第九篇・その4 闇の力
一方その頃。
チラホラと、何か不測の事態が起きたことに気づきだした人らがざわめく中、階段を駆け上がる軽やかな足音は孤独に反響していた。
「テツリ、そっちは任せたぞ!」
友の安寧を祈るヒカルは、階段を三段抜かしで飛び上がり、弾丸のごとき速さで駆け昇っていく。
痛む体も何のその、そんなことよりも気にするべき事がある。
今、この強襲の首謀者がハレトだとするならば、思い当たる目的は1つ……。
そしてだからこそ、ハレトらが目指す場所も、ヒカルが目指すべき場所も、1つしかない。
「ミウちゃん、無事か!?」
ヒカルはそう言いながら、ミウの病室へ。
扉がレールから跳ねるほどの勢いで開け放たれたダイナミック入室だったが、既に部屋はもぬけの殻で、窓から吹きすさぶ風がカーテンを虚しく揺らしている。
思わずヒカルは血相を変えた。
まさか、もう……?!
嫌な想像が頭をよぎる。反面、この短期間で何の形跡も無く連れ去れるものか、と……。どこかで希望も抱いて……。
しかし窓の外や、整頓された布団が置かれるベットの下まで探しても、ミウの姿はない。
想像がだんだんと現実味を帯びてきて、ヒカルの顔の青みが増してくる頃……
「ああ、そこなら私も探しましたよ」
と、ベットの下を覗き込むヒカルへ呼び声があった。そしてその声に聞き覚えがあったヒカルは慌てて迎撃のための態勢を整えた。
「ロッカーにトイレ、ついでに天井裏まで、この部屋で隠れられそうなところはあらかた探したつもりだったんですが、一体どこに隠れたのやら」
どこか気だるげに、しかし不敵な笑みを浮かべつつ、マイは軽やかなステップで入室してきた。
「お前……メイドのマイ……か?」
その姿に妙な違和感、気持ち悪さを感じつつヒカルが尋ねると、彼女は律儀にお辞儀した。
「……お前らがミウちゃんを攫ったんじゃないのか?」
嫌悪感溢れる表情を向けるヒカルに対し、マイは「残念ながらそれは早とちりです」と事も無げに答えた。
「じゃあミウちゃんはどこに行ったんだよ」
「さぁ、知ってたら苦労しませんよ。あなた方なら、フラムの居場所も知っているかと思いましたが、その様子では違うんですね。せっかく後をつけようと思ってたのに、残念です」
「ハッ、残念だったな!!」
と、ヒカルは勝ち誇った顔で言い放った。が、マイは鼻で笑う。
「けれどまぁ、問題ナシです……。あなたがいてくれるから」
「……ん?」
要領の掴めないヒカルは間の抜けた顔を浮かべた。
「あなたたち3人が同じ病院に担ぎ込まれて良かった。面倒である反面、上手く事を運べば目的を一挙に達することができる」
そう言ったマイは捕食者が獲物に向けるような、鋭い眼光をしていた。目は口ほどにものを言うとは、まさにこのことであった。
「あなたには、どうしても聞き出さなきゃいけないないことがありますからね」
「俺がお前らに話すことは何もない! もう剥がす爪は無いぞ!!」
「まだ歯があるでしょ。それはともかく、あなたには私と一緒についてきてもらいますよ。あなたは私たちの拠点を知る危険分子、野放しにはしない」
そう言ってマイは唇を結んでニッコリと笑った。
「あなたたち2人を抑えれば、フラムは手に入れたも同然。上里テツリはおそらく、そろそろくたばってる頃でしょう。だから、次はあなたの番です」
「……ハッ、そう都合良くお前らの思い通り行くと思うなよ。俺も、テツリも、背負ってる物がある! やすやす勝てると思うな!」
思いの丈をぶちまけたヒカルの息は荒かった。
「でもカオルの情報によると、あなたの能力は太陽が無いと弱体化するらしいですね。変身時間はたった3分っきり、たった1度の3分」
「……だから勝てるとでも?」
内心冷や汗かきつつ、ヒカルは平静を保って言い放つ。
「ええ、当然。少なくとも今負ける気はありませんね」
「大した自信だな。自分大好きか」
「……もっとも戦うのは私ではありませんが」
そう言うなりマイは乱暴に手を叩いた。
「さ、おいで……」
「?!」
ヒカルの頭上からは砂がこぼれ落ちていた。そして顔を上げた途端、天井が崩落し、墨を零したように黒い長髪をなびかせ、漆黒の装束を纏う魔法少女を襲いかかってきた。
自身を踏みつけようと迫る鋭利なヒールから逃れ、ヒカルは転げる。
「くそ……新しい魔法少女か……」
ヒカルが初めて見る少女の顔にそう呟くと
「今日加入した期待の新入りです。どうぞお見知りおきを」
とマイは得意げに答えた。だがそれが無性に、ヒカルの感情を逆撫でした。
「前までいた子たちはどうしたんだよ?!」
「さぁ?」
「さぁって、お前らどれだけ人を弄べば気が済むんだ! ことさらに犠牲を増やして……」
「仕方ないでしょう。ハレト様の能力の仕様上、誰かと契約を交わさなければ真価を発揮できないのですから」
「そもそもこのゲームのルール知っといて、なんでアイツは生きてる人間戦わせる能力を望んでだ! 人の命をなんだと思ってんだ!!」
「……あなたの言うそれは間違いなく世間一般では正論でしょうね、けれど真理ではない」
ヒカルは「何!」と憤る。けれどマイは気にせずに、「あれこれ講釈垂れる気はありませんが……」と前置きし、真顔で続ける。
「誰だって心のどこかで命の重さを量っている、命の重さは決して等しくはない。大抵の人間は自分の命が1番重い。だからこそあなたみたいに、他人のため平気で自分を犠牲にできる高尚な精神なんて持ってないんですよ。極端な話、普通の人は他人がどれほど犠牲になろうが自分が生き残れれば良いんです」
「だからこの所業も正しいって言いたいのか?!」
ヒカルは、目の前に死んだ顔で立つ黒き魔法少女を指さしながら言う。
「別に。この際正しいか間違っているかなんて考慮してませんよ」
そう言うとマイは壁と弾みをつけて直立する。
「私はただ……ハレト様にはもう不自由して欲しくない。ただ……それだけです」
その言葉と、マイの静かな微笑みは、ヒカルを唖然とさせた。
「そんなの……許されねぇ!!」
我に返ったヒカルは叫ぶ。そして右腕が顔の前を通るように、左上に突き出した。
「もうこれ以上、お前たちの思い通りにさせてたまるか!」
「ハナから許されるつもりなんてありません……。けど、もはや止まるつもりも無いです」
「なら俺が止める……。変身!!」
そう叫ぶと、ヒカルは生じた光のエネルギーが満ちる星形の壁をくぐり抜け、そのエネルギーを纏い光闘士ブリリアンへの変身を果たす。
「お前らの歪んだ望みは、俺が全部打ち砕いてやる!」
啖呵を切ったヒカルはマイに殴りかかり、それを彼女は悠然と待ち構えた。
⭐︎
ヒカルとマイの戦いは狭い病室内では収まらず、それなりに広い廊下へと移り変わっていた。
もっともマイは手駒である魔法少女が戦うのを満足げに傍観するばかりで、直接手を下そうとする素振りは無かった。
「たぁ! テヤァッ!!」
気合いのこもったかけ声が響き渡る。
余波で電灯が破壊された薄暗い廊下では、星の瞬きに似た輝きを放つブリリアンに変身したヒカルの一挙手一投足が目立つ。
だがヒカルは攻めあぐねていた。
「…………」
今、ヒカルの周りには、小さな雷雲のようなモヤモヤが漂っている。
黒いモヤは息を吹けば飛んでいきそうな、そんな取る足らない存在にしか思えない。事実ヒカルも初めはそう思っていた。
だがモヤの正体は、全てを無に返す闇であった。
触れればたちまち機械は火花をまき散らして壊れ、水や植物は灰色の臭気を発し腐り果て、ひとたび人が吸い込めば昏倒し、そのまま多量に吸い込み続ければ死に至らしめる。
ヒカルがうっかり一片に触れたときは、触れた途端に接触部位から酸性の溶解液に浸した鉄屑のような光の泡沫が立ち昇り、変身が解けた。闇の力は亡者の能力さえも打ち消す。
「厄介なモヤだ……」
おかげでヒカルは思うように動けない。
モヤ自体の移動速度は歩いてでも引き離せる程度しか無いのがせめてもの救いである。
「どうです? 彼女、中々やるでしょう?」
何もしていないのにマイは得意げであった。
「でもおかげで、お前たちも手出しができないようだな!」
「まぁ必要がありませんからね。3分待ってりゃあなたは勝手に力を失うんですから」
マイは右手首の腕時計を見やる。
「あと、1分と10秒くらいかな? けれどもう、そんなに要らなくなった」
その言葉の意味を、ヒカルはすぐに知ることになる。
黒の魔法少女が突き出した拳をバッと開いた。闇が彼女の動作に呼応する。
一挙に増殖、膨張した闇は、ヒカルを押し潰さんと迫る。もう逃げ場は無かった。
「くっ、こうなりゃ仕方ない!!」
するとヒカルは猛烈に回転し始めた。摩擦で地面から煙が立つ。
竜巻のように風を巻き起こし、闇の侵略を食い止めようと抵抗を試みた。
が、そんな抵抗を余所に闇は増殖、膨張を続ける。
そして、やがて床が擦れる音も消えた。
「終わりましたかねぇ」
マイが呟く。
闇に飲み込まれ、ヒカルの姿は見えないが、抵抗も止んだ。
このまま放置していればヒカルは勝手に息絶える。だがマイに命じられているのはヒカルの生け捕りだ。闇に覆われたままでは捕らえることができない。
だから魔法少女が闇に剣先を突き刺し、闇を吸収、除去しにかかった……その矢先――
「?」
ふと気配を感じたマイが足下を見る。
別に何も問題はない……そう思った瞬間!!
「でぇりゃぁぁあああッ!!!
右腕を突き上げたヒカルが、床をぶち破りながら現れた。
「うぐっ?!」
そのまま突き上げた右腕で顎をかち上げられたマイは呻き声を上げ、背中から倒れ込んだ。
そして魔法少女が背後での不測に気づき振り向いた時には、もはやヒカルの掌打で突き飛ばされる寸前であった。
少女が吹き飛ばされた先は滞留していた闇の中。
大きく息を吸い込んで呼吸を止めたヒカルが闇の中から彼女を引っ張り出すと、闇の力によって変身が解けていたのはヒカルだけでなく少女もだった。そこにある穏やかな寝顔を壁にもたれかけさせると、ヒカルはマイに相対する。
「フ、フフフ……なるほど、床に孔を開けて逃れていましたか。こんな単純な手に気づけなかったとは、我ながら耄碌しましたね」
「お金持ってないから、あんまり壊したくなかったけどな。と言うわけで弁償はお前らでしとけよ」
床に寝転ぶマイを指さして、ヒカルは若干威張って言う。
と、静まりかえった廊下に、どこかからサイレンの音が聞こえてきた。この騒ぎが既に知れ渡っていたらしい。
「もうすぐここに警察が来る……。今までの罪状からして、間違いなくお前は逮捕されるだろう。せめて塀の中で、自分たちが犯した罪を償ってくれ」
そしてヒカルは最後に静かに言った。「お前らの負けだ……」と……。
「…………負け……ね……」
そう呟いたマイの口元には、確かな笑みが溢れていた。
「何がおかしい……?」
ヒカルが尋ねると、マイは無表情を取り繕った。
「まぁこの場は、私の負けで構いません。というか実際負けですからね。……でも良いんですか? こんなところで私なんかに説教垂れてて?」
その意味深な発言にヒカルは悪寒がした。その内心を見透かしたマイ(?)は、満足げな表情を浮かべた。
が、その顔に亀裂が走る。比喩でなく、体の中心を裂くように一筋に大きな亀裂が走り、そこからヒビ割れが全身を巡る。そして最後には無数の欠片に砕け散り、跡形もなくなった。
「は?! え?」
ヒカルは混乱し、一連の事態をあたふたと見つめるばかりだった。
まさか死んだのか?
最初はそう思ったヒカルだったが、床に散乱する残骸に手を触れた。
「これはガラス……いや鏡か……?」
キラキラ輝くビーズのような物体は鏡の破片であった。
鏡……なぜ鏡なのか分からず、ヒカルは首を傾げた。が、マイの言っていたことを思い返しつつ、1つ確信した。
「まだ、終わってないんだな」
破片を握りしめ、ヒカルは再び立ち上がる。