったことによる後悔と自分の無力さを思い知り、助けを乞うナミをどう助けていいのかが分からなかったのだ。


 水を飲ませても駄目、かといって今まさに死にかけの人間に対し、何か出来るわけでもなかった。下手に助けられないのである。


 ――リ、リセ……チャン……!


 しかし、ナミはそれでも自分の名を呼び続けたのだ。



 ――い、いやぁああああああああああああああ!!!



 とうとう、リセはその重圧に耐えきれずに、ナミをその場に放っておいて、逃げてしまったのである。




 それから、七十年以上の時が流れ、今に至った。



「ナミちゃんはきっと、あたしを怨んでいる」


 老婆の姿と成り果てたリセは、かつての過ちによる罪悪感に苛まれる。



「ナミちゃんも水を求めてた。だけど、あたしは急に息を吹き返したナミちゃんが怖くなり、逃げ出したのさ」


「じゃあ、この指は?」


 翼彦はポケットから、先ほどリセから貰ったナミの指を取り出して見せる。


「その時、ナミちゃんの手を握っていた時、逃げた勢いで折れて、つい持ってきてしまったものだよ」


 リセのその答えに、四人は納得する。



「ナミちゃんはおそらく、この中さ。かつて、秘密の隠れ家として使ってた洞窟だよ」



 だが、そこには、洞窟の入口の面影もなく、壁岩だけが残っていた。おそらく、あの原爆投下の衝撃波の勢いによって、崩れて入口が塞さがってしまったのであろう。



「佐野さん」


「ああ、掘るぞ」


「俺も手伝います!」



 その場にいた男三人は、その土砂で塞がれてしまった洞窟を掘り始めた。


 三人がかりで協力しながら大量の石を掻き分け、やがてそれは一つの小さな穴を形作る。



「何とか、一人は通れるぐらいにはなったな」


「これなら行けそうですね」


 刑事二人は、大の大人が一人分入れるくらいの小さな穴を覗きながら頷く。


 洞窟の入り口へと繋がるその穴は、真っ暗で先が見えない闇が続いており、その不気味な雰囲気と恐怖を煽らせる。



「まず、俺たちから行くぞ」


「はい、佐野さん」


 そう言うと、刑事二人は自ら率先してその穴へ入った。


 一番目に佐野刑事が、二番目に杉浦刑事が狭い穴を掻い潜り、深淵の洞窟へと入っていく。



「次、私が行くね」


 すると、今度は讃良が自ら率先して入ろうとした。


「大丈夫か?」


「平気だよ」


 翼彦は不気味な闇の洞窟へ入ろうとする讃良の事を、少し心配するが、


「俺もすぐ行くからな」


 翼彦はそう言うと、讃良が入り終わるまで、穴の前で待つ事にした。



 狭い穴をまるで小動物のようにうつ伏せで掻い潜る中、彼女の着ていた綺麗な浴衣は土で汚れる。



「汚れちゃった……せっかくお母さんから貰ったものなのに……」


 水色の花柄模様の浴衣を見下ろしながら、母親に申し訳ない思いを抱く讃良。



 しかしその時、



「七瀬! 先に行け!!」



 外から翼彦の強い声が聞こえた。



「え? どうしたの獅童くん!」


「いいから、早く行け!」


 何やら只事ではない様子に彼女は聞こえた。



 それもその筈である。


「クソ! 最悪だ……!」


「なんでまた、こんな時に……!」


 翼彦とリセの目の前には、一見すると川が流れているが、その川の中から、小さな焼けただれた手がゆっくりと現れていた。


『アア……アアア……!』


 間違いない。あの滅亡の長崎にいた不気味な少女である。あの世界の川を伝って、この場所へやってきたのである。



「あの子供がまた来た! 俺たちでなんとか食い止めるから、先に行ってくれ!」


「そんな……!」


 それを聞いた讃良は絶望に歪む。



「嫌よ! 獅童くん! また私の為に犠牲になろうとするの!?」


「大丈夫! 今回は絶対に身を捨てない! 約束する!」


「でも……!」


「頼む! もう七瀬に怖い思いはさせないから!」


「そんなの信じられるわけ……」


 その時、佐野刑事が後ろから、讃良の肩を掴みながら、首を横に振る。



「あいつが、好きな女の為に、男を見せようとしてんだ。それに応えてやってくれ」


「そうです。彼の想いの為にも、今、自分達がやれる事を成し遂げましょう」


 隣にいる杉浦刑事もまた、佐野刑事の意見に賛同し、讃良を説得する。


「今、私達がやれる事……?」


 彼女は二人の刑事の覚悟を決めたその目を呆然と見つめる。



「行ってくれ! 後のことは俺たちでなんとかしてみせるから!」


「獅童くん……」


 讃良は穴の外から聞こえる翼彦の言葉が、まるで自分達にに託されたかのように聞こえた。



「いいか、七瀬!」


 そして、翼彦含むその場にいる四人が讃良に言い放つ。




「終わらせるんだ!


「終わらせるんだよ!」


「終わらせるぞ!」


「終わらせるんです!」




 四人の思いが一つになり、彼らはこの惨劇の夏祭りの夜のかくれんぼに、終止符を打つ事を誓う。


「……!」


 讃良は彼らのその託された思いに胸を打たれ、彼らに応えた。



「うん、終わらせるよ! 全てを!」



 讃良は頭に付いてる母親から貰ったかんざしを取り、結んでいた髪を解き、いつもの髪型であるショートカットを揺らしながら、この場で決心した。




「行くぞ嬢ちゃん!」


「はい!」


 佐野刑事の言葉に答えた讃良は、そのまま懐中電灯を照らして進む刑事二人の後に着いて行った。



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