第九篇・その3 地獄に
結局、頼りにしていたツバサにこっぴどくあしらわれてしまったヒカルだったが、落胆している暇もなかった。
「頼むから無事でいてくれよ」
心の中で願いつつ、ヒカルは亡者に与えられた特権の空間転移を使って、たった1分で元の病院、現在入院中になっている病院へと舞い戻った。
この不在の間にも、ハレトらがミウを攫いに強襲を仕掛け、病院を戦場に変えていてもおかしくはなかったが、幸いにも到着した院内の様子は見渡す限りで出向く前とで変わりなく、ヒカルはひとまず安堵した。
とはいえ、その安堵もそう長くは続かないだろう。
ヒカルは今後の方針の件も踏まえ、おそらくテツリもいるであろうミウの病室へと向かい、その扉の前に立った。
見かけはよくある横開きの扉。何の変哲も無い白い扉。さっき一度訪れた時と、何も変わってはいない。
しかしやけに静まりかえった扉を開けるのが気が重く、ヒカルは中々手をかけられなかった。
「……あれ?」
つい視線を横に逃がすと、廊下の端っこで見覚えのある背中が哀愁を漂わせながら、斑な木漏れ日を浴びて窓の外を見やっていた。
「テツリ……」
その心中を雄弁に語る背中は、このまま放っておいたらそのまま頭から地面に落ちてしまいそうだった。ヒカルは平静を装いつつソッと近づいて、テツリの肩を叩いた。
「…………」
一度目は反応無し、二度目は流石に気づいているだろうが顔は上げない。そして三回目、叩く力も少し強くなっていて、それでテツリは脇目を振った。それも一瞬の出来事であった。
「テツリ、そんなところでどうした……」
「……鳴賀っていう刑事さんから、話は聞きました」
「っ!?」
「その反応……ヒカル君も知ってるんですね?」
半ば茫然自失な機械的な口調でテツリが尋ね返すと、ヒカルは一瞬目を瞬かせてから「ああ」の一言を絞り出すよう答えた。
鳴賀はヒカルがツバサの下へ向かった後、全てを説明してくれたと言う。そしてミウも事情を把握しているとのことだ。
「……それで、ミウちゃんの様子はどうだった」
ヒカルが尋ねると、テツリは鉛のように重たい口を開く。
「……ショックは受けてました。自分の身はもちろんそうですが、親身になってくれていたマネージャーさんが自分のせいで酷い目に遭わされたのも、堪えたみたいです……」
「なるほど……そうか……」
ヒカルには肩を震わせ顔を青くするミウの姿が容易に想像がつく。あの心優しい子なら、さぞかし心痛めただろう……。そして――
「お前は……」
大丈夫かと言いかけて、ヒカルは口をつぐんだ。
そんなはずがないことは、後ろ姿が雄弁に語っている……。
知らせを聞く前までのテツリは、世界中の誰が見ても、間違いなく幸せだった。やっと解放されたミウと心から笑い合えて、憑きものもすっかり落ちたようで、幸せそうだった。
なのに……今はまるで、地獄にでもいるかのように重苦しい影が憑いている。
一体どんな言葉をかければ良いのか……。ヒカルが分からないでいると、テツリの方から口を開く。
「僕はこれから、どうしたら良いんでしょうか?」
「え?」
唐突な問いかけに、ヒカルは怪訝な顔を浮かべた。
「どうしたらって、どういうことだよ?」
要領が掴めないヒカルが尋ね返すと、テツリは無意識のうちに手すりの上に置いていた拳を握る力を強めていた。
「このままだと氷上ハレトは、間違いなくミウさんのこと攫いに、魔法少女たちを差し向けて来るでしょう。そう思ったからヒカル君もツバサ君のところに助けを求めに行ったんでしょう……。断られちゃったけど」
「……」
そのままズバリ過ぎて、ヒカルは返す言葉が無かった。
「ミウさんのことを手に入れるまで、奴はきっとこのゲームが終わるまで付け狙う……」
そう言うと、テツリは腕をダラリと垂らし、ヒカルの方に向き直った。その目は水面のように煌めいていた。
「確かに僕は、ミウさんがミウさんでいられるよう、氷上ハレトから解き放った。それで救ったと思ってた! でもっ……!」
見開くテツリの目から、一筋だけ涙がこぼれ落ちる。
「実際は何も解決していない。ミウさんはまだ、手のひらの上に囚われている、不自由なままだ! 全然救われてなんかいない!!」
「テツリ落ち着け!」
そう言ってヒカルが肩に置こうとした手を、荒ぶるテツリは払いのけた。思わぬ反撃に驚くヒカルは手を見つめたが、テツリもまた同じように驚き、払いのけたままの体勢で硬直していた。
「…………すみません」
心配してくれる友人に、自分が咄嗟に取ってしまった仕打ちにようやく気づいたテツリは、涙声で謝った。
「いいんだ、仕方ないよ」
その声色は優しかった。
「お前が不安なのは分かる。けど、今は俺たちだけがミウちゃんの盾になれるんだ」
ヒカルはうつむくテツリの両肩に手を置き揺さぶる。
「しっかりしろテツリ! 俺たちは、絶対にミウちゃんを守らなきゃなんだ。もう二度と、ミウちゃんを辛い目に遭わせないためにも! だから、顔を上げろ……」
「ヒカル君……」
テツリは呟いた。
「……俺たちで守ろう! 絶対に!」
ヒカルの声は力強く燃えていた。そしてテツリは顔を上げた。けれどテツリのその顔は、ヒカルが想像していた顔とは違っていた。
「守る……だけでいいんですかね」
恐ろしいほど底冷えさせる声だった……。
「……お前、それどういうつもりで」
ヒカルの額を冷や汗が伝う。思わず肩に置いていた手で、テツリを遠ざけるよう押しのけてしまった。
正直なところ、テツリが言いたいことはおよそ察しがついている。自分だって決して1度も頭をよぎらなかったわけじゃない。
けれどその声のあまりの冷たさに……ゾッとしていた。
「どうせ追い返しても、奴らはまたミウさんを手に入れるまで、何度だって襲って来るんですよ……」
だが今のテツリは、周りの事なんて気にしていなかったようで、ヒカルが自分を見る目が変わっていたのにも気づかず口の端を歪に上げる。
「だったらいっそ、全ての元凶を……氷上ハレトを――」
「まぁとにかくだ!」
ヒカルが慌てて遮り最後まで言わせなかった。そして片足を軸にくるっとターンする。
どんな言葉が続くかはもはや分かりきっていたが、それを実際に聞きたくはなかったのだ。
「今は今のことを考えようぜ。俺たちだけでどうやって、ミウちゃんを守り抜くか。それだけを考えよう……。な?」
縋るような懇願と真っ直ぐな目に、流石にテツリも幾分か感情の熱が冷まされたらしい。それで大きな瞬きすると、フッと息を吐いた。
「そうですね……すみません……」
「……別に謝る必要なんてないよ。ただ、こういう時ほど自分らしくいようぜ……。お前だったから、ミウちゃんは救われたんだ」
「…………」
黙り込んだテツリは目を反らした。
「……じゃ、俺たちもミウちゃんのところに戻ろう。色々と作戦とか、今後のこととか、決めておかないとじゃない。それに目のつかないとこに置いておくの……心配だろ」
ヒカルが手招きすると、テツリは何も言わずに歩き出した。
「……すみません」
またテツリがポツリとその言葉を言う。
「……」
ヒカルは何も聞こえなかったフリをした。けれど視線は、絶えず背後にいるテツリを背中越しに見ようとギリギリまで横目を振っていた。目尻には汗が伝う、間違いなく冷や汗だった。
別に何か霊感的な物を持ち合わせてはいないが、ヒカルは今のテツリの背後に、黒いオーラが漂っているように見えた。
と、その時ヒカルは、誰かの視線を感じて足を止めた。
何かに見られていたような……。そんな気がしたのだが果たして気のせいだったのだろうか?
ヒカルの視線の先に、特に気を引くものは見当たらなかった。
⭐︎
19時の面会時間も過ぎ、この日は月明かりも紫色の雲に飲込まれた。
その頃には病院内の出入りもまばらで、広い駐車場も数台の車が、職員出入り口付近に固まって停車するばかりでガランとしていた。
「すっかり暗くなったなぁ」
一階のロビーでヒカルが外を見て呟く。もっとも外を見ると言っても、窓に映る景色は反射した病院内の様子であった。受付ではまだ夜勤の看護師が働いていたが、出歩く患者はヒカル以外にいなかった。
「にしても、アイツらいつ仕掛けてくるんだよ」
ここまで、ハレト側が何か仕掛けてきた様子はない。今日、ヒカルとテツリは手分けして病院内をパトロールしていたが、不審な人物も事件も認めることはなかった。そして気づけば夜になっていた。
このまま何も起こらずに朝を迎えられたなら望ましいことはないが、ヒカルの勘は告げていた。『奴らは今日必ず仕掛けてくる』と。
「……ヒカル君、こっちは異常なしです」
上の階を周回していたテツリもいつの間にか合流していた。
「そっちはどうですか?」
「……ああ、こっちも大丈夫だ」
昼間の件もあって若干歯切れ悪く、そして目を逸らすヒカルに、テツリは「ちゃんと確認したんですか?」と怪訝な顔で言った。
「それにしてもいつ仕掛けてくるんですかね」
テツリは腰に手を当てて、呆れ顔をした。
「さぁな、でもいつ来るか分からないし、気は張ってないとな」
しかしそうは言っても、体には限界がある。ヒカルは出てきそうになった欠伸を噛み殺した。
「……」
するとテツリは冷ややかな目をやっていた。
「いや、これはだな……」
バツが悪く言い訳しようとするヒカルに、テツリは「仕方ないですよ……生理現象ですもんね」と殊の外優しかった。
「コーヒー……買ってきましょうか?」
「お金、持ってたっけ?」
無一文のヒカルが尋ねると、テツリは財布から銀のクレジットカードを取り出した。
「それってカオルのか。まだ持ってたのか」
「一応、結局返す暇もありませんでしたし」
「もう、返すこともないしな……」
とは言え、死人の口座から金をいただくのはどうも気が乗らないヒカルには、一杯のコーヒーでも掛け値なしであった。
仕方なくコーヒーは諦め、水でも飲もうと思ったが、どこで手に入るかは分からない。
「受付で聞いてきますね」
テツリがそう言って、ヒカルから離れて受付の方に向かっていく。
「…………ん?」
何やら看護師とテツリが話している様子を眺めていたヒカルは、ふと疑問符のついた声を上げた。
「地震か?」
そう感じるほどに、足下が揺れている。周りを確認すれば、窓際に鎮座する観葉植物も震えていた。
遅れてテツリたちも振動に気づいたが、一番先にヒカルがその正体を知る。
てっきり街灯かと思っていた2つの白く丸い明かりが、悠々と迫って来ている。
「危ない!! 逃げろ!!」
ガシャァァァアアンンッッ!!
絶叫と悲鳴を轟音がかき消す。
「うおっ!!」
窓ガラスが周囲の壁ごと破壊した。そして破壊した10トン越えの大型トラックは、ノーブレーキで受付に突っ込んできた。
ズガァァァアアンンッッ!!
間を置かず2度目の轟音が鳴り響く。
「な……」
命からがら飛び退いたヒカルは、目を見開いた。
さっきまでそこにあった受付は、トラックの運転台が埋まって見るも無惨だ。衝撃で浮いた後輪はまだ回っていた。
青ざめるヒカルが眺めていると、トラックで寸断された向こう側から声が聞こえてきた。
「ヒカル君!」
「テツリ! 大丈夫なのか!?」
「僕は大丈夫です!」
トラック突入時、受付付近にいたテツリだったが、彼もまたギリギリのところで轢かれずに済んでいた。
「お前以外はどうだ?!」
そう尋ねられて、立ち上がって受付の中を覗き込もうとしたテツリだったが、彼の側からも受付の中の様子は運転台に邪魔されて見えない。耳を澄ましても何も聞こえない。
「ちょっと……確認ができません」
なおも覗き込もうとしたテツリだったが、背後でカツンと床を叩く音があり、それに釣られて振り向いた。
一体どこから現れたのだろうか。
テツリが振り向くとそこには、彼女の肩幅よりも広いツバの黒い帽子を目深に被った、銀色の触覚ヘアを垂らした少女が何食わぬ顔で棒立ちしていた。
ジッと見つめてくる彼女に、テツリは喉を鳴らして尋ねる。
「君は……魔法少女?」
髪色と同じメインカラー、彼女の場合は銀色を基調とした装いをしていることからテツリは判断した。
「上里テツリ、ダナ……。ココガオ前ノ、デットエンドダ」
「……違いないね」
彼女の感情のこもっていない無機質な声、そして自身に向けられた、身の左右に3対の枝刃が造られた銀色の剣がテツリに確信させた。そして同時に、怒りをこみ上げさせた。
「氷上ハレト……お前、また罪のない女の子を手駒にしたのか!!」
「ハハハ……オ前ガ首ヲ差シ出シテクレルナラ、コレ以上増エルコトハナイゾ」
「ふざけるな……!! お前の私利私欲のために、この子たちは生きているんじゃない!! これ以上彼女たちの人生を壊すな!!」
「イクラ叫ンデモ、喉ガ痛イダケダゾ。止メタイナラ、力尽クデヤッテミナ。無理ダロウガナ……」
「? ……鏡?」
彼女が取り出したのは、刺々しい手のひらサイズの手鏡だった。それの鏡面を見せつけるように突き出す。すると手鏡は瞬く。あたりが白く照らされて、しかし大きな影も映し出された。彼女の手鏡からは、霊獣が飛び出してきたのだ。牛の頭をした獣人であり、両腕が伝承のケンタウロスのように猛々しい。
「ブモォォオオッ!!」
荒れ狂う霊獣が拳で床を砕く。テツリは「うわっ!」と驚きながらもかわしていた。だがそうして片膝を立てて霊獣を見やっているところに、魔法少女の剣は振り下ろされた。
「変身!」
そう叫ぶと、テツリは光闘士ブリリアンの強固な鎧のような体を纏って、顔の前で腕をクロスして剣を受け止めた。
衝突で火花が散る。そして鍔迫り合いとなるが、力ではテツリの方が圧倒的に上だった。
だが背後からもう1人が剣を振り上げ襲いかかる。
テツリは巴投げの要領で目の前の少女を投げ飛ばし、背後からの強襲とぶつけさせた。そして1人は、鏡像の偽物の方は粉々に砕け散った。
「そう簡単に……やれると思うなよ!!」
「マァソウ熱クナルナ。マダホンノ小手調ベッテヤツサ」
両者、共に吼えると、金の拳と銀の剣は熱烈な火花を散らす。